寝起きに詩

一日のなかで脳内に音が流れていない時間がどれくらいあるのだろうかと気になった。朝起きて意識のピントが合うころにはもう音が鳴っている。それは自分で選曲できるようなものではなくて、サカナクションの『アイデンティティ』のようにきちんとした曲がかかることもあれば、「バナナサンド」(テレビのバラエティ)に出てくる「あーたーま おしり あーたーま おしり あーたーま おしり あーたーま おしり 頭の文字はこ・ち・ら」のこともあれるし、スーパーの焼き芋売り場などで売ってる例のあのビープ音のこともあって、SFCがんばれゴエモン2の城の音楽であることもある。なぜかわからないのだけれど生理用品のCMで歌われている短いフレーズがずっと頭にこびりついている日もあったりして、それらが必ずしも前日の夜に聴いていた曲だとは限らなくて、ままならないものではあるのだが、とにかく何か音が鳴らない日というのはない。

これはどういう機能なんだろう。役に立つものだとは思えない。脳がなにかほかの機能を獲得する際に抱き合わせで獲得してしまった副産物だろうか。

音楽が鳴っていない時間は、「あー、今音楽が鳴っていないなあ」とは意識しがたい。不在には気づけない(話はずれるが、研修医が病理診断報告書を書いたときに「あの大事な項目を書き漏らしているよ」と指摘することは意外にむずかしい)。したがって、私の脳はどれくらい音なしで活動しているのか、その比率は正直よくわからない。けれどもけっこうな割合でなんらかの音が鳴っていると思う。

そして、音楽が鳴っていないときもよくよく脳内に耳を済ませてみるとやっぱりバックグラウンドでなんらかのリズムがずっと刻まれているような気がする。秩序立ったいわゆる音楽的リズムとは限らないし、あるいはもしかすると、耳のそばをながれる血管の拍動音を脳がノイキャンしきれていないだけのものなのかもしれないのだけれど、うーん、脈拍ではなくてやはり何かうねりというか、「拍を取っている」という雰囲気があるように思うし、つまりは曲が流れていなくても音は鳴っている。




私がこうしてブログを書いているとき、さあ、こういう文章を書こう、と頭の中で一文なり数個の文章なりを先に作ってからそれをキータッチするという動きにはなっていない。あくまで私の場合だが、文章を作るやり方は「ネームを先に作ってそれを清書する」のとは違う。文章を最初に生み出すのは脳ではなく、目と指の間の空間なのである。脳から指に「うまいこと前後のつながりが保てるようになんか文章を編みなさい」という委任的な指令を飛ばし、その後、脳のくびきから少し自由になった指がバカスカ文字を叩き出していき、脳がその様子を後方から眺めて、「今のはOK、イキ」「今のはNG、トル」みたいな感じで、ガスガス校正を加えていく、といった流れだ。指がつくる文章の真後ろにスリップストリーム的に伴走して文章の方向を適宜微調整していくというやりかたは、なんというか、スキージャンプにも似ている。ジャンパーがラージヒルからテイクオフして斜め下に向かってすっ飛んでいくとき、ジャンパーの重心は重力加速度と慣性によってほぼ規定されており、それほど大幅には調整できるものではないが、ジャンパーが体や足の角度をうまく変えて維持して空気を捕まえ、多少なりとも飛距離に影響を及ぼしていくという感じ。一連の「何をしても変えられないすっ飛んでいく現象それ自体と、飛行を少しでもよくしようとする能動的な調整との合わせ技で距離と飛型点を出していく」というやりかたは、私のブログの書き方ととてもよく似ている。

この、「指がすっ飛んでいくように文章を生み出していく後ろから意図をねじこませて微調整し、文章をなるべく先の着地点にうまいこと着地させていく」という過程で、私の頭の中にはなんらかの音が鳴っている。なんのためだろうか。あまり関係ない気がするのだが。

