脳だけが旅をする

ワンピースの108巻がコンビニに並んでいる。けっこう前に発売されたはずだ。ググると3月の上旬が発売日であった。いまだにあれだけ並べても売れる可能性があるということだろう。ちなみにぶっちゃけ買い忘れていた。毎週ジャンプで読んでいるのでコミックスの先をすごく楽しみに待っているというわけではないが、やはりコミックスで通して読んだほうが情報がまとめてドカンとやってきておもしろいタイプのマンガだ。ほくほく買う。飽きずに並べておいてくれたおかげでこうして助かる人間がいる。

コンビニの本棚のスペースは限られている。ワンピースのほかには呪術の新刊とコナンのムック(映画が出ているからだろう)が目に付くくらいだ。種類を増やそうと思えば増やせるのだろうが、とにかくワンピや呪術やコナンの新刊を複数ずつドカンドカンと並べて陳列効果を増している。コンビニなんだからこれでいいという徹底した戦略だ。ワンピならコンビニで買えると思わせたのはうまいとも思う。

かつてはゴルゴとか山口六平太とかがよく置いてあった。山口六平太! これふつうに予測変換で出るんだな! あとはBARレモン・ハートとか、日本酒をだらだら飲むやつ(名前忘れた)とか。それがいつしかワンピのコーナーになっていた。コンビニを訪れる客層も変わっているということか。むしろワンピの読者は往年のゴルゴの読者っぽいのだろうか。



昔、釧路駅の中に古本屋があった。地方の主要駅の構内に古本屋があるというのはかなり思い切った構成だなと思うが、札幌までの特急スーパーおおぞら4時間10分を車内販売のお茶だけで過ごすのはしんどく、カストリ雑誌や古本をそこにねじこんでいったらどうかという提案には納得感があり、私は毎月特急に乗る前にその古本屋で2冊くらい本を買ったし、店内は似たような客でそこそこ賑わっていた。

1冊はゴルゴ。

定価300円くらいの、表紙の紙が薄くてカバーのかかっていない、いわゆるペーパーバック形式のもの。MY FIRST BIGとゴシック体で印刷されているやつ。古書だとだいたい150円弱で買える。状態が悪いと100円。その程度の割引率というのがいかにも駅の古本屋だなあという感じ。毎月のように購入して数年、ほとんど直感的に選んで買うのに、なぜか1回もゴルゴの「ダブり」を経験したことがない。

思い返すと不思議だ。

もしかすると、もしかしなくてもだけれど、あの古本屋にゴルゴを売っていた人はたった1人だったのではないか。札幌から釧路に向かって出張する人が半分定期的にゴルゴのペーパーバックを持って乗車し、到着地である釧路駅で売るのを、私が毎月買い続けていたというパターンがありうる。そうでもなければあの見た目に区別がつきづらい「コンビニゴルゴ」の品かぶりが何年にもわたってゼロだったということに説明がつかない。おそらくだが札幌か釧路に縁のある人の中にひとり、私とまったく同じペースでまったく同じ内容のゴルゴを読み続けてきた人がいる。

そしてもう1冊は小説。

まあ何度か自己啓発本みたいなものも試してみたのだけれど、やはりあまり肌に合わず、小説に落ち着いた。

そもそも古本屋にある自己啓発本というのは、発売直後にドンと売れて話題になり、テレビやラジオなどでさんざんっぱら内容をこすり倒され、すっかり旬を過ぎてから店に並んでいるもので、時代の選択圧に耐えられるだけの腰の強さがないとすぐに感じた。だから自然と小説となった。

小説。『ハイペリオン』や『月は無慈悲な夜の女王』などの早川の水色、あるいは京極夏彦の判型でおなじみ講談社ノベルスなどをよく購入した記憶がある。乗車時間が長いから多少分厚い本でも読める。ただし出張帰りにあまり荷物を増やしたくないので単行本には手を出さない。山田風太郎をいつ読もうかなと毎月悩んでいた(結局読まなかった)。椎名誠の新宿赤マントシリーズがいつも同じ場所に並んでいた(私は持っていたので買わなかった)。


釧路を出て、白糠、池田あたりでゴルゴは読み終わってしまう。そこでいったん寝落ちして、帯広駅でばたばたと人が降りたり乗ったりする音でまんじりと目が覚めてまた寝直す。新得、トマムのどちらかでまた目が覚めてそこから小説を読むとなると残りは1時間半といったところだ。そこから小説を読む。だからいつも中途半端なところで札幌にたどり着く。へたをするとそこから1か月、次の出張まで続きを読むのがおあずけになったりもしたはずだ。『ハイペリオン』はそういう読み方をした。あまりいい読み方ではなかったと思う。


釧路から帰ってくるときはどうしても疲れているからそういう断片的な読書になる。ゴルゴがちょうどいいのだ。行きはまだ元気なので札幌で乗車してからじっくりと本を読み続けることができた。そうやって読んだあの本、名前はなんといったかな、ハヤカワのSFということ以外まるで思い出せないのだが、がんばって検索を繰り返す。ハヤカワ SF 異種姦……鳥のイメージ……街……。どうやっても名前が出てこない。まいったなあと思ってふと、前にやっていたブログの内部検索をかけたら出るのではないかということに気づき、ブログ内検索に「SF」と入れてみたらすぐに出てきた。ペルディード・ストリート・ステーション。


https://dryandel.blogspot.com/2020/12/blog-post_15.html


やっぱり釧路の話をしている。

読書の印象として後々まで残っていくのが、本の中身より「その本をどこで読んでいたか」という環境のほうだったりするのは、思えばちょっと悔しい。真の読書家というのはきっとそうではないのだろう。でもしょうがない。あのころも今も、私の脳は思索よりも旅をしていた。

ここは誰わたしは何処

大学生くらいのときに飲み屋や出先で経験した恥ずかしい記憶、いわゆる「黒歴史」を、思い出せなくなっているのでおどろいた。忘れてしまっている。25年という月日が経っている。それにしても、それにしてもだ。

長年本を買い集めて、本棚に入らないので前後二列に並べて、そこからもはみだして、机に積み、床に積み、書斎がゴミ屋敷みたいになってもそのまま暮らし続けていた男が、あるとき引っ越して本棚を整理してみたら、あると思っていたの本がごそっとなくなっていた。

「この裏に入っていたはずのマンガはどうしたんだろう。たしかに最近見ていなかったけれど。いつ捨てたんだろう」

そういう感じだ。

印象深く刻印されている黒歴史ですらこのありさま。

まして、かつての日常など、まったく思い出せない。

思い出はアルバムの中にしまった。しかし、ときおりアルバムを開いて、つどの感想を持つたびに、印象を上書き保存してしまい、だんだん思い出そのものではなくなっていく。

当時を知る人間と10年ぶりに再開して酒を飲み、問わず語りにそのころのことをしゃべってしまったが最後、家に帰って寝るころには、「今日の飲み会で昔のことを語った記憶」によって、アルバムのそのページや周りのページすべてがリマスタリングされる。



鳥山明が死んだと聞いた時、ドラゴンボールのアニメ主題歌を思い出し、あれは名曲だったなと、脳内で「つかもうぜ!」をリピート再生しながらGoogle検索をかけた。いざ再生すると音色が記憶とわりと違う。ボーカルの声に違和感はあまりないが、令和にはもはや使わない楽器を使っているのだろう、聞き慣れない音色に耳がびっくりする。脳内で鳴らし続けているうちにアレンジが進んで原曲を少しずつ離れていたのだ。ふしぎの海のナディアのエンディングソングを探して聞いてみる。メロディもリズムもほぼ記憶のままのように感じるけれどシンセサイザーの音にやはり驚く。

とはいえ音楽はまだいいほうだ。覚えているのだから。

音楽があるから、かろうじて私はかつての私と「一連」なのだと感じることができる。

でも、アニメの主題歌を覚えている今の私が当時の私と「同一」なのだと実感するところまではいかない。せいぜい「強く関連」しているのだなと納得するくらいまでのことだ。



自己同一性を担保するのは、あるいは記憶ではないのかもしれないとふと思う。人間は記憶を有することで因果を持ち歴史を持ち、自分が自分であり続けることを納得できるようになった生き物だというが、本当にそうだろうか? 私はかつての私が恥ずかしかった出来事もつらかった出来事も、喜んだエピソードも安心していた場も次々に忘れているし、もしすばらしい記憶媒体によってあの頃はこうだったよと見せられたところで、「こんなアスペクト比だったかなあ」と違和感をもつだけなのではないかと思うが、それでも、なんというか、「同じ心に搭乗し続けている」感覚自体がゆらぐことは今のところない。黒い歴史も白い歴史もすべて忘れて、当時の私に感情移入することもできなくなった今も、あのころの私がえんえんと歩いた先にいるのがちょっとしょぼくれた今の私であるということ自体は心の深い部分で納得しており疑うこともない。これは本当に記憶の為すわざなのだろうか。

記憶といってもいろいろあって、エピソード記憶とか意味記憶とか、このうち私がどんどん忘れているのはエピソード記憶のほうであって意味記憶のほうではなく、意味記憶が同一だとつまりそれは個性として同一だということになるのだろう、みたいな解釈もできなくはない。でもそういうことを言いたいわけではないのだ。シナプス間隙のざわめきが高度だから私は私でいられるというのは、生命のなりわいを少々侮りすぎているのではないか、ということ。私は何も覚えていなくても私なのだと、もう少し、エピソードも意味もない場所でまっすぐ発声してもよいのではないか、ということ。

エモい


エ モ い


エ  モ  い


みたいに書いたほうがブログのアクセス数は増えます。

大きなお世話だ。


最近、有名ライターたちはちっとも本出さなくなった。理由はあきらかである。書籍にするよりnoteで売ったほうがもうかるからだ。原稿料や印税をあてこむよりも会員限定記事への月額サブスクのほうが安定して大金を手に入れられる。国民に広く知られる必要なんてない。自分の文章に価値を感じるファンを一定数囲い込めば、それで一生食って遊べる額が手に入ると気付いた人たちはみな、本に背を向けて金稼ぎをはじめた。

本に背を向けていない人たちもいるにはいる。本を正面視して、しかし、やっていることは前蹴りだったりする。「本の価値に気づかないなんてバカだな笑」。本は看板なのだそうだ。本は宣伝になるのだそうだ。紙の本のフィジカルさは書店でネオンサインとして役に立つのだそうだ。ポッドキャスターの間で話題になれ! 王様のブランチにねじこめ! カモは年を取って死ぬ、だから定期的に若カモをオンラインサロンに誘導する必要があり、新規顧客は書店でもいちおう拾うことができるのだという。正確には、書店で生じた小さいアクションを皮切りに連鎖反応を起こしてネットで話題になればいいということだ。名刺代わりの本を少部数で刷る。信じられないほどの少部数で刷る。初回注文にすら足りないくらいの少部数だけ刷る。そしてすぐに少部数重版する。これで「重版出来するほどの人気作です!」といってメディアに取り上げてもらう。一番広告費がかからない「かしこい宣伝」なのだそうだ。「売れるものが売れるの法則」をハックしたつもり。


書店の平積みコーナーが、名刺程度しか情報量のないペラペラの紙束によって侵略されていく。


中身があればいいってもんじゃない。日常のふとしたできごとを気軽に書き留めただけの日記が出版されていてもそれは豊かさの証明であって眉をひそめるようなことではない。軽薄でもいいし重すぎてもいい。歪んでいてもいいしまっすぐすぎてもいい。

