脳だけが旅をする
そこで懐ゲ脳
ちかごろは、「残務処理」and「ものすごく未来の仕事の先回り」がメインとなっている。これはつまり現在にかかずらっていないということだ。
残務処理の例として、たとえば「他施設の病理医にコンサルテーションを依頼したがそれっきり放っておかれている仕事を催促する」、というのがある。こういうのは私がこの病院にいる間になんとか片付けておかないといけない。人から依頼された仕事を自分の仕事よりも後回しにするタイプのコンサルタントに依頼した私がいけないのだが、そういう人柄、マジで首を傾げる。まあ先方にもいろいろ事情があるのだろう。本当であれば昨年に終わっていたはずの仕事だ。残務といえばこれ以上に残務はあるまい。きちんと詰めて終わらせておかなければいけない。本当に迷惑なコンサルタントだ。こういうタイプに限って多忙をちらつかせながら自分の業績を鼻にかける態度をとる。反面教師に教頭試験があったら首席で合格してなんなら飛び級で校長になるだろう。
ものすごく未来の仕事の先回りの例として、たとえば「再来年しゃべってくれと言われた講演の準備」というのがある。さすがに今から準備しても会期が迫ったらいろいろ作り変えなければいけないだろうし気が早すぎるかなとも思うのだけれど、私がこの先異動をすると、しばらくの間は、学術講演プレゼンを今のスピード・今のクオリティでは作れなくなるから先に先に作っておいたほうがいい。新しいデスクは私の仕事に悪影響を及ぼすだろう。反射・反射・反射の積み重ねでほとんど無意識に動いていた、マウス、タッチペン、キーボードに触れる我が手の微細な振動、モニタに目をやるときの重心移動、がらっと変わって私の仕事の速度は激落ちくんする。なんで今くんが付いたんだろう、わかるが。今の職場のインフラを使えるうちに、未来の仕事に次々と着手しておかないと、異動を理由にいろいろと仕事が遅れる。そうしたらあの生意気で不心得のコンサルタントと同じになってしまう。
残務処理、先回り、残務処理、先回り。
こうして「今・ここ」に対する心配りがなくなることを「心ここにあらず」と表現する。日本語というのはほんとうによく張り巡らされているものだ。現在に生きないとやりがいがスカる。当たり判定が微妙な格闘ゲーム。どうにも毎日、今日の私は本当に働いたんだっけな、という懸念をかかえて暮らしている。
ところで、私がこれまでに「現在に集中している状態」であったことがあるだろうかと考えると、そんなものはないのかもしれない。誰でも思いつくわかりやすい例としては受験勉強が上げられるだろうが、受験に備えて勉強する日々というのは、半分くらいは明日(への見通し)で、半分くらいは昨日(までの蓄積)でできているもので、今日・そのとき・その瞬間に集中してなにかを行うというものではない気がする。大学に入り国家試験を通し資格を取得して専門資格もとって、さあ、落ち着いて毎日はたらくぞ、となるかというと別にならなかった。いつだって明後日の準備、来週の準備、おとといのまとめ、先週のログ、そうやって自分の越し方と行く末に、視線の射程をにじませて、意図のインクを掌でこすってのばして、現在を前方と後方それぞれに拡張しながら「だいたいの今日、プラスマイナス箱ヒゲの範囲くらいの現在」に対してぼんやりと、意識のフォーカスをぼんやりと。現在を点だと勘違いするからこそ、アキレスと亀のパラドックスも生じるし、自分の居場所が狭くて、峻岳の登頂の記念写真を取るときの足元不安のようなハラハラを常に感じることになる。今こことは点ではなく面であり、互い違いに積み上がって階層化した面をすっすと上下移動しながら右往左往する、そう、マッピーのような、グーニーズのような、そういう動きで幅をもってとらえていくのが現在であり「今・ここ」などというものはなく安住の居場所などというものもなく帰るべき場所なんてのももちろんないし本当の私なんておぼろげすぎて掴もうと思ってもじつはもうその掴もうとする手のまわりにあるすべてが私であったりするものだ。
いい病理医
茶色の研究
