積ん書く

寝起きの保安官「ホアーン」


をXに投稿してきたところである。そのままブラウザを閉じずにブログフォームを開いてこちらにも書き留めたのが上の一行だ。水曜日の朝、8時25分。あと5分でいったんブログをやめて出張スタッフにあいさつをしたり本日の切り出しの予定を確認したりする。なんでこんなぎりぎりにブログ書き始めるのかと自分でもちょっとふしぎだけれど、こういうのはひとまず一行でもワンフレーズでも書き始めておいたほうが、のちの自分にとってラクである。



戻ってきたので続きを書く。「冒頭だけ書いて放置する」というのはなんとなく、「積ん読」と似ているのではないかと感じた。

本を買ったまま所定の位置に置いて(積んで)、そのままなかなか読み始めず、ときおり表紙をちらっと見たり、スマホで作者の名前を見るたびにあっそろそろ読まなきゃなと思い直したりしながら何日も、ときには何年も過ごしてしまう「積ん読」。買って積んでいるだけで読書になっているというのはさすがに言い過ぎだろうと思っていたけれど、買う前の精神を高めていく時間が読書と一連の思索になっているというのを近頃はなんとなく理解できる。私は積ん読は基本的にやらないが、いつか意図的にやってみてもいいかなと思う。

翻って先ほどの私の、ブログを書き始めた状態で放置している状態も、「積ん書く(つんかく)」と言って差し支えないだろう。冒頭を書いて「積む」。あとで書かないとなーと心のどこかで気にしながら、1日もしくはそれ以上の時間をなんとなくそぞろに過ごす。この過程はたしかに執筆とひと繋がりの思索である。

これまで縁あって商業的に書いてきたものはどれも、「依頼が来る前に頭の中でおおよそ書き終わっていたもの」ばかりである。『いち病理医のリアル』、『病理医ヤンデル先生の医者・病院・病気のリアルな話』、『どこからが病気なの?』、『病理トレイル』、『ようこそ!病理医の日常へ』など、エッセイ仕立てのものは一般書・医学書を問わずどれも依頼から3週間くらいで原稿を書き終えた。いずれも頭の中でずっと考えていたことを書いたから早く書けたし、早く書きすぎてしまったという気もする。たとえば当時、一行目を書いてしばらく積んでおく「積ん書く」をしていたら、もっとひねくれて込み入って、ねじまがった末に何かをこじ開けるようなものが書けたかもしれない。そこまでしなかったから多くの人に読みやすくおもしろかったと言っていただけるものが出せたこともまた事実であるが、「書くために積む」ということができるほどの忍耐力は当時の私にはなかったのであって、このほうがいいからと選択したわけではなくそれしか選択肢がなかったのだからいいも悪いもない。

「書けたものから順番に出すやり方」しかできなかった私が、これまである程度の方々に喜んでいただけたということが幸運なのだ。感謝しかない。そして今後は、そこに甘んじていてもいけない。「積ん書く」によって自分から何が出てくるのかを知りたい。「積ん書く」によってどこまでたどり着けるものなのかを見てみたい。


もっとも、最近来たいくつかの執筆依頼は私より若い人にゆずってしまっている。現時点で医学方面の本の依頼を3つ受けており、それらはもうプロジェクトがはじまっているのだけれど、それを除けばこの先もう、新しいものを書いてほしいという依頼は来ないかもしれない。来てもいない依頼に備えて自分の書き方を考えるなんて、それこそ、「積んでもいない、というか買ってもいない本をいつか読んだときのことを妄想している」ような状態である。これになんと名前を付けたらよいだろうか。読書界隈では「本屋に積ん読」とか「図書館に積ん読」という言葉があるそうだ。執筆に当てはめるとしたらなんだろう。「取らぬ狸の皮算用」でよいではないかという気もする。

YAWARAの診断

IgG4関連疾患という病態がある。診断は集学的に行う。血液データだけを見てぱっとわかるとか、病理組織像だけ見てバチンと診断できるという病気ではない。「合せ技一本」みたいなイメージで。小外刈りで有効、小内刈りで効果、内股で技あり、一本背負いで技あり、合わせてようやく一本! みたいな診断の仕方をする。


