学会にパソコン持ってきたけど、ほとんどブログ書くのにしか使ってないのでどうかと思う。セッションとセッションの合間の時間に、PCを開いて論文読んだり書いたりしている人たちを見ると、立派だなあと感心してしまう。どうも私は職場以外でPCを開くことにしんどみがある。
代わりに本を持ってきた。学会中、移動中に読み終わった本は、ホテルのゴミ箱に捨てることが多い。捨てないで持って帰る本は三冊に一冊といったところ。多くは捨てる。もったいない、と言われる、しかし、自分の部屋の本棚がとても小さくてもう入らないし、またいつか読みたいと思ったらそのとき買い直せばいいので、とりあえず読んだら手放してしまう。古本屋で売ったらいいじゃないかとも言われ実際にそのようにすることもなくはないが、なんというか、「読み終わったら捨てていいんだよな、よーしこれは楽だぁー!」というメンタルでいることが、私にとって「本を楽しく読み続けるコツ」みたいなところがある。今回の出張ではいまのところ3冊捨てた。最後の1冊はとっておいてもよかったが、続編もあるということだし、気が向いたらまた買うだろう。
そういう私の「捨て癖」が無効化されるのがKindleである。ちょっと前からほとんどのマンガはKindleで読んでおり、どうしても紙を手元に置いておきたいものはKindleとの二重買いにしている。ちかごろは一部の新書もKindleにしはじめた。Kindleのいいところであり悪いところは「本を捨てられないこと」である。はるか昔に途中まで買って読むのをやめてしまったマンガなどもいまだにリストの中には入っている。これをぱっと消去できるとスッキリするのだけれど、一度購入した電子書籍のリストというのはなかったことには基本できないようだ。できるのかもしれないが私のリテラシーではその技術までたどり着かない。「はずれ」の本が表示され続けているというのは長い目で見ると自分に在る種の圧を与える。私の買った本すべてがばりばりに私にささったわけではないんだよな、もちろん、みたいなことを、Kindleの一覧を見るとつくづく思う。逆に、紙の本を私がすぐさま捨ててしまうのは、自分が購入した本が「あたりばっかり」であるかのように私が本棚の前で錯覚したいからなのかもしれない、とふと考えた。そんなことがあるだろうか。あるかもしれない。
何に対する自意識なのだろう。他人の目を気にする、という言葉があるが、他人がこう思うだろうという価値観の部分の多くは自分の価値観である。他人の多様な受け取り方を想定せずに、「分離した自分が自分を見て恥ずかしい思いをしないように」みたいなことを日々念じて行動を縛っている。結局気にしているのは自分の目なのかなということも思う。
本以外にも古くなっていた靴下を捨てた。旅先でどんどん軽くなっていくことが気持ちいい。ホテルのフロントにたまにおいてある使い捨ての歯ブラシや化粧水のたぐい、あれらを、お得だからと持って帰って荷物を増やすようなことを、かつてやっていなかったわけでもないのだが、今はとにかく旅に出て荷物が増えることだけはないように、ということをかなり念入りに気にしている。
ちなみに、今回の出張、たまたま、何もいただかなかったおかげで以下を書けるのだが、私は出張先で先方から良かれと思って渡されるおみやげの類にいつも困惑している。お気持ちだけいただいて、本当に固辞したい、社交辞令とか遠慮ではない、マジで要らないのである。食べ物ならまだ食ってなくなるからいい。しかし酒などを渡されると、持って帰るには重いし、近頃はもうあまり酒を飲んでいないのでせっかくのこのいいお酒も当分は納戸で眠りに付くのだろうと申し訳ないやらめんどくさいやら心のノドに小骨がひっかかった気分になるやらでがっかりする。献本が嫌いなのとも通じる。いっそ、みんなに嫌われれば、ものももらわなくてよくなるだろうから、嫌われたいと思って書くけれど、私に嫌われたくない人はおみやげを持ってこないでほしい。こういう記事を読む人は、細部に気遣いのこもった、荷物にならず、私の好みにもばっちり合うような、小さなおみやげをいつも私にくださるタイプの人ばかりで、そのやさしさや心遣いを私が踏みにじるようなことになってしまうのは本当に申し訳ないことだと思うし、私のことなど何も考えずに自分が「私、遠くからやってきた人間にちゃんとおみやげを渡せた、できる人間!」と気持ちよくなるためだけに私に荷物を押し付けるストーカータイプの人間に限って(ストーカーのくせに)こういうブログの記事だけはまるで読んでいないというか読んでも読み捨てて忘れてしまうのでほんとうにいやになってしまう。書いていてつくづく思うけれど、私はおそらく、本質的に、本を捨てるところ、他人目線といいながら自分の目で自分を見ているところ、これらの気質は、どちらかというとストーカーのほうに似ているのかもしれないと気付かされてがっくりする。