時効じゃないからね

「もう時効だと思うが」という書き出しで、昔のオイタをつらつら書いていくスタイルの文章をたまに見る。自分でも書いたことがある気がしないでもない。あまり上品な文章ではないな、と今は感じる。では、かつての恥ずかしい/ちょっとよくない思い出を、代わりにどのように書き出すべきか? 「まだ時効ではないと思うが」だと単なる容疑者の独白になってしまう。なかなか難しい。「時効」という言葉からいったん自由になる必要があるだろう。


もう藪の中だと思うが――――

昔は病院内で酒盛りがあった。今となっては信じられない。あれは夢だったのではないかと思っているし記憶がかなり断片的なのでほんとうにあとから作られた記憶かもしれない。本を読んだり映画を見たりしているうちに、自分の思い出すらも信じられなくなっていく悲しい中年の戯言である。想定しているのは20年くらい前。まだ私が今の病院に勤務する前、くらいがよいだろう。某病院の検査室の、休憩室の冷蔵庫の中に、ビールが置かれていて、診療を終えた医師たちが帰宅前に立ち寄って技師長といっしょに軽く一杯飲むシーン、私はそこに学生としてか大学院生としてか、とにかく混じっていたように思い浮かべる、もちろんこれはおぼろげな捏造記憶だ。とっくに定年退職して、あるいはもう鬼籍に入っているかもしれないベテランドクターが、顔をあからめながら、週末の学会について語る。技師長は「そんな仕事の話ばかりしないでくださいよ」と言いながら釣りやツーリングの写真を見せつつ呵々大笑。釣りとツーリングってぜんぜん違うんだけどセットで書きたくなる。

そういう牧歌的な交流があの頃の誰かの心を支えていたのだろう、という物語り。追想とはよく言ったものだ。過去を追いかけているうちにいつしか追い越している。


年末に忘年会と称して病院内の職員食堂で軽食とビールが振る舞われたこともあった、だろう。もちろん、院内の宿直当番者たちは参加しない。夕方で勤務を終えた医師や看護師、技師などが集まって、ホッカイシマエビをワインで流し込んだりしていた、だろう。酔いの回った医療スタッフたちが検査室やら技師室やら薬剤部の詰所やら、とにかく患者からは距離のあるスタッフスペースを練り歩いた、だろう、そうして一年の労をねぎらいあっていればよいなと思う。


感染症禍よりもはるか昔にそのような風習はなくなった。あんなものなくなってよかった。アルコールが飲める人しか楽しめないし、同じ建物の中で患者が苦労している中で、それをいったん忘れてはしゃぐというのは幼稚で幼若だったとも感じる。ほろ酔いで病院の廊下を歩いてはだめである。

そして、そういう無責任かつ奔放な、おそらくけっこうな人に迷惑をかけ続けていたはずの風習で、たしかに癒やされて日々の活力を得ていた人たちが、昔はごっそりといたのではないか。おそらく今の私の年齢くらいの中年も、多くがそうやって一息ついていたのではないか。追憶はスピードを緩めない。


旧習のゆがみ、だめさ、弱さ、きびしさを、すでにわかって克服してしまった現代の私たちが、当時に勝るとも劣らないストレスの日々を過ごすにあたって、かわりにどうやって自分たちを癒やしているのだろう。なんとなく、そういうところが少しだけ気になる。かつてのあの日々はいまだに時効になっているわけでもないし、ま、もう誰もやんない。となれば今はみんなもっと別の方法でなんとかしてるということになる。それはいったい何なのだろう。スマホアプリに課金する? 人の悪口をネットに書く? 交流の手段も場所も目的すらも見失って互いに孤立している現代の私たちは、しかし、もうあの頃に戻ることだけはできない。もちろんこれは徹頭徹尾私の脳内にしかない偽の記憶であることは言うまでもない。

シンパもアンチも小さくなった

かつてメディアが「最大公約数のためにしゃべれる人」ばかりを選んでメッセージを出していた頃、「テレビだけ見ていてもわからないこと」があちこちに転がっていた。

誰もがテレビを見ていたけれど、当然のように世界はもっと広く、テレビはすべてを与えてはくれなかった。

空間を共有する実体験のよさがどうとか。テレビではなく本を読めとか。そんな話を毎日のように耳にした。

当時、「アンチテレビ」は商売のやり方として立派に成り立っていた。「テレビなんか見てんの?」という煽り文句も有効であったと思う。「テレビなんか」には映し出せない壁の向こうや襞の裏があった。いい大学を出た研究者や、朴訥な芸術家たちは、こぞってテレビが映さないものに肩入れし、テレビ愛好家たちをバカにした。


その後、SNSをはじめとするオルタナティブメディアによって、テレビは単なるいちメディアの地位に退いた。結果として、「テレビなんか見てんの?」という言葉の有効性も失われたように思う。

「テレビを見ずに勉強すれば人より賢くなれた」という状況は、テレビのもたらした共通認識がある世の中で、「それ以外」の知識が特別に輝いていたからこそ成立した。

今のテレビは、国民に何か共通のものをもたらすものではない。したがって、アンチテレビのスタイルもしっくりこない。「テレビ? 見てる人は見てるよね」で終わりである。




誰もが人と違うものを見ている。博覧強記の人というのも成立しづらくなった。いつのころからか、クイズ番組には出題にあきらかな偏りが出ている。東大王も脳トレパズルや建築、世界遺産、歴史などには強いが芸能の歴史には妙に疎い。どれだけ物知りでも現代の世の中に存在するメディアすべてにアクセスすることは不可能で、あれもそれも知っていたからといってどれもこれも知っているとは限らない。テレビ以外に注目していれば異端でいられた時代ではない。テレビを見ていなければ知ることができない知識すら存在する。


「Twitterばかりやってないで現実を生きなさい」という言葉も空虚に聞こえる。現実に生きているだけでは絶対に経験できないことがSNSに落ちている。現実でもSNSでも扱われない話がラジオから聞こえてきたりする。どれかだけに入り浸っていてはわからない。現実だけでは網羅できないし現実なくしても網羅できない。じつは誰ひとりとして網羅できない。






先日、院長面談というのがあった。病理診断科主任部長である私は15分くらいの予定で院長応接室を訪れ、院長・事務長・副事務長などと話し合い、予定を大きく超過して45分程度の面会になった。話の内容は、経営、人事、研究、臨床など多岐にわたった。

当院には私を含めて複数の病理医がいる。ありがたいことである。

一方で、系列病院の中には、少ない病理医でなんとか仕事を回しているところもある。この先病理医が高齢化したとき、次の病理医をどのようにリクルートするかは大きな問題となっている。都市部では病理医が余り始めているが、地方では病理医はまだまだ足りない。

私は、

「これからの病理診断は、バーチャルスライドシステムを用いて、遠隔でほかの病院をどんどん応援していかなければいけないでしょうね」

と述べた。

するとひとりがこのように言った。

「バーチャル化は時代の流れですよね。このさき病理診断はどんどんオンラインでなされるようになりますよね。では、先生から見て、今、バーチャルではいけない理由……生身の病理医がいなければいけない理由はあるでしょうか」

この質問はよくもらう。だから答えもすぐ出てくる。

まず、「切り出し」という業務はその場にいなければやっていけないですね。「細胞診のチェック」という業務もできれば現地に病理医がいたほうがいいでしょう。そして病理解剖。解剖はバーチャルではできません。

そしてなにより、「現場の医師と廊下で立ち話をする」とか、「ふとした疑問に答えてほしいときに病理医にすぐ会いにいける」ということが、生身の病理医の存在意義として大きいと思いますよ――――



現場に生身のプロフェッショナルがいるだけで、私たちの業務は、感覚として確かによくなる。楽にはならないが深みが出る。キレは変わらなくてもコクが出る。

しかし。

「生身の病理医じゃないと病理診断はできませんよ。バーチャルスライド? AI? デジタルパソロジーなんかぜんぜんだめですよ」

とまでは言えない。

それはなんというか、「テレビなんか見てんの?」を焼き直しているだけのように感じるからだ。

生身の病理医であるところの私は、医学領域におけるメディウムのひとつでしかない。私の暮らす病理学は、呆然とするほどに相対化されてしまっている。アンチデジタルパソロジーをやっている場合ではない。シンパやアンチが成り立つほど世界は単純ではなくなってしまったのである。

シロノトリガー

正式名称をなんというのか知らないが、階段の一段一段ごとに貼られている、カドの滑り止めのゴム、地下鉄の構内から地上に上がる階段を登っていく途中で今まさに自分が踏みつけているゴム。あれがすり減っているのが目に入った。年季が入っている。足元を見ながら一段ずつ登っていくとき、なるほど私の足は階段のステップの前後ちょうど真ん中に足を置くわけではなく、足の前半分をステップにかけるようにして、かかとを浮かせたままでトントン登っていくので、ステップのカドに滑り止めがあるのは大切なのだなとわかる。それがすり減っている。なお、すり減っている場所は階段の左右ど真ん中ではない。登る人と降りる人がそれぞれ一列ずつしか通れないような細い幅の階段なので、左右それぞれ、人が通る場所だけがきれいにすり減っていて、階段の真ん中あたりはまだ滑り止めの溝がきちんと残っているのだ。

そして階段を登っていくと、途中の踊り場のところだけは滑り止めがすり減っていない。ちょっと意表を突かれたが、たしかに、階段から平場に移行するところでは無意識に足が前半分だけではなくて全部接地するように、私の足は自動的にそのように調整されている。斜め上に自分を運ぶときには足の前半分しか使っていないが、前方に動くときには足全部を接地させてからかかとを浮かせて進行方向に加速度をかける。だから階段の一番最後の段、というか階段が終わって踊り場に至った場所では滑り止めはもはや踏まれることがなくてそこだけきれいなのであった。

しかし、まあここまではそれなりに理解できたのだが、びっくりしたのは踊り場から次の階段を登っていくときのことだ。なんと階段の一番下の段、踊り場から最初に足をかける1段目において、滑り止めがすり減っていないのである。もしや、平場から階段に足を持ち上げるときだけはかかとを浮かせるのではなく足全体を階段につけているのか? 自分ではわからない。私自身は、1段目から足の前半分を階段にかけているかのようにも思える。しかし滑り止めを見ると明らかに、最後の平場の段だけではなく最初の1段目においても、滑り止めの溝がきちんと残っているのであった。

歩けて階段も登れるようなロボットを開発している人だったらこのあたりの足の機構はとっくに解析済みだろう。新しいことを発見したとは思わない。しかし私の直観が、「登り終えた平場の滑り止めがきれいなこと」は納得するが、「階段の1段目の滑り止めがきれいなこと」はどうもうまく飲み込めないのであった。


……あるいは、別の理由だろうか。1段目だけはほかの段差よりも強く「ブレーキをかける力」が加わるために、他の段よりもなお激しく劣化してしまうので、ここだけ何年か前に取り替えて新しいものになった、みたいな可能性はないだろうか。そういうこともあるのかもしれない。定点観測で古い・古くないを判定することと、実際にそこにどのような劣化要因が加わっているのか、相関関係はあると思うが、ほかにも別の因子が交絡している可能性は十分にある。

廃墟や遺跡を見ているとき、私は、物が古くなる過程の一方通行さというか、容赦のなさというか、取り返しのつかなさというか、はかなさにばかり思いを馳せている。町中には今日も、住む人のいなくなった家がゆっくり朽ちていく区画が散見され、とるにたらない栄枯盛衰、みたいなことをよく考える。しかし、実際には、たいていの物事は順方向にだけ年を取っていくのではなく、入れ替え・新陳代謝のメカニズムを持つ。それほど単純ではないのだ。まっすぐ右肩下がりで悪くなっていくのではなく、へたくそなパイロットウイングスの着陸のように、ときおり機首を上に向けて高度を回復させながら波打つように劣化していく。