ここで我らが病理診断は、決定的な答えを提供してくれるツールにはならない。しかし、昔も今も、有効であることは間違いがない。うまく決まると技ありくらいは取れる。


ただし昨今のIgG4関連疾患における病理診断はどんどん難しくなっている。


柔道のたとえをそのまま続けると、昔はその名の通りIgG4(免疫グロブリンG4分画)というのが診断のカギであり、「一本」に限りなく近い結果をもたらした。免疫組織化学という手法で、病変と目されている部に対して、「IgG4タンパクがあればそこだけ色がつく」という特殊な化学処理を行う。IgG4を持つ形質細胞が、顕微鏡で倍率400倍にした視野の中に10個とか20個とか存在すれば、それだけで「ああ、IgG4関連疾患ですねー」という具合で、診断に大きく近づくことができた。開始40秒、大外刈りで一本である。


でも今はそうはいかない。こんなにシンプルだと精度が保てないことがわかってしまった。


説明が前後するけれど、IgG4というのは、「免疫戦隊グロブリンG」の4番目のメンバーである。G1, G2, G3, G4といて、それぞれ微妙に異なる役割がある。IgG4関連疾患というのは、IgG4がたくさんいればそれで成り立つというものではなく、IgGの4つのサブタイプのうちなぜかG4分画だけが割合多く増えるというのが大事らしい。

つまり「免疫戦隊グロブリンG」すなわちIgG全体を分母とし、IgG4がそのうち何%くらいあるかを検索するのである。ヒーロー大集合モノでピンクの戦士だけが妙に多ければ「なにかがおかしい」と感じるだろう、そういう感じだ。IgG4の総量だけではなく、IgG4/IgGの比を見る。

となれば、自然と、染色1種類だけで検査を終えることはできなくなる。IgG4だけではなく、「IgGすべてに反応する抗体」を用いて、分母の計測をする必要がある。

ただこのIgG染色が激烈に難しい。まさかのトラップである。IgG4はむしろ簡単に染めることができるのだが、IgGを正確に・きれいに染めようと思うとコツが必要になる。この段階でいくつかの検査室では、「病理組織中のG4分画の割合? なんか……よーわからん」となってしまう。一本どころではないのだ。


それだけではない。別の問題もある。というか、次に語る内容こそが、「病理診断だけで技あり以上をとるのが難しくなってきた理由」であると考えている。


IgG4関連疾患に類似した病像を示す、ほかの疾患がある。たとえば「特発性形質細胞型リンパ節症 idiopathic plasmacytic lymphadenopathy (IPL)の病型をとる特発性他中心性キャッスルマン病 idiopathic multicentric Castleman disease (iMCD)」、すなわちiMCD-IPLという病気だ。うんざりしただろう。大丈夫、私もこの話をするときはいつもうんざりしている。

IPLとかiMCDだけではだめなのか? と聞かれることもあるが、歴史を知っていると、ごめん、だめなのだ、とお答えせざるを得ない。一時的に曹操の下にいたときの関羽が顔良と文醜を斬ったがこのとき劉備は袁紹の下にいたので、関羽は劉備の仲間を斬ったことになる、けれども関羽からしてみれば「あくまで一時的に曹操の客将であったに過ぎず心は劉備の下にあった」と言いたくなることだろう。そこを省略して「関羽は劉備の同僚を斬った」とは言わないのと一緒だ(?)。「曹操配下時代の関羽」と限定する感じで「iMCD-IPL」と言ってはじめて伝わる義兄弟の情みたいなものがある(???)。

さてiMCD(-IPL)はIgG4関連疾患とは治療法が異なる。IL-6受容体拮抗薬であるトシリズマブなどを使うことがある(と聞いている)。したがって、きちんとIgG4関連疾患とは区別しなければいけないのだが――


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( 'ㅅ') 

どうせ誰も読まなくなったタイミングで

登場する突然の無意味なうさぎ


じつはいやらしいことに、先に述べたIgG4免疫組織化学やIgG4/IgG比などは、iMCDでも異常となりうる。これまで大半の病理医は、「IgG4を染めて、IgGと比べてくれればいいですよ」などと言われてその通りやっていたのだが、この検査結果が陽性だったからといって、IgG4関連疾患と決めつけることはできなくなった。一番見分けたい別の病気を見分けることができないからだ。したがって病理医は、機械的にIgG4の免疫組織化学をして検討するだけではなく、もっと虚心坦懐に、細胞のおりなす配列やら高次構造やら、全体のテクスチャやらアーキテクチャやらをたくさん見て考えなければいけない。

