脳だけが旅をする

タリーズコーヒーではソイラテかハニーミルクラテをだいたい頼むのだが近頃よく当たる店員はハニーミルクラテにハチミツを気持ち多めに入れている気がする。昔に比べ、飲み終えるころにカップの底にたまっているハチミツが濃い。口の中の浸透圧を最後に殴られる感じで、まずくはない、むしろうまいのだが、しかし、刺激を求めてハニーミルクラテを頼んでいるわけではないので若干ふくざつな気分である。もうちょっと最初から最後まで安定した味でもいいんだけどな。世の中は味変うんぬんにやたらとこだわりがある。しかし「万遍ないこと」が安心を呼ぶというのもまた真実のひとつの側面ではなかろうか。

真実! 笑う。真実じゃないものがこの世にどれだけあるというのか。虚構だって、それを生み出した作者という真実があって存在するのだから、ある意味真実の分泌物と考えることもできるだろう。ずれ、かんちがい、かたより、ゆがみ、それらもすべて、心象的な光が象徴的な重力によって概念的に曲げられた結果、すなわち、情緒的な物理学によって変化させられたひとつの真実と考えることもできるだろう。つまり「真実」というのは「あまねくすべて」のことであり、「真実」という単語は何もかも含んでしまうので、だから、つまり、逆に、「真実」という言葉をあえて使わなければ表現できないものというのはなくて、結局、「真実」なんて言葉を用いる機会はないのである。なのに真実! 笑う。

一方の、妄想! 夢! 解釈! となると一切笑えない。多様すぎる。互いに素すぎる。孤高すぎる。孤島すぎる。私にとっての妄想が誰かにとっての妄想であることがこの世にどれだけあるというのか。私のための夢。私オリジナルの解釈。クオリアって言葉、概念、だいっきらい、わがままで引きこもりの咆哮にへんな横文字の名前を当てた人間が全員真実のいち側面だということに、ひっくり返らざるを得ないにも程があることこの上ないったらありゃしない。ひっくりかえせば名宮なしの迷探偵。ンナコ「真実はいつも不可算名詞!」ンナコ「体は子ども、頭脳も大宇宙の年齢から考えたらたいがい子ども!」ンナコ「ンラー!」ンナコ「よーしこのレッドブルでおっちゃんを眠らせないで……ピスッ」

タリーズコーヒーのカップを捨てに行って戻ってきてこれまで自分が書いたものを読んでためいきをつく。なにやってんだ。この世の中にまたひとつ、確実な真実を残してしまった。書くということはそういうことだ。もちろん、書かなくても真実はつむがれていく。なにをしてもしなくても。ただし、思索だけは別だ、それはどれだけひらいても、確たる物として世に残ることはなく、残れ、残れ、と願いつづけても、むなしく消えて露となって、真実の足元を湿らせる。

そこで懐ゲ脳

ちかごろは、「残務処理」and「ものすごく未来の仕事の先回り」がメインとなっている。これはつまり現在にかかずらっていないということだ。

残務処理の例として、たとえば「他施設の病理医にコンサルテーションを依頼したがそれっきり放っておかれている仕事を催促する」、というのがある。こういうのは私がこの病院にいる間になんとか片付けておかないといけない。人から依頼された仕事を自分の仕事よりも後回しにするタイプのコンサルタントに依頼した私がいけないのだが、そういう人柄、マジで首を傾げる。まあ先方にもいろいろ事情があるのだろう。本当であれば昨年に終わっていたはずの仕事だ。残務といえばこれ以上に残務はあるまい。きちんと詰めて終わらせておかなければいけない。本当に迷惑なコンサルタントだ。こういうタイプに限って多忙をちらつかせながら自分の業績を鼻にかける態度をとる。反面教師に教頭試験があったら首席で合格してなんなら飛び級で校長になるだろう。

ものすごく未来の仕事の先回りの例として、たとえば「再来年しゃべってくれと言われた講演の準備」というのがある。さすがに今から準備しても会期が迫ったらいろいろ作り変えなければいけないだろうし気が早すぎるかなとも思うのだけれど、私がこの先異動をすると、しばらくの間は、学術講演プレゼンを今のスピード・今のクオリティでは作れなくなるから先に先に作っておいたほうがいい。新しいデスクは私の仕事に悪影響を及ぼすだろう。反射・反射・反射の積み重ねでほとんど無意識に動いていた、マウス、タッチペン、キーボードに触れる我が手の微細な振動、モニタに目をやるときの重心移動、がらっと変わって私の仕事の速度は激落ちくんする。なんで今くんが付いたんだろう、わかるが。今の職場のインフラを使えるうちに、未来の仕事に次々と着手しておかないと、異動を理由にいろいろと仕事が遅れる。そうしたらあの生意気で不心得のコンサルタントと同じになってしまう。

残務処理、先回り、残務処理、先回り。

こうして「今・ここ」に対する心配りがなくなることを「心ここにあらず」と表現する。日本語というのはほんとうによく張り巡らされているものだ。現在に生きないとやりがいがスカる。当たり判定が微妙な格闘ゲーム。どうにも毎日、今日の私は本当に働いたんだっけな、という懸念をかかえて暮らしている。

ところで、私がこれまでに「現在に集中している状態」であったことがあるだろうかと考えると、そんなものはないのかもしれない。誰でも思いつくわかりやすい例としては受験勉強が上げられるだろうが、受験に備えて勉強する日々というのは、半分くらいは明日(への見通し)で、半分くらいは昨日(までの蓄積)でできているもので、今日・そのとき・その瞬間に集中してなにかを行うというものではない気がする。大学に入り国家試験を通し資格を取得して専門資格もとって、さあ、落ち着いて毎日はたらくぞ、となるかというと別にならなかった。いつだって明後日の準備、来週の準備、おとといのまとめ、先週のログ、そうやって自分の越し方と行く末に、視線の射程をにじませて、意図のインクを掌でこすってのばして、現在を前方と後方それぞれに拡張しながら「だいたいの今日、プラスマイナス箱ヒゲの範囲くらいの現在」に対してぼんやりと、意識のフォーカスをぼんやりと。現在を点だと勘違いするからこそ、アキレスと亀のパラドックスも生じるし、自分の居場所が狭くて、峻岳の登頂の記念写真を取るときの足元不安のようなハラハラを常に感じることになる。今こことは点ではなく面であり、互い違いに積み上がって階層化した面をすっすと上下移動しながら右往左往する、そう、マッピーのような、グーニーズのような、そういう動きで幅をもってとらえていくのが現在であり「今・ここ」などというものはなく安住の居場所などというものもなく帰るべき場所なんてのももちろんないし本当の私なんておぼろげすぎて掴もうと思ってもじつはもうその掴もうとする手のまわりにあるすべてが私であったりするものだ。