しかし、「口調」がみんないっしょなことに、本当に閉口する。

タイトル。帯。イベントの体裁。本というものにどんな価値を見ているか。

これらがみんないっしょなことに、がっかりしてしまう。

直前に成功した人たちのやりかたを古くならないうちに一斉に後追いし、古さが目につき始めたら次の戦略に飛び移るというやりかた。エンドポイントがインプレッションと金。文体が軽薄なのは表現としてありだ。でも本の作り方が軽薄なのはかんべんしてほしい。


古書店で買った本がおもしろくておもしろくて。

みんなにすすめようと思ったんだけど、古本すぎて、そう簡単には入手できない。

しょうがない。紹介はあきらめよう。「古本いいよね」の一言だけつぶやく。あとは全部自分の心にしまう。

そういったことがたまにある。本がそういう存在でもあり得ることに、しみじみとうれしさを覚える。

自分がこれまで、あるいは、これから書いていく本のどれかが、はたして、いつか未来の誰かが古本屋で手にとり「この著者の本って今はもうぜんぜん置いてないけど嫌いではないな」みたいな感想を口にしてくれることがあるだろうか。

もしあったら、夢のようだ。

「なにその妄想、未来の古本屋で自分の本が売れたって一円にもならないのに。」と、時代に正論で殴られているような毎日である。ほんとうにみんなそういう空気の中で生きている。


キモい


キ モ い


キ  モ  い


みたいに書いたほうがブログのアクセス数は増えます。大きなお世話だ。

ピラミダル選択圧

「ほぼ日」というウェブサイトにピラミッドにまつわる対談が掲載されていて、おもしろく読んでいるのだが、その中に、

「ピラミッドというのは最初からああいうふうに作ろうと思って作り始めたものではなくて、作りながらいろいろと試行錯誤した痕跡が残されている」

という話がでてきた。

ピラミッドを調査すると、全体が統一された設計図のもとに作られたわけではどうやらないということがだんだんわかってきたそうなのだ。たとえば、王様の棺をいれる部屋の天井がひびわれていたり、一部の部屋が地盤沈下していたり、それを取り繕おうとした痕跡みたいなのもあるという。おそらく作成しながらああでもないこうでもないと、いろいろ試しているうちに少しずつできていった建造物なのだ。

ははあ、なるほど、ピラミッド。外見があまりに整った四角錐なので考えもしなかった。

しかし、確かにあの規模、言われてみればそうだよな。もし古代エジプトの人びとが、最初からピラミッドの完成形を見据えて工事をはじめたのだとしたら、いやいや、CADもない時代にいったいどんな天才が設計したのか、ちょっと想像の範囲を越えてしまう。とうてい人間業ではない、宇宙人かなにかがオーパーツとかアレとかソレとかをなんかうまいこと使って作ったものなんじゃないかと思えてしまうのだけれど、「作りながら考えた」というならば直感的に受け入れやすい。あちこちあれこれ試して部屋とか作りまくったあげく、最終的にすべてを覆い隠すようにでかめの四角錐でくるんだという想像もできる。砂場の子どもが町とかお城とかをがんばって作るんだけど、最終的に細かいところがめんどうになって破綻してただでかくてきれいに整った山を作り終えたところで親が迎えに来て「まあすごいお山ねえ」と拍手するんだけど子どもは本当は違ったんだよなってちょっとすねちゃう、という感じだろう。それはとてもよくわかるなあと思った。


さて、話はここからまるで違う方向にすっ飛ぶ。私は仕事でたくさんの「がん」を見ている。いわゆる「進行がん」と呼ばれる病気に対しては、がんを「がん足らしめている」、決定的な遺伝子変異に着目するようにしている。

ある細胞たちが凶悪になったのはなぜか? それは、この遺伝子に変異が生じたからだ! というかんじで、「原因」をさぐる。

たとえばEGFRという遺伝子の変異であったり、KRASという遺伝子の変異であったり、ときにはBCR-ABL1という遺伝子の異常な融合であったりする。

原因を決めて何がしたいのか。別に私たちの興味を満たすためとかではなしに、「原因に応じて治療を決める」ことができて便利なのだ。それぞれの遺伝子変異に対応した抗がん剤がどんどん開発されている。

がんをがん足らしめている遺伝子変異のことをドライバー変異という。進行がんを診療する医師たちはみんなドライバー変異に興味があるといっても過言ではない。


一方で、私は胃や大腸や膵臓や肝臓などの「がんの芽」を仕事で扱うことも多い。いわゆる「早期がん」と呼ばれるものもみるし、「まだがんですらないもの」、すなわち前がん病変と呼ばれるようなものをよく相手にしている。

前がん病変はほうっておくとがんになって人間の体に悪さをする。悪の芽ははやめに潰すことが肝心だ。医療従事者はこぞって前がん病変を探し出す。

しかし、じつは、前がん病変というのは診療するのがとてもむずかしい。進行がんの診療が簡単だと言いたいわけではないが(むずかしいが)、前がん病変には進行がんとは違った難しさがある。それはなにかというと、「まだドライバー変異が確定していない」のである。

がんをがん足らしめる変化が、まだ加わっていない。「ああ、ドライバー変異がまだ起こってないけど、これから起こるってことですね。変異が起こるまえに見つけて治療したほうがいいに決まってますよね」。まあそういう話なんだけど、ニュアンスはもう少し複雑だ。

じつは、前がん病変にも、さまざまな遺伝子変異がある。ふつうの進行がんにみられるドライバー変異と同じものが見つかることだってある。

ただし、変異はみつかるが、「どれが決定的な原因か」がわからない。これが前がん病変の難しさである。

いったい、どういうことか?

前がん病変はいくつかの遺伝子変異をもった集団だ。ある細胞はAという変異をもち、別の細胞はBという変異をもっていて、そのとなりにある細胞はCという変異を持っていたりする。このような多様な集団の中から、いずれ、「どれか一人だけが勝ち残って」進行がんになる。すなわち前がん病変とは、「まだ誰が勝つか決まっていないバトルロイヤルの現場」なのである。

たとえるならば戦国時代。群雄割拠。織田が勝つかもしれないし武田が勝つかもしれない。今川だってまだまだ元気。武田には騎馬武者隊があり、今川には……よく知らんけどなんか長い槍とかがある。で、織田はこっそり鉄砲を仕入れている。これらのどれが将来的に覇権のきっかけになるかは、戦ってみないとわからない。史実だと織田が勝った。しかしパラレルワールドでは違うかもしれない。

時代が何にほほえむのかは時間を先に進めないとわからない。

前がん病変というのは、顕微鏡で観察しても「一枚岩ではない」。見る場所によって形態がかわる。病理医になって間もない人が、「これは前がん病変です」と診断したものをよーく見ると、前がん病変という病名ひとつでは語り尽くせないようなバラエティに富んだ細胞がたくさん潜んでいることがある。まあ、「がんの手前」にいること自体は間違っていないのだが、よーく細胞をみるとやっぱり違う。

逆に、進行がんは、病気のどこを見ても細胞同士に共通点があるというか、「共通の悪さ」が感じられる。細胞を見ていると、この病気は統率がとれているなあ、と細胞を見ていると思えてくる。

したがって、治療はともかく、診断する(病名を決める)ときには、進行がんよりもむしろ前がん病変のほうが、バラエティ豊かな細胞を見極めなければいけないのでちょっとむずかしくなる。そういうことを私は日々考えながら働いているわけだ。


で、だ。


進行がんを見ていると、「がん細胞というのはがん細胞なりのルールを持って、このように広がろうとして広がっているんだなあ」みたいな「ストーリー」を勝手にアテレコしたくなることがある。がん細胞に「気持ち」なんかないんだけれど、あまりに統率がとれているから、あたかもがん細胞が統一した意志をもっているというか、まるで「設計図」に従って分布しているかのような秩序を感じてしまうことがあるわけだ。

しかし、実際には、がんは最初から計画的に悪さをしているわけではない。「前がん病変」の時代には、かなり試行錯誤をしている。この変異があるからといってがんとして育つかどうかはわからない、だからいろいろと変異をためこんで「いろいろ試している」時期がある。や、実際には試しているんじゃなくて試されているんだけど。


なんかこの一連の思考が、「ピラミッドは試行錯誤の末に整った形になって建造された」こととオーバーラップしたのである。


ピラミッドも「選択圧」によってできあがった秩序なのだな、と思って今日のブログを書き始めた。つたわったかなあ。説明へたでごめんね、もうちょっとうまく説明できるようにいろいろ試行錯誤してみる。

そういう表情

10分後には職場を出て駅に向かう。幸い晴れているから歩いて行こうと思う。春物のコートをもたないので少し薄めの冬用コートをまだ着ている。汗ばむくらいだろうか、まだそこまで温かくはないだろうか。時刻は7時前だ。札幌の朝日は弱い。今はまだ10度前後だろう。したがって気温的には今日のコートでも問題ない。ただ、妻を含めた多くの人は、季節とか周りの人びとにあった色、形のコートを選ばないと浮くよと言って笑う。たしかにそうだなという気が、今ならする。春物のコートがほしいなと思う。

昔はちがった。全身真っ黒い服を着るタイプのオタクがよく取り沙汰されるが、少々ニュアンスはちがうけれど、私も結局そういう、「部品ごとに自分が気に入っているんだから全体のとりあわせがどうであっても、周りとのかねあいがどうでもあってもかまわない」という服飾センスの持ち主であったし、今はそのことを少しはずかしいと思うけれどセンスの根っこの部分まで入れ替わったとは思っていない。

スーツは楽だ。革靴がへんでもベルトが安くてもネクタイが曲がっていても、とりあえずスーツというだけで少なくとも周りからはあまり浮かないでいられる。ジャージも同じ理由で楽だ。あまり着ないが。コーディネートができないままこの歳になった。ずいぶん前から出かけるときの服は妻に選んでもらっているが、それでも毎日妻コーデというわけにはいかないので、自分で適当に服を選んでいたり出勤のときの格好だったりはやはり今もちょっとおかしいらしい。ちょっとで済んでいるのでまあいいかなと思う。

おしゃれな人の服を見ているとふしぎな気持ちになる。そこまで全身を整えているのになぜそんな顔で笑うんだろうというよくわからないつっこみをしてしまう。顔のつくり、という話ではない。表情のことだ。良し悪しではない。気配りのほうだ。もっといい顔で笑わないとその自信たっぷりのコーディネートとは合わないのではないか。もっとからっとしていないとその粘着性の少ないコーディネートとは合わないのではないか。犬は飼い主に似る、みたいな話があるが、人はコーディネートに似てこないことがあると思う。そんなに素敵なかっこうをしているのになぜそのような表情でしか人を見ないのだろうという感覚はなんとも説明がむずかしいもので、しかし、せめてぼくは、「どことなくごちゃっとしていてちょっと騒がしくてどこかずれている感じの服装」をしているのだから「そういう表情」を浮かべて毎日をすこしポンコツに楽しそうに暮らしていきたいものだと考えている。ちょうど10分経ったのでこれから旭川に向かいます。ちょっとだけ季節にそぐわないコートを着て。

来し方をさまよい行く末を振り返る

振り返る。

これまでの私は、本を書いてほしいと依頼され、なるほどありがたいことだな、待てよ、これはもしや、何年にもわたって毎日考えていたことをひとまず書いてみればそのまま原稿になるのではないか? と思いつき、そのようにしてみたところ出版に求められるレベルに達した、みたいなことを繰り返してきた。

そんな私に、「今回はそのやりかたはしないでください。本を書いてくれと依頼されてから、つまり今日から、何を書くかを毎日考えてください」と伝えた編集者がいた。

言われた通り、まんまと毎日考えている。半年くらいが経過した。この半年はほんとうに、いずれ書く本のぼんやりとした書影をいつも思い浮かべながら生活をしていた。あと1年は考えてよいと許可されているから、まだ当分、このような生活が続くことになる。

