空のカーリング

浄瑠璃ってすごく水分含有量が多い言葉だ。みたいな一文からブログを書き始めるとき、あとのことは何も思いついていなくて、ただ、そこに一文書き込んでみて、それを眺めて思ったこと、連想したことを、思いついた順番にポコポコ打鍵していくと、いつのまにか文章がすこしずつ伸びていって、最終的には別にそこまでおもしろくはないがおもしろみがないと言えなくもない、くらいの文章の束ができてくる。そうやってブログを書いている日がだいたい2/3くらいある。2月3日ではなく三分の二である。

そうじゃない日のブログは、文字にまだしていない情念みたいなものがゴツンとあって、それを周りから掘っていくために言葉という彫刻刀をふりおろしていく。削るたびに言葉が舞って、それを置いていくと文章が伸びていって、最終的に何か形のあるものが見えてきたかな、くらいのタイミングで手首も肘もすごく痛くなってこれ以上掘れないな、と思ったあたりでブログの記事ができあがる。これが30%くらいある。

あと3.3333...%は!? と、すかさずつっこんでくれる人がどこかにいる。一人は息子だ。もう一人はさむわんへるつの登場人物であるミメイくんである。あとは知らない。見たこともない。




人がコツコツ作ったなにかに対して、あとから「そこが歪んでる」とか「そこの色がへん」だとか、「そこは見たことがあるからつまらない」とか「そもそもこれ要る?」みたいに、つっこむのはすごくラクだ。何かをみると、すぐに脳内に、「もっとこうあるべき」みたいなものが、全体像は決して見えないのだけれど断片的に浮かんできて、その断片と目の前に存在している実物とを見比べて差分をとる。するとなにがしかいいことが言えるようになる。これはほんとうに、一番さもしいことだなと思う。人間の営みの中でもぶっちぎりでさもしいことだなと思う。


こういうことって誰か偉い人は前に言った、とAIに聞いたら、消える気があるど、煮えたぞすちぇ、得す著ペンは植えるが出てきた。どれも前に読んだことがあるようでたぶん私はぜんぜん読んではいないのだ。眼球結膜の表面に流れ続ける涙の膜に文字をサーフィンさせたくらいの記憶しかない。私のまなこは哲学の渚。波打ち際でぱしゃぱしゃやっていても得られるものは紫外線くらいのもので、海の広さにも深さにも到底迫れるものではない。まあ、人間は、陸で生きたほうが。



ぜんぜん話は変わるのだが、先日、「タイトル未定」という札幌のアイドルユニットのメンバーのひとりが、出身地である妹背牛町(もせうし・ちょう、と読む)を訪れる、というTV番組をみた。妹背牛町は札幌から旭川に行く途中にある深川という町のすこし西にあって、難読地名という以外には私も詳しいことはぜんぜん知らなかった。でも、良さそうな施設がいくつかあって、キャンプやグランピングなどにも向いていそうだ。のどかで、清潔だ。いい町なのである。飯もうまそう。ここにはカーリングの施設もあり、大手カーリングチーム・フォルティウスが観光大使をやっていたりもする。本州の人はおそらくびっくりするだろうけれど、北海道の、特に札幌以外の地域ではけっこうカーリングを趣味にしている人が多くいて、釧路や稚内、北見などに住む知人には、社会人サークルに入ってカーリングをやっているという人が思いのほかたくさんいる。


とはいえカーリングは冬季スポーツで、大掛かりなスケートリンク的競技場がないと遊べない。そこで、「ユニカール」という代替スポーツが考案されている。モルック的な動きで遊ぶカーリング、といったらよいか。モルックもカーリングも知らない人にとっては申し訳ないことだが、そうだな、「輪投げ」を、輪ではなく、輪を入れるほうの棒を使ってやる、という感じである。余計わからないかもしれない。


で、そのユニカールがTV番組で紹介されていたのだけれど、「ユニカールとは別名、陸のカーリングとも呼ばれており……」のところでさすがにつっこんでしまった。「別にカーリングも陸だから!」と。しかしそのつっこみは誰にも届くことなくこうしてインターネットの虚空にまぎれて私は消える気があるどに殴られるのである。



妹背牛町: https://moseushi.jp/