いい病理医

いい病理医というのはふだんどのように顕微鏡を見てなにを考えてどのように記載をしているのか、みたいなことを、当然私は本職だからしょっちゅう考えておくべきだと思うし、なにかにつけてそういうことが考えられるような環境に身を置くようすすんで立ち位置を調整すべきだ。これについて、かつてと少し違うのは、20年前、10年前くらいだと、いい病理医というのが基本的に自分より年上だったわけだが、今は私が加齢したため、私と同年代とか私より年下でもいい病理医である確率がだいぶ高まっていて、ちょっと大胆に、もしくはずうずうしく、「どうやって診断してるんですか!」をにじり寄り的にたずねても怒られない(いやがられはする)。

見て盗む時代でもない。とはいえ、やはり自分よりはるかに上の人間たちの診断にかんする思いが手取り足取り伝授されることはまずないので、ここは見て盗まなければいけない。しかし、同年代や下の人間だったら(失うものはあるのだけれど)堂々と、教えてください! と言ってもいい、だったら聞いちゃえ! ということで近頃はよさげな病理医に会うたびに診断の話をたずねる。迷惑な中年である。

よく返ってくるリアクションとしては「よい病理診断のコツですか? 臨床医とコミュニケーションをとることです」というやつだ。それはまったくそのとおりだし、そのとおりにすること自体がさまざまな理由で困難をはらむので(病理医と臨床医というのは活動時間帯も生息帯域もけっこう異なる、夜行性の昆虫と浅瀬の川魚とがどうやって交流するのかという話に近い)、いくつになっても気にしていなければならないのは本当だ。ただ、正直言ってその程度の話を「診断のコツ」として言われて納得するレベルで収まっていたら私がやばい。学生じゃないんだから。病理夏の学校の講師トークじゃないんだから。

そうだね、で、それで、その先は? と尋ねる。たとえば顕微鏡を見る前にどれくらい自分の心の中の「さくいん」をダーッと見返すの? 顕微鏡を見る前にプレパラートを光にかざして見る? それはいつもやる? 生検でもやる? むしろ生検だからやる? 顕微鏡にプレパラートを置いて何秒でいったん呼吸する? あるいはずっと呼吸している? プレパラートを見ている最中から診断の文章を考えるようにしている? それとも見ているときは文字はいったん横において顕微鏡を見終えてから一気に診断の文章モードに入る? それはなぜ? もちろんあなたは病理医だからすでにそういうやりかたのあれこれを試しまくっていると思うけれど、なぜ今のスタイルになったの? 依頼書をちょっとしか読まないスタイルと一気に最後まで読んでから顕微鏡にとりかかるスタイルで、結果として今、ちょっとしか読まないスタイルにたどり着いたのはどういう心境の変化? 悪性と良性の根本のところで間違える可能性があるような病気をいくつ暗記している? 臓器ごとにピットフォールとなる疾患をポケモン言えるかなみたいに暗唱する夜はある? 文章は長く書きたい派? なるほど、こだわりでたくさん書く、それは全部の臓器に対して? これらの文章はどれくらい先輩から受け継いだ? どこをなぜ変えようと思った? 教科書は参考にした? WHOオンラインは個人で契約している? 取扱い規約は通読する? そこまで仲良くない私に根掘り葉掘り聞かれてどう思った? とガチンコの国分太一化してあれこれをたずねていくことは年上の病理医にはまずできないので、後期高齢中年の役得と言っても過言ではない。

で、こういう話をそれなりにたくさんの病理医に聞いてきたのだが、優れた病理医の場合、最初の「顕微鏡を見る前にどれくらいさくいんを……」のあたりで、なるほど上級編のハウツーを聞きたいんですねといちはやく(はやすぎる)理解してくれて、こっちが何も言わなくてもありとあらゆる動きを言語化したり「言語化できない部分がある」ということを言語化したりしてくれる。冗漫でメタな結論としては、「いい病理医というのは、こちらの意図を汲んでからそれを議論に耐える文字情報として彼我の間に置くまでのスピードが早い」というもので、それって結局コミュニケーションじゃん、となって語るに落ちてお里が知れてとっぺんぱらりがぷうっとふくれる。

茶色の研究

なんとなくだが動画を見る時間がちょっと増えてマンガを見る時間は横這いで文字の本を読む時間が少し減った。スマホの契約をようやくいわゆるギガホにしたことがちょっと関係しているとは思う。人と比べて何周も遅いが、決め手となったのはDAZNで、ドコモの今の放題プランはなぜかDAZNが無料で見られるようになり、これで日ハムの試合を毎試合チェックできるようになるなと思った瞬間にようやく重い腰が軽くなった。いままでほかにもいくらでも、きっかけなんてあったろう、なのになぜDAZN? と自分でもふしぎに思うが、こういうのは理屈とか損得とか福利計算とかでは説明ができない。背中を押してもらうきっかけというか、グラスのふちから盛り上がる表面張力の酒がこぼれる瞬間を探しているというか、とにかくそういうものをまとめて「めぐり合わせ」と呼ぶのだろう。めぐり合いという言葉はあまり好きではないがめぐり合わせという言葉は好きだ。神の放埒、ルーレットの軸の上、能動の積み重ねであったものがいつのまにか誰の意図とも噛み合わなくなる剣ヶ峰。

人の意図の底の浅さを経験するごとに、偶然とか複雑系とかそういうものに身を委ねたくなる偏り。しかし、人の意図、すなわち意識とか意思というものも、シナプスの曼荼羅の錯綜の末に総体として出力されたものなのだから、それをことさらに下に見るというのも理屈としてはまちがっているのだろう。損得とか福利計算とか経常利益とかでは説明できなかろう。


カードの引き落とし額を見て肩を落とす。転勤に備えてたくさん買ったからしかたがない。居場所を変えると金がかかる。ルーティンを変えると金がかかる。日々おなじことのくりかえしでじわじわベーシックアウトカム漏出状態のときのほうがはるかに金はかからない。しかし、我々の仕事で、日々おなじことのくりかえしなんてよく言えたものだよな。毎日違う人間が産まれ、歩き、死んでいるというのに、同じこともなにもないだろう。ともあれもっかの問題はカードの引き落とし額だ。複雑系の位相を転換しようとするときに金がかかるということを、中年もなかばをすぎた私はもう少し真剣に考えて、そろそろ腰を落ち着けたほうがいい。というか、18年、あんなに落ち着いていたのに、私は本当に落ち着かないままでいた。次は落ち着けるだろうか。無理に決まっている。多動なのではない、私の右往左往はブラウン運動だ。大量の原子が高速で四方八方からぶち当たってくる中に暮らしている限り続く本質的な振動だ。その振動のさなかに腰を落ち着けるなんてこと、はずかしくて、できたものではない。

