枯木のエッセイ

どれくらいわかりやすく書けるもんかなあ、と思って、試しに書いてみた文章がある。それは、「病理医だけが参加する会で、ぼくとベテランとが議論になったときの話」だったのだが、書いてみてもうまくそのときの全体の雰囲気が伝わらないのでやめてしまった。どう書いてもぼくが超絶イケメンに読めてしまうし、ベテランが墓場の鬼太郎バージョンのねずみ男になってしまう。さすがにずるい。イケメン VS 妖怪の構図はまあしょうがないんだけど、超絶イケメン VS 墓場の鬼太郎バージョンのねずみ男というのはさすがに……2%くらい盛ってしまっている……。


人間ひとりが何かの立場でものを書くときの限界。

……とまで言ってしまうと、あらゆるライターに対して失礼なのでそこまでは言わない。「ぼくがひとりでものを書くときの限界」。つまりはぼくが、もの書きとしての最低限の矜持である中立性をうまく達成できていないだけのことである。

ぼくのいる視点からしか書けない。ぼくの主観しか書けない。客観的に、俯瞰して、今日の天気はどこそこで雪でした、最高気温はマイナス2度でした、みたいな文章であっても、「ぼくがその日いた場所」のことを思いながら書いている限り、完全にファクトだけの記事にはならない。

いやいやそれはさすがに、天気ならいくらなんでも大丈夫でしょ、と思っただろうか? そんなことはない。書き込んだ場所がブログだったかXだったか、インスタだったかスレッズだったかによって、受け取る人がカタマリ単位で異なるから伝わり方も変わる、それまでに書き連ねてきたものから受け継がれた文脈だって加味される。素材も調理法も同じカレーをココイチとタージマハールとロイホで提供するようなものだ。食器、調度、空調、店がそれまでに積み上げてきた歴史の力で味は絶対に変わる。昼飯に食べた料理とか直前に塗ったリップクリームによっても味は変わる。

しゃべれば声色が変わる。書けばフォントが変わる。フォントが変わる? いや、うん、フォントも変わると思う、マジで。ぼくらは活字というものに慣れている、使いこなしている、みたいな顔をしているけれど、自分の立ち位置や感情によってフォントまで変わるということを意識しなさすぎだ。そんなわけないって、変わんないって? 変わってるんだって。信じなさいよちょっとは。



雪かきを終えて周りが少し明るくなりはじめたタイミングで出勤。しばらく車を走らせていると、並木の枯木それぞれに雪がうっすらと積もっている場所があり、それらがなぜか薄いピンク色に見えて、まるで桜のようだった。運転中だからまじまじとは見ないが、それでも確かに、しっかりと薄いピンクなので本当に驚いた。信号のグリーンを見続けていたせいで、補色効果で雪がピンクに見えていたのか、それともたまたまその周囲にある街灯や朝のうすぐらい陽光の加減でそう見えたのかはわからない。瞬間よりも少しだけ長い時間、季節外れの桜にぼくは心を奪われた。それは枯木の主観が入り混じった、極めて偏向的なエッセイのようだった。

さておく雰囲気

病理診断をするにあたって、臨床医から検体と共に「依頼書」が届く。中にはすごく熱量の高いものがある。こんな感じである。


「市原先生御机下 平素より大変お世話になっております。○○歳(未成年)○性、1か月ほど持続する腹痛と食欲低下で来院され、上部消化管内視鏡検査施行しました。前庭部から体部に多発するびらんと再生性の隆起が多発しており、末梢血で軽度の好酸球増多があることと合わせると好酸球性胃腸症が鑑別の上位に上がります。

ご多忙のところ誠に恐れ入りますが、好酸球数(好酸球性胃腸症として矛盾しないでしょうか?)のほか、ピロリ菌の有無、クローン病など炎症性腸疾患を思わせる所見の有無(例:focally enhanced gastritis, granulomaなど)、アポトーシス等についてもご教示ください。御高診のほど何卒よろしくお願いいたします。」


すげえなーいっぱい書いてんなー。思わず身構える。


そもそも依頼書の文章は短いことが一般的だ。検体にもよるが、たとえば「ポリープ 切除 お願いします」だけなんていうことはよくある。たいていの病理医は、箇条書きの依頼書を見ながら普通に診断をしている。わずかな文字から必要な分だけの文脈を読みとるのにちょっとだけ経験が必要である。たとえば、「IIc s/o」と、「IIc r/o」では細胞の見方は変わる。

さすがに情報が少ないなーと思ったら、電子カルテをひもといて記録を読めばいい。ときには電話を一本かけて直接患者の状態を聞き出せばいい。「問い合わせの電話」までのハードルを低くしておくと、診断の精度は上がる。

いろいろやり方はある。だから依頼書はコンパクトでもいい。

しかし、たまに前述のような「濃い」依頼書がくる。

熱量に襟を正す。


どういうときに熱のこもった依頼書が来るのか?

ひとつは「診断が困難」なときだ。主治医いわく、「もう病理しかない」。文字通り最終手段として頼られている。病理診断一発で、揺れ動く状況になんらかの決着を見たいという願いが、説明を長くする。なんとかしてくれ、という思い。

しかしどうやらそれだけでもないようである。

ちょっと説明が込み入ったことになってしまうのだが。

主治医が、「今回は、診断よりも所見がほしいな……」と思ったときに、依頼書の文面が長くなる傾向がある。


これは……どう例えたらいいかな……。ダンジョン飯完結記念で、グリフィンに例えることにしよう。


ダンジョンでモンスターに出会ったとき、頭や体や翼を見て「これはグリフィンだ!」と種名を確定させる行為は、病理診断と似ている。

グリフィンはキメラ生物だ。「ワシの頭」と「ライオンの体」を持ち「翼が生えている」。

モンスターの全体をよく見て、特徴的な所見をピックアップすることで、種名を確定させることができる。これはまさに病理診断だ。

ちなみに分類に必要ない部分を捨像するというのも重要である。毛が何色かとか、クチバシの色がどうかといった情報は、グリフィンとヒポグリフを見分ける上では役に立たないかもしれない。「見分け」のために必要な情報がどれかを選ぶ能力が要る。

無事グリフィンという名が判明すると、いろいろいいことがある。

ほかの冒険者に情報共有しやすい。「地下4階の奥にグリフィンがいたぞ」の一言で済む。

過去の経験を元に対処ができるというのもでかい。グリフィンなら火に弱いぞとか、グリフィンは飛ぶから注意しろといった情報が利用可能にあるわけだ。名前ひとつで芋づる式にたくさんの知識が引っ張り出されてくる。

病理診断とは名付けである。名前が付くことでいろんなものごとが同時に動き出す。それが病理診断の強みであり、臨床医がまず期待するのもそこだ。病理医は名付けという行為に自信と誇りを持っている。


しかし……。

ときに、病理医が「グリフィンだ!」と叫んでいる声をなかば無視して、「ワシの頭があること」「ライオンの体があること」「翼が生えていること」を個別に聞きたがる臨床医がいる。

