いつもとおんっなじように寝たのに、出勤中、今日はずいぶんと眠たくて困った。意識が飛びそうになる。奥歯がぐらついているような頭重感をまとったまま歩く私は体表2センチをミノフスキー粒子で保護されていて世界から隔絶されている。電波を受信するタイプの妄想というのがあるが、電波を遮断するタイプの妄想というのもあるのではないかと考える。世間から自分が隔絶して・かつ・電波を受信するというセットに対して、世間と自分との境界がわからなくて・かつ・電波を遮断するというセット。後者はつまり「若者のすべて」のような気もする。この歳になってこれはちょっとやばいなという危機感がある。
まあ眠たいからやばいのだろう。眠たくなければやばくない。そう信じるというていをとる。
山火事のニュースが多くて悲しい気持ちになったまま寝たのが良くなかったのだろうか。「良くなかった」でいえば、それはもちろん、山火事なんてものが起こるのが一番良くないわけで、山火事のニュースを見て悲しい気持ちにならないほうがよっぽど良くないわけで、つまり、山火事のニュースをたくさん見て悲しくなるところまでは、良くなくない。となると、改善ポイントはどこにあるか。意外と介入可能箇所が少ない気がする。悲しい気持ちになったまま寝るのが良くないということならば、寝る前にはおだやかで楽しいことを考えればいい、くらいか。無茶な話だ。睡眠というのは考えが尽きた瞬間に訪れる。逆か。考えが絶えた状態を睡眠と呼ぶ。ろうそくの火が消えるように考えが消え去る、その直前に、いったい何を考えていようかなんて、コントロールできない。良いも良くないもない。良くないことなどなにもない。しょうがないことしかない。しょうがないことだけが世を満たしている。
頭の中にしょうもないCM音楽がリフレインしている。とれとれ ぴちぴち カニ料理。もうろうとしながら歩いている今、交通事故に巻き込まれて命を終えたとして、私が最期に脳内に流していた音楽がキダ・タローのそれだとして、なんか、たぶん、天国に行けるだろうなという気は少しする。天国への道行きに口ずさむ曲がデューク・エイセス。ぴったりだ。しかしCMか。まあそういうままならなさはある。
私はもっと、たくさんの名曲(笑)を聞いてきたはずだ。オルタナ、プログレ、クラシック、そういったものを一切合切さしおいて、今際の際に走馬灯のBGMとして流れるのがCM音楽であったりゲームミュージックであったりする可能性は極めて高い。令和にゴエモンばっかりコスんな(ナナシノ)。ゲームミュージックのメタルアレンジをするFamilyJulesというYouTubeチャンネルがあってたまに見る。良い夢が見られるとは思わない。スーパーマリオワールドの音楽が流れると、あの、SFCの4つに増えたボタンの一番下にある黄色いBボタンを押した時の、マリオとヨッシーが一体となった状態でのもっさりと重たいジャンプの「遅延感」が指先に蘇る。触覚と視角のずれのすきま、カーテンのひだの裏、ドーナッツの穴にひそむ走馬灯のフィルムのひときれ。