甲斐バンド

山を崩していく作業という感じで日々を過ごしている。いらん摩擦があちこちで生じていて、そのすべてを馬鹿正直にストレスとして受け止めると、大変なので、ほどよく無頓着でいる。たとえばこれは例え話なのだが、職場に「自分のデューティがある日にばかり有給休暇を申請する管理職スタッフ」がいるとして、休暇を好きなときに取れるのは職員の権利なのだから当然だと考えるか、毎回休まれるたびにほかのスタッフにしわよせがいくことに気づいていないことを問題と考えるか、なんとなく、後者の考え方をする人が世の中にはものすごくたくさんいるような気がするのだけれど、ここで前者を選び取って、あとはもうしわよせもなにもかも自分でさっと引き受けて忘れてしまう。そうすることで諍いも足の引っ張り合いもない職場を保ち続けていく。ちなみにこのやりかたは、私が退職した瞬間に破綻するので、結果として長い時間をかけてこの職場をだめにしていっている、と考えることもできる、けれど、そんなことを考える人のほうが世の中には圧倒的にたくさんいる、そんな、人と同じことばかり考えていても生きてる甲斐がねぇんだよォッ(テリーマン)ということなのだと思う。どういうことなのだと思う? わからないけれどそこはなんか寝技的な技術をもちいてねっとりゆっくりと改善していけばいいのではないかと今の私などは考える。思って実行してうまくいって解決、みたいな、中学生にもできる仕事ばかりしていたら、大人として給料をもらう意味がぼやけるではないか。どちらを立てても全部が立たずの場所でそれでもなんとか膝立ちくらいで全体をやりくりしていく謎の出し入れ力みたいなものを胸の奥からダンビラ的にすらりと抜いてなんぼなのではないか。ない。

OncomineとAmoy、どっちを出しますか。コンパクトパネルのほうがいいんじゃないかなあ。でもうちと違ってこの病院はコンパクトパネルをすすめる事務手続きがまだ終わってないんですよね。なんだそうか。だったらシングルプレックス乱れ打ちで出すか。いや、Amoyがいいかなあ。帯に短したぬきの流し素麺だな。なんですかそれは。あげだまを流す。ふにゃふにゃになるからやめろ。御意。

わかりやすいストーリーというのはだいたい金儲けのために構造化されており、途中で参加者たちがダレるタイミング、めんどくさくなるタイミング、うやむやになるタイミング、そういったところで金銭がチャリンチャリン発生するようになっていて、でもめんどうになった人間というのはそれをわかりやすく解消するためになんらかの支払いをものともしなくなるものであり、TikTokShopみたいなものであって、つまり何がいいたいかというと、わかりにくいストーリーを地道に歩んでいくことに心を折らなければ、長い目で見たときにちょっとだけ、悪い人間に金をかすめとられることも減るのではないかな。選挙なんてまさにそういうことだと思うんだよな。とはいえ、人生、何度かは、かすめとられて悔しく思ってそれをバネに跳躍するくらいのほうが、マリオ的な意味でジャンプできてかえってうまくいくのかもしれないね。

実家に届け物があって帰ったらスイカを出されたので食べたらうまかった。文脈まみれの行動だがやっていることはとてもシンプルだ。このようなたどり着きかたをするまでの間に、他人であれば説明しなければいけないことが無限にあるのだけれど、家族であるとそういう途中の話をすっとばせるので、本当はわかりやすいストーリーでもなんでもないんだけれど結果的にやることがシンプルになる。それが家族の効用であり所属することの効用であり、身を預けるということの効用であり甲斐の確保ということなのかなという気がする。

あります

落ち着かナイトプール~~ パシャ パシャ ~~ 

という感じである。ノマド暮らしがはじまって、昨日はバイトの医者が座る仮デスク、今日は本日お休みの嘱託医がふだん座っている奥まったデスク。毎日違った椅子で違った高さからノートPCを見下ろす。頸髄が削られる。昨晩、ひさびさに左腕がしびれた。そのうち治る。

あと3か月続く。

病理診断をするには顕微鏡と、病理診断支援システムの入ったPCが必要だ。これらはいずれも、ひとつのお気に入りを使い続けたほうが効率がよい。それに対して今の私は、あたかも路上ピアノを流しで引きまくっているような状態で、さすがに今のところ腕は落ちていないが機器との相性が毎日リセットされてデバフがかかっている。自然と、病理診断以外の仕事で科のサポートをしていこうという気になる。

病理診断科全体の仕事の流れを見る。どこに負担がかかっているかを確認する。外注の差配か、切り出しのサポートか、会議か、研修医指導か、臨床医の学会準備の手伝いか。診断をほっぽらかしというわけにはもちろんいかない。新任の部長が環境に慣れるまでの間、どうしても診断速度は遅くなるので、滞りそうな部分の仕事をスポットでヘルプできるよう、「いつでも診断はできますよ」の顔で控えている。ただ、着任したばかりの新部長が、知ってはいたけれど思っていた以上に優秀で、あまり仕事を溜め込むようなタイプではない。たぶん1か月もすると、私のやっていた仕事はすべて普通にこなしてくださるだろう。

手持ち無沙汰ではない。しかしどこかざわめいている。

職場に迷惑をかけないことが大前提だが、職場の外の仕事もすすめる。講演や研究会の病理解説のプレゼンを、前倒しに作っていく。9月までのプレゼンは作り終えているのでその先のプレゼン。デュアルモニタがないので仕事の効率はよくない。しかしまあ診断の総量が減っているから、効率がよくなくてもそのまま泥臭くやっていけばトータルではいつもより早くプレゼンができそうだと思う。

放射線技師向けの病理の講演が2つ。臨床検査技師向けの講演が1つ、2つ、CPCのプレゼンが1つ、講習会用のテキストの原稿を2つ、内視鏡医向けのウェブセミナーの講演を1つ、内視鏡医向けの2日連続講演を内容がかぶらないように2つ、医師向けの講演を1つ、その翌日の技師向けの講演を1つ、自分が出席しない会(日程が別のとかぶった)のための病理解説を4つ、研修医向けのプレゼンを1つ、医師向けの講演を1つ、技師向けの講演を1つ、医師向けの講演を1つ、学会主催講習会のプレゼンを2つとテキストを2つ、専攻医向けのプレゼンを1つ。現時点で確定している年内の対外仕事。あとは毎週木曜日の朝にやっているウェブの内視鏡研究会、毎月第2金曜日にやっているウェブの内視鏡研究会、毎月第1水曜日にやっているウェブのX線研究会、毎月第4水曜日にやっているウェブの超音波研究会、3か月に1回程度の内視鏡研究会×2、あたりのプレゼンをその都度作っていく。借り物の顕微鏡で組織写真を撮り、小さなノートPCでちまちま組み合わせていく。

病理医の講演にはちょっとした特徴がある。薬や手術の話をしないし基本的にグラフやデータベースが出てこない。臓器の肉眼像や顕微鏡で見る組織像を組み合わせるのが基本だ。文字で構成したスライドは「どこかに書いて出しておいたほうが便利」なので、プレゼンの中にはさほど入れない。「胃の生検を見るときにはまず弱拡大で全体を見る(ポイント!)」みたいなことは書かない。代わりに用意するのは模式図、解説図。私にもう少しデザインのセンスがあったらもっと見栄えがよくなるんだろうなということを考えなくもないが、しかし、デザインされたスライドでは組織像に無駄な先入観や強調がかかってしまうし、逆に情報を削ぎ落としてしまうこともあるように思う。言語化の向こうにあるテクスチャをそこに残しておこうと思うとあまり写真を「お化粧」してはいけない、と、思う(あくまで意見)。視線誘導は意識するが、それは、視線を故意に誘導してこちらの意図した結論に向けて引っ張ることのないよう、「視線を誘導しすぎないように!」と肝に銘じるためだ。同様に、ライティングとかコピーライティングの技法にも興味があるが、それらを用いて講演をすると「それっぽく聴衆が納得してしまって、逆に本来ならば言外ににじみ出るはずの病理のニュアンスが失われる」のではないかと私は本気で懸念しているので、つまりは名物ライターとか大物アナウンサーとか超絶インフルエンサーの技術みたいなものを「知って、使わず、避ける」ことでようやく病理が求められる・求められる以上の講演になるのではないか、と、思う(あくまで意見)。

