「札幌でお待ちしています」と一言述べてZoomをオフにした。日頃オンラインの勉強会で氏名表示ばかり目にしている人たちが、学会で、何人も何人も札幌にやってくる。まあこない人もいるけれど、そのうちの幾人かには会えるだろう。会場ですれ違って向こうの顔がわかるかどうか自信はないが(いつも文字でしか見ない)、私がニコニコ歩いていれば向こうが気づいてくれるかもしれない。それに、演題発表を見に行けば、演者の名前がきちんと表示されていて、ああ、あれがいつものあの人か、とわかるだろう。声優さんの実物を見て喜ぶのに近い感情、あるいは、ラジオDJにリアルイベントで遭遇してうれしくなるのに近い感情。めったにないのでわくわくしている。
しかしこういう気持ちは札幌で暮らしているからなのだろう。首都圏に生息する医師たちはパシフィコやら医師会館やら笹川記念会館やらどこぞの大学やらに日帰りすればいいわけで、地方在住者のような、航空券代と割高なホテル代と生死を賭して出張する感覚を味わう機会は我々の半分以下ではないかと思う。学会ニアリーイコール出張である私のはしゃぎ方は、全国的に見るとちょっと幼いほうかもしれない。それで/どうでも、よいが。
みずからの幼さをどう残していくかというのは、戦略に近い。カマトトという言葉もあるけれど、そこまで狭義でもなくて、もうすこし漠然と、「心の中からときおり幼さを出し入れする行為」について考える。おいしいものを食べたときに「子どものように笑顔になるか、ならないか」。旅路の最中に「わくわくした声を出すか、出さないか」。やや子どもっぽいくらいのチューニングをすると、同じ体験であっても一段楽しく思える。それは効能であり推測可能なアウトカムである。対外的に表出する・しないはこの際問題ではない。外見上は仏頂面でも、頭蓋骨の中では2頭身の自分がぴょんぴょん浮かれている、ということでもよい。
幼さの召喚をするか、しないか、というのは、性格というよりもわりと戦略というかポリシーの問題であろう。私はわりとやる。それは自覚的にそうしている。SNSによって子供じみたダジャレや下ネタ方向に矯正され続けてきたことが自分の行動特性に影響している、という解釈は、おそらく順序が逆で、もともとそういう「幼さを駆動してイベントに臨もうとするタイプ」だったから、SNSのある種の構文にも辟易せずに接し続けることができたのだろうと自己分析している。
ただ、このような戦略が途中で若干変質したかなと思う部分もある。それは、おそらく、子どもと体験を共有するにあたって生じた。子どもが今という時間を楽しむにあたって、その盛り上がりに水をささないために、横にいる大人はどうあるべきか、それを考えながら、外面に表出する幼さを細かくメンテナンスし続けた時間が10年以上ある。それは結果的に、その後、自分が一人で何かを楽しむにあたっても、子どもの嬌声の残響というか熱量の残り火みたいなものを感じながら、Ctrl+Oにショートカットキー登録した幼さを手軽に駆動する。SNSによって引っ張られたとは思わないが子育てによって引っ張られたとは思っている。まあどちらが先でも結局私は幼さの方向に引っ張られたのだとは思うけれど。
ここまで連呼してきたが、さて、幼さというのは結局なんのことかと考える。それはおそらく「現象に対する感度が高いこと」で、「落ち着かなく動き回ること」で、「飽きがきていないこと」で、「視野を狭くして没入していけること」であろう。逆に、幼さを感じない状態というのは、「リアクションが大げさでないこと」で、「泰然として落ち着いていること」で、「すべてに飽きていること」で、「視野が広くて、何事にも浅くしか関わらないこと」なのかなと思う。これらを排他的に用いるのではなくて程よくブレンドするというのがつまりは「幼さを出し入れする」ということなのかなと思う。
40代も半ばを過ぎて、まだ幼さを用いて世界と対峙しようとしているなんて、昔はまったく想像もしていなかった。しかし、勘だが私はおそらく、あと数年はこのやりかたでいろいろなものと向き合っていくけれど、その後はさすがに受容体の摩耗によって刺激に対する感度を失っていくのではないかと思う。いくつになってもいい意味での幼さを持っている人などというのをたまに見るが、そういうのは端的に言えば心のHPが数万くらいある純粋なバケモノで、私がそこまで精神的に体力豊富なタイプだとはあまり思わない。幼さを用いることが難しくなった時点の私がそこから冷笑系の老害に落ち着いたらいやだなということをぼんやりと思う。そこを拒否するためにもうちょっとあがいてみようとは考えている。でも、まあ、これまで心の両腕をばんばん振り回しながら何に対しても突進していって、それでしょっちゅう心の肩を脱臼したりしていたので、そろそろ落ち着いてもよいのかもしれないな。しっとりとした。おだやかな。凪いだ。湖面。枯れ木の。木漏れ日。アームチェアの。老眼鏡。ピンとこねぇなあ。