なんとなくだが動画を見る時間がちょっと増えてマンガを見る時間は横這いで文字の本を読む時間が少し減った。スマホの契約をようやくいわゆるギガホにしたことがちょっと関係しているとは思う。人と比べて何周も遅いが、決め手となったのはDAZNで、ドコモの今の放題プランはなぜかDAZNが無料で見られるようになり、これで日ハムの試合を毎試合チェックできるようになるなと思った瞬間にようやく重い腰が軽くなった。いままでほかにもいくらでも、きっかけなんてあったろう、なのになぜDAZN? と自分でもふしぎに思うが、こういうのは理屈とか損得とか福利計算とかでは説明ができない。背中を押してもらうきっかけというか、グラスのふちから盛り上がる表面張力の酒がこぼれる瞬間を探しているというか、とにかくそういうものをまとめて「めぐり合わせ」と呼ぶのだろう。めぐり合いという言葉はあまり好きではないがめぐり合わせという言葉は好きだ。神の放埒、ルーレットの軸の上、能動の積み重ねであったものがいつのまにか誰の意図とも噛み合わなくなる剣ヶ峰。
人の意図の底の浅さを経験するごとに、偶然とか複雑系とかそういうものに身を委ねたくなる偏り。しかし、人の意図、すなわち意識とか意思というものも、シナプスの曼荼羅の錯綜の末に総体として出力されたものなのだから、それをことさらに下に見るというのも理屈としてはまちがっているのだろう。損得とか福利計算とか経常利益とかでは説明できなかろう。
カードの引き落とし額を見て肩を落とす。転勤に備えてたくさん買ったからしかたがない。居場所を変えると金がかかる。ルーティンを変えると金がかかる。日々おなじことのくりかえしでじわじわベーシックアウトカム漏出状態のときのほうがはるかに金はかからない。しかし、我々の仕事で、日々おなじことのくりかえしなんてよく言えたものだよな。毎日違う人間が産まれ、歩き、死んでいるというのに、同じこともなにもないだろう。ともあれもっかの問題はカードの引き落とし額だ。複雑系の位相を転換しようとするときに金がかかるということを、中年もなかばをすぎた私はもう少し真剣に考えて、そろそろ腰を落ち着けたほうがいい。というか、18年、あんなに落ち着いていたのに、私は本当に落ち着かないままでいた。次は落ち着けるだろうか。無理に決まっている。多動なのではない、私の右往左往はブラウン運動だ。大量の原子が高速で四方八方からぶち当たってくる中に暮らしている限り続く本質的な振動だ。その振動のさなかに腰を落ち着けるなんてこと、はずかしくて、できたものではない。
甲斐バンド
山を崩していく作業という感じで日々を過ごしている。いらん摩擦があちこちで生じていて、そのすべてを馬鹿正直にストレスとして受け止めると、大変なので、ほどよく無頓着でいる。たとえばこれは例え話なのだが、職場に「自分のデューティがある日にばかり有給休暇を申請する管理職スタッフ」がいるとして、休暇を好きなときに取れるのは職員の権利なのだから当然だと考えるか、毎回休まれるたびにほかのスタッフにしわよせがいくことに気づいていないことを問題と考えるか、なんとなく、後者の考え方をする人が世の中にはものすごくたくさんいるような気がするのだけれど、ここで前者を選び取って、あとはもうしわよせもなにもかも自分でさっと引き受けて忘れてしまう。そうすることで諍いも足の引っ張り合いもない職場を保ち続けていく。ちなみにこのやりかたは、私が退職した瞬間に破綻するので、結果として長い時間をかけてこの職場をだめにしていっている、と考えることもできる、けれど、そんなことを考える人のほうが世の中には圧倒的にたくさんいる、そんな、人と同じことばかり考えていても生きてる甲斐がねぇんだよォッ(テリーマン)ということなのだと思う。どういうことなのだと思う? わからないけれどそこはなんか寝技的な技術をもちいてねっとりゆっくりと改善していけばいいのではないかと今の私などは考える。思って実行してうまくいって解決、みたいな、中学生にもできる仕事ばかりしていたら、大人として給料をもらう意味がぼやけるではないか。どちらを立てても全部が立たずの場所でそれでもなんとか膝立ちくらいで全体をやりくりしていく謎の出し入れ力みたいなものを胸の奥からダンビラ的にすらりと抜いてなんぼなのではないか。ない。