先日ひさびさに訪れた釧路のある居酒屋。15年前に通っていたときに、壁に、漁協が配っているような海産物ポスターが貼ってあって、それがタバコと焼き物の煙に燻されて真っ茶色になっていたのだが、このたび訪れると、海産物のポスターが、少しだけ茶色みがかった状態で貼られていた。たしか琥珀に閉じ込められたような色だったはずなのだが、それほどでもない。単なる記憶違いかとも思ったが、周りの壁の色味と比べてみると、たしかにそこだけ明るく浮き上がって見える。「これ、いつ張り替えたんですか」と聞くと、「えっ、そんなのだいぶ古いよ、もう20年くらい前じゃないのかな」と大将が言う。

そんなわけはない。記憶の中のポスターよりもだいぶきれいだ。

でも、あるいは、大将の言うように、これは本当に昔から一度も貼り替えていないポスターで、ただし何か私が思いもつかない別種の代謝のありようをしたために、時を経るにつれて逆に白さを増しているのかもしれない。階段の1段目だって踏まれて溝が増えたのかもしれない。止め絵で判断できることなんてたかがしれている。移り変わりをずっと横で見ているわけでもない、通りすがりの人間が、一瞬の病理診断だけですべての時間経過を診断できるわけがないのだ。

おばかさんよね

北海道、冬、積雪のあと、車の通行が多い大きな国道の雪はあっというまに解けるが、小さな道路では車が通るたびに車輪の痕だけが踏み固められてそこだけがへこみ、轍(わだち)となる。

轍ができるといろいろあぶない。脇を歩いている歩行者をドライバーがよけようと思っても、轍にタイヤをとられてふたたび道の真ん中にズリっと戻ってしまったりする。タイヤが小さく車高が低い軽自動車などは、いわゆる「亀の子」状態になってタイヤが空転し、にっちもさっちもいかなくなってJAFを呼ぶはめになる。

轍のできる条件は、「同じ場所を何度もタイヤが往還すること」と、「道が広すぎないこと」である。そもそも車の行き来が少なければ轍にはならない。また、道が十分に広いと、轍ができかけた段階でドライバーは轍を避けて車を走らせるのでかえって轍はできない。つまり家の前に走っているような中小の道路が一番危ない。



思考にも轍ができる。毎日同じくらいの時間に同じようなことを延々と考えてしまうときに轍ができる。行きつ戻りつ、同じタイミングでハンドルを切り、同じ場所に何度もタイヤの痕をつけて、道をえぐり、もはやそこから抜け出せなくなってしまうのだ。

思考の総量が国道なみに太ければいいのだが、たまに考える程度の、たまにしか考えない程度の、生活道路くらいの交通量の思考だと、容易に轍にはまりこむ。つまりは「もっと深く鋭く考えればよい」のだけれど、人間、いつもいつも十全の思考ばかりできるわけではない、というか、たぶん軽自動車で近所をうろつくくらいの思考こそ、私がもっとも頻度高く行っているものであり、そういう思考というのは往々にして轍を作りがちなのである。


かつてサザンが「希望の轍」という歌を歌っていたが、今にして思うと、「視野が狭くなった状態で希望の話をするとたしかに考えは轍のように同じ場所にはまりこんでしまうものだよな」ということを連想してしまう。思考のタイヤを轍にとられないためにはどうしたらよいか? 同じ道ばかり往還するのをやめること。仕事中でもときどきスイカゲームをするなどして思考を別の場所に飛ばすこと。いっそ自動車ばかりではなく徒歩で思考すること、あるいは逆に空を飛んでしまうこと。

どれだけ車の排気量が高くドライバーの運転がうまくても、限られたルートばかり通っていればそのうち轍にはまりこむ。思考にはそういうところがある。

底には何もないですね

何かを書くにあたって、「自分の中に深く潜っていって底のほうにあるものを書く」と表現している人がいて、なるほど、そういうイメージを用いる人はいる、まあ言いたいことはわかる、しかし私が何かを書くときのイメージは(少なくとも今は)こうではない、と思った。

自分の中に深く潜る、というところまではいい。

しかし、潜った先に「何か具体的なものがある」と表現しているところが違う。

脳の奥底に、「手でつかめるような実体」があると感じることはない。脳の底までたどり着いてもそこは混沌であって「答え」が置いてある場所ではない。底に立って周りを見渡し、あるいは見上げ、うなだれ、乱雑に広がるほこりっぽい蜘蛛の巣のようなイトの数々を揺らしたりまとめて追い払ったりしているうち、なにやら思考がモヤモヤ出てくるが、それは「底にあったもの」ではない。

何かが自分の底に秘匿されており、それをむき出しにするためにものを書く、といった表現には違和感がある。それは、書くという行為を要約しすぎていると思う。




そして、潜る先が自分の奥底である必要もないと思う。たとえば誰かの心の中でもいい。他人には秘匿領域があり、当然のことながら私が気軽に潜り込めるものではないし、浅層ですら跳ね返されてしまう。しかしその「誰かの心に入り込めるとしたら」という想像の世界で、何度も繰り返し拒絶される体験そのものは、なんらかのかたちで文章になる。このときもやはり、誰かの心の底に隠されたものを開示するわけではないし、そもそも、心の底に隠されたものが何か具体的に宝物のようにあるという考え方に、私はいまいち共感できないのだ。

究極的には、潜る先は人の心でなくてもいい。科学の中でもかまわないと思う。学問体系は自律的に代謝して増殖し子孫を残す生命のようなもので、適応したり変成したりする。ということは、学問という複雑系にも心の奥底のような場所はあって、そこに向かって潜り進んでいくことで、私はおそらく何かを書くことができる。しつこいようだがその際も、学問の奥底になにか「本質」があるだろうと探すわけではない。たぶんそんなものはないし、潜った程度でいいものが見つかるイメージはない。

「奥底に本質がある」という発想から自由にならないと書けない。




書く行為は自分をさらけ出すもの、という言い方を好む人もいる。でも「さらけ出す」という言葉の使い方はミスリードではなかろうか。隠してあるもの、埋もれているものを明らかにするというイメージ、これはじつは書く行為のほんのわずかでしかなく、ほんとうは、書いたものが自分や他人や学問などと絡み合ってそれらを少しずつ異なるものに変化させていくほうが大きくて、それが書くという行為の本態ではないか。

見えなかったものを見せるために執筆するというのではなく、世界をこれまでと異なる方向にずらす運動量としての執筆のほうが、私はわくわくする。前者はなんというか、お里が知れるというか。

潜った先にあるものに光を当てただけで執筆が成立するならば、書くという行為にこれだけの魅力は生じないように思う。



明らかにしがち、つまびらかにしがち、解きほぐしがち、そんな中、そういうことから距離を取って、にじり寄るかのように、後ずさるように、何かに質量を乗っけて動かしていくような執筆物に、私はあこがれるし、そういうものを読んでいるときに一番、心の奥底にいるときのあの、不安で不安定だが不思議と不快ではない気持ちにひたることができる。

ほっぺたに付く寝痕のように

昨日の夜、そうだあのことを書こう、と思った内容はわりと具体的だったのだけれど、目が覚めたら雰囲気だけ残して言葉は消えてしまっていた。花見が終わったあと、ゴミをきれいにまとめてブルーシートを畳んでその場を去るときにふと振り返ると、べつに地面の草が特段しおれているとか土の色が変わっているといったことはないにもかかわらず、それまで我々が座っていたスペースに、まだ面状の質量が加わっているような感覚になることがあるが、今朝の私の思考がまさにそういう感じだった。

あったことは感じ取れる。しかしない。

思い出そう、思い出そうとしてもなかなか捕まえられない記憶をたどるには、こちらから追いかけてはだめだ、向こうからやってくるのを待たないと、と言ったのは居島一平さんだ。しかし今回の私の記憶に関しては、今こうして消えかかっている残響に必死で耳を傾けてなんとか手繰り寄せないと、おそらくこのままなかったことになってしまう、という悲しい確信がある。




年内の仕事をどんどん先に進めている。今作っているのは3か月後にしゃべる細胞診講演のプレゼンと、7か月後にしゃべる胃X線・病理対比講演のプレゼンだ。ほか、年内にしゃべるためのプレゼンはだいたいできあがった。早め早めに仕事を片付けていくほうが、精神衛生上よいことは間違いない。ただ、あまりに早く準備しすぎると、いざ自分がそのプレゼンを用いて何かをしゃべる段になって、プレゼンを作ったときの気持ちをすっかり忘れていたりもする。

忘れっぽくて便利なことなどない。

「この肉眼写真の次にこの組織写真を配置したのはなぜだったかな……作ったときはたぶんこれがベストだと思っていたんだよな……そういう筋書きがあったんだよな……思い出せない、な……」。

意図が盛り盛りに練り込まれていたはずのプレゼンが、今や、解読されるべき暗号のような顔をして沈黙している。自分以外の誰かが撮った写真に解説を付けるときの気持ちで、見覚えのないプレゼンをじっと見続ける。どうしても思い出せない。流れがつかめない。

そういうときはもう、あきらめる。

早く帰るのをあきらめる。

ゆっくり寝るのをあきらめる。

あきらめて、「プレゼンを作る直前にやっていたこと」をやり直す。プレゼンに用いた症例の数々を引っ張り出してきて、依頼書の一行目からじっくりと目を通し、電子カルテをたどり、プレパラートを1枚目から順番に見て、もう一度頭の中で診断書を書く。そして、かつて自分が書いた病理診断書の文面をあらためて読む。

こうして一から組み立て直していくと、さすがに思い出す。

ああ、そうだったそうだった。この症例を診断して、臨床画像と照らし合わせるにあたって、患者や主治医には必ずしも影響をおよぼさない、しかし病理医にとっては刮目すべき特殊なポイントを、私は見出したのだった。

そこから多少なりとも普遍的な法則を……いや、普遍的でなくてもいい、偏執的でもいい、なにか将来の医学に持ち越せるようなことを、取り出してきたいと思った。だから私は「ああいう順番」で写真を組み、プレゼンを作ったのだ。

すっかり、思い出した。
しかしだ。

今こうしてプレゼンを見直すと、自分が伝えたかったはずのストーリーを自分で思い出せない。となればこれはもう、プレゼンの「伝達能力」があまりよくないということになるではないか。

おそらく作ったときは頭の中に濃厚なストーリーがあって、その一部をはしょりながら、あらすじを追いかけるように一気にプレゼンを作ったのだ。

でも、こうして忘却力を発揮した今、このような写真の並びだけでは、「元々の症例が持っていた迫力」がいまいち伝わらないということがわかる。

半年以上前に作ったプレゼンを一度ほどいて、あらたに写真をとりなおし、解説のコメントも付け加える。結局、講演日程の直前になって苦労することになってしまったが、まあ、これで多少はいい講演になるだろう。

パワポを上書き保存して閉じる。0.数秒のタイムラグの後にウインドウは消える、その次の瞬間、私はデスクトップに「半年前に作ったプレゼンの重力」がうっすら載っているという想像をする。そこから目を離して再び戻せばもう、いつものデスクトップであってデータの痕跡すら残らない。半年前の私はほんとうにあんなプレゼンで何かが伝わると思っていたのだろうか。あるいは、今の私が忘れてしまった、何か別のニュアンスを別様に託していたのがさっきのプレゼンだったということはないか。

残響がかすれて現在は更新された。今を繰り返し生きていくことは残酷である。どれだけの私が過去に屍となったのかわかったものではない。面状の質量が空中にまぎれて私の両肩はまた少し軽くなってしまった。

後の先

とある対談をネットで見ている。どちらが聞き手でどちらが話し手かというのはとくに決まってはいないようだが、いちおう、片方がわずかに主役で、もう片方は自覚的にすこしだけ聞き役に回っている。

聞き役のほうがなかなかのポンコツだ。俗物的だし失礼である。よかれと思って口に出したであろう話題がさほどおもしろくない。読解力が弱く洞察力も鈍い。自賛のムードが強く世界の理解の仕方が一方的である。技術で受け答えしている感がにじんでいる。

少なくとも、片方はイベントをつまらなくしていると思った。

昔だったら、「こんなイベントつまんねぇな」と思って途中で見るのをやめてしまっていたと思う。課金したのにこれかよ、と思ってそのままツイキャスやVimeoの画面を閉じた記憶が何度かある。

