気遣いの津波

結局Switch2にゴエモンもリズム天国も入れないまま過ごしている。というかSwitch2が手元にない。だらしない日常を送っている。仕事と仕事の合間で、スマホに入ってる古いKindleの、何度も読んだマンガを順々にローテーションして、だらだら眺めているうちに次の仕事の予定がやってきてまたそっちに取り掛かる。体幹の筋肉がやせおとろえて、座っているだけでなんとなく全身がたるんで、ジャバ・ザ・ハットのようなシルエットになっている。体重は減ったのに輪郭が広がっている。全体的にエントロピーが上昇している。ヒコロヒーはエントロピーが低いほうの人類だなと最近よく思う。

AIに作らせた文章を読んでいるときのつまらなさを日常からもじわじわと感じ始めている。最適化されたアプリに囲まれて、80点満点中の80点の暮らしを達成している。100点を目指して暮らすのがよいとは思わないけれど、100点を遠くにみながら55点とか83点とか、上下に揺れながらやっている感じが楽しかった。今、そういうのがちょっと感じづらくなっている。



先日、飲み会で、ロードスターに乗っているという人がふたりいて、ああ、それはカッケーなと思った。私は自分の乗る車に興味がないが、人の乗る車についてはわりと興味があって、デザインにしてもスペックにしても語られることは楽しい。京都の町中に大雪が降った日に、ロードスターの上にどっさりと積雪したところをスマホの動画で見せてもらった。ヘッドライトをパカっと開けて雪をどける感じがチャーミングで楽しかった。ほかにもその飲み会には、RX-78みたいな名前の(違ったと思うがそこは覚えていない)レクサスに乗っているという人もいて、その日ははからずも車の話に花が咲いた。そして、そういう流れだから当然のように、私にも「何に乗ってるんですか?」と質問がくる。私が国産のよくある普通の車に乗っていますと答えると、その場の人たちはきちんと空気を読んで、「ああ、◯◯、いいじゃないですか!」とこちらを褒めてくれる。そこで、すんと気持ちが冷めた。私は、ロードスターやレクサスが「いい車」だと思っている。その観点でいうと、◯◯なんてちっともいい車じゃない。私は「自分から見ていいなと思う車」というのはしっかりあって、それはそれとして、いい車に乗りたいという気持ちがないから◯◯に乗っている。私は自分の車を「いい」から選んで乗っているのではない。「よくない」けど「これくらいでいい」と思って乗っている。自分の車を「よさ」で選んでいない。こういう場面で周りが気遣いながら「いい車ですよね」なんて言葉を選ぶとき、そのやさしさをありがたいと思う気持ちが8割だが、いや、そんなわけないじゃん、と感じる気持ちがしっかりと2割ある。あなたの車をいいと思う感性の持ち主が乗って喜ぶ車なわけないじゃん、と思う。

私は自分が乗る車については55点でいいのだ。45点でも35点でも構わない。でも、やさしさの満ちる場ではしばしば、「55点が考えようによっては80点になる理由(ワケ)」みたいなものがどこかからか湧き上がってきて、私の人生をむりやり80点に揃えようとする。湿度と粘性の高い津波のような気遣いで空間が満たされる。そのほうが傷つく人が少ないのだろう。そのほうが悲しい思いをする人が減るのだろう。世の中はいつも持続性のある方に向かって調整されていく。今のこのほうがたぶん総体としてはいいことが多いのだろう。つまらないなと思う。私は、自分の車はそっちのけで、他人のかっこいい車の話をしていたかった。