指先のリアリズム

ひさびさにまとまった強さの風邪をひいている。熱が上がらないのでなんとなく出勤できてしまうのだけれど(同室に基本的にスタッフがいないというのも自己隔離の必要性を下げる)、体が重く、関節が痛く、喉が腫れたり治ったりを繰り返す3日間くらいを過ごしておりスタッフミーティングも最小限にしている。タイミングが悪いことに先日かなり多額の研究費の分担金をいただけることが決まり、割り振られたタスクをやり遂げるためにも、その後の研究に続けるためにも、資金をいかに使ってラボを発展させ、ひいては本学のまわりの講座やたくさんの教員たちにもなんらかの形で還元をしつつ、学術の発展に地道に寄与する、そのための地ならしのメソッドを、朝から晩まで考えながら通常業務をこなす。コンサルテーションをする。教科書の原稿を書く。プレゼンを作る。自分の名前が乗らない上に直接私の専門性とはあまり関係のない仕事であっても頼られたらうなずいて粛々すすめる。前の職場の関連病院の研修医が出る発表に同席するために東京での授賞式をキャンセルすることにした。「優先順位」という言葉を用いて幾人かに諭されたのだけれど、今も昔も基本的に私の優先順位は「頼まれた順」ということにしている。10年ほど前、札幌の研究会に出るからと言ってフランスでの発表を断ったとき、チャンスを失ったねと言われたが、そのころやりとりをしていた多くのドクター(札幌も、フランスも)とは今も仲良くやらせていただいているわけで、まあ、なんか、そんなに失ってはいないのかなと思う。

失ったのはおそらく人間味だ。料理以外にはもうなにもしていない。SNSのおすすめフィードはひどいものになってしまった。これがおすすめだというならば私はもうSNSには適合していないのだろう。世間との価値観のずれを感じる。みんなといっしょのほうが大多数の人が喜ぶコンテンツを楽しむことができて得だろうなと思う。

「エルマーとりゅう」に出てきたのだと思うが、おばあさんが少年に向かって、「指先というのは話す相手に一番近いところにあるものだからきれいに保ちなさい、爪はきれいに切りなさい」と言っていたのをずっと覚えていて、職場という職場に爪切りを置いてしょっちゅう爪を切っている、という話をよくこのブログでする。これはこのことが私の心に深く刻まれているから何度も書く、というわけではなく、こうしてブログを書いているときに「あっ、爪、じゃまだな」と感じることが多いからそうやって書く機会も増えるということだと思う。逆に、ブログ以外のキータッチ作業、たとえば診断であるとか助成金の申請であるとかといったときには私はおそらく爪を気にしていない。ガチガチ音がしてもそのままキータッチを続けてしまっている。できれば私は爪を気にするほうの人間でい続けたいと思うのだけれど、人間味を失うことで清潔感とか倫理まで失っていくのだとするとそれはけっこうしんどいことだなと感じる。

浅生鴨さんのnoteが更新されると通知がくる。先日の小説「キーホルダー」は、構造としてはどこかで見聞きしたことがあるような話なのだけれど、詳しくは言わないが、途中、「2段階にわけて世界が解除される」。これまで私が読んできたこれ系の物語では、世界の解除は通常、最も見せ場となりやすいラスト付近で1回起こるだけのことが普通だ。なぜ鴨さんは解除を2段階にしたのだろう、と思ったし、理屈はよくわからないのだがなんらかの異界から現実に戻ってくるときに超えるべき境界が1つではなく2つだというのは、なにか、リアリティを超絶したリアリティのようなものを感じて、私は早朝からぞくっとした。