もともと私しかやりたがらないタイプの仕事だからこそ、私にニーズが集中したと考えれば、そう簡単に次の人足が集まらないのも当然のことで、それこそこの10年くらいは私と同じ方向に適性のある人をずっと探してきたけれど、全国に目を向ければぽつぽついるかな、くらいのもので、ご近所にうろうろしているようなことはないし、ようやく見つけたと思ってもフタ周りくらい年上で、かえって私がその人の仕事をかわりにやることになったりもした。私の代わりなんていくらでもいる、という言葉はそらぞらしい。いくらでもいるかもしれないがみんな自分の持ち場で精一杯なのだから、私の代わりをやってくれと言ったって簡単には来てくれないし代わってもくれないのだ。交換可能性とかいうけどそれこそ机上の空論だと思う。どうでもいいけど机上の空論という言葉をみるたびに長机の上に仁王立ちになった空軍幕僚長、みたいなイメージを思い浮かべる。わりと軍事力強そうだなと思う。
車のない1週間はバスで過ごした。運転手がらんぼうだと1日のおわりにそこそこ無駄な体力を使う。乗り降りする人のいない早朝や深夜、爆走するバスは停留所のたびに時間調整の一次停止をながめにとっていて、ぶっ飛ばした意味ねえじゃねえかとおかしくてしかたない。ドアを開けたまま留まってくれたら夜の風を感じられて気持ちいいと思うのだけれど運転手は指一本動かすのもいやなのか、乗り降りする人のいない停留所では決してドアを開けない、それはまあ、冬とか雨とかのことを考えれば当然のムーブではある。でも私は。真夜中にバスに座って闇の風のにおいをかぐ日があってもいいのではないかと。思った。次の休みは海の日である。