理想のかたちの一端にはかこさとしの「ものづくし」的な提示。もう一端には水墨画がある。映画やアニメの画作り的なものが理想になるかというと、おそらく、ならない、病理の講演というのは、それ自身が一本の映画になってしまってはだめで、講演を見た人それぞれが監督となって私の講演という体験をベースに心の中で映画を一本作りたくなるように作るべき、だと、思う(あくまで意見)。

こんなどうでもいいことをずっと考えている。ところで落ち着かナイトプールにはポロリはあるんですか?

酒飲みの理屈にも近いものがある

講演で呼ばれた研究会の交通費・宿泊費・講演料の精算が遅れている。当番世話人から直接電話がかかってきて、「ごめんなさいね! 遅れて! ちょっとばたばたしちゃって!」と悪びれもせずに形ばかりのおわびをされる。申し訳ないことだがああ無能なんだなーと感じる。自分がどれだけばたばたしていたとしても、仕事を頼んだ相手への支払いが遅れたらだめだ。そこはちゃんとしないと。無能なら、開き直るのではなく、自分の無能をきちんと自覚して深く反省してほしい。そういうことをまずは考える。ただ、そこからコンマ数秒遅れて、「人間なんてだめなままでいいんだ」という気持ちが私の負の感情をがばっと覆ってなだめる。だめな人間同士でしょうがねぇなーと言い合うムードに一気に転換してあとはニコニコやっていく。それでいいじゃない。クサクサしなくていいじゃない。ハンドルのあそび。心のバッファ。いい縁をもらったことに感謝し、微妙な仕事環境に目をつぶる。おおらかにあろう。何もかもゆるそう。ここまでで1秒くらいであり、コミュニケーション的に問題となるような遅滞も発生することなく、当番世話人にその場で「問題ありませんよ、気にしないでください」と伝えた。半年くらい念入りに準備した私の仕事は幹部陣からは特に労われるわけでもないし報酬も未払い。しかし参加者からは喜ばれていたようなのでそれでよし。

「社会に出たらそれじゃ通用しないよ」みたいなことを大人はすぐに言うけれど、実際には社会というのはかなりの量のだめ人間によって構成されていて、学生気分でもわりとあちこちで通用する、というか学生気分と大差ない大人がたくさんいる。遅刻ばっかりすると信用されないよ、いい仕事が回ってこないよ、というのもウソ。納期を守らないと切られる、とか、礼儀を欠くと関係性も欠ける、みたいな話も、部分的にはそうなのかもしれないけれど世のすべてがそうなわけではないのでやっぱりウソ。朝三暮四は世の常。恒常的平衡よりも非平衡定常状態が生命の掟。メールでまともに敬語が使えない大人も礼の心は持っている。後輩にハラスメント的物言いしかできない大人も労りの心は持っている。学歴も年収も地位も名誉も一切関係なく、世の中はどこか抜けていてどこか破綻した人間で満ち溢れていて、だから、つまり、だめで無能な人間が自分の仕事に関わったからといって、そんなに、いちいち気に病むことはない。

ただし、そういう無礼で無能な人間から選ばれて仕事をしている自分のことは、ちょっとだけ嫌いになったりもする。



完璧主義者を名乗る人間ほど幼若なものだ。体験的にそういうのが身にしみる。だからだろうか、かえって、不完全であることを過剰に庇護しようとしてしまっていることは否めない。寛容であろうとするばかりにセキュリティがザルになるということはあるだろう。慈悲をもって眺めていたら小悪党がはびこるということもあるだろう。なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとし。きっと私は、完璧に周りを御するべく動く自分が嫌いすぎて、逆に周りがなにをしても無関心な方向にちょっと舵を切りすぎた。もうすこし、粛々と、しめてかかってもいいのかもしれないな、と思う。でもまあもうめんどくせえんだよな。人は人、我は我、それでも仲良し。

ずぼらの運

見知らぬ番号から電話がかかってきたときにまずすることは、Googleでその番号を検索することだ。いくつかのサイトで詐欺電話やスパム電話の登録が行われていて、発信元の国がわかったり、口コミ掲示板的に不動産の詐欺だとか電話契約の詐欺だとかを教えてもらえたりする。その電話番号がこれまでに何回検索されたかなども確認することができる。詐欺系の電話は人々に検索される回数が多いので、何十回・何百回と検索されているような携帯電話番号というのは、たとえ口コミが投稿されていなくても、なんとなくクロだろうなと察することができる。

とはいえプログラムによる自動検索なども行われている可能性はあるのだが、あるとき、ためしに自分の携帯番号を検索してみたら「過去に検索された回数:0」と表示されたので、やはり普通の個人の番号などはそうそう検索されることはないのだろう。

もうずいぶん前の話になるが、ある場所での仕事でいあわせたある人から、後日職場にレターパックで小さな荷物が届いたことがあった。その方とは初対面だったし会話も短時間だったし、さほど好印象を与えたとも思えなかったので、いきなりの荷物とはちょっと驚くが、なるほど仕事相手全員にお手紙など書かれるタイプなのかもなと、若干のよろこび、そして無視できないほどのとまどいを感じながら開封。そこにはデスクで使える小さな文具が入っており、距離感の保たれた手紙も入っていて、極めて常識的な内容ではあったが、問題はレターパックの差出人の欄である。住所と電話番号が書かれていた。こういうのは危なくないのだろうか、仮にも有名人なのに。あるいは仕事場や秘書などの住所・電話番号なのかもしれない。礼儀にのっとってお返事などすべきだったのだろうが、いつもならば返信のためにファイリングしておくはずのレターパックの表書きをなくしてしまって、それっきり何年も忘れていた。



時は流れた。あるとき私は思い立って、古い研究ファイルや診療関連書類をごっそり整理することにした。たまり続けるクリアフォルダ類の多くは資料として保管しているわけだが、20年前ならいざ知らず、これらのほとんどすべては電子ファイルにスキャンしたり内容をデータシートにまとめ終わったりしたものばかりで、紙を残しておく意味はじつはあまりない。場所ばかり取るのでえいやっと処分するべきである。一連の経緯をわかっている私が私の代で処分しないと後任も困るだろう。個人情報まみれの書類、確実にシュレッダーして焼却処分しなければいけない。これがリングファイルだったらリングをはずせば一気にばさっと書類を段ボールの中に放り込めるのだけれど、クリアフォルダだと透明なフォルダの中からひとつひとつ書類を抜き出してシュレッダー行き箱の中に重ねていかなければならくて、じつに、無限に時間がかかるのでしばらく放置していたがさすがに限界である。ホチキスは外さなくていいらしいのだがクリップは外したほうがいいと言われたことにも閉口しながら、重い腰を上げて毎日ちまちまと書類の整理をはじめた。手汗と指紋を失いながら作業を続けていく途中に、「それ」を見つけた。