始終音を鳴らすためにも脳はある程度エネルギーを消費しているはずである。そうまでして、なぜ音を鳴らしているのかはいまいちわからない。



音は四六時中である。では映像のほうはどうなのかというと、私の場合、脳内になんらかの映像が常時映っているということはない。朝起きてなにかのイメージに包まれるということはまずないし、たとえばこうして文章を書いていても、脳内に風景が展開されていくことはじつはまれである。

これは私の器質だろう。予想でしかないが、似顔絵のうまい人や写真をよく撮る人は、私が脳内で音を鳴らしているタイミングでたまに映像を思い浮かべるのではないかと思う。映画監督などもそういうタイプなのではなかろうか。たずねてみたことはないのだが。




横山光輝三国志で、劉備玄徳が諸葛亮孔明の庵をたずねると、孔明は午睡の最中であり、玄徳は孔明が起きるまで庵の外で立って彼を待つ。目覚めた孔明は少し伸びをするとなにやら詩を口ずさむのだが、子供の頃の私はそれにびっくりした。「起きてすぐに詩!」 しかしおそらくそういう人も世の中にはいるのだろう。何の役に立つのかはわからないが私の脳が常になんらかの音を刻んでいるように、目覚めてからふたたび眠るまでの間にバックグラウンドで詩をつくっている人も、おそらく映画を流している人もどこかにいるのではないかと思う。お互い苦労しますな。変な脳を持って。

違っていてもいいんです

『宝石の国』が完結した日、ハッシュタグを追いかけていると作者の市川春子先生のことを「市原先生」とまちがって投稿している人がたくさんいて笑ってしまった。私は市原なのだがよく市川と呼ばれ、頻度というかありふれ加減でいうとたしかに市川のほうが市原より多いのでまあしょうがないかなあとは思っていたのだけれど、市川の側もたまに市原と呼ばれていたのだということをはじめて理解した。逆はないだろうなという偏見があった。そりゃそうだよな。まちがいが生じるときはいつだって双方向だ。似ているものどうしは互いにめんどくささを背負っている。市原だけが苦労してきたわけではなかった。

ちなみに同じ日、NHKの「あさイチ」で、舞台の都合でお休みを取っている博多華丸のかわりに川平慈英が司会をやっていて、こちらもトレンドになっていた。ものまねされる方がものまねする方の代役で出るというベタベタの仕掛けだが、視聴者は実際こうしてわかりやすく反応して楽しむ。「ものまねされる方の心理学」みたいな新書を出すと1回くらいは重版できるかもしれない、と、ふと思った。


似ているもの、似ていないもの、それぞれをくらべる仕事がある。


2009年の『胃と腸』44巻4号(増刊号)に―――胃と腸というシンプルなタイトルの雑誌があるということに今更だが驚く―――、九州がんセンター放射線科の牛尾恭輔先生が、「早期胃癌と先達者から学んだ形態学の意義」という序説を寄稿している。牛尾先生が30代前半のころ、白壁彦夫・市川平三郎という早期胃癌研究の二大巨頭と邂逅したときの話などが書かれており、医学論文というより滋味深い随想として読める。消化管の診療にたずさわる医療者は探して読んでみるとよいし、医療人類学とか医療社会学をやっている人たちであってもおそらく普通に読めるだろう。

この中に、「消化管の診断学における ”比較” と ”対比” の議論」という稿がある。以下、すこし引用する。


**(引用)**

「広辞苑」では、 ”対比” と ”比較” の違いについて、次のように記述されている。 ”対比” とは、2つのものを比べること、相対すること、であり、その根底には違った性質(または量)のものを並べること、その差異が著しくなる現象を示している。すなわち ”対比” には、違いを浮き彫りにするという考え方が入っている。これに対し ”比較” には、比べること、比べあわせて考えることが重要視されており、その根底には、統一的なものを見出そうとする意図が入っている。ゆえに ”対比” が ”学” として成り立ち難いのに対し、 ”比較” には自然科学、人文科学の分野で種々の ”比較学” が存在している。