しかしいまさらIgG4関連疾患とiMCDの細かい差を見分けてくれと言われても、これまでぬるく診断していた病理医のスキルはそこまで育っていない。

これらを見分けようという試みはこの10年ちょっと、一部の重箱の隅でコマゴマチクチクとやられてきたのだけれど、その試みをすべての病理医が追いかけていくというのはどだい無理な話だ。専門性が高すぎる。

しかし、それでもやる。なぜなら、主治医が、「なんとか見分けられないか」と言うからだ。超・専門家ではなく、われわれ、市中の病理医に対して願うからだ。

しょっちゅうあることではない。しかし、たまにある。数年に一度くらい。

「IgG4だと思うんですけど鑑別はiMCDです、病理組織学的に特異的所見ありますか?」のような依頼書が舞い込む。出、出~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~何意味不明特異的所見探訪所望奴~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~と思うがむりもない。臨床医を責めてもしょうがない。


とにかくこの病気の診断は「合せ技」だ。ただし診断においては、主治医がひとりですべての「技」をかけることができるわけではないということなのだ。小内刈りで重心を反対側の足に寄せておいたところに内股をしかけてふんばるところを一本背負いするから一本が取れる。できれば小内刈で効果を、内股で有効をとっておけば、相手はゆさぶりから必死で逃れようとするから、最後の一本背負いで技あり以上がとりやすくなる。このような「順を追って退路を断っていく」ような診断をするにあたって、小内刈りと内股までは主治医ができるが、一本背負いだけは病理診断が担当しなければいけない、というイメージだ。おわかりだろうか? 診断は柔道とは違うが、たとえをこのまま続けると、「襟から手を離して袖を引っ張り込めるのは病理医だけ」みたいなことがたまに起こる。花筵状の線維化や閉塞性静脈炎を見つけつつ、好中球や壊死などの陰性所見がないことを念頭に、IgG4陽性細胞の比率や分布をちまちまカウントしていくという技術は、言ってみれば「最後に一本背負いが来るとわかっている相手をそれでもぶん投げるためのキワキワの一本背負い技術」だと言える。主治医は一本背負いに関しては病理医に「外注」し、あるいは自らは巴投げや横四方固め、奥襟じめなど別のやりかたで一本を取れないかと、私たちに外注して少し楽になった分で、虎視眈々と違う技のかけかたを考えている。そういう難しい状況で、「一本背負い行けそうならぜひ行っちゃってください!」と「外注」されているのが私たち病理医なのだ。私たちはそれを意気に感じる必要があるし、時代の要請に応えてその時点での最高のスキルで技をかけていく必要がある。まあ診断は柔道とは違うんだけど、だいたいそういうイメージで――


――あっ剣道に例えることもできるな、北辰一刀流の「セキレイの尾」を現代風にアレンジして、表の面に視線をあわせたあと裏の小手に行くと見せかけて裏からの面に飛ぶときの「小手をちらちら意識させる」部分が病理医である、みたいなたとえも、あっいや逆胴のほうが伝わるだろうか――

落日の病理医

昨年のいまごろはたしか半年先の講演プレゼンを作ったりしていた。しかし今年は1か月後に迫った病理学会の準備をまだしていないのだから、この1年でずいぶんと堕落したものである。ほかにも、某学会から依頼された総説論文のしめきりが6月なのだが、これもまだ何も取り組んでいない。資料すら集めていない。

去年ならありえなかった。早めに取り組まないと不安でしょうがなかった。

でも今は、なんか、「どうせできちゃうだろうな」という確信があり、むしろ、「あんまり早く完成させても当日忘れちゃうからなあ」くらいの達観までして、意図的に仕事の開始時期を遅らせたりしている。

