朝から他施設共同研究用の書類を書いた。ほら、このように、多施設という言葉を早くも誤変換しておりイヤになる。「自分のところも含めたたくさんの(多)施設でいっしょに研究する」からコナミワイワイワールド的にうれしいのであって、「ほか(他)の施設でやってる研究の書類を書く」とか、それってVtuberのゲーム実況を見てるみたいなもんじゃん、ん、まあ、なら、それはそれで楽しいかなあ、ってそういう話でもない。もうちょっとコミットしたい。結果にコミット。大事なことだ。コミットするなら結果に限る。どれだけ過程にコミットしても学術業績とは呼ばない。しかし私の仕事とはつまり、過程にコミットする生業なのだよなあということを、たまに考える。
雪がすっかり解けて春の雨が続いている。しかし体感としての湿度がそこまで上がってこないのは気温が低いからだろうか。手指はぱさついておりキータッチしていくと指の先が割れてくる予感がある。少し斜めになりながらキータッチをすることで圧の加わるホットスポットを少しずらして指を保護する、ことができたらいいな、みたいなことを考えつつ少し斜めになりながらしかし指先はまったく同じ配置でキーを叩く。割れそうだ。
ああ、ありがとう、届いたメールに感謝を述べて、大学で特殊な染色をやってもらうためのプレパラートを送付すべくキーボードからボールペンに持ち替えて、宅配便の伝票に宛名を書きつける。指先がでっぷり太ったような不思議な感覚。いずい。ペンはいずいなー。親指の爪でときおり中指の側面をカリカリかく。ここは中学生のころ、彫刻刀が表皮と真皮の境目くらいまで彫り込んでしまった傷跡だ。治ってないけれど、なんか治った! だめなマチュのものまねをして遊ぶ。楽しい。しかし指はふくらんでいる。破裂寸前だ。
ああ、旭川医科大学と書くべきところを、旭川大学と書いてしまった。そんな大学は……ないんだな。ないんだ。旭川市立大学はあるけれど。昔、札幌医科大学と書くべきところを札幌大学医学部と書いてしまったばっかりに、郵便が札幌大学に届いてしまったという逸話を聞いたことがあるが、今にして思うとあれはウソだ。札幌大学と札幌医科大学は場所がぜんぜん違う。そもそも郵便番号の時点でおもいっきり仕分けされているだろう。札幌大学と札幌医科大学の距離を調べたら7.9 kmと出た。今適当に調べてみたら、品川駅から渋谷駅まで車で走るとだいたい7.8 km。よくこのドンピシャの数字を適当に思いつけたな。俺。ニュータイプかもしれない。マチュになれる。
仕事の遅い人間がいるとき、職場をどのようにマネジメントするべきか。正解は、「仕事の遅い人間をもっとたくさん雇って、仕事を少量ずつ振り分けていく」だろうか。少なくとも、「育ててたくさん仕事ができるようになってもらう」はまちがいだろう。仕事が遅ければ勉強も遅い、だったら成長もすごくゆっくりだ。育てようと思ってもこちらの思うスピードで育ってはくれない。ならば、その人それぞれに与えられた天分をもとに、やりきれるだけの仕事を粛々とこなしてもらい、しわよせは仕事の速い人間で一気に抱え込む、それが社会というもののあるべき姿……というか、これ以外の形で歪みを支えている職場がどれだけあるのか逆に聞きたい。
一連の独白にてもおわかりのように、私は教育にかんするセンスがゼロである。部署の運用もまったく向いていない。人の上/前に立つべき人間ではない。ただひたすらに目の前の仕事をこなしていく。すなわち、私はロボットと交換可能ということだ。現時点で私の存在している意味は、「AIよりも早く仕事ができる」の一点にしか存在していなくて、この先AIが少しずつ(ただし人間の成長よりは速い)、発達していく過程で、私の存在意義はどんどん矮小化して最後はオメガサイコミュの使えないエグザべ君よりも小さくなってエアロックが開きそうだと言って大事な場面からそそくさと退場する。
「あなた一人ができる仕事をがんがんこなしていくよりも、あなたの半分の力を持った弟子を10人育てれば、結果的に社会に対して還元できる仕事は5倍になるんだよ」と、ご丁寧に訓示をくださった人の前で、私は弟子より20倍仕事ができるので……と答えて場をキラキラにする。マチュだからしょうがない。いや、違う。マチュではない。ニュータイプではない。ほんとうのわたしはゴリゴリのオールドタイプだ。私はほかのパイロットたちと脳内でチュルリチュルリラリ!!(ニュータイプのあの音)とやりとりしながら仕事をできる気がしない。とか言ってる間にもメールが届いているな。着信音を変えておこう。チュルリチュルリラリ!! 気分だけでもニュータイプになれるように。瞬間的に不安になって検索。よかった、月刊ニュータイプ、まだ廃刊していなかった。創刊40年だって。ニュータイプとか言ってる人間がとっくに古くなるだけの時間が、経っている。