いつもいつも「名」ばかりを求められるわけではないということだ。


こんな感じである。

「グリフィンなんですか? なるほど。わかりました。ところで、頭はワシなんですね。体はライオンなんですね。足は? じつはひづめではなかったですか? あっいや、体がライオンだというのはわかったのですが、ライオンのように見えるウマということもあるかなとは思いまして。ライオンとウマの見分け方はひづめがあるかどうかだと聞いておりますが、合っていますか? 今回はどうですか? ひづめはない? やっぱりライオンだ? なるほど。ではそこはライオンということで。はい。いえいえ、大丈夫です。はい。ちなみに翼はどうですか。ある。はい。わかります。翼の大きさはどうですか? 翼の大きさ。小さい? 小さいんですね。ふむなるほど。助かります。あ、診断はグリフィン? ああ、はい、それは先ほどうかがいました。大丈夫です。ありがとうございます。そうか、翼が小さいタイプの、一般にグリフィンと見られることが多い、特殊なケダモノか……」

こういうリアクションをとられると病理医のプライドはちょっと揺らいでしまう。

病理医は基本的に「名」を決着させようという立場で仕事をしている。しかし、臨床医は、「種名にかかわらず、翼が大きいなら早く飛ぶものだと考えて対処を考えなければいけないし、足がひづめなら蹴飛ばされないように気を付けて対処をしなければいけない」職業である。端的に名前だけわかれば喜ぶ職業ではない。

グリフィンかどうか決めることに心血を注ぐ病理医の気持ちが空回りすることがある。

病理医が自信をもってグリフィンだと言っても臨床医は「ヒポグリフにちょっと似たところがあるグリフィンっぽいバケモノ」というところまで踏み込んで対処したいと感じていることがある。



長い依頼書の中には、病理医の診断哲学を「さておく」雰囲気がひそんでいる。

病理医の専門性は、複数の仮説を同時に走らせながら細胞所見に重み付けを行い、症例ごとに有意性の変わる所見を取捨選択し、歴史の選択圧を乗り越えた「病名」をただ一つ与えることにある。理想的には、診断を複数思い浮かべたあと、「ただひとつの診断名」だけを残して他の可能性をすべて棄却することが望ましい。細胞にはそれが可能だと思わせるだけの複雑なテクスチャがある。

しかし、臨床医はときに、名付けの前にある情報をほしがる。名前とは違うところでドライブされる臨床論理がある。臨床医はときに、「病理医に黙ってまかせていると名前しか出てこないかもしれない」という不安を抱えている。

したがって、長い依頼文によって、病理医に「名付け」以前の所見を開示するよう求める。



そういうとき私は、主治医の手の先についている「便利な道具」に徹して、主治医が求める所見をひとつひとつ確認しながら思うのだ。

病理医のプライドも臨床医の思惑もすべて超えていくような細胞の見方ができないもんかなあ……と。

所見をくまなくチェックし、読みやすいように報告書に書き、最後に(さほど参照されないこともある)「病理診断名」をしっかりと確定させるまでのあいだ、ずっと。

ハッピークラッキングキーボード

新しいキーボードを買ったのだが思いのほか苦労している。

ものはいい。入力音がカチャカチャ言わない。サコサコ言う。確かに気持ちいい感じはある。しかしこれまでの打鍵が強すぎたのか、指にぶつかってくる感じもある。指先が衝突する感触。なんか指先にばいきん入って膿む気がする。もっとやさしく入力しないといけない。ぼくの手や入力スタイルのほうをフィックスしていく必要がある。

パワポを使う仕事なので、矢印を気軽に使いたかったから日本語配列にした。それはまあいいのだが矢印の場所に慣れない。エンターが遠い。長音(ー)も遠い。Caps rockがなくなったのはまあどうでもいいのだがCtrlキーの場所がCaps rockの場所になった。コピペするときにうっかり間違えてファンクションキーを押してしまう。テンキーがない。半角/全角ボタンはどこだ。ない。かわりに特殊なボタンで英語と日本語を切り替えるらしい。なるほど。Mac使いの人なら英語配列だからそんなに違和感はないだろうな。でも長年のWindows使いにとてはいろいろ慣れない。キーをフィックスすればいいのか? めんどくさい。自分でどこをどうフィックスしたか忘れそうだ。

そういえば手首の角度がけっこうしんどい。これまではひらべったいキーボードだったからなあ。手首の下に敷くマットみたいなものを購入した方がいいかもしれない。

ここまで入力するのにいつもの2倍くらい時間がかかっている。探り探りだ。誤入力も多い。キータッチ練習ソフト「北斗の拳」などでいちから練習しないとだめだ。

うーん。

いいと言われたブランドの服を試着したときの違和感みたいなもの。あるいは、そうだな、国産じゃなくて外車に乗りなよと言われて試乗してウインカーを出そうと思ってワイパーを動かしたときのあの感じ。羞恥心を伴う身体のずれ。

ピアニストやギタリストは高い楽器に買い換えたときに「弾き慣れた楽器のほうがいい」とは思わないのだろうか。最終的には「やっぱりいいものはいいよね」となるのだろうか。無意識が語りかけてくる。「値段が高い商品を使いこなせないのはお前が安っぽい人間だからだ」。ちなみに今の「安っぽい」を入力するのにも二度も失敗している。

これだけ打って早くも肩が凝ってきた。ELECOMの3000円のキーボードを使い潰しながらずっと使っていればよかったのではないか。「よかった」が「よかた」になる。「になる」が「におまる」になる。たった今届いたメールを消そうと思ったらDELがなくてBSしかないのだ。ファンクションを押しながらBSを押すとようやくDELになるらしい。

これがハッピーハッキングキーボードなのか。うーん。日常をクラッキングされたような気分である。37000円くらい使ってこれなのか。みんな本当にこれがいいと思っているのか。ぶつぶつ言いながら毎日ブログ書いて慣れていく。やることがあっていいですね。はい、おかげさまでよぼよぼやっております。「よぼよぼ」が「よびうよぼ」になる。

霧が名物の山

「依頼書」を見たら、主治医が悩んでいるなあというのがよく伝わった。若年者(未成年)の炎症性腸疾患(IBD)疑い患者である。


主治医は患者に内視鏡をし、腸の粘膜をつまんで、病理検査室に提出してきた。ぼくら病理医は粘膜の細胞を顕微鏡で見て病理診断をする。

主治医は、どういう患者から何を疑って細胞を採取したのかを、依頼書に逐一記載してくれる。病理医は、依頼書に書いてあることを読みながら顕微鏡を見る。このとき、細胞だけを見ても診断の精度は上がらない。すぐれた主治医のキレ味あるコメントを見ながら細胞を見ると、なんというか、「プレパラートの二次元情報」に奥行きと時間軸が与えられた気がする。

その依頼書。

潰瘍性大腸炎か、クローン病か、まずはこの2本のどちらかと考えたい病像であるということが文面から伝わる。ただし、依頼書の勢いがいつもより弱い。いつもならもう少し「○○疑い」とはっきり書いてくるはずだ。しかし今日はそうではない。