そこまで悪いこととは思わない。

少しだけ「待てる」ようになってきたことは私の体にとってはすごくいいことだろう。過剰な負担を回避できる。

しかしさみしいことだと思う。

しゃにむに突っ込んでいくバイタリティを失ったようにも感じる。

仕事にどれくらいの労力をかけたらいつ頃どこまで完成するだろうかという読みがかなり上手になってきていることは、リスクマネジメント的には満点だ。

依頼を受けてすぐに「完成図」が描けると、逆算して、だいたいいつ頃から取り組めばバッファ込で間に合うだろうという見込みが立つ。

だから悪いことではない。

そしてそれ以上にさみしいことである。

「うまくいくだろうか」という不安、「ちゃんとできるのだろうか」という緊張感が日に日に失われている。



先日、某大学の基礎講座にたのまれて、Zoomで30分程度の講演を行った。学生の基礎配属実習の一環であり、聴講生は医師や医療者ではなく医学生であった。依頼を受けてから講演の数日前まで、スケジュール的には覚えていたのだが肝心のプレゼンをどうするかということをほとんど考えていなかった、というか、正確には依頼を受けた瞬間に「ならばあの話をしよう」と思って安心してしまい、数日前にZoom URLが無味乾燥なメール本文と共に送られてきてはじめて、「あっ、プレゼン作らないとな」と遅まきながら思い至った。

プレゼンは過去に別の場所でしゃべった内容をもとにいろいろと手直しをした。使いまわしではない。症例が古すぎると思えば差し替えるし、まとめに至る論理がごちゃついているなと思ったら大胆に順番を入れ替えたりカットしたり、実例を付け加えて「概念み」を薄めたりする。この作業は1日かからなかった。

当日もプレゼンはとどこおりなくすすんだ。とどこおりなさすぎたとも言える。よどみなくしゃべりきったプレゼンの最中は小さい笑い声も聞こえてきて、事前に想定していた反応はおおむねいただけた。質疑応答は一切なし。正確には、時間はもうけたが、学生からの質問はなかった。落語や漫談を聞き終わったあとに質問をする客がいないのと似ている、とふと思った。そしてZoomの回線を切ったとたん、猛烈なやりきれなさにおそわれた。

こんなプレゼンテーションで誰かの心が動くわけがない。

最近はなんでもそうである。無茶振りに答えて短い時間で猛烈な量のスライドを用意して講演をする。私を呼んだほうは私の講演内容よりも「私がしゃべって場をつないだ」ことで満足してしまっている。聞くほうもまたあまりにすらすらとしゃべり終える私の講演最中はもはやメモもとれず、一本のエンタメを見てため息ひとつついて映画館を出て楽しく家に帰るような感じになっていてあとには何も残らない。

案の定、2週間の実習を終えた学生からのアンケートには、私のことは何一つ触れられていなかった。当然である。よどみないということはすなわちひっかかりがないということだ。表面がつるつるすぎるラーメンにはスープが絡まない。



昔、ある宴会の席に、全国的な知名度があるお笑い芸人がやってきたことがある。その芸人が登壇すると、広い立食会場の前方には女性を中心に客が殺到してスマホで写真を撮り、芸人は慣れたものでいわゆる「音ネタ」をやって会場をわかせていた。営業1回で何十万か稼いで去っていったあと、宴会はとどこおりなく進行し、最後にはビンゴかなにかをやって会は終了した。駅までの道すがら、私は周囲の人びとがだれも芸人の話をしていないのを見て少しぼうぜんとしてしまった。あんなに有名な人が来たのに。しかし同時に、私自身もその芸人の「うまさ」と「場を作る力」にばかり感心していて、肝心のネタのおもしろさなどはもはや何も覚えていないことに気づいていた。

私があのお笑い芸人と同じレベルでしゃべっているなんて思わない。向こうは本物のしゃべりのプロである。しかし、学術講演で、豊富な経験をもとに、引き出しからなんでも出てくるぞとばかりに、とうとうと    、病理診断学のおもしろさや奥深さを語るという構成、めずらしさ、価値、そういったものが「なんのひっかかりも持たなくなりつつある」ということに、私はあのお笑い芸人と同じ位相の何かを感じた。話す方も聞く方も真剣勝負、うまくいくかはわからないがなんとか心に届かせてみせる、という渾身の何かが込められていない、技能と手癖、連想と反射でどうにかしてしまっている今の私の講演には正味で言うと価値がないのだ。



最近、やってくる仕事の多くを、私より若い病理医に振るようになった。依頼を受けた人たちはみな緊張したメールを返してくる。そして、ときに私に、「どうやって講演を作ったらいいか悩んでいます」と正直に内情を吐露し、私が過去に作った講演のプレゼンなどを見せてくれないかと依頼してくることもある。私はそれに応じて、だいたいこのような依頼のときはこういう感じでプレゼンを作るんだということを、具体的に見せて説明をし、いくつかのパワポをこっそり渡してあげたりもする。

