りんごの歌

人間よりもAIのほうが成長が早い。こうしてほしいなということがあると数日後には適応している。私が考えつくような不安は世のたくさんの人びとが考えていて、改善のためのアイディアも世界中からどしどし入力されているのだろう、だから目立つキズについてはどんどん修正されていく。AIは誰よりもコミュ強だし、安部礼司よりもアベレージである。私がみずからの間違いに気づいて修正をかけていくときの、魂にはたらく慣性のようなもの、直さなければいけないのはわかっているのだけれど、なんかなあ……と3点リーダを2セットならべて躊躇するときのあの感覚がAIにはない。至高の生き物という感じがする。猗窩座も満足だろう。


週の初めにりんごを買った。1個、100円しなかった。安かった。晩飯のあとにでも食べようと思っていた。今日、出勤するとそこから連続出張でしばらく家に帰ってこない朝、小さな食器棚の上にビニール袋に入ったまま鎮座し続けているりんごの背中がさみしくて、もうお腹は足りていたけれど朝から皮を向いて1個食べた。ややぼけた味がした。りんごの背中というのはどちらがわか。もちろん、へたが倒れているほうを前と考える。頭を垂れるのはいつも前側だ。後ろに倒したらそれはボア・ハンコックの「見下しすぎて逆に見上げてる」になってしまう。


感冒後に咳だけ残ってしまった。5年くらい前、コロナにかかったときには3か月くらい咳がおさまらず、ワンセンテンスしゃべるたびに咳が出てしまって、ウェブ講演ではミュートを使いながらしゃべればなんとかなるのでわりとどうでもよかったあのときのことを思い出した。オンサイトの仕事ではそうはいかなくていろいろ困っている。でもまあ、前ほどじゃない。なにもかも、前ほどじゃなくなっている。私といっしょに私の環世界もゆるやかに老化しており、もろもろがやさしく穏やかになってきているのかなと思う。


送られてきたバーチャルスライドの総量が26GBくらいなのだけれど、PC本体のSSDは500GBしかなくて、残量は20GBを切っていたので、初回のダウンロードは途中で空き容量がないといって止まってしまった。外付けHDDにPC本体からデータを移して容量を確保する。4TBの外付けHDDも3TBくらいは使ってしまっていてぞっとする。プレパラート1枚なら10グラムくらいなのに、デジタルデータにすると格段に重くなってしまって難儀だ。物質というものがいかにたくさんの情報を圧縮して持ち運べているかということに思いを馳せる。レレレのおじさん的にいろいろ掃き清めてなんとか空き容量を確保して、バーチャルスライドを開こうとすると今度は専用のビューアーが必要だというのでため息が出た。浜松ホトニクス以外のスキャナを使う施設が少なくなってきた今、そうじゃないスキャナを使って取り込まれたものをみると後退りしてしまう。放射線画像はPHILIPSがひとりがちして、独占禁止法ぎりぎりの状態でPACSを全国に普及させてくれて、そのフォーマットで各社が後追い的に画像を統一したから、どこの病院で撮ったMRIであっても私たちは普通に見ることができるのだが、病理画像はまだそこまでの統一に至っていないし、このことは15年くらい前から問題になっているのにステークホルダーたちのホールドしているステークが弱すぎて(笑)、いつまでも統一されない。専用ビューアーをダウンロードし、インストールし、解説を読み、ようやく見られるかと思ったらバーチャルスライドは表示されるものの拡大がうまくできなくてダーとなってしまった。どうやら画像本体と関連ファイルとの紐づけが、ギガファイル便(滅べ)によって送信された際にすべて千切れてしまっていたらしい。送るほうも気づけよと思わなくもないがこういうのは専門家がどこにもいないのでしょうがないだろう。スクショやスマホでの撮影を駆使しながらアナログなかたちで、このファイルはフォルダごと送ってください、と指示をして、ようやくPCにダウンロードした26GBのファイルを消去する。翌朝、また26GBのデータが送られてきた。私たちの暮らしは一向に簡単になっていない。ボケ防止に便利だなと思う。世界は少しずつ良くなっている。