**(引用おわり)**


「対比」とは似ていないものどうしをくらべることで、「比較」は似ているところどうしを突き合わせること。そこまで普段はあまり考えていなかったが、「対」という漢字のせいか、確かにそういうニュアンスはあるかもなと納得する。

つづいて牛尾先生は、白壁彦夫(順天堂大学)先生の話をする。白壁先生は、「比較診断学」という言葉を提唱し、当時の消化管医療を文字通り牽引した存在だ。ここでまた ”比較” という言葉が登場する。

なぜ、対比ではなく比較なのか?


白壁先生は、消化管の放射線診断学の創成期において、

「胃の経験を大腸診断に応用できるし、逆に大腸の経験を胃にも生かせる。ここに比較診断学が成り立つ」

「胃における線状、単発、多発による変形も大腸に自在に適用できるし、屈曲や捻れの要素を加味した読影を他部にも応用できる。いわば病像の拡大解釈の方向に進むのである。これが比較診断学の骨子である」

と述べた。

共通点を見出して応用性を高めたいからこその、比較。比べあわせて統一的なものを考えるために、比較。

だから比較なのだ。

胃には胃の専門家が、腸には腸の専門家がいた時代に、それぞれの得た知見を持ち寄りながら、X線という共通の旗印のもと、なにか統一的で系統立った診断学を確立してやろうという気概が、「比較」という言葉の中に込められている。


続けて牛尾先生は、

「これらの思想は、決してただ単にX線診断学にのみにとどまるものではない。内視鏡からみた、また病理からみた比較診断学もある。さらにこれらを統合するものとして、全消化管の比較診断学があると思っている」

と述べている。



私はこれをはじめて読んだころ、自分のライフワーク(臨床画像検査を病理組織像と照らし合わせる仕事)は「対比病理学」だと思っていた。

だから、まずは、「対比ではない、比較だ」と述べた牛尾先生の話に感じ入った。でも、すぐに、「いや、私のやることは対比病理学でよいのではないか」という反発があった。

大義があったわけではない。字義だってそこまで調べていたわけでもない。

でもニュアンス的には、私のやりたいことはやっぱり比較ではなく対比だった。

私は、比較という言葉に、似たところを探しながらも優劣を付けるようなニュアンスを感じていた。あの大学とこの大学を比較するとやっぱりこっちの方が上品だよな、とか、あの野球選手とこっちの野球選手を比較するとこっちのほうが得点圏打率が高いよな、みたいな使用法が念頭にあった。

比較人類学とか比較社会学と呼ばれるものがしばしば「欧米・白人の価値観で、勝手に未開と呼ぶ地域の人たちをはかろうとすること」として怒られてきた歴史を、今ならば思い出してもよいかもしれない。

一方で、対比のほうは、「見比べる二つがわりと違うからこそ、かえって対等」な気がした。あなたはあなた、私は私と各個に成り立っているものどうしをあえて対置・対座・対面させるという雰囲気の言葉だと思ったのだ。



私の個人の印象はさておいたとしても。牛尾先生や白壁先生がいうような「比較とは比べあわせて考えること」という辞書的な字義だけで考えてもなお、私は臨床画像と病理組織像を「統一のために」照らし合わせるということに違和感があった。

白壁先生や牛尾先生の初期の業績から数えること30年余、臨床現場における画像診断モダリティの差異はますます増していたし、病理学もまた当初の形態診断学を少しずつ離れて、ゴールデン・スタンダードとして孤高性を高めていた。そのため、「比較によって統一理論を考える」という言葉がすこし空論めいていたという実感がその理由のひとつ。

でもそれだけではない。

私はなんとなく、違う立場、違う視点の者どうしが、お互いに少しずつずれたことをいいながら、対座したまま「第三の視点」に飛躍するという感覚にあこがれていた。比較のように、どちらかをベースにどちらかがのし上がっていくような構図は違うと考えていた。