しかし今日は見続けてしまっている。

話し手のふるまいが気になるからだ。こんなにつまらない質問をされたら普通はおもしろいことは返せないはずなのに。

なんというか、粘る。

「この嫌な空気からこんなに滋味のある話に持っていくのはすごいな」。「こぷいう会話になったときにこんな間をとってこうやって語るのか」。

ずっと見ている。



こういうことを言うと、おそらく一部の人は思うだろう。「それはつまり、聞き手の技術なのでは? あえて嫌われ役をやって、イベントがおもしろくなるように演出しているのでは?」

たぶん違うと思う。

この聞き手はそこまで考えていない。いや、考えていることは考えているだろうが、たとえば聴衆は、聞き手のほうがウケを狙ってしゃべったところで反応していない。嫌われ役を演じられるほど技術がある人が、スベる必要はないわけで、狙い通りにこうだというわけではないだろう。

それでも話し手は巧みだ。それがおもしろいし、かつ、「現実世界でもよくあることだよな」と思って、見ている。


たとえば私が、この聞き役のように無作法で浅慮なふるまいをしていたとして(実際、たまにしているかもしれないのだ)、話し手がこんなに見事な展開をしたら、私は自分のダメさに気づくことができるだろうか? 「とても楽しい会話だったな」と思って満足して帰宅してたまに思い出す、くらいの結果になるのではないか。

今までも、そういうことが、何度か起こっていたのではないか。

ちょっと、ぞっとするような想像をしながら、見ている。



柔道だと、対戦相手は、こちらが「つかまれたら嫌だな」と思っているところをつかんでくる。襟、袖。重心を崩され、手首をしぼられ、身動きが取りにくい状況で、それでも技をかけて一本を狙いに行く。

練習では相手が力を抜いて隙を見せてくれるから、一本背負いとか内股とか何でも好きな技を思う存分かけることができて、体にその動きをしっかりと染み込ませることができる。しかし、試合で練習のときと同じ動きで技がかけられることはあり得ない。

そういうままならなさの中で、それでもきれいに技をかける一流の柔道選手の試合を見ているとほれぼれする。

今日のイベントはなんというかそれに近いなと思った。

柔道選手は、「見てくださいよ観客のみなさん! こいつ、奥襟とか絞ってくるんですよ! 汚いやつでしょう!」みたいなアピールをしたりはしない。相手が嫌な方向に重心を崩したからといって「とんでもない試合だ、審判! こいつなんとかしてくれ!」と叫んだりはしない。試合とはそういうものだからだ。淡々と相手と自分の間(あいだ)にある力関係を見極めて、刻一刻とうつりかわる間(ま)を調整しながら、無理をせず、しかし注意や指導を受けることなく攻め続けて、きちんと試合を成立させている。何度も技ありや一本相当の技を放っているからもし柔道ならもう試合は終わっているはずだ。

もっとも、トークイベントはどちらかというと柔道よりもサッカーに近い。終了のホイッスルが鳴るまではずーっと相手の攻撃は続くし、何点入ってもゲームは終わらないのである。

なんか、そういうのに近いなと思った。トークイベントってのはおもしろいね。私だって、これまでに、おそらく、いやなかんじの聞き手だったことがあるかもしれないね。

暗算祈願

豊島ミホのポッドキャスト「聖なる欲望ラジオ」がひさびさに更新されたのでホクホクと聞く。そういえば私もポッドキャストやっていたんだったな……と過去形で思い出すくらいにして。

私のポッドキャスト「ココロノ本ノ」は、本についての期待の回想を毎週火曜日の朝に更新する、という気持ちではじめた。しかし13回だか14回だかやったところで、収録する時間をうまく日常にねじこむことができずになんとなくペンディングになっている。申し訳ない。スマホで収録できていたらもう少し続けられたかなあ。豊島ミホはちゃんと更新してくれるから本当に偉大だ。

番組内で、豊島ミホがポッドキャストのことを「ポッキャ」と略していて、なんというか、感動してしまった。ポッキャ! これは流行る! というか、なぜいままでこの略し方を自分で思いつかなかったのだろう。こういうところにワードセンスというものが出る。

いや、ま、私が知らないだけで、ポッドキャスト界隈ではとっくに言われていた言葉だということも十分にありえる。それにしてもだ。

ワードセンスというものは、自分の心の中から何が出てくるかという意味だけで推し量るものではない。自分の耳が何をいいと感じてストックしたかという意味でも検証すべきステータスである。ポッドキャストをポッキャと略する、こんな簡単なことについて、私が未経験だったとはあまり思えない。きっとどこかのタイミングで耳の端に引っ掛けていたはずだ。でも、私のワードセンスは残念ながら、そのときその瞬間にその言葉を収集することができなかった。豊島ミホとの圧倒的な実力差が浮き彫りになった。



豊島ミホは「そろばん」について話している。それを聴きながら、ああ、と思うところがあった。

豊島ミホは小学生のころ、学校の授業でそろばんをやったのだが、玉をはじいて指で計算するのではなく、ふつうに計算を暗算して、その結果にあわせて玉の数をそろえるようなやりかたしかできなかった。その結果、10級には受かったのだけれど9級には落ちた。そもそも、そろばんをするということ、そろばんができるということが、果たして人生でどのような意味を持つのか、何かいいことがあるのか、つい最近までわからなかった、とのこと。

ここから話はさらに展開するので、興味のある人はポッドキャスト「聖なる欲望ラジオ」の第50回を聴いてみるとよい。

で、私が考えたのは少しべつのことだ。

脳というのは思った以上にいろんなやり方で目的を達成する。たとえていうならドラえもん1巻1話のセワシくんの説明。東京から大阪に旅行するとして、新幹線、車、飛行機、いろんなルートがありえるが、どれを選んだとしても最終的には大阪にたどり着ける。私は、脳が何かを考えて実行する際にも、おなじことが起こっているのではないかと考える。

たとえば13+29=42という暗算をするとき、頭のなかで筆算をする(想像の中に紙と鉛筆を登場させる)人もいるだろうし、先に29に1を足してからあらためて12を足すみたいな工夫をする人もいるだろう。いろいろなやりかたがある。そして「そろばん」というのはじつは、これらの脳内計算をブーストさせるもの(※新幹線で大阪に行くとして列車にターボをつけるということ)ではないのではなかろうか。普通の暗算が新幹線だとしたら、そろばんは飛行機とか自動車とか、もしくはリニアとか、とにかく路線がまったく違う別の交通手段として導入されるものではないかと思った。

豊島ミホもわたしも、そろばんに対して思い入れはなく、頭の中で暗算をする「手助け」としてしかそろばんのことを考えていなかった。けれど、たぶんそうじゃないのだ。そろばんに小さいころから慣れ親しんでいる人は、脳で暗算をするのとは全くべつのやり方で、指のはじき具合というか、「触覚」で計算をするみたいなことをやっているようである。脳で暗算をしておいてそれと玉を合わせようとするのではなく、私たちが脳をぱちぱち発火させるのとは違うルート、違うシナプスを介して、指とか音とかリズムとかでぱちぱち計算をするのだ。

この別ルートは、小さいころから、「意義」とか「理路」とはべつの次元で、獣道を舗装するかのようにシナプス間の接続をよくしておかないと開通しないように思う。


さて、私は日常で暮らしているときに「暗算」なんてものはめったにしなくなっている。しかし、きっと、子どもの頃から計算を脳内でパチパチやっていたルートを別のことに援用しているような気がする。

かつては貨物列車で缶詰を運んでいたけれど今はそのスペースを用いてアクリルスタンドを運んでいる、みたいな感じだ。

使い尽くしたルートにおけるシナプスの接続の良さを、きっと別のことに再利用しているように思う。それは暗算とはぜんぜん違うジャンルの思考で、自分でもまさかそのルートを使っているなんてことは自覚的できていないのではないか。たとえばダジャレを考えるときに脳に熱が鬱滞したあとで一気に放熱するようなあの感覚は、どことなくかつての公文式の暗算に近いものを感じる。私はもしかすると、暗算をしなくなったかわりにそのルートをダジャレに流用しているのではなかろうか?

そして、たぶんおそらく、「そろばん」を小さいころにやっていた人もまた、今はそろばんなんて全く触れていないとしても、そのルートをなんらかの別の情報処理に援用しているのではないか。

だったらそろばんをやっておけばよかった、とかそういうことを言いたいわけではない。

私たちが育っていく過程で脳が舗装したたくさんのルートは、きっと我々の思考や行動の個性のベースになっている。子どものころに何をしたからいいとか悪いとかではなしに、シンプルに、私たちのお互いの「違い」になっているのではないか、みたいなことをぼんやりと思った。暗算をするようなイメージでそう思った。

エスコンフィールドの魅力と食道胃接合部の反乱

水やコーヒーを飲んでとくに引っかかる感じがあるわけでもないから、さしあたって今日、私の胃や食道にはとりたてて異常はない。しかしなんだか今日は朝から胸がつかえた感じが続いている。理由はじつはわかっていて、昨日、スタジアムで野球観戦をしたせいだ。ああ、こう書くと語弊しかないけれど、つまり私は昼間っから野球を見て、翌日ちょっと具合が悪いということ。その話を、よりきちんと書こう。

13時開始の日本ハム VS ロッテの試合を見るのに、12時半すぎに家を出た。つまりはなから間に合う気はなくて、私は球場のすぐ近くに住んでいるわけではないから本気で試合開始から見ようと思ったらもっとはるかに早くに家を出るべきだ。でもそれでいいのだ。最近そういうかんじの、ふにゃふにゃとした野球観戦をたまにするようになった。出張帰り。午後にぽかんと時間が空いた。風が強いけれど雨までは降っていない日曜日。公共交通機関をあれこれ乗り継いで、エスコンフィールドにたどり着いたらもう試合は4回まですすんでいた。これで別にいいのである。中に入ると歓声とため息が同時に上がる。あっ、なんとなくホームチームの日ハムが打たれたのだな、とわかる。でも野球は打ったり打たれたり、勝ったり負けたりが楽しいのだからいっこうに構わない。

手元のアプリには「入場券」。特定の席に座れるわけではないが、この球場はありがたいことに、立ち見ができる場所がいっぱいあって、入場券ひとつでふらふら立ったり歩いたりしながら野球を見てもいいというすばらしい方針である。この見方が気に入って、私は今年から野球に通うようになった。

立ち見を満喫するには二つの条件がある。ひとつ、「立ち見が許されていること(そりゃそうだ)」。ふたつ、「周りも楽しそうに立ち見している状況でやること(これは盛り上がるためには重要)」。みっつ、「足腰がしっかりしていること」。条件ひとつ増やしたけれど最後のはちょっと見栄を張っていて、私の足腰はわりと心配である。ともあれ、エスコンフィールドでの日ハム戦観戦には前の二つの条件がしっかり揃っている。ここは立ち見が最高なスタジアムなのだ。

一塁側でも三塁側でも、二階席でも四階席でも、立ち見の場所には事欠かない。どこに立ってもフィールド全体がかなり快適に見られる。メインのスコアボードの視認性は抜群だし、じつはサブモニタもたくさん設置されていて、立ち見だからといって座った客よりも野球が見づらいということがない。

さらに見逃せない点がひとつ。立ち見の入場券は当日になっても売っているのだが、なんと「満席」という概念がないのだ。あらゆるチケットの中で一番安い1200円、これが思い立った瞬間にアプリでストレスなく購入できるから、あらかじめ予定しておかなくてもすぐに球場に行ける。こうなるともうデメリットは思いつかない。強いて言えば基本立ちっぱなしということと、荷物を下ろせないということくらいか。身軽な格好で来ればいい。というわけでデメリットはゼロだ。

そしてなにより、買い物やトイレに関するストレスから開放されるのが本当にすばらしい。席を立って隣の人の前で手刀をふりふりする必要がないのが最高。座席指定のチケットは、発売開始と共に通路側から埋まるものであって、数ヶ月前に買わないと(まして当日券などでは)まず通路側は空かない。通路から離れた「島の真ん中」に座ると、ビールを買おうと売り子さんに声をかけるだけでもほかのお客さんにちょっと申し訳ない気分になる。その点立ち見なら、好きなタイミングでビールやら焼き鳥やら買いに行けるしトイレも苦にならない。スタジアムで自宅のように好き勝手にうろちょろできるという倒錯した便利さにドハマリしてしまった。