しかし、私のプレゼンを参照したところで、「講演の形」をそれらしく整える役には立つだろうが、それ以上の場所にはたどり着けないのではないか、ということをよく考える。

聴衆が聞きたいのは、なんらかの縁あって登壇することになった人間が、依頼内容を自分なりにどう考えて、どこでどう戦って、何を生み出して、それをどうまとめてどう語ろうとしているのかという戦いの過程すべてである。「これで伝わるだろうか、これなら伝わるだろうか、これだと伝わりにくいだろうか、どうやったらみんなが喜んでくれるだろうか」と、頭をひねり、体をよじって、大量の口内炎をつくりながら講演前日の夜中までうんうん唸ってこねくり回した魂のパワポ、それはメイリオと游ゴシックが入り混じったような統一感のないスライドかもしれないし、引用文献のクレジットが間違っているかもしれないし、依頼の一部を読み違えていて見当外れな部分ばかりを解説してしまっているかもしれないし、本当に聴衆が聞きたいことからは1歩、2歩ほどずれているかもしれない、それでも、「確かに演者がそこで激突した」という衝撃が刻まれていさえすれば、講演というのは大成功であり、そうでなければ大失敗なのだ。

私はこの先、かつてほど苦悶して何かを作り上げて人びとの審査を待つような機会を得られるものだろうかということを、不安に思っている。査読論文に投稿することにもどこかルーティン的な「飽き」を感じるようになった今、講演も、解説も、すべてが白々しく思える。自分はもう折り返してしまったのだなということを残念に思う。それでもなお、十年一日の依頼に本気で答え続けることでしか、私自身の閉塞に点穴は開かない。私の没落を受け止めることができるのは私以外にはありえないのである。

脳だけが旅をする

「一人旅とは移動型の引きこもり」というツイートを見てのけぞってしまった。じつに納得できる。となれば、毎日働いているというのもある種の引きこもりだということにならないだろうか。私はなると思った。

職場というのは自分を出しているようで出していない場所だ。社交専用の外骨格をさらけ出していれば自分の内面を隠し続けることができる。そういうことだ。これは引きこもりの一形態だったのだ。


これまで、「仕事ばかりしてないで旅でもしてきたら?」に対して、何も言い返すことができなかった。一年に数度、決まった時期にスマホの電源を切って離島や海外に行くタイプの人びとが、私のようなタイプをどこか「不全な人間」といわんばかりに、「もうちょっと仕事以外のこともしたらいいのに」と口にすることに、私もおそらく内心では同意していた。返す言葉もないと感じていた。しかし、仕事だろうが旅だろうが、引きこもる場所や形態を変えているだけとなれば話は別である。

旅に出たところで、それは私にとっては、職場で引きこもるのをやめて旅先に引きこもることにしたということでしかない。肩の力が抜ける。

日常には転がっていない体験をすることはあなたを必ず変えるんだと言われても、旅と体験に投資をすればきっと将来自分は成長するんだと言われても、結局すべては引きこもりのサブタイプにすぎなかったのだから、そんなに気にすることはなかった。ずっと引け目に感じていた。言い返せないことが、思えばずっとつらかった。こんなに抑圧されていたのか、と驚くくらいに気持ちが楽になった。



言うまでもないことだが、旅が引きこもりの一形態ではぜんぜんないという人も世の中にはいる。しかし、『ぱらのま』の主人公が語っていたように、「旅先で自分が透明になる感覚」こそがリアルである人もいる。このことを、私はおそらく一生出会うこともないし出会いたくもないどこかの引きこもり仲間のために、書いて置いておかないといけない。



出張のときに小さなプロペラ飛行機に乗ることがある。ジャンボジェットとは異なり陸橋で直接飛行機にウォークインできるわけでは必ずしもなく、便によっては空港ビルを出てしばらく外を歩いて飛行機に乗り込まないといけない。屋外では地上職員たちがにこやかに案内をしながら、しかし油断のない目つきで、広げた両手を無意識に誇示しつつ、「もしこの客が発狂して滑走路のほうに走っていったらタックルして止めないといけない」と内心考えていることだろう。彼らの監視の目をかいくぐりながら視線をだだっぴろい滑走路のむこうに移すと青みがかった山が浮かんでいて、途中の市街地がなぜ見えないのか、いつも不思議な気持ちになる。滑走路は少し高床気味になっているのだろうか。そういうときにモンゴルの空港のことを思い出す。