べつに弁証法的とか止揚とか言いたいわけではない。思弁的で形而上学的なことを言いたいのではない。

そうではなくて、形態学の根幹にかかわる理屈ゆえに、私は「形態診断学を統一する」という試みに反論があったのである。


そもそもX線、内視鏡、CT、超音波、そして細胞像は、いずれも、人体そのものや病気の本質を直接見ているわけではない。よく「病理は病気そのものを見る」とか言われるがそんなことはありえない。

すべて、「お化粧」をしている。体内に起こっていることの一部を強調し、一部を選択し、一部は捨てて、一部は理解しやすいように色を付けたり光らせたりして観察している。X線ならバリウムを流すだろう。内視鏡なら歪んだレンズで表面を拡大するだろう。CTや超音波は何かを当てて反射や吸収で影絵として形態を見ているだろう。そして病理はそのままずばり「染色」を用いる。

物理的・化学的な条件の違い。そしてさらに、各検査にたずさわる人びとの置かれた立場や、それまでに学んできたこと、近頃従事している仕事の内容などによって、見えてくるものの「一部分っぽさ」はすべて異なる。

どれかがベースというわけではないのだ。すべてがカケラしか見ていない。

そこにあらわれた比較という言葉のニュアンスは、私にとっては、二つのものだけを右手と左手に持ち上げて、交互に見比べる程度のものでしかないという印象だった。二つを見比べて最大公約数を見つけよう、くらいの仕事でしかないなら、臨床画像と病理組織像をくらべる仕事はさほどおもしろくならないと思った。

誰もがジグソーパズルを少しずつ持ち寄る。それぞれはお互いに違うピースであり、ダブりはない。しかしまったくみくらべずにジグソーパズルを作ることはない。背景に空があるピースはだいたい近くにあるだろう。この輪郭線がつながるピースがどこか別の誰かによって握りしめられているはずだ。ジグソーパズルは対比によって成り立っている。比較ではない気がした。できあがるものは「類似の先にある統一」ではなく、「車座になっている人びとの真ん中に燃え上がる炎」だと思った。比較ではなく対比すべきだと思った。


市川と市原を比較してはいけない。華丸と慈英を比較するのは失礼だ。すべきなのは対比だろうと思った。私は今もresearchmapの研究キーワードに「臨床病理対比」と書き込んでいる。

男に忘却を勧められた医者

夜に大学関連の飲み会があるので地下鉄で出勤した。ドアの暗闇にうつる自分の耳に挿さったイヤホンが、マスクのヒモでくにゃりと持ち上がっているのを直す。私は今、長期連載マンガのメインキャラの後ろにいる、サブアシスタントの手によって書かれたモブキャラ並みに誰にも見られていないのだけれど、作画が乱れると無駄に注意を集めてしまって読者がメインストーリーにできなくなってしまっては困るから、身だしなみだけは整えておき背景に埋没したいと中火で願っている。

昨晩から聞いていた「熱量と文字数」を聞き終えて、まだ職場に着くまでには少し時間があり、J-waveの燃え殻さんのラジオ「Before dawn」を選ぶと2週間ぶりに大槻ケンヂがゲストイン。新曲の歌謡曲テイストロックの「医者にオカルトを止められた男」の、歌詞の内容がきちんと脳に入ってくるのがふしぎである。大槻ケンヂは燃え殻さんのエッセイのいいところを「読んでもすぐ忘れるところ、忘れ力」と名付けていて、「中島らもさんの書くものにも言えることだけど、読んですぐ忘れるエッセイのほうがなんども読みたくなる」と非常に納得できる名言を放っておりなんだか早漏の男子の言い訳みたいだなと思った。