というわけで私はスタジアムに着くやいなや、観戦場所を探して練り歩きながら途中ですれ違った売り子さんに声をかけてビールを購入。実況席のアナウンサーと解説の金村の声が直接聞こえてきておもしろい。あちこちにある液晶サブモニタでスコアや展開がある程度わかる。1点負けているようだがいい感じのシーソーゲームだ。2階内野席の通路で立ち見ができる場所を見つけてあとは試合を見る。ピッチャーの顔も球種も、審判のジェスチャーもよく見える。観客の声もよく響いておりムードは最高だ。ビールも進むというものだ。通常のビール3杯、たこやき6個、エールビール1杯をたいらげたところで8回裏が終わり、私はひと足早く帰路につく。9回まで見ると電車が混む。いまのところ1点差で負けているけれどもしかすると逆転するかもしれない。こういうときに長居して楽しく疲れるのはできれば土曜日にしておきたい。今日は日曜日だ、明日からまた仕事なので、続きはスポーツニュースで愉しめばよいのだ。それくらいの距離感がほどよいと思う。ほろ酔いより少し酔った頭で球場を後にしてJRに向かう。電車の中で速報を見て驚いた。本当に日ハムが逆転しているではないか。思わずちょっと声が出てしまった。サヨナラの瞬間を見届けられなかったのは少しだけ残念だが、帰宅してからゆっくり経過を追おう。幸い、まだ明るいうちに自宅に帰り着いた。小腹が減ってきたのであらためて晩飯とする。きっちりビールからやり直しつつ、アマプラで映画を1本見るあいだに結局3缶ほど追加で空けてしまった。ぐっすり就寝して月曜日の朝、4時半に目が覚める。胃が止まっている。

胃が止まっているのだ。

そりゃそうだ。昨日は飲み過ぎなのである。球場にいる間にいつもの晩酌よりちょっと多めのビールを飲んでしまっているし、帰宅途中に酔いが覚めるわけもないのになんかお腹すいたとかいいながらあらためてきっちり晩飯でまたビールを飲んでいるのだから酒量が多すぎる。早く寝て早く起きたら元気パンパンというのは20代の話だろう。朝食をお茶漬けにしたら普通に完食できたので、あっ胃腸もわりと大丈夫かな、と思ったのだが、なんとなく胸がつかえた感じが残る。やはりダメージは否めない。

野球は悪くないが野球観戦のせいで私は今日あまり調子がよろしくない。朝から猛烈な量の仕事をしてたくさんの医師に深く感謝されたがしかし私は調子がよろしくない。脳は絶好調だ、しかし胃が動いていない。皆さんにはエスコンフィールドの「立ち見」を強くおすすめする、ただし酒量にはくれぐれも気をつけてほしい。快適すぎて、胃が止まるほど飲めてしまうからだ。

隣の整

「フォローするだけで心が整う」と書かれているアカウントにフォローされて笑ってしまった。心理学と占星術をやっているとのことだが、そのどちらも「心を整える」こととは関係ない気がする(心理学は心理を操作する学問ではない)、しかし仕事とは関係なく趣味で心を整えているのかもしれない。ありがたいことである。フォローはした。

メールボックスに「この特集号に論文を寄稿できる最後のチャンスです」みたいな英文のメールが届く。査読が雑な、いわゆる「ハゲタカ」と言われる雑誌の宣伝メールである。たとえばここに「投稿するだけで業績が整う」と書かれていたとしたら、さっきのアカウントっぽいな、みたいなことを考えた。投稿はしなかった。

日本のとある学会から、総説(レビュー)の執筆依頼が来た。以前にその学会の中四国地方会で講演した内容をみた座長が、「おもしろかったからこれ論文にしてよ」ということで学会に推薦してくれたのだという。3か月くらいかけて仕事の合間にぽちぽち書いて、さきほど投稿した。Submitのボタンを押しただけで心が整ったのでびっくりした。あんまりストレスには感じてなかったと思っていたのだけれど、やはりどんな仕事も、しめきりとして抱えていると心をしわくちゃにする機能がある。


「心を整える」というワードセンスのことを考える。「整える」という言葉はそもそも何に使うか? 部屋を整える、髪型を整える、準備を整える、気持ちを整える。整理するというニュアンスだけではなく、見た目がはずかしくないようにするとか、使いやすいようにするとか、審美・機能・効用的なものをうまく引き出すための処置といった意味が込められていることばだ。では、心を整えると言った場合はどの含みをもたせているのだろうか。なんとなくだがさっきのアカウントは、「心を使うために整える」と言いたいわけではなく、「心の見た目がよくなる」という雰囲気で使っているのではないかと、ふんわりと予想した。「心モテ」みたいな言葉とセットなのではないかと思った。本人がそういうことを言っていたわけではまったくない。勝手な予想だ。しかし、なんとなくだ、「心を整える」というのを「心を美人に/イケメンにする」と書き換えても、くだんの人のBioの場合にはうまく通じるのではないかと思……


いや違うな。

用例がひとつ足りない。

令和のいま、「整う」といったらサ道だ。サウナである。

高温多湿状態から水風呂で一気に体表を冷却することで血管をぐねぐねにしてなんかシュワシュワ気持ちよくなる現象を「整う」と表現することが近年は急速にひろまった。あれだ。

「整う」→「気持ちいい」、「健康によさそう」、「ストレス減りそう」、「がんばった甲斐があったっぽいふんいきをかもしだそう」という言葉なのである。整理整頓なんか思い浮かべてない。「サウナみたいなもんだよ」くらいの意味だ。


そもそも、「心が整う」に対して、心理学や占星術と関係ないじゃんとか書き出した私がバカだし案件に対する解像度が甘かった。並べて比べるべきは学問や術式の効能ではなく、サウナの「大衆への受け入れられ方」のほうである。「整える」は関係ない、あくまで「整う」のほうである。


完全に違う方向に話を持っていってしまっていた。しかしあらためて読み直してみると、私は例のアカウントのBioを見て「整う」を瞬時に「整える」に変換してしまっている一方、3段落目で無意識に「Submitのボタンを押しただけで心が整った」なんて書いている。これはどちらかというとサウナの使い方だ。いつのまに。私も同じような使い方をしていたということだ。うーむ日本語手強いな。私のような奥底にいる人間の無自覚な言葉選びにも、大衆の言葉へのトレンドがきちんと影響を及ぼしている……。

まんじりの理由

誰かと言い争いをする夢をみて→夜中に目が覚めた。

いちおう、自分の中での因果関係は今書いたとおりなのだけれど、実際には、「夜中に目を覚ますために→脳が言い争いの夢を選んだ」という可能性もある。

まだねぼけているが、なんとなくそういうことを考えながらトイレに向かった。外から強い風の音がする。トイレを出てふとんに戻る前に水道水で軽く口をゆすぐ。カランのスイッチがシャワーになっているのを忘れずに通常モードに戻してからコップに水を注がないと、ドジャーという音がおもいのほか家の中に響き渡って、家族を起こしてしまうかもしれない。トイレの水を流す音は気にならないが、シンクでシャワーがドジャーと鳴る音だと目が覚めてしまう。それは強い予感である。根拠に基づいた解説ではなく、度し難い予感である。

部屋は暗いままなので鏡もよく見えないが、何の気なしに自分の頭を触ったら後頭部の髪の毛が盛大にハネていた。朝までにこの寝癖を直すために、枕にまっすぐ頭を乗せて寝ようと心に決める。中学・高校時代の髪質だったらこの程度の物理的刺激では直らなかっただろう。毎朝、母がタオルを濡らしてレンジで温めたものを私の頭に乗せていたことを思い出す。しかし今の細くなった髪の毛ならばきっと枕の圧だけで直すことができる。寝入ってしまったら何度も寝返りを打ってしまうだろうが、それでも、やらないよりはましだろうと、髪をなでつけるように手でおさえながらそっと枕に頭をつける。そして目を閉じる。

寝入りばなになんとなく足を交差するクセがあるのだなといったことが気にかかる。少し胸が苦しい。胸の筋肉が吊っているのかもしれないし、冠動脈が微妙に細くなっているのかもしれない。そうして→私は珍しく死のことを考える。起きて歩いているときにはまず考えることのない、死の先のことを深々と考える。強い風が吹いている音は→脳に微弱な予期不安をもたらすのかもしれない。ヘビやコウモリに→おぞましさを覚えるように、糞便のにおいから→遠回りをしたくなるように、私たちがプログラムされているのと同じように。

私はいさかいの夢を見て、夜中にトイレに起きて、寝入りばなに死の恐怖についてしばらく思いをめぐらせる。一連の行動における因果の矢印は、どこからどこにつながっているのだろう。じつはすべては偶然のなせるわざだ。お互いにつながっているわけではないのだ。しかし、偶然を呼び込んだ私の脳にはおそらく複雑系としての因果が含まれている。

   ↓
→ 
 ←
    ↑

マスクをすると→息苦しく感じる人がいる。あれもおそらく、人間が種を存続させるために必要なプログラムのなせるわざだろう。寝ている間に木の葉っぱや布のきれっぱしなどで気道が軽くふさがっただけで不快感を覚えて、すかさずそれらをはねのけることは、生存にとってちょっとだけ有利だったのではないかと思う。マスクをしたところで我々はCO2ナルコーシスにはならない、それでも「なんか息苦しい」と感じるとは、冷静に考えれば「感覚が過剰」なのだ。でもその過剰にもたぶん意味がある、あった、のだと思う。それはきっと我々の日常において使える意味ではないのだけれど、長い進化の過程においてどこかで何度かは意味があったことなのではないかと思う。

口の中に入った髪の毛に→すぐ気づくというのも、思えば過剰だ。会話している人のほっぺたや鼻の上にまつ毛が乗っかっていることがあって、本人は気づかないのでそれを指摘する、みたいなことをたまに経験する。しかし、毛が入り込んだのが口の中だと誰でもすぐに気づく。髪の毛の太さなんてせいぜい80 μmくらいだ。食べ物の中にそんな細いものがたった一本混じっている、それをひと噛みしただけですぐに気づいて舌で選り分けて口の外に出す。芸当だ。体の他の部位の感覚からすると、明らかに過敏だ。でも、これもたぶん、人間が種を存続させるために必要なプログラムのなせるわざなのだろう。食べ物の中に植物のトゲや魚のホネが混じっていれば消化管穿孔を起こすリスクがちょっとだけ上がる。加熱調理のない時代であれば内臓の蜂窩織炎を起こすリスクにもつながっただろう。毛ほどの細いものを口の中で感じ分けることが生存に有利だったはずだ。今の世の中でそんな機能を使うシーンがどれだけあるかはわからない。

人類が猿から片足を抜け出したころの機能の名残がいまも人体のあちこちに残っている。それらはときに「本能」などと称されるがあまり丁寧な言葉ではないし、学者の中には「猿だったころの行動を今の人間にあてはめるなんて野蛮だしナンセンスだ」と眉をひそめる者もいる。それでも、私は、日常はとんと忘れている死の恐怖とうっすら対峙する真夜中、生きるために有利な行動をさんざん選び尽くした脳がよかれと思って設定している思索の時間を、いやだな、めんどうだな、つらいなと思っても、いずれ自分のためになるのかもしれないなといって、私自身をなぐさめたりしている。ああ眠れないでいるうちに→ブログが一本書けてしまった。

ケミカルの都合

人体から取り出されてきた細胞やら臓器やらは、そのままでは腐ったりへたったり(自己融解)してしまう。したがって、すぐにホルマリンなどの薬品に漬けて「固定」する必要がある。

ホルマリンによって雑菌が死滅する。さらに、タンパク質は「架橋」されて(例え話だけど実際そういう構造になる)、構造が壊れなくなる。最初にこのコンボを見つけた人は偉いなー。人体にとっては猛毒、という薬品の使い道を見つけた人は全員偉い。

ただ、固定しすぎてもだめである。72時間以上ホルマリンに漬けておくと、RNAはぶちこわれてしまい、後日検査しようと思ってもうまくいかない。DNAやタンパク質はもう少し持つ……とは言われているが、やはり72時間以上の固定だとさまざまな検査の切れ味ががくんと落ちる。

細胞というのはずーっとホルマリンに漬けておけばいいというものではない。昔からマッドサイエンティストの研究室とか古びた博物館の奥の部屋などには、ホルマリン漬けになった動物の標本などが置かれているのが定番であるが、あれは「見た目」が保存されているだけであって、遺伝子の情報はまず取り出せない。もっとも、剥製とか標本なんてのは、見た目さえ保たれていればいいと考えることもできるので、あれはあれでよいのだけれど。



人間の体の中から取り出した小さな組織片やそこそこのサイズの臓器は、「とれたねー、よかったねー」で終わらせてはいけない。細胞の情報を余す所なくしらべて利用しつくしてこそ、西洋医学が成り立つ。したがって、

・取り出したらすぐにホルマリンに漬ける
・ホルマリンに3日以上漬けてはいけない

のふたつのルールを厳密に守る。

一番いいやりかたは、ホルマリンに24時間くらい漬けたら、そこから取り出して、パラフィンとよばれる「ろうそくのロウ」的な物質に漬け直すことだ。このとき順番が大事。ホルマリンに漬けずにパラフィンだけに漬けてもだめである。まずはホルマリンでしっかりほどよく固定し、そしてパラフィンに漬け直すことで、細胞は半永久的にその情報を保持する。まあ……それだけやってもRNAは3年くらいでへたるけど……DNAやタンパク質はパラフィン漬けならずっと長持ちする。

ホルマリン浸漬→パラフィン包埋。Formalin-Fixed, paraffin-embedded (FFPE).

