先日のWindows updateで、Google chromeのフォントがメイリオからNoto sans JPに変わった。検索をかけると、フォントを元に戻すための設定方法がばんばんヒットする。みんなも戸惑っているのだろう。わかる。フォントが変わるというのはかなり心をざわつかせる。私も最初は元通りに戻そうかと思った。しかし、いっそ新しいフォントのままにしてしまってもいいかもしれない、と考え直した。今、Noto sans JPで表示されたフォームを用いてブログを書いている。
慣れない。そして、おもしろい。文章の塊をざっと見たときのテクスチャが違う。文字間から漂ってくる雰囲気が異なる。単語ひとつひとつの「性格」も変わったように感じる。雰囲気。ニュアンス。意図。ふしぎだ。フォントとは文章におけるヘアメイクみたいなものなのかもしれない。顔面の筋肉には一切影響しないはずなのに表情が別人のようになる。
本を作るときに編集者がフォントにこだわる理由がわかる気がする。
ちかごろ、PowerPointのプレゼンにメイリオが使われていると「またメイリオか」と食傷気味に感じるようになった。「またメイリオの太字をロゴとして活用するタイプの講師か」。もうちょっとデザイン変えたらいいのに。とはいえ、プレゼンにおいてあまり凝ったフォントを用いると、USBフラッシュメモリで持ち運んで学会が用意したPCに入れたときに正しく表示されなかったりもする。最も汎用されているフォントを使ってプレゼンを作るというのはリスクマネジメントであり、その意味ではメイリオならまず間違いない。研修医がプレゼンづくりに気合いを入れて、独特のフォントを多様して、それらが発表時に一切反映されていなかったりすると、「メイリオにしとけばよかったのに……」となったりもする。
ただ、スーツを仕立てて高いベルトと革靴をあつらえ、ネクタイの色にまでこだわっている一流講師のプレゼンがメイリオ仕立てというのはファンションセンス的にいただけない。おしゃれを自認するならフォントも埋め込んでしっかり自分のカラー出したらいいのに。とはいえ、学術の講師なんてのは、究極的には学術のこと以外はポンコツであってほしい、人に言われるがままのおしゃれを気取って、でもどこか抜けている姿には、むしろ愛着が湧く、萌えポイント、だからメイリオでいいです、そのままポンコツな天才でいてください、そのほうが人間の不完全さが見え隠れしてカワイイですよ、みたいな、「芸に秀でたナマモノの、ダメなところを勝手に見出して萌えるタイプのオタク」が本当に無理で、それ何目線の評価だよとうんざりするので、講師の皆さんはくれぐれも、キモから目線の評価者たちの前で、うっかりメイリオなんぞを使ってプレゼンしないように気をつけてください。