OncomineとAmoy、どっちを出しますか。コンパクトパネルのほうがいいんじゃないかなあ。でもうちと違ってこの病院はコンパクトパネルをすすめる事務手続きがまだ終わってないんですよね。なんだそうか。だったらシングルプレックス乱れ打ちで出すか。いや、Amoyがいいかなあ。帯に短したぬきの流し素麺だな。なんですかそれは。あげだまを流す。ふにゃふにゃになるからやめろ。御意。
わかりやすいストーリーというのはだいたい金儲けのために構造化されており、途中で参加者たちがダレるタイミング、めんどくさくなるタイミング、うやむやになるタイミング、そういったところで金銭がチャリンチャリン発生するようになっていて、でもめんどうになった人間というのはそれをわかりやすく解消するためになんらかの支払いをものともしなくなるものであり、TikTokShopみたいなものであって、つまり何がいいたいかというと、わかりにくいストーリーを地道に歩んでいくことに心を折らなければ、長い目で見たときにちょっとだけ、悪い人間に金をかすめとられることも減るのではないかな。選挙なんてまさにそういうことだと思うんだよな。とはいえ、人生、何度かは、かすめとられて悔しく思ってそれをバネに跳躍するくらいのほうが、マリオ的な意味でジャンプできてかえってうまくいくのかもしれないね。
実家に届け物があって帰ったらスイカを出されたので食べたらうまかった。文脈まみれの行動だがやっていることはとてもシンプルだ。このようなたどり着きかたをするまでの間に、他人であれば説明しなければいけないことが無限にあるのだけれど、家族であるとそういう途中の話をすっとばせるので、本当はわかりやすいストーリーでもなんでもないんだけれど結果的にやることがシンプルになる。それが家族の効用であり所属することの効用であり、身を預けるということの効用であり甲斐の確保ということなのかなという気がする。
あります
酒飲みの理屈にも近いものがある
ずぼらの運
それってSNSのせいなんじゃないのかというオチはありだと思います
古い書類をばんばん捨てていて、えっそんな記念のものまで捨てちゃうの、と見る人が見ればびっくりするだろうし、故人の私信なども平気で捨ててしまっているので、なんとなく私には人の心がないなと思う。しかしそれでも捨てられないものというのはいくつかあって、やはり亡くなった恩師のひとりが最後にくれた手紙(おそらく本人は最後とは思っていなかったはずの手紙)はさすがに残しておいている。でもまあそれくらいだ。今に至るまで関係を更新し続けている人の古い手紙は基本的に捨てた。とっておいてもおそらく次に目にするのはまた18年後だ、そのときに捨てるくらいなら、今捨てておいたほうがいい。捨てる作業は心に負担をかける。47歳の私でこれだ、65歳の私なら耐えられないのではないか。将来の自分のために今の私が悪役になっておこうと思った。捨てに捨てる。気持ちよくはない。すっきりはしない。少しずつ心と指紋がかすれて消えていく。
幾人かの後輩の、結婚式の披露宴の、席次の紙なども出てきて、昔の私は今よりはるかにこうやっていろいろ大事に持っていたのだなあということを、ふわふわと考えながら捨てていく。後味の悪い映画を見たときのような唾液腺の苦みを感じる。
時間差でぐっと来たのは編集者たちの手紙の多さだ。一筆箋、メモ用紙のようなものが無数に出てくる。それもひとりやふたりではない。これまでに仕事を依頼してくれて、私が今も名前を思い出せる編集者たちは、みな本当に筆まめだった。そのことにあらためて気づいた。メールだって無数にやりとりしていたのに、それに加えて手書きの小さな一行がわらわらめりめり出てくる、こんなにあったのか。「手書きの文章は執筆者にやる気を与えるからおすすめ」のような編集者ライフハックがあるのはたぶん事実だと思うけれども、それにしてもこの量というのは、すごい、あらためてびっくりした。若いころの私は、医師や診療放射線技師や臨床検査技師から病理のしごとを依頼されるたびに、写真を取ってパワポに組んで送るだけではなく、いちいち手紙を書いて添えて渡していたのだが(じつは今もそれなりにやるがさすがにメールが多くなった)、おそらく私がその手紙方式にこだわっていた理由は、なるほど編集者たちの影響だったのだなと、今更ながらに腑に落ちた。これをやられて意気に感じないほうがおかしいし、影響を受けて自分もだれかにそういう気持ちになってもらおうと思わないならうそである。
