失ったのはおそらく人間味だ。料理以外にはもうなにもしていない。SNSのおすすめフィードはひどいものになってしまった。これがおすすめだというならば私はもうSNSには適合していないのだろう。世間との価値観のずれを感じる。みんなといっしょのほうが大多数の人が喜ぶコンテンツを楽しむことができて得だろうなと思う。
「エルマーとりゅう」に出てきたのだと思うが、おばあさんが少年に向かって、「指先というのは話す相手に一番近いところにあるものだからきれいに保ちなさい、爪はきれいに切りなさい」と言っていたのをずっと覚えていて、職場という職場に爪切りを置いてしょっちゅう爪を切っている、という話をよくこのブログでする。これはこのことが私の心に深く刻まれているから何度も書く、というわけではなく、こうしてブログを書いているときに「あっ、爪、じゃまだな」と感じることが多いからそうやって書く機会も増えるということだと思う。逆に、ブログ以外のキータッチ作業、たとえば診断であるとか助成金の申請であるとかといったときには私はおそらく爪を気にしていない。ガチガチ音がしてもそのままキータッチを続けてしまっている。できれば私は爪を気にするほうの人間でい続けたいと思うのだけれど、人間味を失うことで清潔感とか倫理まで失っていくのだとするとそれはけっこうしんどいことだなと感じる。
浅生鴨さんのnoteが更新されると通知がくる。先日の小説「キーホルダー」は、構造としてはどこかで見聞きしたことがあるような話なのだけれど、詳しくは言わないが、途中、「2段階にわけて世界が解除される」。これまで私が読んできたこれ系の物語では、世界の解除は通常、最も見せ場となりやすいラスト付近で1回起こるだけのことが普通だ。なぜ鴨さんは解除を2段階にしたのだろう、と思ったし、理屈はよくわからないのだがなんらかの異界から現実に戻ってくるときに超えるべき境界が1つではなく2つだというのは、なにか、リアリティを超絶したリアリティのようなものを感じて、私は早朝からぞくっとした。