これが重要なのだ。ちなみに、ホルマリンやパラフィンに沈める際には、臓器まるごとをドボンとしてはだめで(中まで染み込まないから)、ホルマリンなら2センチ幅、パラフィンなら5 mm程度の厚さにまで切っておく必要がある。



検査や手術のあと、すぐにホルマリンに漬けて、24時間以上72時間以内……理想をいえば48時間以内くらいにホルマリンから取り出して、「切り出し」(検査したい場所を確定させて細かく切る作業)をした後に、パラフィン包埋処置をする。

これを現場できちんと運用しようと思うと、カレンダーによっていろいろと残業の必要が生じる。

たとえば金曜日の夕方15時にとある手術が終わったとしよう。手術後にすぐに臓器をホルマリンに漬ける。そこから24時間経ったら土曜日。48時間経ったら日曜日。72時間経ったら月曜日だ。月曜日の午前中にホルマリンから引き上げて水にさらして洗うとして、だいたい65時間くらいが経過していることになる。これ、けっこうギリギリだ。

月曜日が祝日になったらもうアウトである。「ホルマリン過固定」になってしまう。

だから3連休の前には「休日切り出し」をやらなければいけない。2024年のように、飛び石型の大型連休の場合、さいしょの3連休の初日に、前日手術された臓器をホルマリンから取り出して切り出し→パラフィン包埋まで持っていき、間に平日を挟んで(そこで手術も行われ)、後半の4連休の初日にまたホルマリンから取り出して切り出しを行う必要がある。


病理医は、患者に直接会う仕事ではないため、「フレックス」などと言われるし、実際まあなんか好き勝手にやらせてもらっていることも事実なのだが、好きなタイミングでホイホイ働けばいいというわけでもなくて、なんというか、人間の都合には左右されないのだけれどわりとケミカルの都合には左右されるのである。あっでも臨床医たちから頼まれる仕事は人間の都合だよなあ。

あっ岸先生こっちこっち

マンガ『フラジャイル』の医療監修をしている。さまざまなやり方があって、そのすべてをここに書くことはしないが、できあがったネームをもとに、「このセリフは医学的に違和感がないかどうか確認してください」と頼まれることがあり、これがむずかしい。


ほとんどのケースでセリフに違和感はない。そりゃそうだ。プロのストーリーテラーとマンガ家が考えて配置したセリフなのだから、スルスルと流れるように読めるし、ワードのセレクションの小粋さにニヤリとさせられるし、ときに深く心に刺さる。ただ、まれに、現在の医学や歴史的な経緯から「こうは言わない」となる部分がある。医療系マンガの場合はそういうところで引っかかってしまう読者がたまにいる。そういうとき、監修の出番が生じる。


専門的知識を用いて、その場面に合うようなセリフの代替案を考える。これがもう、おもしろいくらいに、「フキダシにおさまらない」ので笑ってしまう。

私の考えるセリフは長すぎるのだ。

ほかのコマと比べてあきらかにそこだけ文字が詰まってしまうし、漢字も増える。もちろん、医療監修が必要になるようなセリフだからこそ硬質になりがちだといえばそのとおりなのだが、それにしても、私が考えつくセリフはとてもじゃないけどそのままマンガに用いることはできない。

何分も、ときには1時間も2時間もかけて、ひとつのセリフを短くするために、うなる。医学的なバックグラウンドや、登場人物たちのそれまでの経験、立ち位置、行動原理などに照らし合わせて、「このように口にするのが自然なはずだ」と思えるような、なるべく短いセリフを提案する。

しんどい。むいていない。プロはすげーよな!


私がやっているのはあくまで医療監修なので、内容をこう直してください、あとはなんかこのキャラが言いやすい感じでお願いします、と指示すれば、それで役目は終わるはずではある。しかし監修側から「これとこれとこれをこの順番で言ってください」と伝えてしまうと、結局だれが考えてもセリフは長くならざるを得ない。どれかをカットする必要がある。どこかを強調する必要がある。医学的にどこが大事か。物語的にどこまで長くしゃべれるものか。

物語の中に生きている人たちが、言わされているのではなしに、医学的に妥当なことを、情動を捨てずに言う。このシークエンスの難しさ!


念のため述べておくと、私が提案したセリフがそのまま採用されて紙面に載ることはない。文字による提案は、フキダシ内での配置や絵とのバランスによって生成変化する。これまでに私が提案した内容は、編集者やマンガ家の手によって見事に物語として昇華させてもらっている。

あの世界の住人たちが語る言葉は、私のナレーションではなくあくまで「彼らの心から発せられた言葉」である。私はキャラクタの心情を監修しているのではない。パラレルにあり得る世界の無矛盾性を保証しているにすぎない。

私の物語を読んでもらっているわけではない。その点、ファンの方々は安心してほしい。だいいち私はあの物語にはきちんと出演したことがある。つまりあの世界においても主要キャラクタとは別人格である。




お役に立ててますか

研修医や専攻医と呼ばれる「病理医のタマゴ」と知り合うことが増えた。10年かけて一人前の病理医を目指す人たち。

訓練のために、実際の患者の病理標本をわたして1日なじませる。1日経ったものがこちらになります(後ろの戸棚から出す)。ほら、だいぶ味が染み込んでいるでしょう?

1~3日程度かけて「下書き」をしてもらう。思うままに顕微鏡をのぞき、細胞を観察し、先輩病理医の診断の手法をPC上で確認しながら自分なりに診断を書く。その診断を、指導役の病理医が添削し、報告書を修正して、完成版の病理報告書として主治医と患者のもとに返す。

「病理診断にそんなに時間をかけていいんですか?」

時間をかけてもいい標本だけを渡すのだ。たとえば、患者が次に外来にやってくる日が2週間後ならば、ある程度余裕があるからゆっくり勉強してもらっていい。

結果を急ぐような診断は最初から研修医には渡さない。そこに分別がある。


研修医や専攻医の「下書き」が、そのまま病理診断報告書として採用されることはない。何かが足りないし、何かが浅いし、何かが間違っている。たとえば以下のような報告書があったとする。医師2年目の研修医が書いたものをイメージして、今、私が考えたものだ。細かい表現は気にしなくていい。


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① 横行結腸、EMR、1材。
② 下行結腸、ポリペクトミー、1材。
③ S状結腸、EMR、1材。

いずれも同様の所見で、核の偽重層化を伴った異型腺管の増殖を認めます。Low-grade tubular adenomaです。断端は陰性です。
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これを私が見て、下記のように直す。

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① 横行結腸、EMR、1材。
核の偽重層化を伴った異型腺管の増殖を認めます。Low-grade tubular adenomaです。断端は陰性です。

② 下行結腸、ポリペクトミー、1材。
核の偽重層化を伴った異型腺管の増殖を認めます。Low-grade tubular adenomaです。断端は陰性です。背景腸管にspirochetosisを伴っています。

③ S状結腸、EMR、1材。
核の偽重層化を伴った異型腺管の増殖を認めます。一部で極性の乱れた領域がみられます。表層にわずかに上皮のtaftingを伴う部があります。現行の分類ではmixed low and high grade tubular adenomaですが、鋸歯状病変の性質を有する可能性があります。断端は陰性です。
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私が書き加えた部分のうち、下線はいわゆる「見逃し」であり、太線は「解釈の足りない部分」である。両方という場所もある。

そして、なにより、3つの検体が「いずれも同様」ではないということに注意してほしい(研修医の書く報告書には、このタイプの表現が頻出する)。

病理診断に限った話ではないが、知れば知るほど、「同じ・違う」の区別は繊細になる。「いずれも同様」なわけがないのだ(というと言い過ぎなのだが)。しかし、見る目が育っていない人間ほど、「どれも似たようなもんだな」ということを報告書にも書いてしまう。


さて。

ここまでの流れでおそらくご想像いただけると思うのだが、こんな修正を毎日くらっていると、どんな若者でも心が折れる。いや、年齢の問題ではない。中年だって老人だってがっくりくる。自分は医師免許を取得しており、患者のために、スタッフのために、地域のために、貢献できる立場であるはずが、時間をかけて下書きをした内容がことごとく指導医によって塗りつぶされていく。となれば、いわゆる

自己効力感

みたいなものがグングン下がっていくことは想像に難くない。「自分が役に立てているという感覚」は重要だ。

しかし、残念かつ残酷なことに、病理診断はたかだか5年やった程度ではプロの仕事としては未熟である。どの業界でも言えることだろうけれども、病理診断は特にそうだ。

臨床の研修医は、現場で「ファーストタッチ」といって、やってきた患者に出会って初期対応をさせてもらう。その後、指導医があらためて患者の診察などをやり直したりするのだが、1,2年も経てばファーストタッチの精度は高くなり、初期対応の多くは研修医にまかせられるようになる。

しかし病理診断ではそれはあり得ない。「えっそんな厳しいこと言わないでくださいよ」ではなく、本当にありえない。

そもそも、患者の病理検体に対する「ファーストタッチ」は、研修医ではなく、「臨床医」なのだ。検体を採取した外科医や内視鏡医などが、病理医より先に検体のことを見て考えている。

病理というのは根本的に「後ろに控えている科」であり、求められるタスクに初期対応は含まれない。「より精度の高い目をもって、あたかも臨床の指導医のように、ファーストタッチのあとをカバーする役割」こそが求められている。だからここに研修医の居場所はない。

おわかりだろうか。

病理医のもとに検体がやってくる以前の段階で、医師(主治医)は確度の高い「臨床診断」を付け終わっている。病理診断がなくても臨床の医療の精度はかなり高い。それでもなお、確信の度合いを100%に近づけるために行うのが病理診断である。ファーストでやる仕事ではない。ラストに近いところにいる。だから中途半端な「見立て」や、脇の甘い「所見」でお茶を濁してしまってはいけない。それでは病理診断のある意味がない。

したがって、研修医や専攻医が書く「診断書」には何の価値もない。

下書きをした分で指導医の仕事が楽になるというものでもない。

見直して添削をし、教育になるようなコメントを考えて、とやる分、指導医の仕事はむしろ増える。




このような実情を、研修医や専攻医はすぐに理解する。

自分がまる2日ほど悩んで書いた「下書き」が、見るも無惨な赤線だらけで返却され、圧倒的に細やかで読みやすく置き換えられた「本報告書」がカルテに登録される。それを見ればすぐに理解する。

「今ここにいる自分って、医療にも医学にも一切貢献していないんじゃないかなあ」と不安になってしまう。

とはいえ中には「今は研修中なんだからこれでいい、一日も早く一人前の病理医になるぞ!」と、わりきって修業に励むタイプの人もけっこういる。自己効力感がどうとか関係なく自己肯定感高めで毎日楽しそうに研修している人もいる。だから全員ではない。

全員ではないが、一定の割合で、私たちに向かって、悲しそうにこう告げてくる人がいる。

「先生……あの……今の私って、お役に立ててませんよね?」




と ん で も な い !

