アイディアを出すだけなら

Windowsのエクスプローラーがハングアップしている。ブラウザならまだしも、ふつうのファイルの入ったフォルダが固まるというのはちょっと珍しい。ただまあ今「ふつうのファイル」と書いたけれど、このファイルというのはバーチャルスライド、すなわち普通は顕微鏡で覗くプレパラートをPC上でぐりぐり見てしまえるデジタルファイルだ。対物レンズ20倍で簡易的に取り込んだものとはいえ、ひとつあたり200MBくらいはある。それが1症例につき10とか30とか60といったオーダーで入っている。あんまり普通のファイルではない。だからハングアップしたのかな。だとするとこのPCもそろそろ買い替えないといけないな。

4TBの外付けハードディスクだがもう半分以上埋まっていて、残りは1.5TBくらい。これを落っことしたときに失われる情報量、私の人生をすべて書き込んだ日記よりもたぶん多いだろう。それほど働いたという気はしないんだけどな。どうも、なんだか、どでかい数字の上でころころ笑ったり遊んだりしているだけのような、ハッタリというか、ハリボテというか、そういったものを感じる。

デジタル病理というのはとにかくハードディスクの容量が要る。近々、実験のためにPCを買う予定があるのだけれど、共同研究先に、「強いメモリ、でかい容量、強いI/O、強いGPU、そしてUSB 3.0のポートは必須」みたいなことを言われて笑ってしまった。40~50万くらいのゲーミングPCだったらエントリーモデルにはなりますよ、みたいなことも教えてもらって真顔になった。とあるラボの人は、「ふつうにスパコンを借りますよ、申請して、順番待ちをして」みたいなことも言っている。もう、そういう世界なのだ、病理というのは。誇らしい感じはしない。いじましいというか、さもしいというか、わびしいというか。

エルキュール・ポワロのように「灰色の脳細胞」だけで戦えたらどれだけよかったろうと思う。

アイディアを出すだけなら誰でもできるんだよ、実際に手を動かして、論文にして、たくさんの事務的な手続きを乗り越えて、業績にするまでが大変なんだ。先輩はそう言った。私はいまだに納得できていない部分がある。「診断」を出すだけなら確かに誰でもできる、AIでもできる。でも、診断に結びつけるための「所見」を拾う作業は、ほんとうに誰にでもできることなのだろうか。できるんだろうな。膨大なメモリとキレキレのCPUをぶん回せば、大学院生にもできることなのだろうな。

ぶつぶつつぶやきながら所見を拾って、ちまちまパワポに書いていく。誰にでもできること。誰にでもできること。彫刻刀で版画を掘っていくように。プレパラートの写真を撮ってならべて、画像と比べながら、どの染色を用いてどういう解説をしたら専門家がすぐにわかってくれるかを考える。誰にでもできること。誰にでもできること。もっとこういう検体の採取をしてくれたらいいのになという夢をみる。もっとこうやって画像を撮ってくれたらいいのになという希望を集める。逆に、私はこの病理をしゃべることで臨床医たちに何を尋ねられるだろう。何を求められるだろう。誰にでもできること。誰にでもできること。

いま、毎日ブログを書いていることだけが、あとで、私があのころ病理医であったという証明になる、そんな可能性は十分にある。誰にでもできること。誰にでもできること。