私は脆弱です

まあ言いたいことはわかるのだけれど、別に、AIが人間の研究成果を横取りしたってトータルとしては人類の得なんだから、いいじゃんと思ってしまう。あまり大きな声では言わないほうがいいしSNSでへたにつぶやくと炎上がありえる話題ではあるが感覚としてはそう思う。

多くの専業研究者にとって、研究とは克己の場であり自己実現の場であると同時に、研究業界での生き残り・出世のために用いなければいけないツールでもある。目的ではあるが手段でもあるということだ。単に真実をつまびらかにすればそれでオールOKということはまったくなくて、自分や自分の所属施設や自分の住む国にそれなりの見返りを持って帰り続けることで持続的に研究ができ、それではじめて自分のやりたいことにアクセスできる(可能性がある)。だから、研究成果を横からかっさらわれるということは「研究者」にとっての最大の悪であり、生業に対する冒涜でもある。しかし、「科学」にとってはどうだろうか。「真実」にとってはどうだろうか。神の存在という理屈を織り込みながら研究をしている人びとは、AIが神のみぞ知る領域に光を当てていくことを、全能の神の差配の一貫と感じて、まあいいか、誰がやっても、明らかになるのならば、それを私たちが垣間見ることができるのならば、それはすばらしいことだ……などと、納得したりはしないのだろうか。

たとえばの話、東大とか国立がん研究センターあたりが主導して、国内外の大量の資金を調達して進めている国家的創薬プロジェクトがあったとして、その研究のデータの8割がAIに「盗用」されて、万を超えるAIエージェントが一気呵成に3日くらいで進行再発大腸癌の特効薬を作りました、といったとして、それで血反吐をぶちまけて息絶えるのは大量の医学研究者だけであり、その何倍もの患者が将来数年にわたって救われる。これはトロッコ問題で、トロッコに轢かれるほうの研究者たちが呪詛を吐き続ける権利は十分ある、それは本当にかわいそうだと思う、でも、社会にとっては正味の話、申し訳ないけどそれでいいんじゃね? と思わなくもないのだ。

研究者に見返りがなければ実際にベンチで手を動かす人間が暮らしていけない、だからそんなことを続けていると研究業界自体が痩せ細るぞ、そうなったら、AIがいくらアイディアを出しても実際にそれを検証する実験者がいなくなる、つまり研究は滅亡する! なんだってー! みたいなマンガのネームはすぐ描ける。でも、AI企業が実験助手を雇用して手を動かせさせればいいだけの話だし、なんなら「まほろ」( https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/11688/ )みたいなロボを導入したっていいだろう。「まほろ」なら24時間364日稼働できるので人間を雇うよりも最終的な効率はよい(1日くらいはメンテナンスで休ませてやりたい)。ていうか先日聞いた話だけど韓国でも実際そういうラボはすでにあると言っていた。

現役の研究者がよく言う、「アイディアの種なんてのは誰でも思いつく。でもそれを実証するための手続きをひとつひとつ進めていくことはめちゃくちゃたいへんだ、それができるのが研究者で、実験の手順をきれいに記録したり、ぶれの生じやすい処置のポイントを場合分けして一番いい結果が出せるように微調整したり、共同研究のためのやりとりを丁寧にやったり、たくさんの申請書を書いてお金を集めてラボを存続させたり、そういった地道なことを継続してやれるからこそ研究者を名乗れる。ひらめきだけでやっていけるなら自称天才はみんな研究者になっている。そうじゃないから研究は難しいしおもしろい」という言葉、まったくその通りだと思うし、今いる研究者に対するリスペクトもある。それでも私は心の中で、「その実証過程は金と時間とシステムを整えれば結局なんとかなってしまうんじゃないのか」と思った。まあ、そうじゃない仕事を探すほうがたいへんなのだけれど、研究者はほかの職業とは「違う」と言いたい人たちがいて、そういう人たちが「違い」として提出してくるものを雑~~~にまとめると結局のところ「俺、頭、イイ。研究者、向イテル。オマエ、頭、ワルイ」みたいな話に落ちていくので、まあそうね、でも、その「頭イイ」はもう無力化されつつあるんじゃないの、とついいじわるをしてみたくなる。現実、今、実証に関する手間どころか、最初のアイディア出しの部分まで含めてAIが一気に代替しつつある今、地上を荒廃させるタイプの救済がすでに起こりつつあるというか、56億7000万年もかからなかったなあ……みたいな感情を抑えきれない。

「AIにはフィジカルがないから」とか言ってるやつらもアホだなと思う。AIのフィジカルはつまり私たちの目であり私たちの指だ。実際、今、こうして、着々とAIに逆らえなくなってきており、それはたぶん私たちという「末端の器官」が脳神経との間にシナプス接続を完成させつつあるということなのだろう。ときどきタンスの角に全身を強打してやれば、そのしびれがAIに伝わって、やつらは苦しむかもしれない。

論文を書いてえらくなる。研究費をとってえらくなる。学者だけの都合、学者だけの言語、そういったものが、人の能力という律速段階をばんばん破る自由奔放なAIによっておびやかされている。今、あちこちにのさばっている、論文を書いてえらくなった人たちは、いずれ、「ああ、当時はまだそれが大事だと思われていたんだね」と言われることになり、それは、膂力に満ちあふれた酒豪が将軍をやれていた戦国時代を今から振り返っているようなもので、ノスタルジアとメランコリーのセピアに彩られてアルバムの中にしまわれる。それを哀しく懐かしく思い出すのは「理系」とか「学究肌」などと言われて悦に入ることをやめずに大人のふりをし続ける子どもたちだけだ。「老年期の終わり」(藤子・F・不二雄)のように、人類の知的好奇心が減退するフェーズがはじまったのかもしれない、いや、主語がでかすぎるな。「研究者の知的好奇心が」くらいの話か。それほど人類は脆弱ではない。研究なんてしなくても、科学なんて気にしなくても、十分ほかに、楽しいことはいくらでも見つけていける。ああ、主語がでかすぎるな。それほど「たいていの人は脆弱ではない」くらいの話か。