ということをすぐに返事する。病理診断科の指導医のとても大事な仕事だと思う。

あえて繰り返すと、研修医や専攻医が書く「診断書」には何の価値もない。

しかし、「研修医や専攻医の目が、指導医とは違う場所から、違うやりかたで、顕微鏡を見たということ」には大きな価値がある。

研修医が病理にいること自体が役に立たないのではない。研修の書く診断書が臨床的に価値を持たないだけだ。

研修医がいるととっても助かる。私たちの仕事の役に立つのだ。




誰かに先に診てもらうということはものすごくありがたいことである。気遣いや忖度で言っているのではない。若者を離脱させないための方便でもない。本当に役に立つ。

病理診断は誰かといっしょに見たほうが絶対にいい。その誰かと「同時に」見るよりも、「ちょっとタイミングをずらして」見ることが一番いい。

そもそも、研修医が細胞を見落としたり、解釈が行き届かなかったりする部分には、非常に高確率に、形態学的な「あや」がひそんでいる。

往々にして、「あーこれを見逃したらだめだよ」という部分を、タマゴやヒナは見落とす。

指導医がそれに気づくとき、「ああ、この微細な差を見出すことに専門技術の8割くらいを注ぎ込んでいるのだな」ということに慄然とする。もし別のタイミングで、自分がこういう所見を見落としていたらどうしよう、と我が身を振り返って気を引き締めるきっかけにもなる。毎日勉強し続けなければいつでもこの研修医と同じ見落としをやらかすぞ、と、勝って(ないけど)兜の緒を締める。

研修医が見落とす所見には、なぜか、臨床医がその時点で気付いていない「臨床をよりよくするためのヒント」が眠っていたりする。

なぜだろう? なぜ、見落としやすい部分にかぎって、臨床的な重要性がひそんでいるのだろう?

それは、先ほど少し書いたことと関係がある。

先ほど私は、「病理医のもとに検体がやってくる以前の段階で、医師(主治医)は確度の高い『臨床診断』を付け終わっている」と書いた。病理診断は、後からやってきて、臨床診断を確認する。

しかし、病理診断が臨床診断をひっくり返す、あるいは大幅に軌道修正するということもたまに起こる。

細胞を見ることでしか、患者の病態のこまかな違いに気付けない場合があるということだ。「マクロでは違いがわからないが、ミクロを見ると違う」。

これはつまり、「微細かつ重要な差異をとらえないと、よりよい医療をほどこせないことがある」ということを意味する。だから病理診断は重要視される。だから病理診断は頼られる。

大きな違いならば臨床医がすでに診察とか血液検査とか画像検査などで見出しているから、あえて病理診断で付け加える必要もない。

しかし、小さな小さな差異には病理医が細胞をもとに気づかなければいけない。

ほかにだれも気づけない。

そんな微妙な差を、研修たかだか2年とか5年の人間が、気づけるわけがない。

今のこの文脈をひっくり返す。逆に言う。「タマゴやヒナが見落とす所見」にこそ、病理診断のエッセンスが凝縮している、ということになる。



研修医が気付けない部分、まちがう部分に敏感になり、注意をはらうことは、指導医が病理医として持続的に働いていく上で、とても大切な「ブレス」であり、「スタッカート」のような役割を果たす。

抽象的で申し訳ないが、指導医は、自分だけが細胞を見て、自分の磨いた技術だけで病理診断をし続けるよりも、「自分でない誰かが細胞を見たときの感想と自分の中での印象とを見比べる」ほうが、より精度の高い診断を長くし続けることができる。

研修医や専攻医がまじめに働いて熱意を注いだ報告書は臨床の役には立たない。しかし、病理医の役に立つのだ。

本当にありがたいことである。

でもまああんまりいっぱい下書きされても添削するのが大変なので、あまり脳を使わない仕事の手伝いもしてもらいたいといつも思う。けれども病理検査室に脳を使わない仕事というのは存在しないのである。手紙書きだって写真撮影だって「細かな差異」に気づけなければ価値は生まれない。あなたがたは私たちの負担であり教師でありモチベーションであり宝物なのです。「お役に立ててますか?」「今めちゃくちゃ立ってるよ!(報告書に赤ペンを走らせながら)」

Z会にもかつてそういう企画があった

AI関連の講演をしてほしいと頼まれているのだが、あまり気が進まない。病理診断関連のAIについてはなんというか、飽きてしまった。AIという概念自体には今もわくわくするのだけれど(人のやるべきことをPCが代わりにやってくれるというのはドラえもんに育てられた私の夢だ)、自分が病理AIの研究に携わって何かいいものを作りたいという気持ちはなくなった。たとえるならば、ブレワイやティアキンが大好きだということと、ゼルダシリーズの続編を開発したいと思うこととは完全に別次元だろう。そういうことだ。リンクをぐりぐり動かせるのはすべて優秀なプログラマーたちのおかげであり、そこに対するリスペクトはもちろんあるし、自分がプログラマーになれるとは思わないしなりたいとも思わない。これらの思いは互いに矛盾しない。そういうことだ。

しかしうっかり2021年前後に何本かAI関連の論文に携わってしまった(あのときはもう少し興味があった)ばっかりに、今も講演依頼がくる。わりとまっすぐにお断りしているのだけれど、それでも押し切られてしまうことがたまにある。今回は押し切られた。

医療従事者の世界には、「講演を断る人なんていないでしょ」という先入観がうっすらと存在している。光栄でしょ、お金もあげるから、みたいな損得の話以上に、「えっ、講演なんだから受けるでしょ」という、論理になっていない論理が根強くある。先方は、私が依頼を引き受けるであろうことを前提で、学会や研究会のプログラムをすっかり整えておいてから最後に依頼を出してくる。だから依頼を断ってしまうと本当に多方面に再調整の苦労などのいらぬ負担をかけることになる。よっぽど後ろ向きの理由がなければ、あるいはすでにほかの会で日程が埋まっているということがないかぎりは、断らないし、断れない。

やるからにはちゃんとやりたい。しかし今回はいろいろ苦労しそうだ。いつもは依頼がくるとだいたいこんな話をしようとプレゼンをすぐに作り始めるのだけれど、今回は依頼から3か月経ってもまだプレゼンを作る気にならない。

AI関連の講演に気が進まない理由の一つは、業界の発展の速度だ。はっきりいって、3年くらい前の私の研究内容なんて、今しゃべっても新しくもなんともない。「AIの古くなるスピードのえぐさ」は、医学研究領域においては例外的である。

多くの医学研究においては、古くなるということイコール科学を支える土台になるということである。100年前にみつかった病気の概念、50年前に提唱された病気の分類、10年前に開発された検査手法などが、体系としてミックスされて、「巨人」を形成し、我々はその巨人の肩の上に立って今の医学を行う。だからたとえば私が「胃X線検査と病理組織像の対比」というネタで講演をたのまれ、「胃X線なんて古いからもうやらないよ、とっくに内視鏡検査の時代だよ」と思っている人たちの前でしゃべるとしても、それを私が思い出話とかおとぎ話みたいに語るのかというと、そんなことはなく、ちゃんと「胃X線検査の全盛期にみつかった形態学的な理論」を今に投影して新しくしゃべることができる。X線診断学は古い医学だからといって古ぼけているわけではない。貫禄を増すことだってある。まだまだX線に携わっている人もいっぱいいる。携わっていない人向けにもしゃべれる。しゃべり甲斐がある。

しかし、AIは違う。「弱い教師付き学習」なんて、iPhone 5sより古い。しゃべるのがはずかしい。過学習? うわあ、学生でも知ってる。AIの誤診した症例を形態学的に解析? うーん理学部のゼミでやるような内容だ。

現在、AI研究に少しでもたずさわっている人から見ると、私が今度しゃべる内容はそもそも興味の持ち方が古いし、理論も基礎的すぎる。そして何より、私はその「古いAI研究」を、おもしろおかしく語ってふくらませて今の科学への導線とするような語り口とモチベーションを持っていない。

とはいえ、この話はすでに引き受けた。となると、私は、その会で私がしゃべるのを聞きたいと思ってくださった数人と、なんかよくわからんけどあいつがあれをしゃべるんだなというふんわりとした印象で話を聞きに来る人たちのために、しっかり準備をしなければいけない。

「AIの研究」という言葉から感じるわくわく感、それはかつての私には確かにあったはずであり、今もおそらく多くの医療従事者の中にあるであろうもの、それに一度はきちんと対峙して、行動をし、そこで見えたもの、考えたことがどうだったのかをきちんと語る。それは言ってみれば私が「挫折した道のり」を語るようなもので(それなりに論文は出したので挫折とは違うのかもしれないが、気持ち的には挫折に近い)、「しくじり先生」とか「不合格体験記」とも通じるところがある。あーうーーーんこういうしゃべりってすごく難しい。ポイントは暗くなりすぎないことだろう。底抜けに明るく語ったほうがかえって「ずれ」は際立ち、聴衆はそこに言外のなにかを感じ取ってくれる。AIなあ……。私にプログラマーの素質があれば、もっと医学じゃない部分で興味を持続させることができたのかもしれない。あるいは、AIなんて私のやりたいことをぜんぜん叶えてくれないんだという、細部の話を興奮しながらしゃべるというのも、手法としてはあり……なんだろうけれど……今もAIの研究をばりばりやっている医療者もいるわけで、そういう人たちにとっては失礼な話になってしまうよなあ。病理AIって私のやりたいこととはまるで方向が違うんですよ。でもあなたがたのことは尊敬している。これをうまく語るためには話術がいるだろう。話芸の訓練をしなければいけない。それが一番、気が重い。

寝起きに詩

一日のなかで脳内に音が流れていない時間がどれくらいあるのだろうかと気になった。朝起きて意識のピントが合うころにはもう音が鳴っている。それは自分で選曲できるようなものではなくて、サカナクションの『アイデンティティ』のようにきちんとした曲がかかることもあれば、「バナナサンド」(テレビのバラエティ)に出てくる「あーたーま おしり あーたーま おしり あーたーま おしり あーたーま おしり 頭の文字はこ・ち・ら」のこともあれるし、スーパーの焼き芋売り場などで売ってる例のあのビープ音のこともあって、SFCがんばれゴエモン2の城の音楽であることもある。なぜかわからないのだけれど生理用品のCMで歌われている短いフレーズがずっと頭にこびりついている日もあったりして、それらが必ずしも前日の夜に聴いていた曲だとは限らなくて、ままならないものではあるのだが、とにかく何か音が鳴らない日というのはない。

これはどういう機能なんだろう。役に立つものだとは思えない。脳がなにかほかの機能を獲得する際に抱き合わせで獲得してしまった副産物だろうか。

音楽が鳴っていない時間は、「あー、今音楽が鳴っていないなあ」とは意識しがたい。不在には気づけない(話はずれるが、研修医が病理診断報告書を書いたときに「あの大事な項目を書き漏らしているよ」と指摘することは意外にむずかしい)。したがって、私の脳はどれくらい音なしで活動しているのか、その比率は正直よくわからない。けれどもけっこうな割合でなんらかの音が鳴っていると思う。

そして、音楽が鳴っていないときもよくよく脳内に耳を済ませてみるとやっぱりバックグラウンドでなんらかのリズムがずっと刻まれているような気がする。秩序立ったいわゆる音楽的リズムとは限らないし、あるいはもしかすると、耳のそばをながれる血管の拍動音を脳がノイキャンしきれていないだけのものなのかもしれないのだけれど、うーん、脈拍ではなくてやはり何かうねりというか、「拍を取っている」という雰囲気があるように思うし、つまりは曲が流れていなくても音は鳴っている。