ただまあ私はけっしてよい育ち方をしたわけではない。たまたま編集者たちにいい影響をもらったことはありがたかったがほかはそんなにまともな人間性とは言えないだろう。
20代、30代のじぶんの振る舞いをふりかえる。書類をみるとなんとなく当時の私がどうだったかというのが紙と紙のはざまの影から立ち上ってくる。30代の半ばくらいから、本当に私は周りをシャットアウトしはじめていた、そのあたりで私のもとに届く手紙類が一気に少なくなるし内容も明らかに硬質になる。実際に手紙が届いていないというよりも、あるいはこのころから私が届いたものをファイルしなくなったのかもしれないが、それにしても雰囲気がどすんと重くなる。その延長に今の私がいる。だからこういうありさまになっている。熱風吹き付ける砂漠帯を通過して表情が険しくなったキャラバンのようだ。この、30代の半ばくらいの、異常乾燥的な転換、がもしなかったとしたら、はたして今の私の周りにはどれだけの人がいたのだろうか。そんな想像は詮無きことだ。しかし。推測だが、たぶんそんなに人間関係の実数としては変わらなかっただろう、ただ、顔が思い浮かぶ人の数は今より多くなっていたようにも思う。
今の私は顔のわからない知人がけっこういる。というか顔が覚えられなくなっている。会ったことがあるかないかには関係がない。2, 3度会ったくらいだともう忘れてしまう。そして私は今やたいていの人には2, 3度くらいしか会わない。カラッカラの記憶装置。30代なかばの行動によって研ぎ澄まされた、関係の断捨離、一時記憶から長期記憶への回路を仕分けした感覚。当時の私がもう少し社会や世界に対して粘性を保とうと思っていたら、今の私ももうちょっと、顔面を記憶できていたのかもしれない。古い友人の顔も忘れてしまいそうだ。忘れてしまうだろう。さみしい老後が待っている。しかし、ひとつ、ありがたいこともあって、私はどうも、顔が思い出せない相手のことを、親身に思うことがそんなに苦ではない。
執意ハンター
大学院を出てすぐ今の病院にやってきた。半年だけ築地の病院で任意研修をしたから実際に赴任したのは10月1日。2007年10月1日。それからぴったり18年勤務してつぎの10月1日から私は別の場所で働くことになる。7月1日からは後任の主任部長にデスクをあけわたして3か月ほどかけて引き継ぎを行う、そのためにデスク周りにあるさまざまな物品を整理して一部は次の職場に送りつけている。病理部のデスクの片付けは7月までには終わらないだろう、なので、先に医局の個人ブースの片付けをすませて、そっちに病理部の荷物を運んで、ピストン輸送的に跡を濁さずやっていくつもりである。
医局の本棚に18年間挿しっぱなしだった古いクリアファイル・リングファイルが20冊ほどある。昨日はこれらを捨てた。かつて大学院時代に病理診断の修行をしていたころ、自分が診断をつけた症例の診断文と所見の部分をコピーしてファイリングしたもので、いまほどITの力を借りずに手作業でちまちま集めたものがたくさんある。これは修業時代の残滓というやつで思い入れもあったのだが、もはや開くこともないだろうと思いこの際全部捨てることにした。個人情報は消去済みとはいえいずれも診断にかかわるものだ、病院以外で処分することはできず、医療関連の書類といっしょに裁断して廃棄する。だからけっこう手間がかかる。人に任せることはしない、私には秘書も部下もいないので自分でやるしかない。時間外だが労働とはいえない、真の意味での自己研鑽的な時間でやっていくことになる。過去の自分が残したものを捨てることほどに自己を研鑽する行為があるだろうか?