あのときなくしたレターパックの表書きが紛れていた。

ある意味ヒヤリハット案件だ。大事な書類をこんなふうに紛れ込ませてしまったら、もしこれが診断に関係のある書類だったら、本当におおごとで、医療安全がらみの委員会に何枚も書類を提出して再発防止のための委員会で釈明しなければいけない。「ミスは本人の責任ではなくてシステムの責任」なのだが、そのシステムを作り変えるのは結局人間であり、そのシステムでミスをした人間の体験こそがシステムの改修においては重要になってくるので結局個人に負わされる責は小さくはならない。ただまあ、これが、「ぎりぎりまだ他人から送られてきた贈り物の差出人欄」であったからよかった。まず私は素直に安堵して、そして、だから少し気が緩んだ。

そこに相変わらず書かれている電話番号と住所を見て、私は思った。あらためて礼状でも出すか、と。そこまでの関係でもないので無視してもよかった。しかし、なんというか気が咎めた。「住所の書かれた紙を即座になくしましたがこのたび出てきたので」と言い訳を書いて送るくらいのことはしてもよいだろう……。

レターパックライトを買ってきて、宛名を書き写す。そこで何の気なしに書かれていた電話番号を検索する。

アクセス回数 54回 とあった。

そんなことがあるだろうか。

私と同じようにいぶかしんだ人間の数、と考えてよいものかはわからない。同じ人間が執拗に検索を繰り返しているということもありえる。それにしてもだ。

これは、なにかの「手口」なのかもしれないという思いが土踏まずのあたりからにじり上がってきた。そして、当時の私はおそらくこの「手口」に引っかかっていたはずだ、たまたま、私がレターパックの表書きの部分をなくしていたからスルーしたというだけだ。



ここまで考えて苦笑した。仕事相手に対して律儀に礼状を送るだけの人から、実在の確定していない悪意を勝手に読み取って右往左往している私はなんとも失礼な人間だ。礼状は書こう。住所をなくしたがこのたび出てきたと、正直に書いて送ろう。あるいはもうとっくにこの住所には住んでいないということもあるだろうが――

住所。




Googleで住所を検索するべきかどうかについては悩んだ。デリカシーがなさすぎる気もした。しかし、電話番号を検索された回数の不自然さに、私はまだ引っかかっていた。

検索をすると不動産会社のページがいくつか出てきた。架空の住所ではなく実際に存在する住宅のようだ。レターパックには部屋番号が書いていないので、てっきり戸建ての住宅かと思ったが、どうやらアパートのようである。ページを見に行くとそこには「1K」の文字が踊っていた。1K。

いくつか考えられる可能性はあった。善意の結果なのかもしれないとは思った。しかしまあ、もう、いいかなと感じた。旅先で求めた絵葉書の裏に書いた礼状をレターパックから取り出して、シュレッダー行きの箱に投げ込み、住所まで書き終えていたレターパックも処分した。手遅れの不義理のしっぺ返しのようにも思えたし、ずぼらの呼び込んだ運と呼ぶには少々ねじくりまがった話だなとも思えた。Google mapを見るとアパートのそばにはうまそうな飯屋がぽつりぽつりとあり、緑地などもあってだいぶ環境は良さそうで、このアパートにはなぜか座敷わらしが住んでいそうだなと思ったが、その連想の理由は因果の先にはない。





※現在は、ストーカーから職場に荷物を送りつけられることを防ぐため、事前に私が申し入れていない荷物は病院のほうで受け取らないようにしてもらっている。荷物を送られても私のもとに届かないし、仮に届いたとしても、もう電話や住所を検索するつもりもない。

それってSNSのせいなんじゃないのかというオチはありだと思います

古い書類をばんばん捨てていて、えっそんな記念のものまで捨てちゃうの、と見る人が見ればびっくりするだろうし、故人の私信なども平気で捨ててしまっているので、なんとなく私には人の心がないなと思う。しかしそれでも捨てられないものというのはいくつかあって、やはり亡くなった恩師のひとりが最後にくれた手紙(おそらく本人は最後とは思っていなかったはずの手紙)はさすがに残しておいている。でもまあそれくらいだ。今に至るまで関係を更新し続けている人の古い手紙は基本的に捨てた。とっておいてもおそらく次に目にするのはまた18年後だ、そのときに捨てるくらいなら、今捨てておいたほうがいい。捨てる作業は心に負担をかける。47歳の私でこれだ、65歳の私なら耐えられないのではないか。将来の自分のために今の私が悪役になっておこうと思った。捨てに捨てる。気持ちよくはない。すっきりはしない。少しずつ心と指紋がかすれて消えていく。

幾人かの後輩の、結婚式の披露宴の、席次の紙なども出てきて、昔の私は今よりはるかにこうやっていろいろ大事に持っていたのだなあということを、ふわふわと考えながら捨てていく。後味の悪い映画を見たときのような唾液腺の苦みを感じる。


時間差でぐっと来たのは編集者たちの手紙の多さだ。一筆箋、メモ用紙のようなものが無数に出てくる。それもひとりやふたりではない。これまでに仕事を依頼してくれて、私が今も名前を思い出せる編集者たちは、みな本当に筆まめだった。そのことにあらためて気づいた。メールだって無数にやりとりしていたのに、それに加えて手書きの小さな一行がわらわらめりめり出てくる、こんなにあったのか。「手書きの文章は執筆者にやる気を与えるからおすすめ」のような編集者ライフハックがあるのはたぶん事実だと思うけれども、それにしてもこの量というのは、すごい、あらためてびっくりした。若いころの私は、医師や診療放射線技師や臨床検査技師から病理のしごとを依頼されるたびに、写真を取ってパワポに組んで送るだけではなく、いちいち手紙を書いて添えて渡していたのだが(じつは今もそれなりにやるがさすがにメールが多くなった)、おそらく私がその手紙方式にこだわっていた理由は、なるほど編集者たちの影響だったのだなと、今更ながらに腑に落ちた。これをやられて意気に感じないほうがおかしいし、影響を受けて自分もだれかにそういう気持ちになってもらおうと思わないならうそである。

ただまあ私はけっしてよい育ち方をしたわけではない。たまたま編集者たちにいい影響をもらったことはありがたかったがほかはそんなにまともな人間性とは言えないだろう。

20代、30代のじぶんの振る舞いをふりかえる。書類をみるとなんとなく当時の私がどうだったかというのが紙と紙のはざまの影から立ち上ってくる。30代の半ばくらいから、本当に私は周りをシャットアウトしはじめていた、そのあたりで私のもとに届く手紙類が一気に少なくなるし内容も明らかに硬質になる。実際に手紙が届いていないというよりも、あるいはこのころから私が届いたものをファイルしなくなったのかもしれないが、それにしても雰囲気がどすんと重くなる。その延長に今の私がいる。だからこういうありさまになっている。熱風吹き付ける砂漠帯を通過して表情が険しくなったキャラバンのようだ。この、30代の半ばくらいの、異常乾燥的な転換、がもしなかったとしたら、はたして今の私の周りにはどれだけの人がいたのだろうか。そんな想像は詮無きことだ。しかし。推測だが、たぶんそんなに人間関係の実数としては変わらなかっただろう、ただ、顔が思い浮かぶ人の数は今より多くなっていたようにも思う。