病変の分布パターンなどの字面だけから判断すると、潰瘍性大腸炎っぽいと感じる。ただ、一方で、回腸周囲の炎症の強さを気にしているニュアンスもある。

主治医は迷っている。そのことをぼくに伝えようとしている。「字面にするとわりと潰瘍性大腸炎っぽく書けちゃう」ということにも自覚的なのだと思う。

患者の全体を見て、患者から漂ってくるオーラのようなものを把握した状態で、内視鏡で粘膜もつぶさに観察した主治医は、今回に関してはかなり迷っている。しかし、他人に説明しようと思って所見を組み立てて「書いて示す」と、思ったよりも「典型的な潰瘍性大腸炎」みたいな文章になるので、困惑しているのではないかと思う。

箇条書きにすると潰瘍性大腸炎だ。でもそうじゃない。いや、その、しかし、そうなのかもしれない。どっちだろう。

「ちょっとだけいつもとニュアンスが違う潰瘍性大腸炎」か?

「潰瘍性大腸炎に見えるけど微妙に潰瘍性大腸炎じゃないクローン病」か?

「そもそも潰瘍性大腸炎とクローン病の両方の性質をもっていて、患者の年齢がもう少し高くならないとどちらとも決めてはならない、むしろ決めることが誤診になってしまう、保留しないとだめな特殊な疾患」か?

「潰瘍性大腸炎に見えるが潰瘍性大腸炎ではなく、じつはクローン病でもない、第3の病気」か?

主治医はめちゃくちゃ迷っている。今の数行の中に何度も何度も出てくるのが潰瘍性大腸炎だということからもわかるように、コアには間違いなく潰瘍性大腸炎という病気がある。しかし……そのコアから離れるべきか、あるいは離れすぎてもだめか、みたいなこと。迷いが依頼書に微妙ににじみ出ている。



こういうときに顕微鏡を見て、「潰瘍性大腸炎に矛盾しない」と書くことで、ぼくは臨床医の背中を押すことになる。そうすべきときは確かにある。

しかし今回に限っては、病理診断もまた、ふくざつなニュアンスをまとっていた。



潰瘍性大腸炎っぽさはある。しかし、なんというか、「ぽすぎる」のである。ここまで典型的な所見が勢揃いするということが、日ごろの経験からするとなにやら過剰であるなと感じる。いったん心を落ち着ける。何度見ても所見がいっぱいある。Cryptitis, basal plasmacytosis, glandular distortion, crypt abscess... せいぞろいだ。好酸球もそこそこ。しかし好中球が妙に……うーん。アポトーシスを探しにいく。困ったときのアポトーシス? いや、普段は、「アポトーシスがあると迷う」のだけれど、今回はなんというか、「もっと迷いたい」のである。

別に主治医に引っ張られているわけでもない。臨床医が迷っているのに病理医が迷わないことを「軽率だ」とか「見方が浅い」などと卑下しているわけでもない。でも、ちょっとは気にする。細胞だけを単独で見ても、「堂々としすぎている」というか、「まるで言葉のうまい詐欺師みたいだ」と感じる。この感覚はレポートには書けない。あまりに感覚的すぎるからだ。そして電話をかける。

呼び出し2回くらいですぐ出る。

「いやあ……先生……これ……VEO-IBDとか……いや断定するわけではないんですけど……根拠があるわけでもないんですけれど……」

こんなことをレポートに書いたら見識を疑われる。しかし電話でなら言える。主治医はびっくりする。

「VEO-IBDですか! あっいや可能性ってことですよね! す、す、すごいわかります! かもしれないまでしか言えないけどなんか変だってことですよね! うーんそうなんです! ぼく一人が悩んでるのかなあと思ってました。でも……うーん……細胞見てもなんかいつもとちょっとだけ違うってことですよね! ああー。なら……ちょっと濃厚に検査を足してもらおうかなあ。」



これはだいぶ昔の症例なので今とはまたちょっと判断が違うのだけれど。

「主治医も病理医も、それぞれ違うルートから山に登って、どちらも霧に包まれた」という感覚が、全体として何かひとつの、確定診断ではないんだけどその患者の「ニュアンス」を掴んでいることはあると思う。この方の診断が実際になんだったのかはないしょである。答えをブログに書きたかったわけではない。答えがもやっと見えた瞬間の雰囲気を書きたかった。

若者のいちぶ

メリークリスマス。ちかごろ、某大学の看護で病理学の講義をしている。今年度から新しく担当しはじめた。なお来年度はたぶんやらない。ぼくが担当した唯一の学年、ということになるが、今年の学生だけがすごく勉強ができなくなったらかわいそうだし申し訳ない(たとえば国試にバカスカ落ちたらめんぼくない)ので、わりと緊張してしっかりと授業をやっている。

Google classroomというアプリを駆使して課題のやりとりをする。課題の最後には講義内容に関する質問をしていいよと書いてあり、毎回学生のおよそ三分の一くらいが質問を書き込む。その内容は多岐に亘っており、駅前の脱毛クリニックは詐欺じゃないかとか、いい皮膚科をおしえてほしいとか、知人がかかった病気について詳しく知りたいといった、生活×医療、生活×ケアみたいな内容がいちばん多い。そして、自分自身の健康・不健康にかんする悩みもたくさん送られてくる。

それらの多くは、ぼくが医師として答えるにはかなり荷が重い内容だ。そりゃそうだ。ぼくは病理医であって内科医ではないし皮膚科医でもないし精神科医でもない。医師免許を持っているからといって医師風を吹かせてえらそうにアドバイスをしてはだめである。なるべく「適切な受診の機会を削ぐことのないように」返事をする。

アレルギー、肋間神経痛、胃痛、むくみ、乾燥。こんなに来るんだ。19歳、20歳くらいのころというのは思えばぼくもあちこちが痛くなったり不安になったりしていた。ていうか今もあちこち痛いし調子が悪いのだが、気づいたらそういう「自分の体の不調」を、自分なりに解釈するのに慣れてきており、「どうして自分が具合悪くなるのかわからないから余計に具合が悪くなる」みたいな感覚からはだいぶ遠ざかっていたのだなあと思う。学生から送られてくる相談には「なぜ自分は具合が悪くなるのか」という疑問、というか心のさけびのようなものがとても多い。

パートナーとののろけはたまに見る。トコジラミ対策はどうしたらいいかといったもはや病理学でもなんでもない話もくる。幽体離脱の方法を教えてくれた学生もいた。そんな中にかなり重めに見える相談も紛れ込んでいる。ただし、多くの学生はぼく以外にもたくさんの人に相談をしている。ぼくだけにしか言えない悩みのようなものはまず送られてこない。ぼくだけに依存しているような学生は見当たらない。この点、やはり世代が違うというか、デジタルネイティブ的というか、参照先が無限にある時代さながらだなあと思う。きっとぼくの言うことも話半分に聞いているし、たくさんの人から半分どころか十分の一くらいずつアドバイスをあつめて、まぜて、マーブルからシェイクにしてすっかりならしたところでようやくちびっと味見して、うまそうだったらごくりと飲む、みたいな感じで自分の行動原理を模索しているのだろう。