一連の思考は依頼が来る前には生まれ得なかったものだ。執筆を目的として本を買う(資料として買う)というのも一時試してみた。しかし、なにせ執筆予定の時期がまだまだ先であるし、明確な目的を持って本を買うという行為自体に慣れず、今はまた適当に本を買うように戻った。本を書くために思考するという行為を、過剰に目的的にしてしまうとおもしろくないし、完全に忘れても今まで以上の本はできない。考え続けてきたことの延長にありながらも、本という縛りによってその延長のしかたを発散させずにどこかに集束させていく、というドライブのしかたを、毎日心がけている。

WorkFlowyの一番上に、私が書く本が収められる予定のシリーズタイトルをメモしてある。毎朝出勤するたびにそれを見る。1週間くらいでそれは当たり前の日常になってしまい後景に埋没してしまったが、うまく習慣化することはできたようで、今はWorkFlowyを見なくても出勤する途中にすでに本のことを考えている。一方で、映画を見るとかスイカゲームをやるとか、自分が外界に対して受動的である時間を少し長めにとるようになった。これはそうしようと思ったというよりはそうなってしまったという感じである。



行く末を振り返る。

期待と回想という逆方向の思索の周囲で毎日読んだり書いたりしている。ものを考えるときは椅子に居たり畳に居たりする、つまり「居る」のだけれど思考によってどちらかの方向に体が動いていくようなイメージがある。その向きが未来に溶けていくのか過去に潜り込んでいくのか、あるいはその両者を入れ子にして振動するようにふるまうのか。そういう微調整がありえる。

後ろを向きながら後ろに歩く、マイナス×マイナス=プラスの説明のような移動もありえる。

いちど気持ちを未来に飛ばして現在からそこまでの過程を振り返るという思索もありえる。

顔・視線の向きと、自分の重心が移動する向きと加速度を、機械的に組み合わせることで、さまざまな思索のありかたが想定できる。組み合わせによってはナンセンスな状態になることもある。その代表が「行く末を振り返る」という文字列だ。対義となる文字列は「来し方をさまよう」ではないかと思われる。この二つは実際には自然に達成することがむずかしく、脳にしばらくの間遊びに付き合ってもらうような「言い含め」が必要になる。

「来し方をさまよう」ことは文学だ。「行く末を振り返る」ことは科学ではないかと思う。

その両者を完全に分けることに意味があるわけではない。入れ子のようにして振動すればよいのだろうと思う。

来し方を振り返って行く末にさまようことは私にもできることだ。だから、できづらいことをやろうと思っている。

いいんのしんだんがいいんです

前年度まで当科でアルバイトをしてくださっていた病理医が、異勤により札幌を離れた。今日、その方と入れ替わりで新しく当科にバイトにやってきた若い病理医が、お礼の品をあずかっていたと言ってお菓子をくれた。なんとも丁寧なことで恐縮する。ぺこぺこしているタイミングでくだんの先生からメールが届いた。

「先生のお心遣いのおかげで不自由なく働くことができ、家族を養うことも叶いました」

と書かれていた。胸を打たれた。



キャリアの若い病理医は、たくさんの医者と患者がひしめく大学に所属するのがセオリーである。私が勤めているような市中の中規模病院に就職すると、ある種の安定は得られるだろうが経験できる症例はどうしても偏ってしまう(例:当院には脳神経外科がないので脳腫瘍の病理診断が経験できない)。まだ自分の専門が確定していない「未分化な」病理医のタマゴは、大学で全身あらゆる臓器の経験を積んでおき、将来どんな病院に就職しても対応できるように準備するのである。

ただ、今、「大学で」といったが、じつは大学に所属することはそうカンタンではない。身も蓋もないはなしだけれどポストがないのだ。大学の常勤ポストというのは「教授」「准教授」「講師」「助教」の役付き4種のみ。一般企業で平社員にあたるのは「医員」と呼ばれるが、現在、たいていの大学では医員は常勤ではなく嘱託職員の扱いである。「週4しか働いてはいけません」と公言している大学すらあるらしい。そして信じられないほど待遇が悪い。手取りは16万とか18万とか。ほんとうに? ほんとうなのである。社会保険はつくが各種手当は雀の涙だ。一般的な新卒より条件は悪い。おまけに初期研修を終えた医師は最も若くても26歳。30代でも40代でも助教のポストが埋まっていれば容赦なく医員。これでは家族を養えない。

なお、病理医に限った話ではなく、ほかの医師も同条件である。

となれば世の医者はみんな困窮しているのかというと、そういう話はXでもあまり見かけない。

(※あまり大きな声では言えないが、Xで待遇の悪さをえんえんと投稿している医師アカウントもあるにはあるのだけれど、そういう人の正体を伝え聞くとおよそ半分くらいは本人の素行の悪さが原因で周囲とトラブルを起こしまくっていたりして、なんというか、推して知るべし。)

みんないったいどうやって暮らしているのか。じつは大学の医員は週1回以上のペースでアルバイトに出ているのである。

地方の病院を日帰りや一泊で訪れて、内視鏡とかカテーテルとか手術とかをやったり当直をしたりする。これで大学からもらっている給料よりもはるかに大きい額を稼ぐのだ。家計を支えるという意味では大学からもらっている額のほうがよっぽどアルバイトである。

「若いうちはバイトなんかしないでひたすら研鑽にはげむ!」という医師はほぼ存在しない。理由はお金のためでもあるが、「大学で経験できない症例をバイト先で経験できる」という側面も無視できない。大学での診療は「大学でないと診療できない難しい病気」であることが多く、「フツ―の病気」の経験がむしろ足りなくなりがちである。フツーの医者の能力を手に入れようと思ったら、アルバイトをお金稼ぎと割り切るのではなく、積極的に異なる環境に身をおいて診療に励む必要がある。だからみんなアルバイトをする。


さて、今の話はほとんどの医者に共通している。では同じことを病理医がやれるかというと、これがけっこう難しい。

まず、病理医の場合は当直がないので当直手当を期待できない。したがってアルバイトの金額が安めになる。ただまあ夜勤が嫌いな人からすればデメリットとは感じないかもしれない。でも問題はそれだけではない。

病理診断科というのは、基本大きな病院にしかないので、田舎の小病院への出張というシチュエーションが存在せず、バイト先の絶対数が足りないというのが地味にきつい。小説「泣くな研修医」シリーズでは、主人公の雨野が慢性期病院でいわゆる「寝当直」をするシーンや、離島を半年ほど訪れて診療所で勤務するシーンなどが出てくるけれど、これらの病院には病理診断科がないので病理医のバイト先にはなり得ない。

なにより、大学で修行中の若手病理医は、まだ経験が浅くて十分な病理診断ができない。「経験が足りないまま働くってのは臨床医も同じじゃないの?」と思われるかもしれないが、病理診断はいわゆる「B to B」的な仕事であり、要求される専門性が非常に高く、3年とか5年くらい働いた程度では事実上ほとんど役に立たない。

「病理診断は、なくても患者を診ることができるが、あれば診療の精度が飛躍的にあがる」というものであり、贅沢品みたいな側面がある。半端な仕事でその場をつなぐということはあり得ない(若手臨床医の仕事が場繋ぎだとは言いたくないが、正直、場繋ぎだけでも役に立つシチュエーションというのは豊富に存在する。しかし場繋ぎ的な病理診断というのはあってはいけない)。したがって、臨床のアルバイトのように「人がいないところに元気な若手が助けに行く」という構造は成り立たない。


以上の理由から、若手病理医がアルバイトできる病院というのは非常に限られる。「指導医が若手をフォロー・カヴァーできる病院」だけが選択肢として残る。そういう病院はあまり多くはない。


当院は幸い、現在、私も含めて部長クラスの常勤医が3名いる。多くはないが自分の病院の仕事をまわすにはまずまずの人数だ。これだけいれば、若手が週に何度かやってきても、交代で指導しながら働いてもらうことができる。

まあ、ベテランが来てくれたほうが、仕事は単純に楽にはなる。でも当院の場合は、これ以上仕事を楽にしなくてもいい。むしろ若手にどんどん来てほしい。大学もそれをわかってくれている。

若い人をときどきお迎えすることのメリットは多い。

まず、大学は人の入れ替わりが激しく、情報のやりとりの総量も多い。そこに所属する医員はみな、最先端の診療や研究の情報にかこまれて暮らしている。そういう人たちにアルバイトに来てもらうと、「先端の雰囲気」を運んでもらえてとてもありがたい。

また、たとえ病理診断はまだおぼつかなくても、若い病理医は機械学習にかんする知識が豊富だったりするのも見逃せない。生成AIを使った論文検索などはみな私より上手だ。

病理医であるためには病理診断以外の知識も必要である。その中には経験ではなく若さとセンスで開拓できる類いのものが含まれている。ベテランならば何でも知っているというわけではないのだ。

大学と連携して若手をお迎えするというのはかつての「医局」を彷彿とさせる。昭和の医局は教授が人事の権力を一手に担い、若者の労働力を搾取し、実績を一部の限られた人間に集中させるという、黒い巨塔を生み出すシステムそのものであったが、医局制度のすべてが悪かったとは思わない。特に、専門性の高い病理医は、SNSなどで素人・玄人の混在した交流をするよりも、大学を中心としたネットワークに組み込まれたほうが必要な情報が入ってきやすいしキャリアプランも幅広く見据えやすいと思う。



そんなわけで当院ではバイトを複数お迎えしている。誤算だったのは……若手がみんな、私よりもはるかに優秀だったことだ。さっき書いたメリットの中にはあえて「診断をたくさんしてくれて我々の負担が減る」とは書かなかった。若手にはそこまで期待していないからだ。しかし近年の若手は大変よく勉強していて、4,5年目くらいだとかなりしっかりと病理診断ができるようになっているのでとても助かっている。チェックをしてもあまり直すところがないのだ。だから社交辞令ではなくて本当にありがたい。そんな病理医の方々の口から「家族を養うことができてよかった」というセリフが飛び出したことにはちょっと虚を突かれた。うん。こちらとしてはありがたいんだけど、そもそも、大学の医員制度の給料が安すぎるという大問題があって、それでしかたなく彼らはバイトに出てるんだよなあ。そこは我々世代がこれからきちんと改革していかないとなあ。喜んでばかりもいられない。

bloggerありがとう

このブログはbloggerというGoogleのサービスを用いて作っている。毎日新しい記事を書く際にデフォルトで各記事の閲覧数が表示される。Twitterのフォロワーが15万人いたときも、1万5千人しかいなくなった今も、ここを訪れる人の数はそんなに変わっていなくて、だいたい1日に500人から1000人くらいが見にくるのが日常である。たまにどこかで紹介されると見る人が2倍、3倍と増えていく。しかし3000ユニークユーザーを超えて見られることはまずない。やりたいようにやっているのでそれでいいけれど、長くやっているわりにはあまり上手ではない。ともあれ読んでくださる人がいるというのはありがたいことである。

大学生のころホームページを作っていた。30代なかばにリアルで引っ越しをしたとき、クライアントでホームページサーバを借りていたことをころっと忘れたままネット回線をまるごと契約解除した結果、サーバにあったすべてのデータがふっとぶというやらかしをして消滅した。バックアップもない。Webarchivesからも消えつつある。今はもう痕跡程度しか探し出せない。しかしそのことをもったいなく感じているかというと、そうでもない。けっこう長くやっていたけれど累計の閲覧数は15万にも満たなかった。SNSがあったらもう少し増えただろうか? そうも思えない。その程度のホームページだった。思い出すことはある。しかし惜しいとはあまり思わない。