20代の私が書いたメモ書きがしょっちゅう挟まっている。今よりはるかに字がきれいだ、というか、文字が四角く書かれていて縦横の軸もしっかり守られていて、なるほど私は歳を取るごとに字がどんどん汚くなっているのだなということを少しさみしく思う。センチメンタルな脳とは裏腹に手は次々と目の前のファイルからルーズリーフをはぎとっていき、医局事務員からもらった段ボールに容赦なく詰め込んでいく。学生時代に勉強した生化学、薬理学、内科診断学のノートなどもいくつか紛れ込んでいる。これらは大学院入学時に大半捨てたはずだったが、当時の私がなんらかの哀愁を覚えて取っておいたものであろう、この際、捨てる。誰が見てもノートでしかないもの、学びも悦びもない、私が湿っぽい気持ちを向けなければただの古ぼけた紙の束だ。
着々と捨てていく。ファイリングしてある書類の1/6くらいが診断関連で、残りはすべて実験ノートだった。ここに実験ノートがたくさんある、というのが、今ではじつは考えられないことで、昔のおおらかさを感じる。昨今、大学院とか研究所というのは、実験ノートの類は外に持ち出してはならず10年以上は保存していつでも証拠として提出できるように厳重管理していなければいけない。でもこれらはなにせ18年以上前のものだ。今ほど規定がはっきり存在しなかったころのものだし、加えて言えば、これらの実験はひとつとしてまともな論文にならなかったのだから、今更おとがめも何もないだろう。日付と共に淡々と記されたプライマーの設計、制限酵素のメモ、電気泳動のバンドを撮影した写真、タイムラプスの計測結果、今読み返してももはや、情が通っておらず報ずる価値もない無機質な記号のかたまり、一束一束、撫でながら廃棄。粛々と段ボール。夜討ち朝駆け膨大な時間の浪費の証拠、なにも成し遂げなかった大学院博士課程、ずっと引け目に感じ続けた屈曲の歴史、私が医局のデスクにひそかに保存し続けてきたもの、全部捨てる。
引け目が失われたわけではない。さっぱりしてもう振り返らないと決めたわけではない。ただ摩耗した。口論、こだわり、いきり、ひねくれ、鬱屈、それなりに長い時間の中で、私の肌からじわりとしみこみ真皮表層のエラスティック・ファイバーに混ざって硬化して、皺となって刻まれてびまん性に全身を覆っている。もはや取り出すことも紫外線でほぐすこともできなくなった加齢の痕跡、私はそれらの歴史と一体化して、重ね重ねの新陳代謝ですべてがとろけてうるかされて、非分離となった。
紙は捨てる。忘れることはなく、思い出すこともない。それは過去を捨てることなくしまいこむこともなく現在の一部に矮小化して特権を剥奪することに等しい。紙を捨てる。何もかも捨てるわけではない。あっさりとしている。じっとりと裏側にこびりついたものがすでにあるから象徴としての紙を捨てる。偶像としての紙を捨てる。
古い写真もいくつか出てきた。自著の著者贈呈分は捨てるのもへんかと思って研修医室に寄贈、迷惑な先輩だなと思って少しおかしい。研修医や見学の学生たちがメルカリにでも売るならそれでいいだろう。いちど通読したっきりの医学書や、なぜか医局においてあったあまりおもしろくない小説の類、売ったり捨てたりする判断をひとつひとつくだしていくほどの時間と興味が私にはなくて、ひとまず記憶にある医学書は寄贈、今の今まで忘れていた本は廃棄とする。自宅の本棚も非常に小さくてこれ以上なにも入らない。私はそもそも本棚を使うのがへたくそだ。ここにある本たちにしても、ただあっただけ、並べていただけ、私に見返られも振り返られもしなかったものばかり、急に燃えて消えたとして誰がとがめることもないものばかり、もちろん、若い医者たちが当直のひまつぶしに読んで楽しい本ならば残していくのもいいが、しかしもはやそういう時代でもないような気がする。誰かにさらに20年後に捨てるか捨てないかを私の代わりに迷ってもらうような押しつけは迷惑だろう。インターネットで見つけた一時的にブームとなった本の多くはブックオフで売ってもいいがそこまで運ぶときに傷めた腰の治療費が本の売却値を上回ることだろうから捨てる。こんな人が一時期バズったな、こういう本の感想を表面だけ飛ばしまくって楽しかったな、8ミリビデオを見るような気持ちで本を捨てる。