これまで私は都合3回……だったと思う……4回だったかもしれないが……たぶん3回……モンゴルを訪れた。そのすべては仕事であった。基本的にホテルから出ることはない。現地の医師たちがトヨタのランドクルーザーでホテルの前に乗り付けて、モンゴルの伝統的な風景を見せてやると言って片道4時間かけてゲルの点在する草原まで連れて行ってくれたことがあるのと、大阪在住の医師と一緒にやたらと出てくるのが遅い肉料理を食った記憶はあるが、これらは例外的で、私はとにかく屋内にいて仕事をしていた。現地の医師たちの前で講演をし、病理診断に関する疑問に答え、みんなの前で顕微鏡を見て組織所見の解説をした。



私はかつてこれを「旅」だと思っていたが、やっぱりこれも引きこもりの一形態であったと言われれば全くその通りなのだ。



沢木耕太郎の深夜特急をはじめて読んだのは20歳のころである。おもしろいなとは思ったけれど、結局20代の後半までまとまった旅をした記憶はない。せいぜい剣道部で東日本のあちこちに遠征をした程度だ。今振り返ってみれば、この部活の遠征も、エクスキューズ的に観光やら食事やらをクローズアップして「旅をした」とうそぶいてはいたものの、たぶんやっぱり「引きこもる場所が移動しているだけ」だったのではないかと今なら思える。そこには部員がいたのだから一人旅ではなかったわけだが、そんなことは関係なかった。誰と一緒にいても私は常に移動しながら引きこもっていた。

そして私はいつも心のどこかで「旅こそが人生なのだ」と言えるタイプの人間にあこがれと圧迫感とを同時に覚えていた。毎週水曜日の深夜に水曜どうでしょうをおもしろく見ていたけれど、そのグッズの中に大泉洋のセリフである「何が起こるかわからないから旅なんだ」という文言が書かれているのを見て、それはちょっとわからないなと違和感を覚えたことを昨日のように思い出す。

私はずっと引きこもってきた。モンゴルの記憶は今はもうおぼろで、思い出すのはチンギスハーン国際空港のロビーの風景ばかりだ。やはりモンゴルは広く、滑走路の向こうには砂漠しか見えないと、写真すら撮らずにぼうっと見ていたあのときの気持ちが、最近なぜか出張のときにプロペラ機に搭乗するまでの数分に鮮明に思い出されるようになった。そのたび、「丘珠空港もたいして変わらないじゃないか」と、なぜかすごく悲しい気持ちになるのだ。


旅が人を変えると公言している人たちはいつ本当の意味で変わるのだろう。旅なんかしなくても人は変わる。旅によって変わるのは旅先で商売をしている人たちの幸福だ。それはとてもいいことだから、人助けと思ってどんどん旅をすればいい。しかし、「旅によって私は変わるのだ」という自分が昔から何も変わっていないことにも自覚的であったほうがよいのではないかと感じることはある。「旅が好きだと言う自分」に引きこもっているという自覚はないのかと問いただしたくなることは確かにあるのだ。そして私は引きこもりだから人と会話したくないので、目の前で旅の良さをとうとうと語られるときはいつもニコニコそれを聞いているのである。

グロテスクな病理診断と時おくれの病理診断

中井久夫『最終講義 分裂病私見』(みすず書房)138ページより引用。




”微分回路と積分回路の特性を初めて知ったのは一九九七年に物故された佐貫亦男(東大・日大航空工学教授)の航空計器について書かれたものによってであったと記憶する。飛行機の速度を測るピトー管などは微分回路で解析するわけである。

(中略)

私は一読して、分裂病親和者の行動特性と微分回路と、うつ病親和者の行動特性と積分回路とがそれぞれ実に似ているのに強烈な印象を受けた。微分回路の先取り性、きめこまかな変化を認知するが、無理に増幅するとグロテスクになる不安定性など、一つ一つが危機の時の分裂病親和者その人の行動特性をみるような思いである。リアルタイム(t=0)での絶対予測を求めると潰乱するといえのも、発病の直接契機そのものではないかと思った。