えらそうに言うのではなく、後方腕組み彼氏ヅラして言うのではなく、心の底から思うのだが、ぼくの若いころよりも今の学生のほうが本当に何段も進んでいる。そして、悩みとは軽重ではないんだよなあということも毎日思う。みんな、自分の心を言い表すのに、手持ちの語彙と、世界からこぼれおちてくる語彙とを駆使して、動画やイラストなども使って、なんとか形にできないか、なんとか他人にわかってもらえないか、なんとか自分で納得できないかと手探りしている。その姿に圧倒されるし刺激を受けるし、人間ってほんとうに、こうなんだよなあということを毎日考える。メリークリスマス。

筋肉がすべてを解決する

医療者の教育においてはここ10年くらい、「屋根瓦方式」というのがわりとブームである。屋根の瓦がすこしずつ重なるように、指導者と教わる側の関係も、「少しずつ重なっている」くらいがよいということだ。

たとえば医師1、2年目の初期研修医を教えるのは3年目や4年目の後期研修医が適任である。ついこないだまで初期研修医だった人たちは、少し下の後輩たちが何に悩み何にぶつかっているかをわりとしっかり覚えているから、アドバイスも的確である。

同様に、5年目の後期研修医を指導するなら7年目くらいの専攻医がいい。10年選手は15年目の医師と組めば充実する。専門医資格をどう取るか、エースとして働くための心得は何か、キャリアに応じた問題意識があり、それに対応しやすいのはやはり年次の近い人たちなのである。

逆に、ポジションが離れれば離れるほど、語彙が離れ、興味も離れ、抱えている疑問にも差が出る。レベルが違うというよりもレイヤーが異なり、互いの言葉がうまく通じなくなる。

教える・教わるの関係に、端的にもとめられる要素は「共通言語」だということだろう。




話はちょっとだけずれるがぼくはここ15年くらい、「講演」がうまいとほめられてきた。多くの臨床医や診療放射線技師、臨床検査技師たちから、画像と病理の対比で招かれ、病理を専門としない人たちの前で臓器や細胞のあれこれをわかりやすく語ってきて、それをまあまあ評価されてきた。

ところが、最近、病理医を相手にしゃべる機会が増えてきたところ、これが、あんまりうまくいかない。

なんかうまく伝わった気がしない。

若い人からは、「講演はおもしろかったんですけれどちょっと難しかったです」と言われる。

「おもしろかったんですけれど」というのは社交辞令だろう。となれば言われていることはシンプルに難しい、わからない、ということだ。

けっこうショックであった。こんなに講演をしてきたのに、身内(病理医)相手だとぜんぜん語れない。

思えば、これまでぼくが講演してきた臨床医・診療放射線技師・臨床検査技師というのはみな、病理医にとっての「お客さん」であった。われわれの使う言葉や概念がわからなくて当然な人たちだ。病理のことなんてわからなくてもプロとしてやっていける人たちだ。それでも病理医を呼ぶというのは、勉強熱心だからという理由だけではなくて、なんというか、「たまには病理医の話でも聞いてみっか」という、ある種のひやかし的な側面が大きいと思う。めずらしい人間を呼んできてめずらしい話を聞き、マンネリを打破して、いつもと違う角度から自分の脳がコツンと叩かれて喜ぶのである。

そこには共通言語がないのが前提だ。だからぼくは相手の言葉を学びながら講演を作った。カタコトの外国語でやりとりをすると語彙が足りない。ニュアンスを伝えるには抑揚、リズム、身振り手振り、イラストレーションなどが重要になる。これらを駆使しながら、病理学の「表層から中層」くらいの話を躁気味に語る。

そういう講演と、「直の後輩や先輩たち」に対してぼくが「病理医であり続けること」を語るのとでは、必要とされる技能が違う。

べつにぼくは講演がうまい人間ではなかった。たまたま病理医という特異なポジションにいて、お客さんを相手にばかりしゃべっていたのが、ぐうぜんうまくハマっていて、評判が積み上がっただけなのだ。

最近は年齢も上がってきたので、病理医を目指す後輩や若手病理医などの前でしゃべる機会が増えてきた。「この方はたくさん講演をしていて評判がいいですよ」などと紹介されることもある。しかし肝心のぼくの「病理医相手にしゃべるスキル」はそこまで高くない。

困った。危機感である。「屋根瓦方式」の教育がよいと世間で言われる理由を今さら掘るのも、「もっと年の近い人どうしで教え合ってください」と言って逃げ出したいからなのだ。

ぼくとキャリアの近い、40代前半~50代前半くらいの病理医は、ぼくの「背景情報がないとわからない病理の話」をそこそこ楽しそうに聞いてくれるようである。しかし、若手を惹きつける力はない。今のぼくは診断のアンチョコ的なものへの興味があまりないし、「テイクホームメッセージ」がひとつしかない講演とか聞くだけ時間の無駄だと思っているし、ピットフォール(誤診症例)を語るなら10分では足りないと思っている(誤診の文脈と正診の文脈をそれぞれ語るなら通常の症例の2倍以上かけてほしいと思う)。こういった嗜癖はいずれも若い病理医にはピンとこないだろう。

こうして「伝わらないなあ」「どうすればいいんだろう」の話をすると、たいてい、「教育ってのはそういうものだから」「わかりづらい教え方をする教師もいていい」「いかに学ぶかを考えることは生徒の役割で、教えるほうは自分がやれるようにやるしかないのだ」みたいななぐさめが飛んでくる。

まあそうなのかもしれないけど、それはよくわかるのだけれど、それはそれとして、「やれることを淡々とやるだけです」みたいなことを座右の銘みたいに言う人のこと、生理的にきらいなんだよな。

他人とのかかわりの中に何かを組み上げていこうとおもうとき、淡々とやれることだけやってる人を見るとそこそこモヤるんだよな。

なんでだろう。肩に力入ってるのかな。でも、「淡々と」って言葉を好んで使う人、たいてい、言うほど淡々としてなくてむしろ脂っこくて執念深くて二枚舌で目線がいやらしい気がするんだよな。



話がずれたけど、今のぼくは「相手のキャリアやポジションを問わず、おもしろいと思ってもらえるような病理学の話」をするにはどうしたらいいだろうということをよく考えている。それもできれば「入門」ではない話。必要なのは共通言語? そうだろうか? ほんとうにそうだろうか? 熱量……だけではないと思うが、でもまあ熱量は要るだろう。自分が楽しくしゃべることに対して自閉的である必要もあるのではないかとこっそり思っている。あとはなんだろう。「一周回ってどう聞かれてももはや関係ないから自分のやりたいようにやる」という気持ち、これ、毒にも薬にもなると思うんだよな。どう聞かれるかは関係がある。聞かれていることで変化することに自覚的であったほうがいいと思うし、ときにはその自覚をシャットアウトする覚悟も要る、つまりは両方要ると思うのだ。

今は腹筋を鍛えて発声練習をしている。身体の部分だけはすぐに取り組むことができる。身体の部分だけしか取り組めないとも言える。先は長い。

メールの前向きな効用

肝細胞腺腫(かんさいぼうせんしゅ)というそれなりにまれな病気の病理診断について、とある方から相談をうけた。

どうやって診断したらよいだろうか? どんな形態に着目すればよい? 用いたら便利な免疫染色は? 注意点、落とし穴みたいなものはあるか?