姫乃たまという元地下アイドル、現文筆家兼アイドルのnoteをいつものように読んでいると、台湾で急にワタナベアニさんに出会った日のことを書いてあった。私は姫乃たまにもワタナベアニさんにも会ったことはないが、違う日に違うタイミングで文章を読む用の箱の中にそれぞれ入れてあって、そこに接点があるなんて思いもよらなかった二人が文章の中でばったり会っているというのがおもしろくて、そのくだりを何度か読み返した。アディダスの黒いジャージを着こなしたワタナベアニさんが姫乃たまにチョコボールといって小さな袋を手渡す。その袋の中身がなんだったのか、今、どうしても思い出せない。読んだばかりなのに。姫乃たまの書くものからは強い印象を受けるが、個別具体はけっこう忘れてしまう。これもまた大槻ケンヂのいうよいエッセイ、というか日記の条件なのだろう。日記は記憶するために読むものではない。

大槻ケンヂの最近書いているもののうち、「本の雑誌」に掲載されているオカルトと本との比率が6:6くらいでブレンドされている随筆は、素因数がやけに多くてどの角度からでも割り切ることができそうな切れ味のするどい名文だ。私は彼の書くものをそこまでたくさん読んでいるわけではないだけれど、「本の雑誌」の連載はすばらしくて早く書籍にまとめてほしいと思う。これまで読んできた彼の文章はどれも、読んでいる間中ずっと脳内にハンディカム的ビデオのパカッと開く液晶部分がとらえた世界、といった映像が流れ続ける、非常に情景喚起力の強い文章で、ではそれが何に似ているかというと、個人的には椎名誠ではないかとひそかに考えていた。そうしたら燃え殻さんのラジオでまさに大槻ケンヂが「昔、椎名誠さんの文章とか、いわゆる昭和軽薄体と呼ばれたものを読んでいて」と語っていて、なるほどやはりと腑に落ちたし、納得しすぎて驚きがなく、今の話をまるごと忘れかけた。でもこの話は忘れなくてもいいんじゃないかなと思って、念のため記憶をもう一周再生させる目的でこうしてブログに書いている。


出勤してメールクライアントを開き、新規のメールをフォルダにふりわけていく。メインの受信トレイには「まだ返信する必要があるメール」だけを入れ、要件がおわると「メール送信者の所属施設」ごとのフォルダにしまう、というのをずっと続けている。今や誰も使っていないMicrosoft outlookから離れられないでいるのは、20余年にわたり分類したフォルダがいまや北海道の市町村の数より多くなってしまい、いまさらほかのクライアントに移行して新規に分類をはじめる気がしないからだ。Gmailが便利だというのは知っているけれど、時系列に並んだメールを「検索で探せるから分類しなくても大丈夫ですよ」と言われたところで、どういう単語で検索をしていいかしばしばわからなくなる私には使いづらさのほうが際立ってしまう。

私は、人の名前を覚えるのが苦手で、ただしその人が勤めている地域の名前なら覚えられるという使いづらい記憶装置をもっている。島根の……島根の◯◯機構の何さんだったかな……新潟の……長岡の……あの顔の人……。ほんとうにこういうやりかたで人を覚えている。たとえば「大阪のバリウム研究会で会って話をした人に教えてもらったあの文献を探したい」ときには、自作のフォルダの「O」のところを探せば、Osaka→大阪◯◯大学、大阪◯◯病院、のように並んだフォルダの中から、目的のメールをそこまで苦労せずに探し当てることができる。けっこうな量の記憶が土地・場所・施設と紐づいている。そうやって記憶するクセがついてしまった。

