フラジャイルがもうすぐ終わります

普段写真を撮ってますか、というから、近頃はバーチャルスライドからスクショでプレゼンを作ることが多いっすねえ、と答えたら、「違いますよォ~! 病理の話じゃないっすよォ~! リアルでスマホとかカメラで写真撮るかってことですよォ~! も~!」と笑われたので、インスタ映えする角度で牛裂きにしてやった。

ピッチャーのタイミングで打つな、自分のタイミングで打て、とはストッパー毒島に出てきたチック君の打撃アドバイスである。おそらくこの金言は億兆の民衆に浸透しているものと思われ、世の中の人間はみな、自分のタイミング、自分の言葉、自分の風景を私に押し付けてくる。それに対して私はマトリックスのネオよりも背骨がよく曲がる軟体動物となっていなばうあって(反り返っていなすこと。ちなみにイナバウアーは足先を180度に開く動きのことであり体を反らせるのとは関係がない、という有名なネットのツッコミは間に合ってます)避けていく必要がある(ただし牛裂きにはする)。

プレパラートの中から細胞像がわかりやすい部分に目星をつけて、ここぞというところで顕微鏡に接続したハイレゾなカメラで細胞の写真を撮る。これが私が長年やっている「写真を撮る」であり、顕微鏡というUIを使う時点で露出や絞りや色温度的なものを設定し終わっているので撮影の段階ではさほど気にしなくていいかというと、じつはそういうものでもなくて、やはり、伝わる写真を撮るにはいろいろと工夫しなければならない。「一番大事なものを真ん中に置く」という構図の大原則を守る。「非腫瘍と腫瘍の境界部をみせるとき、画面の2/3弱を非腫瘍部、1/3強を腫瘍部にする」という流儀がある。「インセットを多用するくらいならスライドの枚数を増やす」。「検索したプレパラートのルーペ像は、どれだけ小さくなってもいいので同じ倍率のものを並べて一覧を網羅できるようにする」。「絞りによってコントラストがついたようにみえるのはじつは気の所為(見かけ上シャープになっているが真のコントラストではない)」。

学生がブログを読んでいて、「今日はお腹は大丈夫なんですか?」と声をかけてくれたので、このブログはだいたい1週間以上前に書いているのでお腹は大丈夫なんですよ、と答えた。ただ、本当は今日もべつにお腹は大丈夫ではない。大丈夫ではないがコーヒーは飲むのだ。

こうやって、読んでいる人を想定した記事を書くと、とたんにうっとうしくなるんだよな、ということを思う。

私だけかもしれないが、短歌や俳句の作者がSNSで語りだすと、短歌自体の価値が落ちたように感じることがある。顔もキャラクタもわからない人が俳号だけで、もしくは詠み人知らずの状態で、文字だけで勝負して、それが文字数をはるかに越えた映像を喚起するところが醍醐味なのにな、と感じることがある。でも穂村弘が書くエッセイを鬱陶しいと思ったことはないので結局好みの問題なんだろう。

最近写真を撮っていますか、というので、いえ、インスタのアカウント持ってないんですよ、と答えたら、「違いますよォ~! 病理の話っすよォ~!」と言われた――という世界線にあこがれていたこともあった。ずいぶん昔の話だが。