当時の私は何がおもしろかったのか、3日おきくらいにちまちまと更新をしていたが、読みに来る常連はたぶん30人もいなかった。それでも読む人がいたということに今と同じありがたみを覚えた。SNSによって30人が500人になったのが今だ。しかしSNSがうまくなっても500人以上には増えなかった。SNSを縮小してもやっぱり500人。それが私の文章のつながる世界の広さ。

40代も半ばを過ぎ、この先もおそらく、私がオンラインの文章で、世にいう結果(数字)を出すことはないだろう。

もし今、課金制を導入すると、500人の100分の1に相当する5名くらいがお金をくれる。たとえばbloggerを引き払ってnoteに移住し、月額500円のサブスクにしたとすると、すぐに契約してくれる人が5人くらいいるという見込み。インターネットでお金を稼いでいる人たちは、だいたいそういう計算をしているに違いないという偏見がある。なお月額500円のすべてが私のふところに入るわけではなく、たぶん100円?くらい?はnoteに入るだろうから、ひとり月400円として5名で2000円。ブログを平日まいにち更新するノリでnoteをやれば、月に20本書いたとして、記事ひとつあたり100円。なるほど私のブログ記事の金銭的な価値は月に100円。ちなみに月に1本書いても20本書いても2000円。だったら1本のほうが「効率がよい」みたいな発想がふと思い浮かぶ。金銭を介在させることで生じるノイズから自分が自由でいられるとは思えない。課金制とはつまりそういうものなのだ。

カレーのにおいが漂う蕎麦屋でふつうの鴨南蛮などを頼むのが難しいのといっしょだと思う。カレーのことで頭がいっぱいになるように、お金のことで頭がいっぱいになって、本来であれば日常の些細なことから絞り出されてきたはずの「書きたかったこと」の香りは感じ取れなくなる。消えまではしなくても五感がうまくそれを感じ取れなくなる。鼻毛にカレーのにおいがまとわりつき目は¥マークになる。

もらえる額がもっと多かったらどうか。毎月2000人が熱心に購読してくれるnoteのオーナーになれたとしたらどうするか。サブスク月500円として2000人いればnoteのピンハネをさしひいても毎月80万円が手に入る。ぜいたくができる額だ。ネットで毎日見聞きする有名noteのオーナーたちも、額はもっと派手だったりやや控えめだったりするだろうがざっくりとこれくらいのマージン手にしながらああいう文章を書いているのだろう。では、これだけの金額が入るというなら私は一も二もなくその世界を目指しただろうか。

20代ならやったかもしれない。しかし年齢の問題ではないかもしれない。効率を計算して類推と調整に忙しくなり蓄積に安心を求め戦略で発展をめざす自分の姿がどうしても想像できない。

課金を前提としたブログ更新をはじめた私はおそらく、ひとつひとつの記事がもたらす波及効果やブランド価値を思い、今と同じような内容を書き散らすことはなくなる。毎日好きなところで執筆をやめて勝手な分量で更新したことにしてしまう怠惰な更新態度は続けられなくなる。文章に対して慎重になり、思慮深くなり、総量としてPCに向き合う時間が減ることすらあり得る。文章で生活をするほうがかえって文章をいじくる時間が減るということだ。良い体験がよい文章に結びつくなどとうそぶいてデスクを離れてどこかに旅立ってしまいがちである。キーボードも今ほど叩かなくなる。マウスもそんなにガシャガシャやらなくなる。クオリティの低いものを世に公開することがもたらす意味をおそれ、今よりはるかにキータッチを躊躇する。立ち止まって見据えて探ってまた引き返すようなシーンがもっともっと増える。そうするとどうなる? ていねいに推敲を重ねていい文章を書き続ける人を世間は作家と呼ぶが、私の場合、作家性が上がっていくことはなく、単純に粗製乱造の流れがストップして生産性だけが落ちることになる。その結果、おそらくだが、めぐりめぐってきっとデスクワーク全般がへたになる。当然、病理診断の実力も落ちる。でもまあ文章で金を稼げればいいか、と、病理診断をあっさり切って文章だけに注力するようなドライな生き方が私にできるだろうか。できない。実験も性格もウェット一辺倒の私は病理診断というウェットでヒューミッドな仕事から離れられるわけがない。ただ自分の望みとしてはそうだが、仕事がへたになっているのだから、周りから見れば迷惑極まりない。スタッフにお願いしてノルマを減らしてもらうべく各方面と調整を行い、若手や大学に迷惑をかけながら数ヶ月かけて、後ろ向きな働き方改革を試みる。結果として仕事はつまらなくなる。仕事がつまらなくなれば中年クライシスの当然の行く先として美食や観光やエンタメの方面に気が散るだろう。食って寝るだけでこんなに幸せになれるんだなと大学デビューならぬ更年期デビューを果たすかもしれない。美食という名のもとに排泄以上の摂取を繰り返せばおのずと栄養過多になる。体重が増える。ついでに酒を飲むだろうし睡眠時間も確保してすべてが太りにつながっていく。キテレツ大百科でいうとわりとトンガリっぽかった見た目がブタゴリラみたいな雰囲気に近づく。暴力的ではないが創造性もない昼行灯としてのブタゴリラ。一時的にスタッフや学会関係者からは愛玩動物的に見られ、その後さほど間を置かずに、注目の範囲外に置かれて安穏な余生を送ることになる。あれ、今よりもわりといいのか?

ブログを長くやっているわりに向いていないというのは、今書いたような「数字に真正面からに向かっていけない性格」に負うところも大きいかもしれない。お察しのことと思うが、私は、金銭の話をするのが小っ恥ずかしいのだ。いい歳をして何をギラギラさせているのかと真顔でため息を付く。人類に次の大きな選択圧がかかったときに私のようなタイプはある種の潔癖症の方々とともに種の絶滅への歩みを進めるかもしれない。

しかしこうして書いてみると、現代においてものを書いて食っている人たちはほんとうに偉いとしみじみ思う。クライアントの顔をきちんと思い浮かべている。労働と対価のバランスに見合った持続をできている。

一方の私は草野球ならぬ草ブログが関の山だ。クライアントの顔を一切思い浮かべずに自分の心ばかり見る。手前勝手な没入型で、対価のために他者との調整を行うことをストレスと感じる。

私の書くことはたいてい私の中から浮き上がってくる。それは、もちろん他者との関係の中で入力された信号に対する反射的なものであったり、他者から受けた圧によってトコロテン式に押し出されてきた拠ん所ない感情であったりもするから、「自分のオリジナルの感情」というわけでは必ずしもないのだが、ともあれ、自分のゼロ距離から湧き上がってくるものであることに代わりはないし、誰かに依頼されて書くとか誰かのために書くといったものとは違うだろう。「誰かがいるから書いた」と「自分の中から浮き上がってきたものを書いた」は同時に成立する。それまで自分であったものを書くことは、他者から依頼されたものと比べればだいぶ楽なのではないかと思う。ところが実際に書き始めてみると、これがなかなか、そうそううまく言い表せるものではないから閉口する。さいしょからある程度完成された言葉で浮き上がってきたように見える何ものかを心の奥でひっつかんで、いざキータッチしたものを眺めてみると、なぜか心の中にあったときのそれとは雰囲気が変わってしまっているから難しい。「このビッグマック、チラシとずいぶん違うじゃないか!」「このオリオンビール、札幌に帰ってから飲むとそこまでうまくないじゃないか!」そういったままならなさと向き合うことになる。自分の中から出てきたものなのに、自分のそれまでの言葉では言い表せないというのは大変に興味深い。指先で使える語彙と脳の茨に絡み合っている語彙とが一致していない。ここに喜びのタネがある気がする。自分の心を文字にするという営みには互酬性がない。最近の知識人が大好きでしょっちゅう口にする「贈与」からも遠いところにある。心の中から浮き上がってくる自分 or 他者 or indeterminateなものに手を伸ばす。荒ぶる幼児のように手を伸ばす。いじくる。荒ぶる幼児のようにいじくる。そしてぐちゃぐちゃにしてしまう。荒ぶる幼児は仁王立ちに眺めて「あーあ。」とつぶやく。報酬もないし贈与でもないのに私を社会に向かってドライブする謎のモチベーションだ。なお目を$マークにしたとたんにこの楽しさはすべて濁って霞む。クライアントの顔を思い浮かべながら同時に蕎麦つゆの繊細な香りを堪能できる人でなければ真のnote作家にはなれない。はっきりわかる、私はnoteに向いてない。

受験脳は揶揄されがち



「問う→答える→問う→答える」の流れが医療の現場には存在する。毎日いたるところに小さな教室が発生する。

かくいう私は病理医で、臨床医の問いかけに毎日のように応じる仕事についている。もちろん私が問い臨床医がそれに答える場面もたくさんある。


さて、「問う側」は生徒で「答える側」は先生だろうか?


やりとりで学ぶのは問う側ばかりではない。答える側もまた、問いによって動かされ、考えさせられ、気付かされる。問う側がいつしか場を牽引し、どこかに導いていくこともある。

問答というのは「どちらか一方」に寄っていくたぐいのものではない。でもここでソクラテスの話をするのはうっとうしいので今日はしない。


冒頭の私の投稿(Threads)のあと、しばらく考えた。

臨床医がつっかえつっかえ、自分が何にギモンを感じているのか未確定の状態から、少しずつ、「病理からはどう見えるんですか」と問いを立てるシーンに遭う。そこで私が「答えを用意する側」として仁王立ちし、「あなたの質問はこういうことですよね? それに対する回答はすでに準備してあります」とお仕着せのQ&Aに回収してしまうと、なんだか、いろんなニュアンスをぶっつぶしてしまう気がする。

FAQの無味乾燥さは学術好奇心を殺す。

Doctor's doctorなどという絶対に口にしたくないクソワード。病理医は臨床医にとっての教師として君臨するべきか? まったくそうは思えない。

問いを立て始めた人といっしょに、問いのゆくすえを見定めて並走する精神でありたいなと思う。

ぱっと答えればいいというものではない。すばやくたどり着けばいいというものではない。

目の前で問いを発した人とは違うだれかが、過去に通った問答の、思索の残像をトレースするだけで、今のギモンを軽々しく扱ってしまうことに抵抗がある。

ギモンが湧き出るまでの経緯、ギモンを語るときの声のトーン、ギモンを語る人の日頃のありようなどを注意深く聞き取りながら応じるとき、「あらかじめ用意した答え」がそのまま使えることはめったにない。

つい、「即答する自分」に酔ってしまいがちなのだけれども。

そういうことではないのだと思う。



ところでこういう話をすると必ずやり玉にあげられるのが「受験」である。

大学受験を前提とした試験の設問では、基本的に「問う」側が「答える」側よりも上の立場と考えられている。「問う側」が先生で、「答える側」が生徒。問いに回答や解法が内蔵されている。学生は問う側の意図を汲み、答えを用意する過程で構造を学ぶ。

そのことを揶揄する大人はたくさんいる。いすぎると感じる。「答えのある問題ばかりを問いていたから社会に出て答えのない問題を解こうと思ってもうまくいかないのだ」みたいな、それこそ用意された回答のようなことを平気で言う自称有識者にも、たくさん出会ってきた。今もSNS中にたくさんいるだろう。