というわけで今朝もいつものように、昨晩終わったウェブ研究会や会議のZoom URLなどをフォルダにしまうと、ペンディング中のメールがひとつもない状態になった。それがどうした、と思われるかもしれないが、おそらく数ヶ月ぶり、もしくは数年ぶりだ(いちいち覚えていないけれど5年ぶりだとしてもおどろかないし、半年前に一度あったじゃんと言われたらあれそうだったかなと)。進行中の案件が全くなくなったわけではないのだが、メールでやりとりをする案件やコンサルテーションのやりとり、Web会議の予定などが直近にはないということで、肩やみぞおちの重さがあきらかに緩む。そして、昨日までこのフォルダにいったい何を入れていたのだったかということをごっそり忘れていることに気づく。忘れ力だ。私は忘れ力を持っている。ならばきっと、燃え殻さんのエッセイも、大槻ケンヂのエッセイも、姫乃たまやワタナベアニさんのエッセイも、もともと名作ではあるのだが、私が読めばほかの人が読むよりもなお名作になる。なぜならば私は忘れ力を持っているからだ。岸田奈美が何を書いていたのか思い出せない。永田泰大さんのヴァナ・ディール体験記を読み返さないといけない。椎名誠の現連載「哀愁の町に何が降るというのだ。」を毎月欠かさず読んでいる。早く本になってほしい。何も覚えていない。読む準備は万端なのだ。

EBW

職場の本棚の整理をしていたら思いのほか時間がかかってしまい、気づいたらあたりが真っ暗になっていた。使用頻度の低い本を、取り出しやすい場所に、臓器ごと/検索されるシチュエーションごとにまとめていけばよいだけの話なのだが、あらゆる本を臓器ごとにまとめておけばいいというものでもないので悩ましい。

取扱い規約やWHO分類のblue book、AFIPシリーズ、文光堂の白い鑑別診断アトラスシリーズは、百科事典的にならべておいたほうがきれいだろう。それでは、出たばかりの非腫瘍性疾患鑑別診断アトラスシリーズはどうか? 消化管なら消化管の、肝胆膵なら肝胆膵の本のまわりにおいておいたほうが実務上便利ではないか? いやしかし……。うーん……。悩んだ末に、今回はシリーズをまとめて別のところに移動させることにした。ほかの病理医が必ず目を留める「生検の標本が上がってくる場所」のすぐそば。本屋に例えるならレジ横みたいなところ。ここなら見落とされはしないだろう。

本棚の模様替えはあまりやりすぎると使う人たちにとって不便になる。でも、定期的に新陳代謝しないとそれはそれで不便になる。

この棚はもう本がいっぱいで、こないだ買った新しい本が入らない。さあどれを二軍に落とそうか。あふれた本は、医局の私のデスクに運ぶ。通称「ファーム行き」である。捨てることはない。どんなに古い本でも使い道はある。たとえばレクチャーの際に、病理診断の歴史をふりかえりながら、診断手法が現在のかたちに落ち着くまでに先人たちが何を考えどういう問題点にぶちあたったのかをひもといて語ろうと思ったら、昔の本を参照するといい。ネット検索もAIに聞くのも大事だけれど、それより古い成書を3冊くらい引くほうがドンズバの情報にたどり着く。病理学においてはほんとうによくあることだ。

古い教科書を読む。2年に1度開くかもしれない本というのがある。2年に1度なら、病理の書棚においては、使用頻度が中央値よりもちょっとだけ高い、つまりはわりとよく使われるほうだろうと思う。毎日開く本、月に1度開けばいい本、10年間に1度たりとも開かなかったがこのたび満を持して開いた本、みたいなものが「一軍」にいる。二軍落ちの基準は複雑だ。「頻繁にアップデートされるシリーズの、ふたつ前の版」あたりは二軍で待機してもらうことが多い。古典的名作の初版は逆に置いておくとたまに使う。改版のたびに用語が変わるような教科書はすべての版をひとところに置いておいたほうが結局役に立つ。

古い教科書を読む。これまでに習ってきた病理医たちが、なぜ「ああいう言葉遣い」をしていたのかということが、20年くらいの時間差をのりこえて急に腑に落ちたりする。そうか、hyperplastic noduleというのは、大昔の取扱規約に写真として掲載されていたのか、みたいなことを、大腸の早期病変の遺伝子解析が行われるようになった令和の今になって知り納得する。