実践的な質問のかずかず。これらにメールで答え……というか私の意見を書いていく。

ミもフタもないことを言うと、答えはすべて教科書に書いてある。レアな教科書にしか載っていないというわけではなく、どこの病理部にもあるような一般的な教科書をひもとけばそこにきちんとある。

だからといって、相談を受けたときに「それは教科書に書いてあるのでそっちを読んでください」とは思わないし、言わない。

本ではなく人から聞きたいという気持ちはよくわかる。

教科書に書いてある知識を用いて自分なりに解説をこころみる。


逆の立場もしょっちゅう経験する。論文などに書いてあることであっても、その道のプロである病理医に直接たずねるとまた違ったニュアンスが得られる……気がする。病理診断においては、読んでもわからないことはいっぱいある。だからツテをたどってコンサルテーションをお願いする。


「読めばわかる」の一本刀で病理医を続けるのは至難の業だ。でも、「聞けばわかる」はよくある。


実際、自分の病理診断のレベルが上がったときには高確率で誰かのアドバイスがあった。でも「わかった気になったけど1か月もするとまた忘れた」みたいなこともあり、コンサルタントの先生方にはご迷惑をおかけしている。同じ事を何度もたずねる。1回聞けばわかるようなことはそもそも悩まない。何度聞いても腑に落ちないような、あるいは、聞いても自分でそれを使える気にならないようなことばかり悩む。だから何度も聞く。そのうちに、教わったことプラス教わったことの近くにあるものが目に飛び込んでくるようになって、なんとか自分でも診断できるようになる。何度も聞き直すうちにコンサルタントがなぜその言葉を選んだのかとか、なぜこの話はしないのかと言ったところにも目が……耳が届くようになってようやく理解できた気がする。なんとか自分でも診断できるんじゃないかという気になる。おっかなびっくりではある。


診断困難例に出会ったとき、なぜ、教科書や論文だけだと足りないと感じるのだろう。

教科書は紙面の都合上、だいじな情報をすべて載っけることができないからだろうか?

それとも、プロのもの書きではない我々医療者が書くものは、文章力に難があり、わかりづらいからだろうか?

それぞれ一理あるが一理しかないと思う。

だって教科書でわかりにくくてもメールだとわかることがあるからだ。メールも紙幅に制限があるし文章ツールであるから、その意味では教科書と変わらないはずだ。

教科書や論文とメールとでは何が違うのだろうか。



具体的な「1例」を前にしているかどうかの違い、というのはあるだろう。

教科書はどうしても論旨に普遍性をまとわせる必要がある。ただ1例のためだけに解説を書くのではなく、肝細胞腺腫ならば10例、100例、1000例と診断した結果をもとに「このやりかたで診断すればある程度普遍的に肝細胞腺腫を診断できるよ」という書き方をする。だからどうしても、そこからこぼれおちる1例ごとのニュアンスというのがある。

メールでコンサルテーションをする場合は、目の前の「1例」をもとに、個別に、具体的な、一期一会の診断技法みたいなものを開陳する。そのぶん、より細かいところまで相談することができる。


でも、たいていの病理医は、目の前の1例のため「だけ」にコンサルテーションをするわけではない。メールでやりとりするときも、心のどこかでは「普遍的な何か」を教えてもらいたがっている。

とある1例が腺腫なのか否かを判断したい「だけ」ならば、極論すれば、自分より診断経験のある人にコンサルテーションして、その人の診断意見をそのまま報告書に書き写せば用は足りる。プライドはずたずたになるが患者のためにはなる。

しかし、たいていの病理医は、その1例「だけ」診断できればよしとは考えていない。「もしこの先また似たような病変に遭遇したとき、今度は一人で診断しきれるだろうか」ということを気にする。まだ見ぬ数例、今後の数十例についてのことが気にかかる。


「この症例におすすめの免疫染色はなんですか?」と質問するのではない。

「このような症例におすすめの免疫染色はなんですか?」と質問する。

「この」と「このような」の間に差がある。


では教科書とメールの決定的な違いとはなんなのか。

たぶんだが、執筆者・著者・制作者の、「振り返って書いているか」 VS 「進行形で書いているか」という姿勢の違いではないかと思う。


病理診断の教科書の多くは、「決着のついた症例群をあとからチェックして特徴を抽出し、普遍的な診断項目を抽出しました」というテイで書かれる。さきほども書いたが、肝細胞腺腫数百例を診断した結果、この所見とこちらの所見が大事だとわかったので、みんなもこれらに着目するといいですよ、という書き方だ。

これは言ってみれば勝者の目線である。現在から過去をふりかえって、回想して、あれは正解だったな、あれはまちがってたなと採点する視線によって書かれている。

その結果、教科書では、疾病ごとに項目がわかれる。

肝細胞癌、肝内胆管癌、肝細胞腺腫、限局性結節性過形成といったように、病気の名前ごとに章立てがなされ、肝細胞腺腫を調べたい人は肝細胞腺腫の項目を熟読しなさい、というつくりになる。

しかし現実の病理診断はそうではない。

プレパラートを見る前には診断名は決まっていない。肝細胞腺腫なのか、肝細胞癌なのか、類洞拡張だけなのか、過形成性病変なのかを「これから見極める」。前向きに、進行形で、不安と期待を抱えたまま探っていく。

このとき、肝細胞腺腫の項目だけを読んでいても診断ができない。だって肝細胞腺腫かどうかわからないのだから。



内科の教科書には症候学というジャンルがあり、疾病の名前ではなく「症状」で検索できるような本がいくつかつくられている。病名が決まる前にどう動くかということに対してある程度の目配りがある。

しかし、病理診断の教科書には「所見」で検索できるものはほとんどない。病名の候補が絞られるまでの時間をどう過ごすかについてのアドバイスは、書籍の形ではほとんど残されていない。

例外的に『外科病理診断学 原理とプラクティス』(金芳堂)や『皮膚病理のすべて』(文光堂)、『皮膚病理イラストレイテッド』(秀潤社)のような、所見からどう診断を考えていくかという本もある。しかし、皮膚病理を除けば臓器ごとの各論までは手が届いていない。

消化管、肝臓、膵臓、肺、乳腺、甲状腺、子宮、卵巣、膀胱……。

これらの臓器において、「不安と期待をかかえたままいちからプレパラートをみる」ときの病理医と二人三脚してくれる教科書はほとんどない。



では誰かがそういう本を書くべきなのか? ここがじつは難しい。

書かなくてもいい、のかもしれない。これまで多くの病理医が、「疾病ごとに章立てされた教科書でがんばって診断をしてきた」のだから、病理医のスキルの中には、「回想型(診断が終わってから振り返るタイプ)の分析を突き詰めれば、なぜか期待型(診断がわからない時点から徐々に診断を組み上げていくタイプ)の仕事ができるようになる」というものが含まれているのだろう。

含まれているのだろう。

含まれているのか?