そういう人たちに限って、「答えのある問題なんてAIに聞けばよい」とか「いまどきGoogle検索すれば答えなんていくらでも転がっている」みたいな雑な言い方をする。

でも、私は思う。たとえ「答えのある問い」だったとしても、それは早く手軽に対処すればいいというものではない。

「答えのある問い」を丁寧に彫っていく作業にはなにかおそらく大事なものがいくつも隠れている。

答えのない問いがどうとかクリエイティブがどうとかコミュニケーションがどうとか言いながら、みずからの思春期の怨念を若い人たちへの鞘当てに用いるような人びとに、「答えのある問い」は一段低く見積もられているふしがある。

でも、「答えのある問い」は、もっともっと味わい尽くせる気がするのだ。そこでもっと丁寧に振る舞える気がするのだ。


問いと答えの形式は千変万化である。受験的な問いと答えにも、ほんとうはたくさんの意味があり、得られるものは人それぞれに異なる。問う側は常に問われる。答える側もまた問いを立てるからだ。問いを立てる側と答える側は、お仕着せのQ&Aを超えた先を見据えて、「私たちは今、何にひっかかり、何を得たいと思って、誰に何を問いかけているのか」という思索の荒野を歩く。

問うこと、答えること、答えがあろうがなかろうが、そんなにかんたんに割り切れるものじゃないし、もし「割り切れた」としても、その計算過程にはたくさん汲み取れるものが隠れているのである。

イージー☆カスタマー

バンクシーの一番くじがあったらバンクジーって呼ばれるんだろうなと思いながらローソンをあとにする。結局お茶しか買わなかった。So-called ひるめしのもんだい。ローソンはCMだとおいしそうなお弁当がいっぱい売っているっぽい雰囲気を醸し出しているのだけれど、個人的にはドンピシャで食べたい昼食があんまり売ってない。ならセブンやファミマならいいのかっていうとそういうわけでもないし、セイコーマートのカツ丼も嫌いではないけど毎日食べたいともあまり思わない。飽きずに通える定食屋みたいな役割をコンビニが担ってくれたらなあといつも思う。スイーツはおいしそうなんだけどな。塩分控えめで油もあんまり使ってない感じで野菜がそこそこ入ったカロリー抑えめの昼食を置き、かつ、いつでもふらっと入れて待たずに食えて現金だけでなくペイペイもSuicaも使える定食屋が札幌市内に20000件くらい建ってくれたらだいぶ楽になる。空を見上げると自炊しろビームが降り注いでくるのが見える、ゼロコンマ8秒後に私はあのビームによって焼き尽くされる。ほどよく。西京焼きみたいに。


フォローしている作家の新刊がとどく。楽しみにしていたので週末に時間をとってじっくり読もうと思っているのだけれど、いちはやくタイムラインに流れてくる感想ポストがどれもこれも「読みやすい」「読みやすい」一辺倒なのでちょっとウッとなってしまった。読みやすい本だというならば、「読んで何を思ったのか」を感想に書いてくれればよい。多少なりとも新しいことを感じたとか、これまでの自分と違う視点を手に入れたといった、その本によって自分や周囲がどう変わって見えたのかを気軽にポストしてくれたら、そのポストもまた二次的な創作物として楽しめるのに、ほんとうにみな、「読みやすい」「読みやすい」しか書いていない。なんかもう少しないのか。本当に文章のコアにアクセスしやすいならば著者の思索にあわせて読み手のほうにも何らかの動きがあってしかるべきなのだが。つまりこの本は「読みやすいという感想」を真っ先に書きたくなってしまうくらいにリーダビリティが高く、その日本語能力の印象が強すぎて、内容のほうにコメントする前に140文字のリミットに達してしまうという、なかなかSNS泣かせの本なのかもしれない。自分で読む前に手に入れる情報としてはわりとダメなほうだったなと思う。私もまた「読みやすい」以外の感想が頭からふっとんだ状態でSNSに向かってしまうのだろうか。


手に入りやすければいいというものではない。しかし、多様で安価なプロダクトに囲まれて暮らしていると、なにかを選ぼうという自覚よりも先にアクセス性の良さの順にならんだコンテンツたちが勝手に我々の脳の中にパカパカ入ってくる。なんだかんだぶーぶー言いながらも私が毎日コンビニに入ってしまうのだって結局は「ドアから入って出るまでのことをなんの引っ掛かりもなくストレスゼロの状態として思い浮かべることができるから」な気がしてならない。やだなあ。周りに物が多すぎるから、熟慮したつもりでも、選びぬいたつもりでも、選んで数秒後にはもっといいものが検索クエリの先に出てくるかもしれないという不安におびえながら暮らさなければいけないんだ。


世の中は決して私のほうを見ていない。まるで自分向けに書かれているかのようなコピーライティングは、「こうすれば多くの人にストレスなく届けることができる」という技術と、世のあらゆる人びとのかかえる嗜好性の最大公約数とをブレンドして上清を抽出したものにすぎない。誰かがつぶやいた意味深な一言は絶対に私に向けたものではなく、誰もがつぶやいている今そのすべては私向きではない。だから、かえって、その日たまたまアルゴリズムによって一番表示されやすかったものが、「私のためのもの」なのだと勘違いできるように脳が狂っているのだと思う。脳はうまいこと狂わされたのだと思う。私たちはみんな、生まれた時にくらべて、選択圧によってうまいこと狂ってこの状態なのだと思う。ああ、これぞドンピシャの、私向けの何ものか、という錯覚の正体は、結局のところ「その人にとってもっとも手軽に手が届くものだった」というだけだったりするのだ。読みやすい本なら感動して感想を言いやすい。感想がつぶやかれるとそれが次の人びとに届いてまた売れる。くだんの作家は発売後、数日でこのようにつぶやいていた。「いっそわかりにくいものを書きたくなる。」わかるなあと思った。とてもわかりやすいポストだった。

パスケースのびる

仕事場のIDカードを入れている革製のパスケースには、50センチくらい伸びる紐状のリールがついていて、ゆわえつけた先からびよんと伸ばして勤怠管理システムにタッチできる。これを、院内携帯(iPhone 7)をぶらさげたネックストラップの先端につないでおく。出勤したらスマホごと首にかけてワイシャツの胸ポケットにまとめて入れている。なんとなくそういう一連の流れが身に染み付いていたのだが今朝、出勤するときに、いつものように勤次郎(パスをタッチするやつ)にカードを伸ばしたらプチと音がして紐が切れてしまった。あらまあと思いつつデスクにたどり着いていくつか仕事をし、XやThreadsにくだらない話をちょこちょこと書き込んで、でもこれ使うからなーと思ってさっそく後継品をネットでチェックする。

パスケース のびる

Google chromeのURL欄にここまで入力すると予測変換が下に表示される。


そう、「伸びるやつ」がほしいんだ私は。そうなんだよ。見知らぬ20代、30代くらいの勤め人が検索したのであろう結果を機械学習が抽出して「のびる じゃなくて 伸びるやつ でしょ?」とサジェストしてくれるさまは奥ゆかしくも滑稽である。

この話をXに投稿するとすかさずクソリプがやってくる。「パスケース 野蒜」。この人の脳は、「のびる」を「野蒜(のびる)」に変えて人にリプライを送ることでなにがしかの報酬物質を分泌しているということになる。野蒜で脳内麻薬かあ。ありそうなことだなあ。


ちかごろのGoogleは「試験運用」といいつつも生成AIによる回答表示を上のほうにぶちこんでくる。医学情報でためしてみるとけっこうウソを出してくるのであまり信用してはならないが、野蒜にかんする情報や写真がウソだったからといって私にとっては正直どうでもいいし、これくらいの情報を出してもらえれば当座の役には立つしそれ以上を求めてもいない。なお、上記の写真の文章はWikipediaの丸パクリであり、記事へのワンクリックすら面倒に感じる現代人のために最速で最小限の情報を表示するという、社会のニーズに完璧に沿ったものである。



こんな検索ばかりしていても、クイズ番組で分からない問題の回答が表示されたときに「あーなるほどー」と言ったっきり一切記憶できないでまた次の日に似たような問題が出てきたときに「あれ昨日見た!なんだっけ?」となってしまうのと同じように、自分の中に何も足されないし何も掛け合わされない。出来事だけが通り過ぎていって一切の変化がないのだから触媒ですらない。Google検索とは山崎である。何も足さない、何も引かない。





野蒜をURL欄に入力したときの予測はこのようになった。野蒜小学校、というのが出てきて虚を突かれる。遠く、わずかに、聞き覚えがある。

宮城県東松島市にかつて存在した小学校。東日本大震災のときに津波に襲われた学校。

かつて読んだいくつかの記事を再読して、かつてのように黙り込む。

見たくないものを見てしまったという気持ちもないではない。しかしそれ以上に、こういうきっかけでもないと災害の記憶を読み返すこともなくなっている自分の昼行灯っぷりをいましめられたような気になる。

検索ばかりしてりゃいいってもんでもないよ、と、若い人には言いたくなってしまう。クソリプなんて無視してりゃいいんだよ、と、いつもお高くとまっている。けれど思いもよらない寄り道をもたらすものが自分の意志であることなんてめったになくて、結局、機械学習や他人の脳内麻薬のなせるわざによって私の意図はずらされ、思ってもいない場所にトトロへの抜け穴のように道がひらく。私はパスケースを取り替えたかっただけなのだ。

夜明けに振り返る

年に一度弱の頻度で出てくるおなじみの夢というのがあって、私の心のありようというか傾き方を端的に表現してくれておりわかりやすいなーと思うのだが、たまたま今朝その夢を見たので以下に書いておく。他人の夢の話など誰も読まないという有名な警句があるけれどいまやSNSには誰も読まない話しか投稿されていないのだからおあいこだろう。


少し垢で汚れた状態で私は受付にならぶ。開けた空間で天井がかなり高く、あるいは天井から直接陽光が射しているのかもしれない。室内だとは思うのだが苔むした石が散らばっていたり一歩で跨げるような小川が流れていたりその川に小さなアーチ状の橋がかかっていたりして、川に分画された島々にはそれぞれ人が憩っている。中年や老人が多い。一部の老人は上半身が裸で首からタオルをかけており、湯上がりに放熱しているといった風情である。

空気が少し汚れているように感じる。受付にすぐにたどり着く。低い番台のような受付にいるフェロモン強めの安藤サクラみたいな係員がバスタオルと湯おけを渡してきて、何ごとかをいう。私は斜め後ろにいる女性の連れ合いを気にしている。本当はこの女性といっしょに歩いているところを見られてはいけないので少し離れて歩いてほしいのだが女性はもちろん私にぴったりとくっついていて、「ここならこうしていても別に不自然じゃないから」と言う。私はあまりきちんと返事をせず、服を脱がないまま廊下を進んでいき、脱衣所を通り過ぎてしまって露天風呂にたどり着く。露天風呂にはせり出したはしけのようになったスペースがあり、そこでは服を着た人たちが食事や交接をしている。私は食事にも肉体にも興味がないふりをして、念のためということもあるので服を着たまま湯船に身を沈める。ついてきた女性を振り返るがいつのまにか女性はいなくなっていて、かわりに、番台の女性が「それでもいいけどそれだと困る」というようなことをいう。