古いPCが出てきた。水に沈めて捨てればいいんですかと医局事務員に聞くと、震災のあとに復活したPCもあったくらいなんで水ではだめです、ハンマーとか用いて物理破壊が一番です、というので、この事務員が槇村香のハンマーでPCを殴っている風景を想像しながらひとまず保留とする。異動先の本棚の一角に古いPCを飾るだけのノスタルジーを私は持ち合わせているだろうか? もはやウェブアーカイブスにも残っていない、私が大学生のころに作っていたホームページのデータはこのPCには残っているのだろうか? 実験ノートすら捨てた私もさすがにいにしえのVAIOを見て手が止まる、思い余ってラップトップのモニタを開ける、キーのへりというへりが変色していることに苦笑して、ハンマーの調達のことを考える。
集中準備
集中の底にたどりつく前に次の集中を求められる感じで、ドプラのAモードみたいにどくんどくん浅瀬で上下していて、仕事という仕事からいまいち達成感がにじみ出てこない。ひとつひとつは求められるクオリティには達していると思うのだが、プラスアルファの、期待を超えるような何かがなかなか出てこない。8割方完成した後抄録の原稿を、読み直してもまるでAIが書いたかのようで、印象が平面的でざらつきがなく、おどろきもなく、この文章を読んだ誰かが読んでよかったと思えるレベルに達していない。必要なことはすべて書いてある。箇条書きなら全項目を埋めている。でも、それだけだ。集計で楽をするために自由記載をやめたアンケートに答えているような感じ。よくない傾向だと思う。だから少し、さぼる必要がある。本当は今がもっとも、自分のできる最高の仕事に対しての「さぼり」になっているのだ、だから、一番やってはいけないさぼりを回避するために、それ以外のたくさんのデューティを、さぼる。それが必要なのだと思う。
連載を終わらせる。研究会の依頼を断る。長年の付き合いで引き受けた病理解説の仕事。先輩を楽にするために請け負った仕事。あれもこれも、異動を理由に断っていく。中学校時代の同級生に誘われてはじめたゴルフをやめる。TLの評判だけで見に行ってみてもいいかなと思っていた映画を見に行くのをやめる。さぼっていく。着々と。ブリンカーを装着して横をみられないようにする。シャドーロールを装着して下をみられないようにする。集中するしかない状況をつくりだす。そうでもしないと、私はもう、浅いよろこびにひたっているうちに人生を通り過ぎてしまうだろう。
ジークアクスの放送が終わった翌日にTLを眺めてみた。アフタヌーンの話をしている人が誰もいなかった。しかしそれはアフタヌーンにとっては運が悪かったなと思う、なにせ、今回のアフタヌーンはとてもよかった。ここ数回で一番よかったフラジャイルはもちろんのこと、ブルーピリオド、スキップとローファー、ワンダンスなど、多くのマンガがある種の頂点を迎えていて、今月号はなんだかすごくあたりの号だった。
いい作品はみな、作者の過剰な集中によってつくられている。始終がちがちに緊張しているわけではないが、必ずどこかに「異常な密度のなにものか」が存在していて、うわっこれどうやって作ったんだよ、と人に思わせる。アフタヌーンの今月号にはそういう類の作品が多かった。すごい話だよなと思う。
働き方を常時改革していては絶対に達成できないなにものかがある。人の人らしい暮らしからは生まれ出ることのないなにものか。ワーカホリックという言葉、1970年代前半に産まれたそうだが、いまだにそんな古い言葉で人の働き方をしばったり揶揄したりしているということに疑問を持つべきなのだろう。猛烈に働かないで人の心を動かすものができてくるわけがない。私は今、とにかくそういう気持ちでいっぱいだ。そして、だから、始終気が散って集中しきれないでいる自分に、少しがっかりしている。アニメも見てマンガも見てSNSでもやってそれで聴衆に感動してもらえるような学術講演を作れるわけがないのだ。ガンダムも終わったからそろそろ私はきちんと集中できる部屋に戻らなければいけない。まあ、ここまできたら、ラザロの最終回とアポカリプスホテルの最終回を見てからにするのだが……。
倍率と役割