(中略)

積分回路のほうは、新しいものは過去の厖大な累積の中に消え失せるわけで、テレンバッハのいう「インクルーデンツ」(同一状況の中に包まれてある時安定する)と「レマネンツ」(つねに時おくれ)とをよく表していないであろうか。”




中井久夫(精神科医、元・神戸大学教授)にはこういうエグさがある。彼は精神科医であるが、物理学や応用数学、文化人類学、社会学などにおける思考特性を敷衍して精神領域の診療に取り入れるようなことをするのでゾクリとする。


「分裂病親和者」と「うつ病親和者」がどう違うかというのは、彼に限らず精神科医たちの注目の的であるが、これらの行動特性が「微分的」か「積分的」かという印象で語り分けられるくだりには有無を言わさぬ迫力がある。




中井久夫は、このページに提示された(最終講義の)資料で、微分回路と積分回路とをこのように区別している。




微分回路:


先取り。予測。きめこまかな変化を反映。ゲイン小。無理に拡大するとグロテスク。不安定。t=0における精密な予測を求めるとノイズを意味あるものとして拾って混乱。過去のデータを必要としない。(系統発生的先行性、個体発生的先行性が可能。)出力として使うと急速に衰弱。失調はいわば「アンテナの病い」というべきか。




積分回路:


時遅れ。照合。雑音聴取。ゲイン大。拡大に耐える。おおまか。安定性大。ノイズ吸収力が大で、それ自体がノイズを吸収するフィルターとして使われる。過去のデータの蓄積、依存。強大な出力源を長期にわたって維持。失調は、いわば「コンデンサーの病い」というべきか。




ぼくはこれらの仕分けをみながらぼんやりと、「顕微鏡的な病理診断」と、「肉眼解剖的な病理診断」とがこれらの分類にもあてはまるだろうか、ということを考える。




組織を顕微鏡で拡大するという行為は文字通り微分的である……場合がある。ぜんぶではない。細胞同士がおりなす形態を見ているときにはあまり微分をかけている感覚はない。しかし、細胞の核の形態に着目しているときはやはりこれは微分なのだろうなと感じることが多い。免疫組織化学でKi-67やp53の核内タンパク発現量を半定量的に判断しているときにも言えることだ。患者の中でこの病気がこれからどうなるかという未来予測をするためにやっていることとしてはあまりに繊細であり、ある意味グロテスクでもある。細胞病理学を果たそうとするときの私はおそらくアンテナになっている。何を感じ取るかという世界の話だ。ホルマリン固定によって時間が止められた世界における精密すぎる予測は、ときにノイズを意味あるものと考えすぎてしまい、大きく結果からずれてしまったりもするだろう。




解剖病理学は積分的である。人体各所の正常や異常が、その患者の人生と共に積算した結果そこにあるのが生命の残骸すなわち死体であるし、個体すべてが死んでいなくても、手術によって摘出された臓器の生涯は心血管系から切り離された時点で経験の蓄積を終了しているわけで、そこに見えてくる「マクロ像」はまさに積分的である。マクロは病態を完全に反映するし、分類は比較的容易で安定性があり、かつ、常に「手遅れ」である。




病理学者はいつだって遅すぎると言われたのは解剖病理学全盛時代のことだ。生検診断や遺伝子診断が優勢となった今、病理診断はむしろあらゆる検査を上回る推測能力を持つ。しかしそれはあくまで微分回路的な病理診断によるものであって、積分回路を用いた病理診断は昔も今もかわらずレマネンツでありインクルーデンツである。ポスト・フェストゥム的でもあるかもしれない。




中井久夫の最終講義は、精神医学にくらい私のような人間にもある種の光をもたらす。このように「しくみ」や「回路」を隠喩ゴリゴリで語ることには、現場の事象から遠ざかってしまう危険性を感じないわけではないが、当の中井久夫が抽象の人ではなく事象の人であることをしっかりとわかっていれば、私たちは概念に遊びすぎずにまた臨床の振動の中に身を置き続けることができるだろう。私たちはこの技術と精神をもっていったい何をどのように開こうとしているのか。私はこの先何にどこまで名前を与えてどこにどれほど分け入ってゆくつもりなのか。名づけ、分類に対して常に批評的な距離を保った先人たちの言葉に学ぶことは多い。