タイヤを変えてないのに雪が降ってしまった。さすがに11月でよいかと思っていたのだが読みが甘かった。早朝に橋をわたるのが怖くてバスに変える。凍結によるスリップ事故はいつも冬のはじまりの朝に起こる。川を吹き抜ける風が夜中に橋の上をつるつるにして、夏の運転の気分でなんとなく走行しているドライバーはベテランだろうがプロだろうが冬の朝の橋の上では怖い思いをするし、実際、思いだけではなく怖いことになってしまう人が毎年必ず出てくる。そういうニュースをこれまで季節のたびに何度も見てきたから私は妻のLINEにおとなしく従って今日は車をやめてバスにする。
Kindleでヒロアカを読んでいるうちに大学最寄りの駅に着く。
やることがたくさんあり何もせずに耳垢をとる。忌引の部下が気丈に笑う。壁に貼ったカレンダーに書き込んだ自分の字が読めなくて顔を近づける。焦燥が通奏される物語の登場人物だ。
先日会ったとある大学の生化学の教授は、自分の部下・院生7人のClaude codeの課金を自腹で代替して、日常的にドライ解析に触れてもらうのが楽しいと言って笑っていた。おそらくこの考え方、多くの人に受け入れられないだろう、ちなみに彼はたくさんの研究費をきちんと取っていて、大型の機材や研究用の消耗品はちゃんと研究費で買っている、でもそれに加えてさらに、自分の財布でメモリを積む。そういう私たちが今こうして会って話しているのも、交通・宿泊・参加費・飲食代まるまる自腹の有志が開催した研究会である。私財を投じて集まって、私財を投じる話をしている。学術のために私財を投じることは、どの業界でもわりと揶揄される。理屈ではなく感覚で「あまり人前で言わないほうがいい」話だ。陰で・こういう場所で・こういう機会で話す。要らない干渉を受けなくて済むように。
苦笑を少しだけ混ぜ入れた微笑を酌み交わす。
「自腹で学術活動や研究活動をやってはだめだよ、雑誌の投稿料金も、出張費も、そういうのはシステムでやらないと、自分はよくても下が苦労するよ」という話をこれまでたくさん聞いた。本当にたくさん聞いた。言いたいことはわかるが私の感覚と合わない。「仕事ばかりではだめだよ、きちんと遊ばないと結局大きな成果が出せないよ」というのと似ている。たしかに、ちゃんと公私を切り分けて、メリハリをつけて遊んでいる人の中にも立派な仕事をしている人はもちろんいる。ではそういう人になることが目標なのかというと全くそういうことではない。立派な仕事をできる立派な人になりたいなんて思わない。そうじゃなくて私は人生をやりきりたいのだ。ここからは自腹になるからやめとこうとか、働きたいのはやまやまだけど休んだほうが結果的によくなるとか、そういって先送り、仕分け、貯金、配分、匙加減、そういったことで目が泳ぐ、靭帯が緩む、そういう一瞬を惜しむ。やりきろうと思い続ければたまに倒れる。でも、それでも、「倒れてロスする時間を計算しても」、トータルで見れば私は今のやりかたのほうがうまくいく。他人の理解はなかなか得られないが私はその生化学の教授の感覚がよくわかった。同類にしかできない寄り添い方というものはあって、それは「わかる」と言いすぎないことだ。本当に振り切ってやりきろうとしている人の行動は他人が目で追うことができないくらいにすさまじい。わかっているようで本当はわかりきらない。やりきることでわかられきらない。