段ボールってどのへんが段なのかと思ったら切り口を斜めにみたときに階段みたいに見えるから段ボールなのか。なるほどな。あんまりその拡大倍率で考えてなかったな。倉庫で積み上がった段ボールが階段状になっていることがあるけど単発だと別に段ではないよね、とか思っていた。命名の現場での開発者の目と、ユーザーとしての私の目、対象との距離がそれぞれ違うからぱっと思いつかなかった。ほどよく見える距離感というものはわりと重要だと思う。『宙に参る』の中で、暮石ハトスがアディさんのジャケ写と同じ場所で写真を撮ろうとしたときに、そこにいたシヤに「もう三歩後ろです」みたいなことを言われるシーンがあるのだけれど、あれといっしょだ。一番いい写真のためには左右とか上下とか角度の調整だけではなく距離の調整も必要である。このようなことをときに考えながら、細胞を見る。
大学にはいくつか、学生の参加する勉強会がある。全部は知らないがいくつかは知っているし、自分も学生の頃に出たことがある。中でもとりわけ思い入れがあるのは、朝、授業のはじまる前に病理学講座に集まって、教授がポケットマネーで用意したボストンベイクのサンドイッチなどを食べつつ、Robbins Pathologic Basis of Diseaseという病理学の基礎的な教科書を読むというものだ。当番の学生が音読して翻訳をし、ときどき教授が短くコメントを挟む。やっていることは英語の本をみんなで読んでいるだけとはいえ、歴史のある成書の持つ力はさすがで、けっこう勉強になる。通称「おはようロビンス」という勉強会。前の教授の時代からたしか40年くらい続いている。ふだんは学生と教授でやっているが、まれに私のような部外者がゲストとして出場を求められることがあり、今回はWebで参加した。2年ぶりくらいだったろう。
今、学生たちが読んでいるところは「食道」。勉強会の最後の5分くらいで、なにか食道の実際の症例を提示してくれないかと頼まれた。事前に2例ほど用意してみたのだが、いざ勉強会がはじまってみると、事前に用意した症例とは少し違うジャンルのことをやっていたので、勉強会の最中に症例を差し替えた。ある限定的な状況下で発生する食道癌の一例。内視鏡で発見するときのコツ・難しさから、病理医がプレパラートにして見るときの「見え方の感覚」、そして病理診断を内視鏡医にフィードバックしたあとに内視鏡医がなにを考えるか、みたいな話を4分強で話す。
学生だからなにもしらない。ただし専門用語をあとでAIにたずねるくらいのことはやってくれるだろう。そう信じてその場でかんたんになりすぎない程度の説明をしている最中、ふと、私がこの病理写真をみて細胞を説明するときの「細胞との距離感」と、学生がZoom越しに提示されたパワポの写真を見て細胞のようすを判断するときの「細胞との距離感」は違うのだろうということを考えた。モニタのサイズが違うとかいう話ではなくて、私と学生とでは、細胞を理解するために最適なレンズの拡大倍率が違うはずだ。
私は細胞をみながら、核の中で起こっているであろう遺伝子の変化が細胞の配列にどう影響するか、細胞ひとつひとつにどう影響するかというのをなるべく細かく判断できるように、目線を動かしつつ、その領域の専門的な知識を、ブラウザに一時的なプラグインをインストールするイメージで視野内の情報にオーバーラップさせて複合的に知覚をする。見たものだけで考えるのではなくて見えそうなもの、見えたら困るものなどを脳から引き出してきて照合しながら、外界の情報と内部の情報との差分をとりつつ(これは簡単)、ほぼ一致しているんだけどじつは違うかもという違和に気を配る(これが難しい)。このとき、プラグインがもっとも切れ味よく働くのが、最大に拡大した倍率ではなくて、むしろ少し「引き」でみた倍率になる。私だけかもしれない。しかしなんとなくだが熟達した病理医もそういうレンズの設定を好むように感じる。
一方、プラグインをまだ持たない人間が、この細胞を見てもっとも情報をたくさん拾えるのは、おそらくは最強拡大の画像ではないかと思う。もしそうだとすると、今私がこうして、「接写しきっていない倍率の写真」ばかりを提示して説明していることには、若干の隔靴掻痒感があるかもしれない。そんなことをしゃべっている最中にふわふわ考えていた。でもまあ、学生のときに目にする中年医師などというものは、手取り足取りやさしくなんでも教えてくれるよりは、なんというか、四半世紀の年の差によって埋まらない溝があるけどなんとか同じ世界で共存しようとしている、その努力だけは見えるけどでもやっぱこのおっさん何言ってんだかわっかんねぇな、くらいがちょうどいいようにも思う。