定期的に歯医者に通ってメンテナンスをしてもらっているおかげでたぶん今のところ新しい虫歯は出てきていないが、しかし子どもから青年期にかけて傷んだ歯というのは治ることもなくて、いずれはこのフタをしたところの内部がまた腐って治療が必要になるのだろうなということを、かれこれ20年くらいは言われ続け、脅され続けている。そういうのはiPS細胞あたりでなんとかならないのだろうか、というあわい期待も、これまた20年くらいずっと持ち続けているけれど、医学の進歩たるやかくも遅くて、虫歯も五十肩もIBSもいっこうに根本的な対処法が見つかる雰囲気はなく、やきもきするばかりである。
脅されているおかげできちんと歯医者に通っている。今のところかぶせた詰め物がボロっと欠けたり崩れたりすることも数年に一度しか起こっていなくて、まあ、見た目がひどく悪くなることもなく、痛みも苦しみもない、ひとまずは小康状態だ。口臭がひどくにおってくることもたぶんない。臭いについては自分ではわからないとも言うので、申し訳ないがやはり家人や友人にはそういう点は正直に申告してほしいと思う一方、親しき中にもレイ・ハラカミという言葉もあるように、やはりそういう嫌悪感を伴うエチケット関連のものについては近しいものをリトマス紙にするようなことはせずに、歯のプロに客観的にみてもらったほうがいい。多少の金はかかる。手間もかかる。しかし歯医者は大切だ。それはもう、やむをえない。歯医者に「最近ちょっと臭いますね」と言われたとして、私はたぶん傷つくけれどそれは必要な傷だし、その傷が私の周りの人間をも害することと比べたらささいなことで、「だからこれこれこうしましょうね」と言われて臭いがしなくなるなら、それよりいいことなどこの世の中には停戦合意くらいしかない。周りの人間がゴルフや旅行や不倫などにかまけて着々と加齢し口を臭くしていく中で私は粛々と口を掃除しつづける。我ながら偉いと思う。これくらい自分を高めて賛美しないと、この、歯医者に毎月通い続けている生活のつらさは正当化できず腑に収められない。
月に1度のメンテナンスでは、歯科なんとか士の方が、はぐきの隙間にドリル的なにかをつっこんで、ベニヤ板の貼り合わせを剥がすかのようにベキベキ容赦なく掃除をしていく。それで歯石が取れるというのだが本当に毎月やるべきことなのかどうかは私にはわからない。これは間違いなく自分ではできない処置なので、その意味で、プロにやってもらっているお得感というのはあるのだけれど、しかし、ここまでしないと人体のホメオスタシスというのは保てないものなのか。NHK 人体IIIで「人間って奇跡の存在ですね」なんて言っているタモリに冷水をあびせて「そうでもないよ」とぶつくさ文句を言いたくなる夜もある。
先日は足の親指がつったのだが真っ先に思ったのは痛風のことだ。私にもついに痛風が来たのか! と戦々恐々としたがよくよく痛みを探ってみるとあきらかにスジが痛くて曲げ伸ばしと関連しているので、なあんだこれはスジがつっただけじゃないか、痛風じゃないな、ビール万歳! となったが痛いことにはかわりないので別にうれしくはない。ただこういう「AというしんどいこととBというつらいこと、A>BのときにBを引いたよろこび」みたいなものにまでアンテナを張り巡らせることで、破綻したホメオスタシスの狭間をスラロームするような人生にも多少の彩りはうまれてくるというものである。
ところでブログを毎日書くというのはおそらくメンテナンスの側面がある。そしてつくづく思うのだけれど、毎日書き続けることで、文体のようなものは整っていくのではなくておそらく偏っていく。それはひとえに編集者とか査読者を通さずに文章を書き続けることの背負った宿命的な大きなリスクだと思う。
たとえば歯科衛生士のドリルを見様見真似で自らやってみた(そもそも口の中は自分ではのぞけないというのに)というのに近いだろう。利き手の操作で届きやすい左の下の奥歯はわりかし上手にやれているが、しかしそれはあくまで「やれているっぽい」だけで本当のプロの仕事とは比べることもできないくらいの雑なものだし、右の上下の奥歯などは一層おざなりになるし、ほんとうに大事な歯茎の溝の中は清掃できていなくて、磨かなくてもいい歯を磨きすぎてだんだんすり減ってしまっている。「歯をメンテナンスするついでに口腔内のべつの異常に気づく」というような、患者側からはなかなか気づくことができない歯科通いのメリットみたいなものも一切ない。つまりそういうことなのだと思う。ブログを自分で毎日書いたからといってそれは、犬小屋の下に生えたタケノコに水をやるような、つまりは偏りの根にしかならないだろう。それでも書くのはなぜかと考えると理由はなくて惰性なのだけれどあえて理由という言い方をするならばそれはおそらく精神を健康に保ちたいのではなくてむしろ病んで偏っていたいという自傷が目的なのではないかという気がする。