荒野を延々と歩き回っているかのように足の裏がじんじんとした、いや、正確には、足から返ってくる血液が私の心臓を下からどくどくと突き上げているような感覚があった。そして目が覚めた。時刻は5:27で、毎朝の、ブログの告知をする時間ぎりぎりで、この時間より遅く目が覚めたときには私のブログの告知は遅くなるが、これよりあまりに早く起きてしまうとかえってブログの更新告知を忘れてしまったりもする、私にとっての端境となる時刻、それが5:30で、私はこの日、5:27に目が覚めた。覚めた瞬間から夢の内容は一切忘れていたが、私は心の中に猛烈なさみしさがしっかりと質量をもって残っているとはっきり感じた。顔がごわごわとして、頭皮の毛根が私を押さえつけているように思った。今、哀しさの中にいる、と理解した瞬間に、猛烈な勢いで涙が流れ始め、驚いた。哀しみの対象はないのだ。自分のことを哀しむわけでも、他人のことを哀しんでいるわけでもない。しかしただ哀しいという気持ちだけが私の中に充溢し、毛根から溢れて周囲に蒸散して表皮の周囲5 mmくらいを雲のように包んでいて、私は自分の手を涙まみれの眼球越しに見た、すると、その手の表面にうっすらと乗っかっている大気の、成層圏のあたりで、世界から降り注ぐさまざまな情報が、大気圏突入する宇宙塵のように燃えて消えていくのが見えるのだ。驚きは止まらず、涙も止まらないまま5分ほどが経過した。顎までびしょびしょになってさすがに始末が悪いなと思って立ち上がり、ティッシュを取りに行くために1, 2歩歩くと、まるでセミの幼虫が殻を脱ぎ捨てるかのように哀しみの被膜が後ろに置き去りにされて、ベッドの上で青白くくすんで崩壊していくのである。もう涙は出なかった。しゃくりあげるような横隔膜の動きはもともとなかった。私はなぜ顔が濡れているのかわからないという不思議な状態に置き去りにされたかのようだった。
この話を職場の数人にしてみたところ、鬱病になっているのではないかとずいぶん心配されたが、私はそういうのとは違うと感じた。ストレスで統合失調症を発症するときのそれともちょっと違うと思った。そういうのとは別に、私は、ストレスと疲労で、おそらく自分の中にある哀しみの核のようなものに触れて、それが本当に哀しみの核だったからこそ、正しく反応して泣いたし、それは核であって本当は内奥になければいけないものだったから、目覚めてしばらくして覆いが戻るにつれて涙は引いた、ただそれだけのことだったのだろうと思った。でもこのことを人に説明するのはなんだかとても難しいなと思った。