古い教科書を読む。読みすぎてそういう嗜好の人になってしまう。悪くはないがリスクではあるかもしれない。出たばかりの本をうっかり「昔の話法」で読んでしまったせいで、なかなか理解できない、みたいなことはままある。CIN1とCIN2の判別基準は昔の教科書をあまり読みすぎるとかえってずれる。AIH overlapという概念があったころの教科書を読むとPBCの診断はずれる。科学が前の版を乗り越えていく過程で棄却された「暫定解」にこだわりすぎると、それはそれで支障を来す。

古い教科書を読む。

古い教科書はおもしろい。

そうやって温故ばかりしていないで知新もしなきゃあだめですよと、あざわらうエビデンス・ベースト・若い医学生の叱責が心をよぎる。

転職願い

特殊染色をオーダーするときの「選択」→「本登録」→「はい」の一連のつながり、EnterキーやF8をおしこむリズムは体に染み付いている。パチンタンタン。パチンタンタン。左後方のプリンタから出てくるオーダー用紙は裏返っているからプリンタからA4の紙すべてが顔を出したタイミングで右手の親指を手前に倒して用紙を下からすくいあげ、持ち上げながら印刷面を目でチェックしながら左手で下から紙をささえながら右手を離す。この間に4歩歩き終わってオーダー用紙を入れる棚の引き出しを右手で開いて左手で紙をその中に流し込んで右手で閉じる。パチンタンタンからの一連は、意図することなく自動的に行われる。これが職場に慣れるということ。反射で働くということ。

反射で動いたぶん、自由になったリソースを使おう。さっきまでみていた顕微鏡の像を思い出そう。さっきまで書いていた診断書を思い出そう。「~~が、~~が、~~。」のように一文の中に逆説が2回入ってしまっているのはかっこわるい、と気づいて、デスクに戻って仮登録済みの診断文を開いて文面を訂正しよう。電話がかかってきてそれをとりながら、仮登録のF7、はいのF8を押して文章を更新しよう。


慣れ、条件反射、身に染み付いた動作、そういった何もかもが、ときどきうっとうしくなって、私はいつか釧路や旭川で働く日のことを思う。


外勤先の検査室をうろうろと歩き回る。視線とは違う先で手や指が自動的に何かをしている様子を思い浮かべる。きっとぎくしゃくしている。一日の中でものを考える総量が20%くらいは減るだろう。何をするにもいちいち言語化しないとどこにも行けず何も動かせない日々だ。キーボードが変わればキータッチのリズムがかわる。診断用クライアントソフトが変われば診断入力のリズムがかわる。細かな差に気持ちを持っていかれるたび、研究のことも、論文のことも、ブログのことまでもがすべて停滞するだろう。その停滞を突き破るためにやれることはひとつしかない。もっと丁寧に考えるのだ。もっとしつこく考えるのだ。

ただ、思考というのは絶対量があればいいというものではない。深ければいいというものでもないと思う。

各所と過剰に接続し、しかしそのどれにも執着せずに、表層だけの付き合い、ながらの接触、かりそめの関係、匿名の気楽なやりとりで、私がこれまでどれだけの無駄で無為な思考を花火のように勃発させてきたことかと振り返るとめまいがするようだ。しかし、その浅くて広い思考様式が今の私に絶望しかもたらさなかったかというと、そんなことはなかった。そんなことではなかった。そんなわけがなかったし、そんなつもりでもなかった。

私はルーティンに埋没して半自動的な毎日を送るにつれ、うわっつらでクソリプのやりとりをする関係を次第に失い、オートクライン的に自らを賦活して局所の作業効率を高めるオートマタになっていた。釧路か、旭川か、帯広か、函館か、この先の私がどこで働くことになるのかはまだわからないが、いずれ私は人間に戻るために、今よりもはるかに手間暇のかかる職場をさがしてこの居心地のよいデスクを去ることになる。