今の私は顔のわからない知人がけっこういる。というか顔が覚えられなくなっている。会ったことがあるかないかには関係がない。2, 3度会ったくらいだともう忘れてしまう。そして私は今やたいていの人には2, 3度くらいしか会わない。カラッカラの記憶装置。30代なかばの行動によって研ぎ澄まされた、関係の断捨離、一時記憶から長期記憶への回路を仕分けした感覚。当時の私がもう少し社会や世界に対して粘性を保とうと思っていたら、今の私ももうちょっと、顔面を記憶できていたのかもしれない。古い友人の顔も忘れてしまいそうだ。忘れてしまうだろう。さみしい老後が待っている。しかし、ひとつ、ありがたいこともあって、私はどうも、顔が思い出せない相手のことを、親身に思うことがそんなに苦ではない。

執意ハンター

大学院を出てすぐ今の病院にやってきた。半年だけ築地の病院で任意研修をしたから実際に赴任したのは10月1日。2007年10月1日。それからぴったり18年勤務してつぎの10月1日から私は別の場所で働くことになる。7月1日からは後任の主任部長にデスクをあけわたして3か月ほどかけて引き継ぎを行う、そのためにデスク周りにあるさまざまな物品を整理して一部は次の職場に送りつけている。病理部のデスクの片付けは7月までには終わらないだろう、なので、先に医局の個人ブースの片付けをすませて、そっちに病理部の荷物を運んで、ピストン輸送的に跡を濁さずやっていくつもりである。

医局の本棚に18年間挿しっぱなしだった古いクリアファイル・リングファイルが20冊ほどある。昨日はこれらを捨てた。かつて大学院時代に病理診断の修行をしていたころ、自分が診断をつけた症例の診断文と所見の部分をコピーしてファイリングしたもので、いまほどITの力を借りずに手作業でちまちま集めたものがたくさんある。これは修業時代の残滓というやつで思い入れもあったのだが、もはや開くこともないだろうと思いこの際全部捨てることにした。個人情報は消去済みとはいえいずれも診断にかかわるものだ、病院以外で処分することはできず、医療関連の書類といっしょに裁断して廃棄する。だからけっこう手間がかかる。人に任せることはしない、私には秘書も部下もいないので自分でやるしかない。時間外だが労働とはいえない、真の意味での自己研鑽的な時間でやっていくことになる。過去の自分が残したものを捨てることほどに自己を研鑽する行為があるだろうか?

20代の私が書いたメモ書きがしょっちゅう挟まっている。今よりはるかに字がきれいだ、というか、文字が四角く書かれていて縦横の軸もしっかり守られていて、なるほど私は歳を取るごとに字がどんどん汚くなっているのだなということを少しさみしく思う。センチメンタルな脳とは裏腹に手は次々と目の前のファイルからルーズリーフをはぎとっていき、医局事務員からもらった段ボールに容赦なく詰め込んでいく。学生時代に勉強した生化学、薬理学、内科診断学のノートなどもいくつか紛れ込んでいる。これらは大学院入学時に大半捨てたはずだったが、当時の私がなんらかの哀愁を覚えて取っておいたものであろう、この際、捨てる。誰が見てもノートでしかないもの、学びも悦びもない、私が湿っぽい気持ちを向けなければただの古ぼけた紙の束だ。

着々と捨てていく。ファイリングしてある書類の1/6くらいが診断関連で、残りはすべて実験ノートだった。ここに実験ノートがたくさんある、というのが、今ではじつは考えられないことで、昔のおおらかさを感じる。昨今、大学院とか研究所というのは、実験ノートの類は外に持ち出してはならず10年以上は保存していつでも証拠として提出できるように厳重管理していなければいけない。でもこれらはなにせ18年以上前のものだ。今ほど規定がはっきり存在しなかったころのものだし、加えて言えば、これらの実験はひとつとしてまともな論文にならなかったのだから、今更おとがめも何もないだろう。日付と共に淡々と記されたプライマーの設計、制限酵素のメモ、電気泳動のバンドを撮影した写真、タイムラプスの計測結果、今読み返してももはや、情が通っておらず報ずる価値もない無機質な記号のかたまり、一束一束、撫でながら廃棄。粛々と段ボール。夜討ち朝駆け膨大な時間の浪費の証拠、なにも成し遂げなかった大学院博士課程、ずっと引け目に感じ続けた屈曲の歴史、私が医局のデスクにひそかに保存し続けてきたもの、全部捨てる。

引け目が失われたわけではない。さっぱりしてもう振り返らないと決めたわけではない。ただ摩耗した。口論、こだわり、いきり、ひねくれ、鬱屈、それなりに長い時間の中で、私の肌からじわりとしみこみ真皮表層のエラスティック・ファイバーに混ざって硬化して、皺となって刻まれてびまん性に全身を覆っている。もはや取り出すことも紫外線でほぐすこともできなくなった加齢の痕跡、私はそれらの歴史と一体化して、重ね重ねの新陳代謝ですべてがとろけてうるかされて、非分離となった。

紙は捨てる。忘れることはなく、思い出すこともない。それは過去を捨てることなくしまいこむこともなく現在の一部に矮小化して特権を剥奪することに等しい。紙を捨てる。何もかも捨てるわけではない。あっさりとしている。じっとりと裏側にこびりついたものがすでにあるから象徴としての紙を捨てる。偶像としての紙を捨てる。

古い写真もいくつか出てきた。自著の著者贈呈分は捨てるのもへんかと思って研修医室に寄贈、迷惑な先輩だなと思って少しおかしい。研修医や見学の学生たちがメルカリにでも売るならそれでいいだろう。いちど通読したっきりの医学書や、なぜか医局においてあったあまりおもしろくない小説の類、売ったり捨てたりする判断をひとつひとつくだしていくほどの時間と興味が私にはなくて、ひとまず記憶にある医学書は寄贈、今の今まで忘れていた本は廃棄とする。自宅の本棚も非常に小さくてこれ以上なにも入らない。私はそもそも本棚を使うのがへたくそだ。ここにある本たちにしても、ただあっただけ、並べていただけ、私に見返られも振り返られもしなかったものばかり、急に燃えて消えたとして誰がとがめることもないものばかり、もちろん、若い医者たちが当直のひまつぶしに読んで楽しい本ならば残していくのもいいが、しかしもはやそういう時代でもないような気がする。誰かにさらに20年後に捨てるか捨てないかを私の代わりに迷ってもらうような押しつけは迷惑だろう。インターネットで見つけた一時的にブームとなった本の多くはブックオフで売ってもいいがそこまで運ぶときに傷めた腰の治療費が本の売却値を上回ることだろうから捨てる。こんな人が一時期バズったな、こういう本の感想を表面だけ飛ばしまくって楽しかったな、8ミリビデオを見るような気持ちで本を捨てる。