ほんとうか?

だからみんな、「教科書を読んだだけではわからず、人にコンサルテーションする」というやり方をとるのではないか?

「まだ診断がわかっていない時点での思考の進ませ方」を学ぶために、教科書ではなくメールを用いるのではないだろうか?



肝細胞腺腫の診断にかんする質問をうけたとき、ぼくはメールにこのように書いた。


どうやってHCAを診断するかというとだいたい下のような流れになります。 

1)造影態度が普通のHCCじゃないという臨床情報(ありき)

2)GSFNH的病変でないことを確認

3)LFABPβ-cateninとあわせてSAAを染色。SAAがバチバチに染まってほかが正常だったらiHCA

4)でもHCAと診断を書きつつ、ほんとうにこんなパターン診断でいいの? と不安になってCD34を染めたりHsp70Glypican 3を染めたりコンサルトしたりする

5)コンサルタントからもいいよと言われるのだが疑問が残る

6)結局診断期限ぎりぎりまで細胞を見て核所見とかに思いを馳せる


こんなことは教科書には書けない。書いてもいいとは思うが出版されないだろう。個別具体的すぎて、本を買う人の数がそうとう限られてしまうからだ。ああそうか、メール的な教科書が出ないのは、必要がないからじゃない、売れないからか……。

考えない診断

診断をするということについて考えている。

最近の医療にかんする書籍は、ケアについて書かれていることが多い。ケア最強時代だ。ケアにくらべると、西洋医学の中でも特に科学感を出してくる領域、とりわけ診断についての思想や哲学というのは(少なくとも一般に買って読めるような棚を見回すかぎりでは)弾数が少ない。

ぼくはもっと診断という行為全般について丁寧に書いた本が読みたい。なのに世の中はケアばかり取り上げる。

医学の専門書を読めばいいではないかと言われるかもしれないが、読んでいる。それでも補給しきれない養分がほしい。

治療やケアに従属しない、純然たる診断の本が読みたい。「診断はさっさと終わらせて治療をじっくり考える」とか、「診断を留保したまま実践の中で微調整をしていく」といった、臨床の手さばきからは離れた場所にある、診断そのものが本来持っている重量ときちんと向き合った本が読みたい。

たとえば、ひとりの人に対する診断だけでなしに、たくさんの診断をやる中で浮かび上がってくる、「学問のタネ」に目配せをする瞬間の、あの心の前傾姿勢をきちんと描いた本。

あるいは、疾病や病態を「名付ける」ということが治療効果や予後予測、患者・医療者の感情変化以外になにかもたらさないのかという調査あれこれ。


どこを探したらよいだろう。記号論の棚だろうか。プラグマティクスに答えがあるのではないかと考えたこともある。もしくは、機械学習論、次元圧縮の数式をきちんと読み込んだほうが参考になるかもしれない。

臨床の実践の中にすべての素材は見いだせるだろう。しかし素材が手に入るからといって料理がうまく行くとは限らない。


「統計や因果の矢印で語れない部分にこそ医療の本質がある」とか、「医者があきらめてからが医療の本番」みたいなことを、いろんな人が指摘するようになって、それはたしかに、まあそうだとぼくも思う。近代科学がある種の万能感をもって右肩上がりに成長していく過程でふりおとしてきた個別のかなしみ、それに、社会学者とか文化人類学者とか、あるいは医者がきちんと目配りをして、手を当てて(手当てして)いくムーブメントは暴風雨だ。それが進んでいくこと自体は総論賛成、各論だって賛成だけれど、医者はおろか科学者までもがコミュニケーションや手当てやケアの話にかまけてばかりいる今、デジタルもビッグデータも解像度の向上もひっくるめた「今の診断」とはなんなのかを論じた本が足りていないように思う。

ちょっとすねている。逆張りかもしれない。それでも診断のことをもっと幾重にも考えたいし語りを聞いていたい。


診断という言葉をべつの動詞を使って表すとどうなるだろう。「診る/見る/みる」はまあ、そうだ。でもそれだけだろうか。「決める」。「選び取る」。「捨てる」になっていることもあるだろう。これみよがしに「掲げる」。「はめこむ」。「そらす」もありえるか。

むずかしい軟部腫瘍の病理診断をする際、そこにある細胞を顕微鏡で見て、「まずそもそも異常であるかどうか」を考える。ただしこのときの「考える」は、かなりのスピードで終わってしまい、プロセスが意識に登り切らないことすらある。「あっ、悪い(=がんである)ね」と、瞬間的に第一次の診断をするとき、それは「考える」という言葉であらわせるほど熟慮を強いていない。動詞が違うのではないかと感じる。「みる」までもたどり着いていない。じっくりじろじろ見る前に階段の一段を登る。「やってくる」が近いか。「躍り出る」かもしれない。

「これはがんだ、それは考えるまでも見るまでもなく自明だ」と、診断が舞台に躍り出る。たとえば、臨床医が細胞を採取するときに、「病理医がなんと言おうと患者の状態からしてこれはがんであるに決まっている」みたいなケースがある。細胞を見る前に診断らしきものが決まっている。

とはいえ、慎重を期すために病理医もあらためて「それががんであるかどうか」を「考える」。このときやっていることは本当に「考える」になっているのだろうか。「捨てる」のほうが近いのではないか。

病理診断の相手である細胞に、いくつかの種類の抗体をふりかける。たとえばサイトケラチンAE1/AE3と、S-100と、LCA(CD45)。まずはこの3種類、それぞれ別に用意したプレパラートにふりかける。その染まり方を見て次の手を打つ。このとき、「染まったものを選ぶ」というよりは、「染まらなかったものを落とす」という思考回路である。

「がんである」が考える前に、見る前に決まった。次に、「少なくともコレコレナニナニのがんではない」とばさばさ切り捨てていく。

サイトケラチンもS-100も染まらなかったがLCA(CD45)だけが染まったとする。となれば造血器系の悪性腫瘍だなと「思わされる」。考えていない。「連れてこられる」。では次になにをふりかけるか? CD20か? CD3か? CD30か? あるいは、CD68か? 「選ばされる」。ここでもまだ、考えてはいないとも言える。

では病理医はいつ考えるのか。もしくは、「考えない」のだろうか。ぼくは診断が本当に考える行為なのだろうかというところから「考える」本を探す。たぶん、とうぶん、探す。

