お坊さんが塀を乗り越えて食べに来るという意味

早朝である。空港にいる。搭乗待ち合いにいる。最前列にいる。目の前に滑走路がみえる。低く立ち込めた灰色である。通路とこちらとを隔てるガラスの壁にたくさん指紋がついている。こういうところを清掃しないのかな? と思う。疑問はすぐに解消する。リュックをばうんばうんと跳ねさせながら走ってきたジャリがガラスに激突せんばかりにへばりついて、しっかりとガラスに手を当てながら飛行機をガン見しはじめる。始発便が飛んでからすでに2時間は経っているから、この2時間で、これだけ汚れたのだろうなということを理解する。次にやってきたエルサっぽいかっこうをした女の子ふたりのうち妹の方は手も顔もべっとりとガラスと癒着している。それよりちょっと大きな姉のほうは親を振り返って急に激しくダンスをはじめる。振り付けに意図や企図がある感じではなくてエモーションを爆発させる、原始の踊り、儀式の一貫、スピリットが周囲に集まってきそうなダンスで私は思わず顔を伏せる。あまり見てはいけないのではないかという畏怖のような心が私を覆う。キン肉マンの35巻でとつぜんディフェンドスーツの中から出てきたマジックスクエアをキン肉マンが軽く折りたたんで投げると、大阪城の天守閣にすえつけられたオープンスタジアム的なリングの直上にマジックスクエアがドーム状に広がって視界を覆い隠していくのだが、ああいう形態をした畏怖が私を覆う。どこから出てきたのか、どう畳んでどう投げるとああいう形態になるのか、一切納得はできないけれどストーリーと勢いで腑に落とさせられる。女児が踊り狂っている。狂女児が踊っている。この二文のどちらがより適切だろうかとしばらく考える。


7月24日はポテトサラダ記念日、というポストがあってたしかにと思う。


書評というか解説のしごと。校正ゲラを1日目に読み、3日ほど考えて考えて移動の最中に書き終えた28字×60行。編集者からは早さをほめられ、中にしのばせたワンフレーズをほめられ、そして、いくつかの表現がわかりづらいと訂正を求められた。ユーチューバーは物を書かないのでは? いい偏見だ、採用しよう、この一文を削除。Xに流れた記事のリンクをたどったらその先が有料で最後まで読めない、というのは本当にあること? 本当だけど、ピンとこないなら採用しよう、この一文を削除。パズーが支度にかかる秒数というのはどういうこと? 四十秒かからないという意味だがわからないならいい、この一文を削除。あとは許してもらえた。タイトルをどうしようかと悩む。編集者にも考えてもらう。なにもかも自分で書いて整える必要はない。素材を提示して、真ん中において、それを違う角度から眺めながら数人であれこれいじれば人前に出せるものになっていく。「かっこかり」を出しておくことが重要だ。それはなるべく早めであるといい。

「願いだと気づく(仮)」

というタイトルを暫定的に付けた。これがどうなるか、数日後にわかる。


腰痛がひどい。太ももの血流が滅んだ。ノートPCを脇に置き、待ち合いの椅子から体を少し前にずらして、片足ずつ前方にほうりなげてストレッチをする。ももうらを伸ばす。「ストレッチってのもまじめにやろうと思うと1時間くらいかかるよね」。たしかにな、と記憶の言葉に相槌を打つ。搭乗まであと20分、となると十分なストレッチの時間はない。この痛みを小倉まで持っていくのか。小倉が怒ったぞ! コクラーッ! 思いついたギャグをSNSに投げる。むなしいなと思う。しかしこうして「かっこかり」をさっさと提示することで動く何かがある。私はずっとそういうやり方をしてきた。それでわりとうまくいくのだということを知っている。ただし、「未完成の状態でいったん提示されてその後人の間で揉まれてそれなりに落ち着いたパッケージ」がなかなか描けない像というのも世の中にはあるように思う。「幾重ものプロセスで発酵し、濃縮され、煮出されて、ようやく提供されたファッチューチョン」だけが持つ正体の掴めない香りのようなものはきっとこの世にはあると思う。