服を乾かす必要があり私は車に乗らずに幅の広い夜道を走って家に向かっていく。円山公園のふもとなのだと思う。湾曲した片側4車線くらいの車道には車がほとんど走っておらず、風を切ってびゅんびゅんと走っていくと後部座席に(なぜか車に乗っていることになっている)、先程の女性がいて「あんまりスピードを出すとあぶないのに」というので私は少し歩調を緩めるのだが、風の勢いがあまり止まない。目が開けていられない。いけない、と思った次の瞬間私の口は思ってもいなかったことを言う。「ああ、タクシーチケットをもらっていたんだから、タクシーでよかったんだ。」振り向いて先程の湯殿に戻らなければいけない。もう夜が明け始めている。振り返ったところに重く濡れた服を何重にもまとった眉毛の濃い男性が走ってきて私の横っ腹に何度も何度もナイフを突き立てる。どんどんどん、という音がマンガの描き文字として耳の中に飛び込んできて私は目を覚ます。おそらくなんらかの音がどんどんと鳴っていたために夢の中にもその音が鳴り響いたのだろうな、という予感と共に目を覚ます。しかし周りは静まり返っていて冷蔵庫の音だけが遠くに薄く響いている。どこも痛いところはなく何もつらいこともない。この夢、たまに見るんだよな、と思って、試しにこの夢を忘れずに記憶しておいてみようかな、でもそうやって夢を覚えていようと思っても覚えていられたことはないんだよな、というところまで考えて二度寝に入り込む。

そうして目覚めた今朝、なぜか、夢のことを忘れていなかった。湿気のある空気が鼻の中に残っている。出勤しているうちに忘れるものだよな、と思っても忘れなかった。ブログを書くころには忘れるだろうな、と思っても忘れなかった。あるいは、この夢は、こうしてここに書いたことでもう見ることもないのかもしれない。番台の女も後ろにいた女もナイフを向けてきた男もすべてマンガの中に戻ってしまったかのような感じであまり思い出せないのだが、汚いバスタオルが何枚も敷き詰められた安普請の集合浴場の雰囲気だけが今もわりと鮮明に頭の中に残っている。

こもっちゃうのがいやなんだ

胃腸の動きが悪いのか、ちかごろは午前中も午後もなんとなく胸に食べ物がつかえているような感覚がずっとある。これまでの経験をふりかえると、むこう半年くらいに抱えている仕事が多くて複数の締め切りを見据えているときにこうやって胃腸の動きが悪くなる。下っ腹の脂肪がハリを失い、目がいつもかさついて、髭の周りの皮膚が薄くなる。てきめんに体に変化が出るのだが年々その変化の度合いがえげつなくなっている。

なお同様の変化は仕事だけではなく、私の場合、旅行やレジャーを計画しはじめても起こることがある。たぶん、仕事がいやだから体に変化が出る、という話ではないのだと思う。未来に起こりうることのなかの、未定と決定の割合が、決定のほうに傾いた時に私の体は悲鳴をあげはじめる。何も決まっていない空白をどれだけ用意していられるかが今の私にとってはおだやかにすごすための肝なのだろう。論文だろうが原稿だろうが、外食だろうが海外旅行だろうが、「この日までに何をして、この日はこうしてすごす」というように、何かが確定するたびに私の神経鞘はすりへり、神経筋接合部がナイーブになって、筋肉が拘縮して、さまざまな分泌能力が低下して、乾きと硬さが増していって可塑性が失われる。


「やることがある幸せ」というのを、今の私はもう少し積極的に意識してもよいのかな、と思わなくもない。20代、そして30代において、私はしばしば何もすることがなく、何ものでもなく、何ができるわけでもなく、しかし何かでありたくてしかたなかった。それが何よりの苦痛だった。意味もなく大学や職場に長居して日が変わるまで自分の専門とあまり関係しない論文を読み漁り、他人の研究の手伝いに勤しみ手をひたすら動かすことで鬱滞した脳の熱を放散しようとした。あのころに比べて私はありがたいことに、何かをしなければならず、何ものかにはなれていて、何かとできることが多く、何かになれている。そして、しかし、そういった何もかもが心と体に張りを与えていたのはごく短い時間に過ぎず、何処か他人事のような、何かまだできるのではないかという次の階層の不安にさいなまれ、何をするにあたっても疲労が隠せなくなり、いつも何かと傷んでいる。

私はいつも目の前にある状況に何がしかの不全感を抱え、そうでない自分が何処かからかポツンと生まれてきてくれることを祈りながら、首をさすり、肩を回し、腹に手を当ててなだめ、心拍を早めてやりすごしてきた。そうやっていつの間にか、昔の自分が見たらきっとうらやむような立ち位置と、あこがれるような仕事と、嫉妬するような手さばきを手に入れていたのだが、心象のほうはあまり変わっていない。満ちるということを知らない水槽、引き切るということを知らないガチャマシン。土曜日に職場に顔を出したらデスクの上に、当直の技師さんが気を利かせて、月曜日に仕上げるはずの標本を積んでおいてくれたので、私はメールだけチェックして帰ろうと思っていたのだけれど結局午後いっぱいを費やしてその標本をすべて診てしまった。「月曜の朝に診るべき標本がたまっている」という状態で土日を過ごせる気がしなかったのである。すべての標本を見終えてデスクを後にし、車に乗った瞬間に大きなげっぷとおならが出る、こんなにもわかりやすく私の胃腸は止まっていたのだなと呆れる。もし私の車に自意識があったら、週末の夕方には窓をあけたまま私を待っていてくれるに違いない。

ちかごろはドラッグ中毒

冷凍うどんと牛乳を買った。ふと、いつも見ない棚に目をやると、けっこういい日本酒が置いてある。ここはデパ地下でもスーパーでもなくドラッグストアなので少し驚いてしまう。

ドラッグストアの酒売り場には「山田錦」のように酒造好適米の品種だけ書かれて結局どこの酒なのかよくわからない酒とかアルパカのイラストがついたワインとかが並んでいるのが定番だ。札幌の場合、運がいいと「まる田」という北海道夕張郡栗山町(WBC監督・栗山監督が移住したことで有名)のちょっとおいしいお酒が置いてあったりもする。しかしまあ所詮はドラッグストア、ここに酒屋のクオリティを期待するつもりなど元からない。ところが思わず二度見してしまうくらいのいい酒があったのだ。一時期イオンなどにたくさん置いてあった新潟や福島や高知の有名な酒というわけでもなく(あれはあれでうまいが)、しっかり通好み、出る場所に出れば「和食にも洋食にも合うんですよ」とか虫唾ダッシュ系のコメントまで付けられるクラスの佳酒である。ちなみに値段がめちゃくちゃ高いのかというと、まる田よりは少し高いが爆裂に高すぎるというほどでもない。

酒類の仕入れを担当している人がちゃんと日本酒が好きなのだろう。思わず四合瓶を一本購入してしまった。せっかく安いうどんと牛乳を買いに来たのに。今日もきちんと節制できていたのに最後の最後で。


銘柄を書いてしまうとそのドラッグストアの場所が特定されてしまうかもしれないので申し訳ないがやめておく。同系列のドラッグストアにこの酒が置いてあるとは思えないし事実これまで見たこともない。おそらくそのドラッグストアは、当該地域では静かに有名になっているのではないか? だったらそのまま静かなままにしておいてあげたい。ぼくはたぶんこれからもそのドラッグストアに酒を買いに行くだろう。車で。担当者の心意気を思うと、この酒で終わりということはないはずだ。きっと来月くらいにはまたおもしろい別の酒が入荷しているのではなかろうか。


私がドラッグストアに求めるクオリティには、「切れ味がよくべたつかず、味わいが深くて悪酔いしない日本酒」というものはそもそも含まれていない。私にとってドラッグストアとは「薬が置いてあるぶん日用品の品揃えが少ないコンビニ」くらいの立ち位置だった。しかしこの感覚はもう古いのだろう。冷凍食品が豊富なドラッグストアもあれば生鮮食料品が揃っているドラッグストアもあるということを最近知った。どの店舗もチェーンで内装を揃えているように見えつつ品揃えが微妙に異なるというのも最近知った。ドラッグストアの営業時間内に帰宅できるようになったおかげである。ささやかに切ない日常のよろこびである。

友人・知人の中には、「よさげな店をめぐる」ことを趣味にしている人たちがいる。レストラン、居酒屋、ワインバー、どれも腹に入れば一緒だなどと無粋なことを口にすると精神的出禁になるから絶対に言わない。食べるという体験は味覚や嗅覚や触覚だけで成り立っているわけではなく、視覚や聴覚だけでもなく、脳内仮想世界の芳醇さすべてによって組み上げられるものだ。マンハッタンという名のカクテルを飲み比べるためだけに全国のバーを行脚する40代女性というのが私の周りだけでも2人いる。これはもはやマイノリティではなくマジョリティの生き方なのだろう。一方でわたしは結局このトシになってもそういうものにハマりきることができなかった。コロナ禍でなじみの店から足が遠のいたというのは単なるいいわけだ。私には食にあそぶセンスそのものがなかったのだ。しかし、ここにきて、「ドラッグストアの食べ比べ」という心底どうでもいい遊びにちょっとだけ夢中になれている自分がそんなにきらいではない。この店にはそのうち、スーパーにもなかなか置いてないような「鮭とば」が置かれたりするのではないか。近頃ドラッグストアにはまっている。それはちょっと楽しくて、多少体に悪いかもしれず、ふしぎな魅力と後ろ暗さとを兼ね備えた大人の遊びなのである。

病理診断教育の効用

「そこにあるの、なんですか?」

若い病理医と一緒に顕微鏡を見ると、このように質問を受ける。

病理医の勤める病理検査室には、特殊な鏡筒(きょうとう)を備えた集合顕微鏡という装置がある。複数人で同時に顕微鏡を見ることができるのだ。近年はデジタルパソロジーといって、細胞の姿をパソコンのモニタ上で見る装置も増えてきた(当院にはまだないけど)。これによって、若い病理医は、自分が今目にしている細胞がなんなのかを直接指導医に尋ねることができる。

彼らがいう「そこにあるの、なんですか?」の「そこ」には何があるか。

コナン君の「妙だな……」のように、むずかしい診断を解決に導くようなヒントがあるのだろうか。

じつはたいていの場合、病的意義がほとんどない「正常構造の些細なバリエーション」ばかりが見つかる。

リンパ節の類洞内にあるマクロファージだったり、潰瘍の辺縁にある腫大した血管内皮細胞だったり、炎症性ポリープ内の紡錘形細胞だったり。

若い人はこれらを目ざとく見つけ、「これはがんなのではないか」と悩み、顕微鏡と向き合いながら何時間も首をひねって、私たちに相談をもちかける。



同じ細胞を我々中年病理医がみる。ほとんど一瞬で「はい大丈夫大丈夫」と通り過ぎてしまう。要は「大したことがない細胞」なのだ。「がんかも?」などと疑うことはめったにない。

「えっ、ぜんぜん悩まないんですか?」悩む若者に、指導医は、こんなふうに声をかける。

この細胞だけをいつまでも見ているとぎょっとするしびくびくするけど、がんと見比べると違いがわかると思いますよ」

この細胞だけを深掘りすると悪そうに見えてくるかもしれないけれど、俯瞰して、どういう環境下にこの細胞が出ているかを見れば、がんではないことがわかるでしょう」

ポイントは拡大倍率。それも、顕微鏡のレンズという意味だけではない。心の中で、何をどれくらいクローズアップして考えているかという「心象のズーム」をいかにほどよく保っているかが大事である。あくまで私の印象ではあるが、若い病理医が細胞の良悪で迷っているときには、基本的に「拡大しすぎ」なことが多い。

ある細胞1個をどんどん拡大して、細胞の形や色合いなどを詳しく吟味し、がんか、がんじゃないかを考えるというのは方針としては間違っていない。

しかし、実際には、細胞1個の変化にはかなりのバリエーションがある。がんでない細胞が、がんに似た変化をきたしてしまうこともしょっちゅうある。

そういうとき、細胞1個だけを見るのではなく、ほかの場所にある確実にがんとわかっている細胞や、あるいは逆に絶対にがんではないと思える細胞と見比べるのがコツである。容疑者ばかりではなく、善良な人びとや、ゴリゴリの犯罪者と交互に見る。