魂のありか

ジャケットの下にカーディガンを着ている。デスクではひざかけが欠かせない。若い頃にくらべると、内燃機関がないねん。熱が足りないねん。

大学で講義をすると感想・質問が送られてくるのだが、みんな授業とは関係ない話ばかり送ってくるので、愛らしい。ある学生から、「緊張すると手に汗をかくので、テストなどでも答案が濡れて困るのですがどうにかなりませんか?」という切実な相談が寄せられた。わかる。ぼくも昔はそうだった。いつも体が熱かったし、汗ばかりかいていた。試験のときには問題用紙を手の下に敷いてやりすごしていた。なるべく汗のしみが目立たないような色の服ばかり選んで着ていたし、誰かといっしょに辛いものを食べに行くこともめったにしなかった。

今は熱が足りないから、汗もかかないねん。忘れていた青春のつもりでときどきカレーや麻婆豆腐を食べに出る。ちょっと汗かくけどすぐ引っ込む。辛いものってうまいんだな。最近知った。

ニベア的なものや「うるさら」的なものを、家にも職場にも置いて、手指の乾燥を防いでいる。キータッチしていると指が割れてくるので、キーボードが多少べたつこうとも防御しなければならない。一方で、リップクリームの出番は少し減った。マスクをしているから潤うのだろう。……でもマスクしててもやっぱり乾くけれど。

数年前に亡くなってしまったある病理医は、晩年、大腸癌の化学療法に伴う手足のしびれを気にして、布のてぶくろをしながら顕微鏡を操っていた。そんなになってもまだ働くんだ、というのが当時の感想だった。でも、考えれば考えるほど、そりゃそうだ、病気を抱えていようが、自分らしくあり続けられるならばその場所に居続ける、それはぜんぜんおかしなことじゃない。全員がそうだとは言わない。でもぼくも、同じ目にあったとしてもやっぱり働いているだろう。ニベアを塗るように手袋をはめるだろう。

熱も汗も在庫が減っている。それでもぼくは皮膚を使う。

誰が言った話だったかな。

「皮膚がおりかさなるところに魂がある」みたいなことを言った人がいたんだよな。

ええと……これこれ。

”ミシェル・セールは、皮膚と皮膚が合わさるところに魂があると言いました。われわれが思うに、それは考えているところにある。足を組んでたら太ももにある。目をぐあーとあけたら、目にある。唇をかみしめたら、唇にある。魂というのは、からだの折り合わさった、自分と自分が接触するところ、そこにあって、たえず身体のいろんなところに移動しているんだと。” 『臨床とことば』河合隼雄×鷲田清一

ぼくは何かを考えるとき、足を組み、ときには椅子の上であぐらをかき、さらに腕組みをして、目をぎゅっとつぶり、唇をむすんで歯をかちかち鳴らす。皮膚と皮膚をあわせたところで魂が起動する。熱が足りず、汗が足りず、魂が冷えて乾く。心がどれだけ燃えていても魂が乾いては具合がわるい。膝掛けが肝要である。ニベアが欠かせない。

生地をよくこねるのは空気を逃がすため

河合隼雄と鷲田清一の対談本を読んでいると、河合隼雄がぶっそうなことを言うのである。「殺人事件の犯人の年齢は48歳とか49歳あたりがいちばん多い」。これに対して「へえ、キレやすい若者なんていうけど違うんですね」みたいな会話をしている。まあもうちょっと知的な会話なんだけど、エッセンスを適当に引き抜くとそういうことを言っている。

年を取ればニュアンスが増える分で恨みも増えるとか、もっと高齢になると人を殺すだけの体力もなくなるとか、解釈はいろいろできるにせよ、殺人事件の犯人なんてそもそも母数が少ないし、ちょっと何か特殊な事件があったら全部ひっくりかえっちゃう程度の、有意とは言えない統計の話だよなあ。と、まあ、話半分で読んでいた。しかしそこから彼らはちょっとおもしろいことを言った。

「人間、だいたい49歳くらいで最後のだだをこねるよね」

ほう。


だだをこねるってのはつまり子どもってことだ。しかし、大人は100%大人で生きているわけではないし、逆に未成年がピュア・子どもかというとそんなこともない。女子高生があるときふと大人びて見えることもあるし、はしゃいだ大人がまるで子どもの風貌であることもある。そういう入り混じり、混在、同居、統一感のなさに人間の厚みみたいなものが出てくる。だから大人であってもだだをこねる。ただまあ、5歳児ほどの頻度で床にひっくり返って足をバタバタするわけでもなく、たまにしかこねないし、表現型ももう少し複雑だ。そして、49歳くらいで、これで最後だとばかりにだだをこねる。ちょっと家庭をないがしろにしてみたり、長年やってた仕事をちょっとやめてみたりする。……「ちょっと」? 子どもならちょっとで済むかもしれないが、大人がやると一大事だよ? そうなのだ、だから、「だだ」なのである。わがままとかいうレベルじゃない。「だだをこねる」という言葉があてはまるのである。


かつての人間たちの文化は、「入り混じり」に伴う責任の所在のあいまいさを回避し、仕事や関係をシンプルにするための装置として、たとえば割礼とか、あるいは成人式のようなものを用意した。強制的に「今日から君は大人です」とやっていた。そして「まだ君は子どもだよ」という命令も機能していた。今はそういうのはだいぶ減ってきた気がする。残っているのは、「お酒は20歳になってから。」あたりだろうか。医学的な根拠があるといえばある。しかし、20歳と19歳とで医学的になにが違うんだと言われたらコトバを濁す(違わないとは言わないが)。医学的な根拠というなら、18歳以降は献血ついでに採血でアルコールの分解力を測って、飲めそうなら飲む、とするのが本来の進歩的な医学の示す道筋であろう。まあ行政的にそんなめんどくさいことしなくてもいいが。そこでべんりに使われるのが「お酒は20歳になってから。」。割礼の遺物みたいなものである。

子どもと大人はそう簡単には分けられない。だったら分けなきゃいいじゃん、というのも短絡だし、全く分けないままでいいというのも思考停止である。

人間、年を取るにつれて少しずつ分化の度合いを高めながらも、まだどこか多能性をもっているような、どこぞに幼い心を隠し持っているような状態が、20歳はおろか、30歳になっても40歳になっても続く。薄力粉を水でといた感じに薄く引き延ばしたモラトリアムの最後のひとペラ、そういったものが、49歳くらいになると……つまり「50歳」といういかにも記念感のあるコトバを前にすると、引退前の最後の大仕事とばかりに鎌首をもたげてくる。

それが最後の「だだをこねる」ということなのだろう。河合隼雄と鷲田清一はそんな考察をしていく。ぼくはもはや、バカにもできず、笑いもせず、ひたすら唸っていた。なるほどなあ。理屈はともかく感覚が「そういうこともあるかもなあ」と感じている感性で納得してしまった。

河合隼雄はこのことを「ラストダダイズム」などとダジャレにしているのだが鷲田清一がとくにおもしろそうにしていない(響いていない)のがよかった。それは別にうまくない。


