春の日の本音

シミュレーションをシュミレーションと呼んでしまう人が多くいるのはなぜなんだろう、ということをたまに考える。人には共通の間違え方、汎的な誤認みたいなものが数多くあって、それはおそらくこれまで多くの文学でも語られてきたことだと思うけれど、要はこの世界には私たちがコロコロ転がっていきがちな勾配というものがあちこちに生じていて、心のインナーマッスルが緩むとすぐに重心をそっちに持っていかれるようになっているのだと思う。

その上で、あえて言うけれど、自分を鋭く律して自分の思う方向にしか進んでいかないタイプの人間なんて面白くもなんともない。

私はむしろ、人と同じように誤認を繰り返し、偏見にまみれ、埋没し、省略されて、体幹もへろへろで、言葉も力弱く、オーラもなにもないくせに、たまに語る言葉に妙な振動があるような、そんな人間こそが世界を大きく変えていくのではないかと、わりと無根拠に信じている。マイクロマネジメントしか脳のない天才は要りません。このなかに平凡、気弱、優柔不断、最大公約数だと自分を卑下している人間がいたら、あたしのところに来なさい。以上。