古いPCが出てきた。水に沈めて捨てればいいんですかと医局事務員に聞くと、震災のあとに復活したPCもあったくらいなんで水ではだめです、ハンマーとか用いて物理破壊が一番です、というので、この事務員が槇村香のハンマーでPCを殴っている風景を想像しながらひとまず保留とする。異動先の本棚の一角に古いPCを飾るだけのノスタルジーを私は持ち合わせているだろうか? もはやウェブアーカイブスにも残っていない、私が大学生のころに作っていたホームページのデータはこのPCには残っているのだろうか? 実験ノートすら捨てた私もさすがにいにしえのVAIOを見て手が止まる、思い余ってラップトップのモニタを開ける、キーのへりというへりが変色していることに苦笑して、ハンマーの調達のことを考える。

集中準備

集中の底にたどりつく前に次の集中を求められる感じで、ドプラのAモードみたいにどくんどくん浅瀬で上下していて、仕事という仕事からいまいち達成感がにじみ出てこない。ひとつひとつは求められるクオリティには達していると思うのだが、プラスアルファの、期待を超えるような何かがなかなか出てこない。8割方完成した後抄録の原稿を、読み直してもまるでAIが書いたかのようで、印象が平面的でざらつきがなく、おどろきもなく、この文章を読んだ誰かが読んでよかったと思えるレベルに達していない。必要なことはすべて書いてある。箇条書きなら全項目を埋めている。でも、それだけだ。集計で楽をするために自由記載をやめたアンケートに答えているような感じ。よくない傾向だと思う。だから少し、さぼる必要がある。本当は今がもっとも、自分のできる最高の仕事に対しての「さぼり」になっているのだ、だから、一番やってはいけないさぼりを回避するために、それ以外のたくさんのデューティを、さぼる。それが必要なのだと思う。

連載を終わらせる。研究会の依頼を断る。長年の付き合いで引き受けた病理解説の仕事。先輩を楽にするために請け負った仕事。あれもこれも、異動を理由に断っていく。中学校時代の同級生に誘われてはじめたゴルフをやめる。TLの評判だけで見に行ってみてもいいかなと思っていた映画を見に行くのをやめる。さぼっていく。着々と。ブリンカーを装着して横をみられないようにする。シャドーロールを装着して下をみられないようにする。集中するしかない状況をつくりだす。そうでもしないと、私はもう、浅いよろこびにひたっているうちに人生を通り過ぎてしまうだろう。



ジークアクスの放送が終わった翌日にTLを眺めてみた。アフタヌーンの話をしている人が誰もいなかった。しかしそれはアフタヌーンにとっては運が悪かったなと思う、なにせ、今回のアフタヌーンはとてもよかった。ここ数回で一番よかったフラジャイルはもちろんのこと、ブルーピリオド、スキップとローファー、ワンダンスなど、多くのマンガがある種の頂点を迎えていて、今月号はなんだかすごくあたりの号だった。

いい作品はみな、作者の過剰な集中によってつくられている。始終がちがちに緊張しているわけではないが、必ずどこかに「異常な密度のなにものか」が存在していて、うわっこれどうやって作ったんだよ、と人に思わせる。アフタヌーンの今月号にはそういう類の作品が多かった。すごい話だよなと思う。

働き方を常時改革していては絶対に達成できないなにものかがある。人の人らしい暮らしからは生まれ出ることのないなにものか。ワーカホリックという言葉、1970年代前半に産まれたそうだが、いまだにそんな古い言葉で人の働き方をしばったり揶揄したりしているということに疑問を持つべきなのだろう。猛烈に働かないで人の心を動かすものができてくるわけがない。私は今、とにかくそういう気持ちでいっぱいだ。そして、だから、始終気が散って集中しきれないでいる自分に、少しがっかりしている。アニメも見てマンガも見てSNSでもやってそれで聴衆に感動してもらえるような学術講演を作れるわけがないのだ。ガンダムも終わったからそろそろ私はきちんと集中できる部屋に戻らなければいけない。まあ、ここまできたら、ラザロの最終回とアポカリプスホテルの最終回を見てからにするのだが……。

倍率と役割

段ボールってどのへんが段なのかと思ったら切り口を斜めにみたときに階段みたいに見えるから段ボールなのか。なるほどな。あんまりその拡大倍率で考えてなかったな。倉庫で積み上がった段ボールが階段状になっていることがあるけど単発だと別に段ではないよね、とか思っていた。命名の現場での開発者の目と、ユーザーとしての私の目、対象との距離がそれぞれ違うからぱっと思いつかなかった。ほどよく見える距離感というものはわりと重要だと思う。『宙に参る』の中で、暮石ハトスがアディさんのジャケ写と同じ場所で写真を撮ろうとしたときに、そこにいたシヤに「もう三歩後ろです」みたいなことを言われるシーンがあるのだけれど、あれといっしょだ。一番いい写真のためには左右とか上下とか角度の調整だけではなく距離の調整も必要である。このようなことをときに考えながら、細胞を見る。


大学にはいくつか、学生の参加する勉強会がある。全部は知らないがいくつかは知っているし、自分も学生の頃に出たことがある。中でもとりわけ思い入れがあるのは、朝、授業のはじまる前に病理学講座に集まって、教授がポケットマネーで用意したボストンベイクのサンドイッチなどを食べつつ、Robbins Pathologic Basis of Diseaseという病理学の基礎的な教科書を読むというものだ。当番の学生が音読して翻訳をし、ときどき教授が短くコメントを挟む。やっていることは英語の本をみんなで読んでいるだけとはいえ、歴史のある成書の持つ力はさすがで、けっこう勉強になる。通称「おはようロビンス」という勉強会。前の教授の時代からたしか40年くらい続いている。ふだんは学生と教授でやっているが、まれに私のような部外者がゲストとして出場を求められることがあり、今回はWebで参加した。2年ぶりくらいだったろう。

今、学生たちが読んでいるところは「食道」。勉強会の最後の5分くらいで、なにか食道の実際の症例を提示してくれないかと頼まれた。事前に2例ほど用意してみたのだが、いざ勉強会がはじまってみると、事前に用意した症例とは少し違うジャンルのことをやっていたので、勉強会の最中に症例を差し替えた。ある限定的な状況下で発生する食道癌の一例。内視鏡で発見するときのコツ・難しさから、病理医がプレパラートにして見るときの「見え方の感覚」、そして病理診断を内視鏡医にフィードバックしたあとに内視鏡医がなにを考えるか、みたいな話を4分強で話す。

学生だからなにもしらない。ただし専門用語をあとでAIにたずねるくらいのことはやってくれるだろう。そう信じてその場でかんたんになりすぎない程度の説明をしている最中、ふと、私がこの病理写真をみて細胞を説明するときの「細胞との距離感」と、学生がZoom越しに提示されたパワポの写真を見て細胞のようすを判断するときの「細胞との距離感」は違うのだろうということを考えた。モニタのサイズが違うとかいう話ではなくて、私と学生とでは、細胞を理解するために最適なレンズの拡大倍率が違うはずだ。