ぼくは来年46になる。「最後のだだをこねる季節だ」と、自分のことを少し離れてみて言葉にする。言葉にしたとたんに、ふしぎなもので、「そんな言葉でおさまるようなことはおやめなさい」と、自分の中にいる親的存在がたしなめてくる。一念発起とか思い切った方向転換といった言葉で覆い隠しつつ実際には現実逃避でしかない数々の可能性がふわふわと想起される。それは、「最後のだだこね」なのかもしれないと、わかってしまったとたんに距離が空いて冷める、そんなこともある。生地をよくこねるのは空気を逃がすためだ。だだをこねるのは何を逃がすためなのだろう。自分の中に残った未分化な成分だろうか。

これからの期待と回想

しんどいしんどいと思いながら灰色の毎日を送っていた。しんどいを2倍にしたらしんしんどいどいだ。心の関節にアブラが足りていなくて身動きするたびにドイドイとこすれるような震えるようなくぐもった音がする。


X、Threads、すべてのアカウントを消したあと、だいたい1か月くらいで、「自分の行動は小さな子どものそれだったのではないか」「思い通りにならないことがあったときにお気に入りのオモチャを投げつけて壊してしまうような、パトレイバーの『内海』の行動原理だったのではないか」という、重めの後悔が忍び寄ってきた。しかし、その後悔が自分の魂を覆ってすっかり取り付くより前に、出張先のホテルで待ち伏せされ、差出人のわからない手紙が届き、タイヤの側面に三角形の切りキズが入った。どれとどれに因果関係があるのかはわからなかった。でも相次ぐ出来事に、やっぱりいろいろやめて正解だったんだという自らを説得するかのような声が大きく鳴り響くようになり、後悔はおとなしくなった。なくなったわけではない。後悔は相変わらず、黙って心の片隅で体育座りをしてこちらを見ている。なくなったわけではない。しかしかなりおとなしくなった。


たくさんの人に迷惑をかけながら暮らしている、とこぼしたら、「知人・友人というものは傷つけていいんだ。」と言ってくださった方がいた。それはぼくの価値観ではなかった。しかしそう思ってくれる人も世の中にいるのだということがぎりぎりぼくを救っていた。


失ったものを同定しないままたくさん失った。それはきっと、別に、出来事がなくても日々少しずつ漏れ出していたものだったのだとは思うが、体に無理のないスピードで少しずつ痩せるのと二週間くらいで一気に痩せるのとでは負担が違うのと同じことで、ぼくには単純に急激な変化による負荷がかかっていた。


でもその一方で、ぼくは羽を伸ばしてもいた。


正直、原稿の締め切りがすべてなくなったところで、締め切りを破ったことがなく締め切りに追われたこともないぼくには大して大きな意味をもたらさないと予想していたのだけれど、とんでもなくて、ぼくはわりと日中とか夜とか、ふとした瞬間に「次に書くかもしれない原稿のこと」を思い続けていたようで、それがなくなったことで脳が晴れ上がったような気持ちになった。びっくりしたのは映画が観られるようになったことだ。たとえば「ダンジョン飯」が三週間限定で公開されるというのでフットワーク軽く見に行った。別にそれほどおもしろくはなかったけれど原作通りだったので癒やされた。パンチラもあるので好きな人は見に行くといい(※ただしセンシである)。


いつも以上に本を読んだ。これまであまり興味をそそられなかったウィトゲンシュタインをあらためてじっくり読もうと思って、入門書のたぐいを何冊か買ってみた。それらのいくつかはぼくに新たな疑問と命題を与えてくれた。


津野海太郎の最近のエッセイの中で言及されていた鶴見俊輔が気になって『期待と回想』という文庫を買ってみた。『期待と回想』はべつに期待とか回想というものについて書かれた本ではなくて、哲学者・鶴見俊輔の半生を振り返るインタビュー本なのだけれど、プラグマティズムにおける哲学者同士の間合いの話や、ベ平連との付き合いの最中に考えていたこと、天才秀才の一家に生まれて自身もまたひとかどの人物になっていったと解釈しがちな順当な人生を本人は実際のところどう思っていたのかといったことが次々出てきて飽きない。


鶴見俊輔というのは自殺願望を生涯に亘って持ち続けた、死にたがりながら生き続けた人であった。そして、彼はぼくがこれまで読んできた哲学者や論理学者の中で、唯一「りくつで理解できた人」(それだけにあまり魅力を感じなかった人)であるチャールズ・サンダース・パースをはじめとするアメリカ哲学の達人だった。ぼくはようやくパースという人のおもしろみのトバ口に連れてきてもらえた気がした。そして、自分の脳に常時流れている、「いつのまにか世の中では医療を語るといえばケアのことばかりになってしまったけれど、ほんとうは……」という通奏低音にようやく気づいた。ぼくの心の奥底に流れている声はこんなことを言っていた。

「ケアや治療や維持管理についてのことではなく、診断についての語りを聞きたい」

人が人に、あるいは人の抱えた状態に恣意的に名前を付けて運用することの正体について、どこまでもいつまでも語っていたい。これに対する応答のきっかけを、ぼくは鶴見俊輔の語りの中に見つけた。応答そのものではなくきっかけ。しかしそれはぼくが待ち望んでいたきっかけ。


『期待と回想』という書名。これは鶴見がいう、「あとになって過去を振り返って、当時はこうだったと言うこと」の功罪についての繊細な指摘だ。

「当時の見方と、それを振り返る現在の見方とをまぜこぜにしないで、一つを歴史の期待の次元、もう一つを歴史の回想の次元として区別する」。いまという状態で見ると、未来は自分の不安と期待が混じり合って視える。その時期から十年二十年たってから振り返って見るときには、不安と期待なしで視えるわけですから、あたかも自分に先見の明があったように書けば嘘になるでしょ。” 『期待と回想』(ちくま書房)より


唸った。まったくそうだ。そのとおりだと思った。ぼくがこれまでのアカウントを運用してきた間ずっと抱えていた不安と期待、そしてアカウントを閉鎖するにあたって前向きに感じた大きな恐怖を、今から振り返って、あれは失敗だったと『名前を付けて診断する』ことは簡単だ。しかしぼくは少なくとも、いつだって期待の次元でSNSを運用していた。回想の次元で総括してもニュアンスはずれるに決まっている。


映画を観、読書をし、ときには出張のときに空港で温泉に入ったりもして(これまでなら考えられなかったことだ)、ぼくはようやく後悔を抱えたまま、自分の視界の多くを回想ではなく期待の次元に戻すことができた。XとThreadsではもはやアイコンも名前もまるで別だがひとまず新しいアカウントを用意した。


いちど不義理を働いたウェブの世界で、今後、誰かに依頼されてものを書いたり、誰かと対談したり書店イベントをやったりということはもうしない。それはぼくではなく「知人・友人」に危害が及ぶかもしれず、ぼくはそれをよしとする価値観で暮らすことはできない。しかし、ひとりで期待と回想をどこかに綴ったり語ったりことはできる。どれだけストーカーがやっきになって追いかけてきても、脳だけで旅をして、今を忘れて過去を先に進め未来を振り返る。