外食の構造

中華料理屋ならだいたい間違いはないだろうと思っていたのだが、たしかにあんかけ焼きそばは間違いなくうまかったのだが、セットの半チャーハンが今日未明に炒めたのかというくらい冷たくてびっくりしてしまった。まずい料理を出す中華料理屋。そうかそうか、一周回っていい体験をした。申し訳程度にくっついてくる杏仁豆腐もザーサイもよく考えたら別にいらない。それでもあんかけ焼きそばがうまければまたいつかやってきてしまうのだから、私はたぶん普通に中華料理が好物である。ラーメンよりも、焼き魚の定食よりも、生姜焼きと比べたとしても、たとえ相手がカレーだったとしても、中華料理が安心だ。ほか、居酒屋ランチも好きで、昔は出張の際にはたいてい、居酒屋が昼間はランチだけやっているみたいな風情の店を探してありあわせの定食を食べたりしていたのだけれど、たぶんこのブログにも書いたことがあるけれど、あるときから、居酒屋ランチ、味はいいのだけれど椅子やテーブルが思った以上に汚いという羽目に、二度ほど連続で遭遇してしまったことがあり(いずれも東京だった)、まあ、別にそこまできれいじゃなくてももともとあまり気にはしないが、さすがにこのあと発表というタイミングでスーツを汚すのも気が引けると思ってすこし足が遠のいている。

私の生活のなかで習慣になったものの多くは、東京に行くとしばしばリセットされる。東京を訪れるタイミングが年に二、三度で、それくらいの期間何かをやり続けていれば、当然、飽きることもあるだろう。でもそういう時間の問題だけでもなく、東京というところは、構造というかシステムというか、とにかくたくさんのつながりや折り重なりの中に、「飽きを喚起する」ものが含まれているような気がする。ここにいるといろんなことに飽きる。私の八方美人的な性格と、東京との相性はすごく良く、私は東京に「何かに飽きるために」来ているのではないかと感じることすらある。私は東京に来るたびに何かに飽きる。

飽きないのは仕事くらいだが、あまりに東京ばかり来ていると、いつか仕事にも飽きるのではないかとすこし心配である。


遠方に住む息子からときどき送られてくるLINEに、さまざまな自炊の写真が載っている。トマトからソースを自作したパスタを作っていたり、パンケーキ用のクリームをこしらえたりしている。私と同じ性格をもつ息子は私よりはるかにかしこく、料理や食事にかんして多くの選択肢というかバッファを持っている。それを見ながら私の自炊欲もむくむくと高まるし、東京に来ているうちは自炊なんてできないわけで、だから私にとっての東京というのは飽きを喚起するように感じる場所なのかもしれないなと、桂馬のような飛躍をしつつ東京を後にする。買ったことのあるお土産を買って帰る。