さらには、その細胞の周囲に何が起こっているかを引きの目線で検討する。容疑者の顔付きや持ち物検査だけではなく、その容疑者が暮らす家や地域の様子も加味する。

そうやって、クローズアップとロングショットを往還するようなかんじで、細胞とその環境とを両方見ることで、私たち病理医はだんだん迷いを少なくしていく。




……ただ、今日の話はじつはここからが本番だ。

私たち中年病理医は、若い人たちが迷うような細胞もきちんと見分けることができるようになっている。

しかし、ときに、若い人が迷う細胞に立ち返ってみるのもおもしろいと思う。

私たちが長年の経験によって、「ぱっと見は似ているけれどじつはまるで別物」として、議論の対象から早々に外してしまっている細胞、ふだんはあまり気にしていない細胞を、あるとき、あえて深掘りするのだ。

「どうせがんじゃないから適当でいいや」くらいの気持ちで観察をスキップしていた細胞を、この日ばかりはフィーチャーする。今日だけはあなたが主役である。

反応性の腫大を示す中皮細胞。貪食まで至っていない組織球。皮脂腺。神経節。

古い文献などもひっくり返して、電子顕微鏡所見などにも立ち返って、詳しく見る。とことん考える。診断とはもはや関係なくなっているのだけれど、どっぷりとひたる。

そうやっているうちに、「ベテランならばがんとは似てないと断じてしまうけれども、知識のない人が見たら間違う程度にはがんと似ている良性の細胞」が、なぜ「がんにうっすら似たのか」の答えが出てくる場合がある。

細胞骨格に、異常な上皮細胞と似たようなタンパク質が用いられている、とか。細胞同士のゆるい結合性が出現している、とか。

日頃は目もくれなかった「モブキャラ」を通して、細胞同士の類似や相同に、いつもと違う角度から気づくことができたりもする。

気分は「マイナーだけれど神回」だ。オタク大好き回。



さっきまで書いていたことと真逆の話になってしまうのだけれど、病理診断の役に立たないという理由でふだんおろそかにしがちな「細胞1個だけを見る」という行為に、あえて立ち戻ることはおもしろい。細胞そのものの分化やはたらきがわかりやすくなったりする。中年病理医にとって若い病理医の目線は宝の山だ。スレたおっさんが忘れてしまった細胞の輝きは若者のキラキラした視線によって増幅されるのである。

ももせつが先

今どきのドラクエやFFくらいのビッグタイトルだと、「使い道のわからないアイテム」みたいなものは一切ない。まんげつそうはしびれをとる。きんのかみかざりはMP消費を減らす。RPGのお約束、ナンバリングタイトルの安心感。

でもそれは私がドラクエやFFを長年やり続けてきたからである。単に「知っているから知っている」というだけのことだ。ファミコンやスーファミ時代の「アイテム」は、そこまでユーザーフレンドリーではなかった。「知らない」「わからない」をやさしくフォローするような仕様はいっさい含まれていないのがデフォルトであった。

貝獣物語や桃太郎伝説には使い道のわからないアイテムがたくさん出てきた。甲竜伝説ヴィルガストに出てくる「キセキガン」と「カツリョクガン」、名前だけで効果を予想することはむずかしかった。どっちもたぶん回復系だろうなということはわかったが、では具体的に何をどれくらい回復させるか予想することはほぼむりだ。「アイテムをセレクトした時点で使い方が表示される」なんていうのは平成も後半に入ってからのシステムであって、当時そんなものはまったく一般的ではなかった(ドラクエIIIのソフト同梱説明書に、その時点ではなんのことだかまったく予想もつかない「あいのおもいで」の使い方が記載されていたというエピソードを思い出してほしい)。

Googleのない時代。口コミと攻略本以外に情報源はない。「ダメ元で使ってみる」以外に、取得アイテムの効果を確定させることはむずかしかった。「せかいじゅのは? なにこれ? なにもおこらなかった……あっ! なくなった? ん? また拾えるの? どういうこと? 別にいらんか……」みたいな悲しい事件は全国で同時多発的に勃発していた。逆に、「いなずまのけん」をもし戦闘中で使ってなくなってしまったらと怖くて、何度でも使えるアイテムを使うことが怖くなったりもした。



ところで話はものすごく変わるのだが、先日、ある書店員が書いた本を読んだ。読み終わることはできなかった。半分くらいでちょっと飽きてしまってそれ以上読み進められなかった。まあ悪い本ではなかったと思うのだけれど私には合わなかった。その、内容自体は今回は置くとして、文体が少し気になった。やけに哲学書的な単語が出てくるのである。それも、小難しい内容を小難しく書くことを一貫してやっているならばあまり気にもならないのだけれど、わりと日常的なできごとを、一般の人ならばもう少し平易な語彙で言い表しそうなものごとを、その都度「むずかしい方の単語に置き換えて」書かれた文章だなということが伝わってくる。生理的な違和感が蓄積して、結局それ以上先に進めなくなった。

この違和感は、同族嫌悪感ともかなり似ている。私もまた、ネットや本で見つけた単語をとりあえずすぐにその日のブログで書いてしまうタイプの厚顔な人間だ。「差延」「止揚」「閑話休題」あたりはほんらい私の頭の中に居場所をもたないフレーズであり、どこぞの学者が上手に使っていたのを見てなんかいいなと思ってからたまにブログで使ってしまう。それこそ、アイテムの効果は使ってみなければわからない、みたいな気分で小難しい単語を使っている。心の壁を裏装する幼弱な自尊心がある。書店員の書いた本を読みながら私は心をメスで切り開いて裏側を表側にひっくりかえして見せられたようなおぞましさを感じ取っていた。そもそも「心の壁を裏装する幼弱な自尊心」というフレーズ自体がまさにそういう作られ方をしている。

外国語をどんどん覚えていくタイプの人などは、自尊心がどうとかいう切り取り方をせずに、覚えたらとりあえず使って自分の体になじませるムーブを自然にこなしているようにも思う。しかし、それはまあそうなんだけれど、ブログ的な場所で知ったばかりの単語をうれしそうに使う自分の姿はいつ思い返してもちょっとはずかしい。はずかしいものも含めて自分なのだけれどそれでもなおはずかしい。そんな気恥ずかしさを、私はくだんの書店員の本から感じ取ってしまったのだと思う。「くだんの」なんてここで使わなくてもよくない? いやあ、拾ったから一度使っておかないと効果がわかんなくてさ……。



そして話はすごく元に戻るのだが、「桃太郎電鉄」というタイトルがパロディだということを今どれだけの人が覚えているのだろうか。あれ、もともとは「桃太郎伝説」が先にあったんですよ。まんきんたん。

すごく圧なんだよね

病理学会が終わって、幾人かの先生方にご挨拶のメールをお送りしている。みな、どことなく興奮しており、いい学会だったのだなとあらためて納得をする。私が座長をしたセッションに演者・ディスカッサントとして登壇してくださった方々にまとめてお礼をお送りすると、そのうちの一人から、喜びのメールが届いていた。

「あの学生さんの言葉は身にしみました」

職場のデスクでひとり大きくうなずく。たしかに。セッションの最後に北海道の医学生がひとこと、我々中年の横っ面をひっぱたくようなすばらしいことを言った。ステージに上っていた演者、座長、そして会場の聴衆だれもが、はじかれたように笑い、轟音となった笑い声のうちにベースギターのように感服のため息がもれたことを私は聞き取った。

その学生さんはこう言ったのである。


「病理が好きだっていうと、どの先生も『じゃあ病理に入りなよ』と勧誘モードに入るんですけれど、そうじゃなくて、病理に純粋に興味をもった学生に病理学のおもしろさをシンプルに伝えてあげてほしいです」


病理医はすぐ勧誘をする。いや、医者はすぐ勧誘をすると言い換えてもよいかもしれない。どの科も人が足りない。だからいつも若手を勧誘するチャンスをうかがっている。そして、じつは単純に人集めをしたいというリクルート欲だけではなしに、若い人の感性が自分たちの仕事を認めてくれているかどうかというのをすごく気にしている。自分がおもしろいと思って働いている場所を、次の価値観の持ち主が同じようにおもしろいと思ってもらえたらいいなという欲望を隠さない。

結果として、「病理学の概念や手法に興味があり、ほかの科の医師になりながら病理学の知恵を活用してみたいと願う学生」たちにとって、病理診断科のスタッフのきらきらとした目線は毒になりうる。病理に興味があると言うとすぐ「なら入る? 入ったら?」の話に転換されてしまうことに違和を感じてきたのだろう。

くだんの学生さんは、じつは、何年も前から病理に足繁く通い、ほとんど病理学講座のスタッフではないかと間違われるくらいに病理になじんでいる。そのような学生さんだからこそ言えることなのだ。もはや勧誘されることなどないくらい病理のみんなと仲良くなっているからこそ、逆に苦言を呈することができる。もともと、社会性が非常に高く、おそらく私たち中年よりもはるかに周りに気遣いができ、明るさを失わず、向上心をもったすばらしい人だからこそ、あの場で怒りを一切含まない笑顔とともに、私たちの摩耗したむき出しの欲望にくさびを打ち込むことができたのだと思う。



「あの学生さんの言葉は身にしみました」と書かれたGmailをスマホで確認した朝、妻にそのことを告げると、妻は少しうなずくようにしてこう言った。

「私たちの一言って若い人からするとすごく圧なんだよね」

本当だ。気をつけないと。

私もかつては年の近い後輩たちに「病理に入んなくていいんですけど、でも、病理の知識を使うとあなたの臨床が便利になるということはありますから、視界の片隅にでも病理を入れておいてくださいね」くらいのことを言っていたものだが、そういう「搦め手の勧誘」みたいなことをしすぎてきて、慣れてしまって、いつしかシンプルに「おっ病理来る?」と、終電がなくなった瞬間に「うち来る?」というときのスピードで若手に語りかけていたように思う。我々は歳をとり、圧を増したイシである。漬け物がいい感じで漬かるだろう。人に踊りかかってはいけない。ケガをさせてしまうからね。

早稲田慶應に赤点を

研修医が下書きしてくれた病理診断レポートを見ながら、顕微鏡を覗いている。

ガラスプレパラートの上に、「ここからここまでが癌細胞の存在する範囲」ということを示すために、赤の水性ペン(ぺんてるの「プラマン」)でドットが打たれている。研修医があらかじめプレパラートを見て、赤点を打ってくれた。顕微鏡を見ながら視野の中にペン先を置いていく作業にはちょっとだけコツがいるが慣れれば簡単である。


赤点・青点が打たれたプレパラートの例
(なおこれはプラマンではなく油性マジックを使っている)


ペン打ちは重要だ。研修医にとって、だけではなく、指導する側にとって大切なのだ。

だまって顕微鏡を覗いて組織像を見て考えて、それを報告書に出力するという病理診断の一般的な過程では、どうしても、途中の思考過程がブラックボックスにしまわれてしまう。どの細胞を見て何を思ったからこういう診断が書かれた、という過程がすっ飛ばされてしまうのだ。でも、プレパラートに赤点が打ってあると、「自分の前にこの標本を観察した人が、どれを癌細胞と判断し、どれを非癌と判断したのか」をうかがい知ることができる。どこを重要と感じ、何に迷ったのかのヒントがうかびあがってくる。第一診断者の思考をトレースすることができる。