私がこうしてブログを書いているとき、さあ、こういう文章を書こう、と頭の中で一文なり数個の文章なりを先に作ってからそれをキータッチするという動きにはなっていない。あくまで私の場合だが、文章を作るやり方は「ネームを先に作ってそれを清書する」のとは違う。文章を最初に生み出すのは脳ではなく、目と指の間の空間なのである。脳から指に「うまいこと前後のつながりが保てるようになんか文章を編みなさい」という委任的な指令を飛ばし、その後、脳のくびきから少し自由になった指がバカスカ文字を叩き出していき、脳がその様子を後方から眺めて、「今のはOK、イキ」「今のはNG、トル」みたいな感じで、ガスガス校正を加えていく、といった流れだ。指がつくる文章の真後ろにスリップストリーム的に伴走して文章の方向を適宜微調整していくというやりかたは、なんというか、スキージャンプにも似ている。ジャンパーがラージヒルからテイクオフして斜め下に向かってすっ飛んでいくとき、ジャンパーの重心は重力加速度と慣性によってほぼ規定されており、それほど大幅には調整できるものではないが、ジャンパーが体や足の角度をうまく変えて維持して空気を捕まえ、多少なりとも飛距離に影響を及ぼしていくという感じ。一連の「何をしても変えられないすっ飛んでいく現象それ自体と、飛行を少しでもよくしようとする能動的な調整との合わせ技で距離と飛型点を出していく」というやりかたは、私のブログの書き方ととてもよく似ている。

この、「指がすっ飛んでいくように文章を生み出していく後ろから意図をねじこませて微調整し、文章をなるべく先の着地点にうまいこと着地させていく」という過程で、私の頭の中にはなんらかの音が鳴っている。なんのためだろうか。あまり関係ない気がするのだが。

始終音を鳴らすためにも脳はある程度エネルギーを消費しているはずである。そうまでして、なぜ音を鳴らしているのかはいまいちわからない。



音は四六時中である。では映像のほうはどうなのかというと、私の場合、脳内になんらかの映像が常時映っているということはない。朝起きてなにかのイメージに包まれるということはまずないし、たとえばこうして文章を書いていても、脳内に風景が展開されていくことはじつはまれである。

これは私の器質だろう。予想でしかないが、似顔絵のうまい人や写真をよく撮る人は、私が脳内で音を鳴らしているタイミングでたまに映像を思い浮かべるのではないかと思う。映画監督などもそういうタイプなのではなかろうか。たずねてみたことはないのだが。




横山光輝三国志で、劉備玄徳が諸葛亮孔明の庵をたずねると、孔明は午睡の最中であり、玄徳は孔明が起きるまで庵の外で立って彼を待つ。目覚めた孔明は少し伸びをするとなにやら詩を口ずさむのだが、子供の頃の私はそれにびっくりした。「起きてすぐに詩!」 しかしおそらくそういう人も世の中にはいるのだろう。何の役に立つのかはわからないが私の脳が常になんらかの音を刻んでいるように、目覚めてからふたたび眠るまでの間にバックグラウンドで詩をつくっている人も、おそらく映画を流している人もどこかにいるのではないかと思う。お互い苦労しますな。変な脳を持って。

違っていてもいいんです

『宝石の国』が完結した日、ハッシュタグを追いかけていると作者の市川春子先生のことを「市原先生」とまちがって投稿している人がたくさんいて笑ってしまった。私は市原なのだがよく市川と呼ばれ、頻度というかありふれ加減でいうとたしかに市川のほうが市原より多いのでまあしょうがないかなあとは思っていたのだけれど、市川の側もたまに市原と呼ばれていたのだということをはじめて理解した。逆はないだろうなという偏見があった。そりゃそうだよな。まちがいが生じるときはいつだって双方向だ。似ているものどうしは互いにめんどくささを背負っている。市原だけが苦労してきたわけではなかった。

ちなみに同じ日、NHKの「あさイチ」で、舞台の都合でお休みを取っている博多華丸のかわりに川平慈英が司会をやっていて、こちらもトレンドになっていた。ものまねされる方がものまねする方の代役で出るというベタベタの仕掛けだが、視聴者は実際こうしてわかりやすく反応して楽しむ。「ものまねされる方の心理学」みたいな新書を出すと1回くらいは重版できるかもしれない、と、ふと思った。


似ているもの、似ていないもの、それぞれをくらべる仕事がある。


2009年の『胃と腸』44巻4号(増刊号)に―――胃と腸というシンプルなタイトルの雑誌があるということに今更だが驚く―――、九州がんセンター放射線科の牛尾恭輔先生が、「早期胃癌と先達者から学んだ形態学の意義」という序説を寄稿している。牛尾先生が30代前半のころ、白壁彦夫・市川平三郎という早期胃癌研究の二大巨頭と邂逅したときの話などが書かれており、医学論文というより滋味深い随想として読める。消化管の診療にたずさわる医療者は探して読んでみるとよいし、医療人類学とか医療社会学をやっている人たちであってもおそらく普通に読めるだろう。

この中に、「消化管の診断学における ”比較” と ”対比” の議論」という稿がある。以下、すこし引用する。


**(引用)**

「広辞苑」では、 ”対比” と ”比較” の違いについて、次のように記述されている。 ”対比” とは、2つのものを比べること、相対すること、であり、その根底には違った性質(または量)のものを並べること、その差異が著しくなる現象を示している。すなわち ”対比” には、違いを浮き彫りにするという考え方が入っている。これに対し ”比較” には、比べること、比べあわせて考えることが重要視されており、その根底には、統一的なものを見出そうとする意図が入っている。ゆえに ”対比” が ”学” として成り立ち難いのに対し、 ”比較” には自然科学、人文科学の分野で種々の ”比較学” が存在している。

**(引用おわり)**


「対比」とは似ていないものどうしをくらべることで、「比較」は似ているところどうしを突き合わせること。そこまで普段はあまり考えていなかったが、「対」という漢字のせいか、確かにそういうニュアンスはあるかもなと納得する。

つづいて牛尾先生は、白壁彦夫(順天堂大学)先生の話をする。白壁先生は、「比較診断学」という言葉を提唱し、当時の消化管医療を文字通り牽引した存在だ。ここでまた ”比較” という言葉が登場する。

なぜ、対比ではなく比較なのか?


白壁先生は、消化管の放射線診断学の創成期において、

「胃の経験を大腸診断に応用できるし、逆に大腸の経験を胃にも生かせる。ここに比較診断学が成り立つ」

「胃における線状、単発、多発による変形も大腸に自在に適用できるし、屈曲や捻れの要素を加味した読影を他部にも応用できる。いわば病像の拡大解釈の方向に進むのである。これが比較診断学の骨子である」

と述べた。

共通点を見出して応用性を高めたいからこその、比較。比べあわせて統一的なものを考えるために、比較。

だから比較なのだ。

胃には胃の専門家が、腸には腸の専門家がいた時代に、それぞれの得た知見を持ち寄りながら、X線という共通の旗印のもと、なにか統一的で系統立った診断学を確立してやろうという気概が、「比較」という言葉の中に込められている。


続けて牛尾先生は、

「これらの思想は、決してただ単にX線診断学にのみにとどまるものではない。内視鏡からみた、また病理からみた比較診断学もある。さらにこれらを統合するものとして、全消化管の比較診断学があると思っている」

と述べている。



私はこれをはじめて読んだころ、自分のライフワーク(臨床画像検査を病理組織像と照らし合わせる仕事)は「対比病理学」だと思っていた。

だから、まずは、「対比ではない、比較だ」と述べた牛尾先生の話に感じ入った。でも、すぐに、「いや、私のやることは対比病理学でよいのではないか」という反発があった。

大義があったわけではない。字義だってそこまで調べていたわけでもない。

でもニュアンス的には、私のやりたいことはやっぱり比較ではなく対比だった。

私は、比較という言葉に、似たところを探しながらも優劣を付けるようなニュアンスを感じていた。あの大学とこの大学を比較するとやっぱりこっちの方が上品だよな、とか、あの野球選手とこっちの野球選手を比較するとこっちのほうが得点圏打率が高いよな、みたいな使用法が念頭にあった。

比較人類学とか比較社会学と呼ばれるものがしばしば「欧米・白人の価値観で、勝手に未開と呼ぶ地域の人たちをはかろうとすること」として怒られてきた歴史を、今ならば思い出してもよいかもしれない。

一方で、対比のほうは、「見比べる二つがわりと違うからこそ、かえって対等」な気がした。あなたはあなた、私は私と各個に成り立っているものどうしをあえて対置・対座・対面させるという雰囲気の言葉だと思ったのだ。



私の個人の印象はさておいたとしても。牛尾先生や白壁先生がいうような「比較とは比べあわせて考えること」という辞書的な字義だけで考えてもなお、私は臨床画像と病理組織像を「統一のために」照らし合わせるということに違和感があった。

白壁先生や牛尾先生の初期の業績から数えること30年余、臨床現場における画像診断モダリティの差異はますます増していたし、病理学もまた当初の形態診断学を少しずつ離れて、ゴールデン・スタンダードとして孤高性を高めていた。そのため、「比較によって統一理論を考える」という言葉がすこし空論めいていたという実感がその理由のひとつ。

でもそれだけではない。

私はなんとなく、違う立場、違う視点の者どうしが、お互いに少しずつずれたことをいいながら、対座したまま「第三の視点」に飛躍するという感覚にあこがれていた。比較のように、どちらかをベースにどちらかがのし上がっていくような構図は違うと考えていた。

べつに弁証法的とか止揚とか言いたいわけではない。思弁的で形而上学的なことを言いたいのではない。

そうではなくて、形態学の根幹にかかわる理屈ゆえに、私は「形態診断学を統一する」という試みに反論があったのである。


そもそもX線、内視鏡、CT、超音波、そして細胞像は、いずれも、人体そのものや病気の本質を直接見ているわけではない。よく「病理は病気そのものを見る」とか言われるがそんなことはありえない。

すべて、「お化粧」をしている。体内に起こっていることの一部を強調し、一部を選択し、一部は捨てて、一部は理解しやすいように色を付けたり光らせたりして観察している。X線ならバリウムを流すだろう。内視鏡なら歪んだレンズで表面を拡大するだろう。CTや超音波は何かを当てて反射や吸収で影絵として形態を見ているだろう。そして病理はそのままずばり「染色」を用いる。

物理的・化学的な条件の違い。そしてさらに、各検査にたずさわる人びとの置かれた立場や、それまでに学んできたこと、近頃従事している仕事の内容などによって、見えてくるものの「一部分っぽさ」はすべて異なる。

どれかがベースというわけではないのだ。すべてがカケラしか見ていない。

そこにあらわれた比較という言葉のニュアンスは、私にとっては、二つのものだけを右手と左手に持ち上げて、交互に見比べる程度のものでしかないという印象だった。二つを見比べて最大公約数を見つけよう、くらいの仕事でしかないなら、臨床画像と病理組織像をくらべる仕事はさほどおもしろくならないと思った。

誰もがジグソーパズルを少しずつ持ち寄る。それぞれはお互いに違うピースであり、ダブりはない。しかしまったくみくらべずにジグソーパズルを作ることはない。背景に空があるピースはだいたい近くにあるだろう。この輪郭線がつながるピースがどこか別の誰かによって握りしめられているはずだ。ジグソーパズルは対比によって成り立っている。比較ではない気がした。できあがるものは「類似の先にある統一」ではなく、「車座になっている人びとの真ん中に燃え上がる炎」だと思った。比較ではなく対比すべきだと思った。


市川と市原を比較してはいけない。華丸と慈英を比較するのは失礼だ。すべきなのは対比だろうと思った。私は今もresearchmapの研究キーワードに「臨床病理対比」と書き込んでいる。

男に忘却を勧められた医者

夜に大学関連の飲み会があるので地下鉄で出勤した。ドアの暗闇にうつる自分の耳に挿さったイヤホンが、マスクのヒモでくにゃりと持ち上がっているのを直す。私は今、長期連載マンガのメインキャラの後ろにいる、サブアシスタントの手によって書かれたモブキャラ並みに誰にも見られていないのだけれど、作画が乱れると無駄に注意を集めてしまって読者がメインストーリーにできなくなってしまっては困るから、身だしなみだけは整えておき背景に埋没したいと中火で願っている。