私は細胞をみながら、核の中で起こっているであろう遺伝子の変化が細胞の配列にどう影響するか、細胞ひとつひとつにどう影響するかというのをなるべく細かく判断できるように、目線を動かしつつ、その領域の専門的な知識を、ブラウザに一時的なプラグインをインストールするイメージで視野内の情報にオーバーラップさせて複合的に知覚をする。見たものだけで考えるのではなくて見えそうなもの、見えたら困るものなどを脳から引き出してきて照合しながら、外界の情報と内部の情報との差分をとりつつ(これは簡単)、ほぼ一致しているんだけどじつは違うかもという違和に気を配る(これが難しい)。このとき、プラグインがもっとも切れ味よく働くのが、最大に拡大した倍率ではなくて、むしろ少し「引き」でみた倍率になる。私だけかもしれない。しかしなんとなくだが熟達した病理医もそういうレンズの設定を好むように感じる。

一方、プラグインをまだ持たない人間が、この細胞を見てもっとも情報をたくさん拾えるのは、おそらくは最強拡大の画像ではないかと思う。もしそうだとすると、今私がこうして、「接写しきっていない倍率の写真」ばかりを提示して説明していることには、若干の隔靴掻痒感があるかもしれない。そんなことをしゃべっている最中にふわふわ考えていた。でもまあ、学生のときに目にする中年医師などというものは、手取り足取りやさしくなんでも教えてくれるよりは、なんというか、四半世紀の年の差によって埋まらない溝があるけどなんとか同じ世界で共存しようとしている、その努力だけは見えるけどでもやっぱこのおっさん何言ってんだかわっかんねぇな、くらいがちょうどいいようにも思う。


いいわけを言っていいわけがない

イリタリー・ボウエル・シンドロームと書くとSF奇譚みがあってすごいのだが、要は過敏性腸症候群(IBS)である。子どものころからだからもはや40年くらいの付き合いになる、腸の気まぐれ、対処法はわりと身についていて、朝は出勤とか出張の前にいったん腸を動かしておかないと移動の最中に腸が動き出してめんどうなことになるというのを知っていてそれに備えておけばよい。「腸がいらんタイミングで動いたところで心臓が止まるわけではない」というところまであきらめてしまうとかえってリラックスして腸がぐんぐん動いてよくない、コツとしては、「さあ!これからキリキリ働くぞ!」と、しっかり交感神経系をぶち上げて腸をストップさせることが望ましい。ただしこれをやると毎朝血圧が高めに出てくるので降圧は欠かせない。あちらを立てればこちらが立たず、いったん安定に入ったアロスタシスは、インプットを微妙に調整してもなかなか別のプラトーには入ってくれなくて、複雑系を御するというのはかくもままならないものである。

出したくないタイミングで出そうになるという意味では腸よりも横隔膜のほうがやや深刻だ。ちかごろ本当にプレゼンが時間通りに終わらない。20分の講演が24分になる。残り30秒でまとめてくださいと言われると70秒しゃべってしまう。脳のなんらかの機能不全を心配するし私はこういうところが社会的にかなり劣っているなと感じる。8時半に出社すればいいのに6時には働き始めていないと落ち着かない、みたいなのも、シチュエーションは違うしもたらす効果や周囲への影響も別物ではあるが本質的には同じことなのかなと思う。世の規範であるところの絶対的な時間・時刻を軽視している点が私の大弱点で、矯正しようと思ってもなかなか治らない。「やるだけですよ。やるだけなんだから。しのごの言わずにやるんですよ」と、たくさんの人が、言わないまでも思っていると思う。そんな無言のメッセージはこちとら当事者なのでこれまでも大量に浴びまくっているのだからもうわかる。しかしだめなのだ。できない。90分以内になにかを書いてくださいと言われるようなシチュエーション(例:受験)であれば、単純に「ならば60分で書こう」とやれば65分くらいで書き上がるのだが、人様のためになにかをしゃべる60分に対しては「ならば45分で終わるような内容でいこう」とならない。ここをつまびらかにすると、「時間通りに終えることで結果的に私が低く見られることはいいのだが、時間通りに終えることで結果的に聴衆がもったいないことになるかと思うとがまんできない」のである。うーんひどい。理屈のようだが道理になっていない。時間通りのほうがたぶんいいのに。それができない。簡単なことなのに。少なめに出せばいいのに。テイクホームメッセージは1個でいいのに。AIに聞くまでもなく平成のころから言われている鉄則なのに。知っているしわかっている。筋も見えている。それでも、それをやらない。やはりなんらかの障害なのだろう。落ち込む日もある。けっこうある。

さて、ちかごろの社会がいうように、そういう自分を「許して」「それも大丈夫だよと認めて」「そういうあなたを受け入れない社会のほうがバリアなんだよと背中を押す」かというと。

ちょっとそういうのも違うんじゃないかなという気がする。これは別にほかの障害とか不全とかに対する社会の取り組みを揶揄したくて言っているわけでは全くなくて、そこはぜひご理解いただきたいのだけれど、この私がこの私の状況に対して許可を与えるのはほかとはぜんぜん違うのだ。それはまるでだめなんじゃないか。おそらく私はパニッシュメントを与えられながら苦しくうごめいていくことをわりと上げ潮気味に求めているしそれを受け入れなければダメ人間として本当にダメなところまで落ち込んでしまう。「なんで時間通りにできないんだ、だめだなあ」が社会から与えられたほうがいいのだ、そうでないと、おそらく私は仕事を続けていくうえでの交感神経と副交感神経のバランスが保てない。いや、これも違うか、そういう「いい意味での効用があるから必要悪として」だめであり続けたいというのも違う。そうでもない。そうではなくて、私はだめな人間のままそれでも仕事でなんとかぎりぎり社会とつながっているが、これだけだめなのだから仕事の中心部分がだめになったらいよいよ切られるぞという恐怖を浴びてなんぼだ、と感じている。自分がそういうものであるということをちゃんと悲しく受け止めていないとろくなことにならない。

こうなんだからこうあればいい、そのためにはこうすればいい、みたいな議論がつまんなくてしょうがない。いや、うん、つまるつまんないの問題ではないのだが、それができたら苦労しねーよというか、苦労しないで生きていられねぇよというか、しかし開き直りたいわけでもなくて、謝罪しながらできることだけやってそれに対して怒られるのはもう受け入れるしそれでもがんばるわ、みたいな話がたくさんある。そういうポンコツな実践をかくと「しっかりしている人」には本当にけっこうな頻度で怒られる。そうやって怒ってくる人が私より仕事をしていることはそこまで多くはない。しかしまれに私より仕事をしている人が私よりしっかりしていることもあって、そういうのを見ると、やはりこれは罰でしかなくて、なにかをトレードオフで得ているとか必要悪とかそういった、道理に沿ったものではぜんぜんないんだよなと肩を落とす。