いろいろと込み入った話をしている中で「若さ・かわいげを武器にすることの是非」という話題になり、私はそれにいくつかの感想を述べた後、最終的にこのようなことを口にした。それは私が今までそこまで深く考えてこなかった内容であった。
「人間は個々にちょっとずつ違う方向を向いたベクトルである。そのため、出力全開で突っ走ると、初期の角度の違いがずれとなって、他の人から少しずつ離れていくことになる。『個人の全力』を出してしまうと孤立する。それは決して他の人が『付いてこられないから』という理由ではない。人間の馬力なんて、誰もそんなに変わるものではない。そうではなくて、『微妙なベクトルの差を補正する前に彼方にすっ飛んで消えてしまうと、あとで合流するのが難しい』というニュアンスである。
私たちは、出力全開で物事にあたるのではだめなのである。ひとりで猛然と飛び出していくのではなく、周りにいる人たち、特に、およそ似た方向を向いている人たちと、位置の補正をかけながら9割くらいの出力で進んでいったほうがいい。そのほうが、結果的に、多くの人と塊になって、より大きな仕事をすることができる。では、どうやって出力を9割に抑えるのか? 自分のあふれるエネルギーを無理やり抑え込むのか? それはもったいない。無駄も多い。そうではなくて、『結果として減速になり、周りからも見やすい状態になる』手段をとるのがいい。それはなにか?
安易な武器を振りかざすことである。若さでもいい。誠実さでもいい。かわいげでもいいのだ。これらは仕事のクオリティそのものには影響しないが、周りの耳目を集めたり、周りからの『安直な信用』を集めることに効果がある。自分の最大出力の1割くらいを、そういった、一見仕事にマイナスになるような、人間関係の潤滑油の部分に注ぐ。
その結果、『若さやかわいさで働いている』と揶揄されても知ったことではない。人から自分がどう見られたいか、ではない、それで仕事がどの方向に育つのか、である。『若さもかわいさもかなぐり捨ててフルスロットルですっ飛んで』しまったら、ほかの人間との距離が開いてしまう、それは仕事にとってはトータルでマイナスである。」
こんな言葉が自分の口から次々出てきたことにじつはかなり驚いた。自分でもこの理屈は十分に吟味できていないのだが、おそらく私の中には昔から、「若さとかかわいげとかを武器にして働くの、いやなんですよね」と述べる男女に対する根源的な「その程度の覚悟で仕事してんの?」という不満があるのだろう。プロダクトがどうなるかよりも、その仕事を通じてその人がどう見られるのかが最終的な目標になっている人をみると、仕事なめてんのか、と私は感じた。それがある種の偏りであり、ベクトルの初期状態のずれであることは自覚している。「わかりやすさ」「親しみやすさ」「気配り」「コミュニケーション」。これらをかなぐり捨てて全力で働いていると公言している人間の仕事を、私はおそらくあまり尊敬できていない。狭量なことだ。かわいいだけじゃだめですよ。でも、かわいいほうがいいですね、という話。