昨晩から聞いていた「熱量と文字数」を聞き終えて、まだ職場に着くまでには少し時間があり、J-waveの燃え殻さんのラジオ「Before dawn」を選ぶと2週間ぶりに大槻ケンヂがゲストイン。新曲の歌謡曲テイストロックの「医者にオカルトを止められた男」の、歌詞の内容がきちんと脳に入ってくるのがふしぎである。大槻ケンヂは燃え殻さんのエッセイのいいところを「読んでもすぐ忘れるところ、忘れ力」と名付けていて、「中島らもさんの書くものにも言えることだけど、読んですぐ忘れるエッセイのほうがなんども読みたくなる」と非常に納得できる名言を放っておりなんだか早漏の男子の言い訳みたいだなと思った。

姫乃たまという元地下アイドル、現文筆家兼アイドルのnoteをいつものように読んでいると、台湾で急にワタナベアニさんに出会った日のことを書いてあった。私は姫乃たまにもワタナベアニさんにも会ったことはないが、違う日に違うタイミングで文章を読む用の箱の中にそれぞれ入れてあって、そこに接点があるなんて思いもよらなかった二人が文章の中でばったり会っているというのがおもしろくて、そのくだりを何度か読み返した。アディダスの黒いジャージを着こなしたワタナベアニさんが姫乃たまにチョコボールといって小さな袋を手渡す。その袋の中身がなんだったのか、今、どうしても思い出せない。読んだばかりなのに。姫乃たまの書くものからは強い印象を受けるが、個別具体はけっこう忘れてしまう。これもまた大槻ケンヂのいうよいエッセイ、というか日記の条件なのだろう。日記は記憶するために読むものではない。

大槻ケンヂの最近書いているもののうち、「本の雑誌」に掲載されているオカルトと本との比率が6:6くらいでブレンドされている随筆は、素因数がやけに多くてどの角度からでも割り切ることができそうな切れ味のするどい名文だ。私は彼の書くものをそこまでたくさん読んでいるわけではないだけれど、「本の雑誌」の連載はすばらしくて早く書籍にまとめてほしいと思う。これまで読んできた彼の文章はどれも、読んでいる間中ずっと脳内にハンディカム的ビデオのパカッと開く液晶部分がとらえた世界、といった映像が流れ続ける、非常に情景喚起力の強い文章で、ではそれが何に似ているかというと、個人的には椎名誠ではないかとひそかに考えていた。そうしたら燃え殻さんのラジオでまさに大槻ケンヂが「昔、椎名誠さんの文章とか、いわゆる昭和軽薄体と呼ばれたものを読んでいて」と語っていて、なるほどやはりと腑に落ちたし、納得しすぎて驚きがなく、今の話をまるごと忘れかけた。でもこの話は忘れなくてもいいんじゃないかなと思って、念のため記憶をもう一周再生させる目的でこうしてブログに書いている。


出勤してメールクライアントを開き、新規のメールをフォルダにふりわけていく。メインの受信トレイには「まだ返信する必要があるメール」だけを入れ、要件がおわると「メール送信者の所属施設」ごとのフォルダにしまう、というのをずっと続けている。今や誰も使っていないMicrosoft outlookから離れられないでいるのは、20余年にわたり分類したフォルダがいまや北海道の市町村の数より多くなってしまい、いまさらほかのクライアントに移行して新規に分類をはじめる気がしないからだ。Gmailが便利だというのは知っているけれど、時系列に並んだメールを「検索で探せるから分類しなくても大丈夫ですよ」と言われたところで、どういう単語で検索をしていいかしばしばわからなくなる私には使いづらさのほうが際立ってしまう。

私は、人の名前を覚えるのが苦手で、ただしその人が勤めている地域の名前なら覚えられるという使いづらい記憶装置をもっている。島根の……島根の◯◯機構の何さんだったかな……新潟の……長岡の……あの顔の人……。ほんとうにこういうやりかたで人を覚えている。たとえば「大阪のバリウム研究会で会って話をした人に教えてもらったあの文献を探したい」ときには、自作のフォルダの「O」のところを探せば、Osaka→大阪◯◯大学、大阪◯◯病院、のように並んだフォルダの中から、目的のメールをそこまで苦労せずに探し当てることができる。けっこうな量の記憶が土地・場所・施設と紐づいている。そうやって記憶するクセがついてしまった。

というわけで今朝もいつものように、昨晩終わったウェブ研究会や会議のZoom URLなどをフォルダにしまうと、ペンディング中のメールがひとつもない状態になった。それがどうした、と思われるかもしれないが、おそらく数ヶ月ぶり、もしくは数年ぶりだ(いちいち覚えていないけれど5年ぶりだとしてもおどろかないし、半年前に一度あったじゃんと言われたらあれそうだったかなと)。進行中の案件が全くなくなったわけではないのだが、メールでやりとりをする案件やコンサルテーションのやりとり、Web会議の予定などが直近にはないということで、肩やみぞおちの重さがあきらかに緩む。そして、昨日までこのフォルダにいったい何を入れていたのだったかということをごっそり忘れていることに気づく。忘れ力だ。私は忘れ力を持っている。ならばきっと、燃え殻さんのエッセイも、大槻ケンヂのエッセイも、姫乃たまやワタナベアニさんのエッセイも、もともと名作ではあるのだが、私が読めばほかの人が読むよりもなお名作になる。なぜならば私は忘れ力を持っているからだ。岸田奈美が何を書いていたのか思い出せない。永田泰大さんのヴァナ・ディール体験記を読み返さないといけない。椎名誠の現連載「哀愁の町に何が降るというのだ。」を毎月欠かさず読んでいる。早く本になってほしい。何も覚えていない。読む準備は万端なのだ。

EBW

職場の本棚の整理をしていたら思いのほか時間がかかってしまい、気づいたらあたりが真っ暗になっていた。使用頻度の低い本を、取り出しやすい場所に、臓器ごと/検索されるシチュエーションごとにまとめていけばよいだけの話なのだが、あらゆる本を臓器ごとにまとめておけばいいというものでもないので悩ましい。

取扱い規約やWHO分類のblue book、AFIPシリーズ、文光堂の白い鑑別診断アトラスシリーズは、百科事典的にならべておいたほうがきれいだろう。それでは、出たばかりの非腫瘍性疾患鑑別診断アトラスシリーズはどうか? 消化管なら消化管の、肝胆膵なら肝胆膵の本のまわりにおいておいたほうが実務上便利ではないか? いやしかし……。うーん……。悩んだ末に、今回はシリーズをまとめて別のところに移動させることにした。ほかの病理医が必ず目を留める「生検の標本が上がってくる場所」のすぐそば。本屋に例えるならレジ横みたいなところ。ここなら見落とされはしないだろう。

本棚の模様替えはあまりやりすぎると使う人たちにとって不便になる。でも、定期的に新陳代謝しないとそれはそれで不便になる。

この棚はもう本がいっぱいで、こないだ買った新しい本が入らない。さあどれを二軍に落とそうか。あふれた本は、医局の私のデスクに運ぶ。通称「ファーム行き」である。捨てることはない。どんなに古い本でも使い道はある。たとえばレクチャーの際に、病理診断の歴史をふりかえりながら、診断手法が現在のかたちに落ち着くまでに先人たちが何を考えどういう問題点にぶちあたったのかをひもといて語ろうと思ったら、昔の本を参照するといい。ネット検索もAIに聞くのも大事だけれど、それより古い成書を3冊くらい引くほうがドンズバの情報にたどり着く。病理学においてはほんとうによくあることだ。

古い教科書を読む。2年に1度開くかもしれない本というのがある。2年に1度なら、病理の書棚においては、使用頻度が中央値よりもちょっとだけ高い、つまりはわりとよく使われるほうだろうと思う。毎日開く本、月に1度開けばいい本、10年間に1度たりとも開かなかったがこのたび満を持して開いた本、みたいなものが「一軍」にいる。二軍落ちの基準は複雑だ。「頻繁にアップデートされるシリーズの、ふたつ前の版」あたりは二軍で待機してもらうことが多い。古典的名作の初版は逆に置いておくとたまに使う。改版のたびに用語が変わるような教科書はすべての版をひとところに置いておいたほうが結局役に立つ。

古い教科書を読む。これまでに習ってきた病理医たちが、なぜ「ああいう言葉遣い」をしていたのかということが、20年くらいの時間差をのりこえて急に腑に落ちたりする。そうか、hyperplastic noduleというのは、大昔の取扱規約に写真として掲載されていたのか、みたいなことを、大腸の早期病変の遺伝子解析が行われるようになった令和の今になって知り納得する。

古い教科書を読む。読みすぎてそういう嗜好の人になってしまう。悪くはないがリスクではあるかもしれない。出たばかりの本をうっかり「昔の話法」で読んでしまったせいで、なかなか理解できない、みたいなことはままある。CIN1とCIN2の判別基準は昔の教科書をあまり読みすぎるとかえってずれる。AIH overlapという概念があったころの教科書を読むとPBCの診断はずれる。科学が前の版を乗り越えていく過程で棄却された「暫定解」にこだわりすぎると、それはそれで支障を来す。

古い教科書を読む。

古い教科書はおもしろい。

そうやって温故ばかりしていないで知新もしなきゃあだめですよと、あざわらうエビデンス・ベースト・若い医学生の叱責が心をよぎる。

転職願い

特殊染色をオーダーするときの「選択」→「本登録」→「はい」の一連のつながり、EnterキーやF8をおしこむリズムは体に染み付いている。パチンタンタン。パチンタンタン。左後方のプリンタから出てくるオーダー用紙は裏返っているからプリンタからA4の紙すべてが顔を出したタイミングで右手の親指を手前に倒して用紙を下からすくいあげ、持ち上げながら印刷面を目でチェックしながら左手で下から紙をささえながら右手を離す。この間に4歩歩き終わってオーダー用紙を入れる棚の引き出しを右手で開いて左手で紙をその中に流し込んで右手で閉じる。パチンタンタンからの一連は、意図することなく自動的に行われる。これが職場に慣れるということ。反射で働くということ。

反射で動いたぶん、自由になったリソースを使おう。さっきまでみていた顕微鏡の像を思い出そう。さっきまで書いていた診断書を思い出そう。「~~が、~~が、~~。」のように一文の中に逆説が2回入ってしまっているのはかっこわるい、と気づいて、デスクに戻って仮登録済みの診断文を開いて文面を訂正しよう。電話がかかってきてそれをとりながら、仮登録のF7、はいのF8を押して文章を更新しよう。


慣れ、条件反射、身に染み付いた動作、そういった何もかもが、ときどきうっとうしくなって、私はいつか釧路や旭川で働く日のことを思う。


外勤先の検査室をうろうろと歩き回る。視線とは違う先で手や指が自動的に何かをしている様子を思い浮かべる。きっとぎくしゃくしている。一日の中でものを考える総量が20%くらいは減るだろう。何をするにもいちいち言語化しないとどこにも行けず何も動かせない日々だ。キーボードが変わればキータッチのリズムがかわる。診断用クライアントソフトが変われば診断入力のリズムがかわる。細かな差に気持ちを持っていかれるたび、研究のことも、論文のことも、ブログのことまでもがすべて停滞するだろう。その停滞を突き破るためにやれることはひとつしかない。もっと丁寧に考えるのだ。もっとしつこく考えるのだ。

ただ、思考というのは絶対量があればいいというものではない。深ければいいというものでもないと思う。

各所と過剰に接続し、しかしそのどれにも執着せずに、表層だけの付き合い、ながらの接触、かりそめの関係、匿名の気楽なやりとりで、私がこれまでどれだけの無駄で無為な思考を花火のように勃発させてきたことかと振り返るとめまいがするようだ。しかし、その浅くて広い思考様式が今の私に絶望しかもたらさなかったかというと、そんなことはなかった。そんなことではなかった。そんなわけがなかったし、そんなつもりでもなかった。

私はルーティンに埋没して半自動的な毎日を送るにつれ、うわっつらでクソリプのやりとりをする関係を次第に失い、オートクライン的に自らを賦活して局所の作業効率を高めるオートマタになっていた。釧路か、旭川か、帯広か、函館か、この先の私がどこで働くことになるのかはまだわからないが、いずれ私は人間に戻るために、今よりもはるかに手間暇のかかる職場をさがしてこの居心地のよいデスクを去ることになる。