細胞の見方を教えるということ。何かを見て考えるプロセスに他者が介入するということ。そのために思考の「中間部分」をいかに共有するかということにおいて、ペン打ちは強力なツールとなる。



ふつうの臨床医はどうやって後輩を指導するのだろうか? 見せて、やらせて、見守って。生身の患者に対して、初心者マークをつけたまま診察をしたり血液ガスをとったりするわけにはいかないから、臨床医の指導現場にはいろいろ工夫があるだろう。むざむざ目の前で患者を傷つけさせるわけにはいかない。実際に研修医に手を動かしてもらう前にいろいろと準備、仕込みが必要になってくるはずだ。

その点、病理は楽である。患者を傷つける行為がないから、まず研修医に好きなようにやってもらう。報告書をいくらでも下書きしてもらう。ペン打ちだって好きなように打ってもらう。ガラスがどれだけ汚れても患者は痛くも痒くもないのだ。

そして、だからこそ、指導が雑になりやすい、ということもある。研修医が一人でどんどん深く勉強をしていくことができるのはいいが、指導医はその間放置してしまいがちだ。

研修医が何をどう見てどう考えたのか、レポートを見て文章をチェックするだけでなしに、ガラスの扱い方、切り出し図への描き込み・マッピングの仕方などを通して思考の流れをチェックするといい。赤点の打ち方を見て他者の思考を追いかけてゆく。



「経験が少ないと間違いをおかしやすい細胞像」というのがある。炎症によってへたった細胞はさまざまな具合に変形・変質し、一見して癌のように見えてしまう。良性の病変であるかのように思いがちだけれどじつは悪性の細胞、ということもたまにある。

これらをいかに見極めるかが病理医の大切な仕事だ。では、研修医がどれくらい細胞を正しく見極められているかというのを、どうチェックするか。

病理診断の報告書をつくるにあたっては、臓器写真にフォトショップ的なアプリを用いて、癌のある範囲をお絵かきして報告書に添付する。これを見ると、センチメートル・ミリメートルのオーダーで、「どこからどこまでが癌なのか」を研修医がどのように判断したかがだいたいわかる。

しかし、マッピング図上では範囲をただしく捉えているように見えても、ガラスプレパラートの赤点の打ち方をみると、癌細胞の近くにある「非癌」の細胞も、まとめて癌だと誤認していることがある。

なにを言っているかおわかりだろうか? たとえ話にしてみよう。

「渋谷の交差点内にヤクザが歩いています!」ということを報告書に書いたとする。渋谷の交差点にマッピングがされている。診断としてはまあ十分だ。何も間違っていない。

しかし、診断者が、スクランブル交差点を歩く人全員をヤクザと思っていたのか、それとも中に2人くらいだけヤクザがひそんでいたのかという、「マイクロオーダー」の判断については、報告書やマッピングはあまり多くを語らない。


ゴリゴリのリーゼントにいれずみをちらつかせ、右手に日本刀、左手に拳銃を持っている「古典ヤクザ」ならば誰もが間違わずに「こいつやべーわ」となる。あるいは、オールバックに高めのスーツ、異様に鋭い目つきで間断なくあたりをうかがいながら高級外車を乗り回している30代くらいの男がいると、「偏見かもしれないけれどあれってやっぱりヤクザじゃないの?」とピンとくる。スクランブル交差点内に黒ずくめの男たちがひしめいていたら「あっ、抗争でもあるのかも……」と多くの人がピンと来るだろう。警察だって黙ってはいない。

一方で、スーツはスーツなのだが髪の毛はさらさら、眉尻がつり上がっているわけでもなく物腰もやわらか、でもじつは裏で金融関係でめちゃくちゃ法を犯しているという、いわゆる「インテリヤクザ」みたいなのもいる。そういう人が交差点の中にぽつんと紛れていたらまずヤクザとは思わない。

交差点の中に、古典ヤクザが1人、リアルヤクザが3人、インテリヤクザが1人歩いていたとする。この交差点に研修医がマルを付ける。「ヤクザを見つけました!」

ここで研修医は果たして、ヤクザを何人みつけてマルを付けたのだろうか? 古典ヤクザだけしか目に入らなかったかもしれない。リアルヤクザの3人中2人はわかったが1人は見逃しているかもしれない。インテリヤクザに至ってはまったく気づいていないかもしれない。

さらに言えば、単に見た目のガラが悪いだけの善良な人を、うっかりヤクザの子分と勘違いしていたかもしれない。

そういうのを全部含めて、「交差点にマルを付けている」としたらどうか? 

報告書は申し分ない。マッピング図も問題ない。でも、赤点の打ち方は間違えている。

そのまま病理医になったとしたら、どうなる? 職務質問で大外しをしまくる警官みたいな病理医が生まれる。



研修医がプラマンで赤点を打つとき、「古典ヤクザ」や「リアルヤクザ」に赤点が打たれていないということはほぼない。顕微鏡を見始めてまだ1か月くらいしか経っていないとしても、わかりやすいヤクザというのはわりとすぐに見極めることができる。

しかしインテリヤクザは絶対に見逃す。

こういう潜在的な間違いを、赤いドットはかなり正確に教えてくれる。

早稲田の学生くらいの見た目でも「最近の若いヤクザかも?」と疑って自信のない赤点を打っていたりする研修医はしょっちゅういる。慶應の学生にいそうな生意気なスリーピーススーツを来た男を全員リアルヤクザだと思ってマークする研修医もたくさんいる。

その思考プロセスに介入するのが、病理診断の初期教育において、わりと大切なのではないかということを、近頃よく考えている。早稲田や慶應の学生をみてすぐヤクザって言っちゃだめだよ。気持ちはわかるけど。

チククの描き込みは鋭いぞ

何年ぶりだろう。5年ぶりくらいか。ナウシカの大判コミックス全7巻を買い直した。

昔は箱入りのを持っていた。当時、病理にいた後期研修医が、うちを卒業して大学に戻るときに記念に持たせてそれっきり、手元にナウシカがない暮らしを続けていた。先日、札幌にあるわりと有名な本屋「Seasaw Books」にはじめておとずれた際、しれっと本棚に全巻並んでいるのを見て衝動的に購入してその日のうちに読み始めた。

今回読んで印象的だったのはナウシカでもクシャナでもクロトワでもなく「背景の書き込み」だ。1巻の最初のコマから圧倒的なのだ。腐海、砂埃、虫が描かれ続ける本作は冒頭から最後まで鬼のような描き込みに満ちている。何度読んだかわからないはずのナウシカなのだが45を過ぎて今更ながら背景のすばらしさに心を奪われた。

40歳ころの私は、まだ映画の続きを読める楽しみに意識をもっていかれており、背景にまで心がたどりついていなかった。無理もないといえば無理もない。ナウシカは強烈な叙事性と叙情性を兼ね備えたかなり強いマンガである。全編を通してひたすら闇が描かれ続け、風や翼、刃や銃弾の描写以外ではカタルシスもエンターテインメントもほぼないというめちゃくちゃに暗いマンガで、設定は膨大、人びとは好き勝手に動き回り、ミトもユパも僧正さまもみな厚みのある描写をされていて、何度読んでも圧倒的な物語の力を感じるしセリフひとつひとつも練り込まれている。その上じつは背景がすごかった。見えていたはずなのに見えていなかった。

この5年でずいぶんたくさんのマンガを読んできたが、そのすべてと比べてもなお、ナウシカは背景の描写に執念の強さを感じた。『これ描いて死ね』や『東京ヒゴロ』のような良作を通り抜けた今もなお、とっくに接取していたはずのナウシカの背景に驚き、この驚きにたどり着くまでに私はこれだけ年を取らなければならなかったのだということに二重に驚愕した。



人は意図をもって環境にアプローチしてはじめて、環境のもつ意味を受け取ることができる。環境はいつでも私たちに意味を提示し続けているのだけれど私たちがそれに自覚的でいられるとは限らない。ナウシカの背景が私にとってようやく意味を有したのはなぜか。芸術作品の鑑賞においてよく言われる「わかるようになる」ということ、鑑賞力が上がったから、と解釈すればよいのか。私は違うと思う。そういうポジティブな、成長に伴うという感覚ではなくて、むしろ私が「何かを捨像した」からなのではないかという気がしてならない。これまで私の興味は、グレートマザー的/乳房的なナウシカの美しさや気高さ、クシャナを守るために身を投げだした親衛隊のせつなさ、ナウシカの次に風の谷で風をつかまえられるようになった少女、庭で待ち続けたヒドラ、首だけになってようやくおもしろくなってきたというセリフとともに落下していくある人物といった、つまりは「闇の中でまたたく存在」に集中していたと思うのだけれど、いつのまにか私の興味はそこを超え、というか、そこを少しずつ捨てつつある。今の私は、それらのまたたきうごめく人類の少し外側にある、「攻撃色ではない目の色」をした王蟲、怒りと寂しさをあらわしながら蠢き融合しつづける粘菌、1000年を超えてなにごとかを成し遂げる腐海の植物といった、人類とは異なる「意図」をもって我々に静かになにごとかをアフォードし続ける「背景」のほうに、視線を向けるようになった。私はとうとう背景が気になるようになった、それはおそらく、獲得とか克己のような成長で語るべきものではなく、引き算的な過程の末に生じたことなのではないか。背景はいつもそこに同じようにあった。宮崎駿は何十年も前にこれを描き終えていた。その意味が私に届くために必要だった、私に生じた変化とは、削れていくことだった。加える必要はなかった。練り込む必要もなかった。ただ、減らして、おちついて、見渡して、手探りをすれば、そこにずっとそれはあったのだ。

語尾がざますの報告書を読んでみたいきもち

私は病理診断の報告書を「ですます調」で書いている。「だ・である調」で書く病理医もいる。私の知る限りでは1/3くらいの大学病院が「だ・である調」を採用しているように思う。ただ実情は定かではない。アンケートをとったわけではないからだ。

私は「ですます調」派なわけだが、「だ・である調」で書いてある病理報告書をみると、かなり強い違和感を覚える。そういう人もいるよねー、どころの騒ぎではなく、「げぇっ、だ・である!?!?」とブロッケンJrやリキシマン(ウルフマン)のように声をあげて驚いてしまう。どう考えても「ですます調」のほうが、私の考える病理診断にはマッチする。「だ・である」で書いている報告書を読むと生理的にウッとなる。

病理医諸君に言いたい。その報告書を読む相手のことを考えてみてほしい。自分の働いている場所とそう遠くないところにいる医療従事者がこれを読むのだ。あの医師やあの技師がこれを読むのだ。であれば、ホスピタリティの気持ちをもって「ですます調」で書くのが当然ではないか? たとえばの話だが、臨床医からあなたのもとに届いた仕事メールが「だ・である調」だったらなーにを小癪な、と鼻白んでしまわないか? 想像するだけでイラッとしないか? なのに、こちらから提示する病理報告書が「だ・である調」で許されるなんて、それはちょっと、いったいどういう了見なのか? 他人が「だ・である調」で書いた病理診断報告書を読むといつも、口には出さないが顔にはたぶんいろいろ出る。

しかし冷静に考えると、病理診断報告書を「だ・である調」で書くスタイルも、わからないではない。

病理診断書を「だ・である調」で書いている人は、おそらく、病理診断を「学術的な態度」で行っている。論文や教科書は基本的に「だ・である調」で書くのが当然であり、そういう仕事の延長線上に病理診断を置いている。臨床医をはじめとする医療従事者から託された細胞に対して、みずからの学術的能力をとどこおりなく発揮し、普遍性が高く深度の深い報告を、「まるで教科書のように頼れる存在になりきって」書くとなると、「だ・である調」になるのはある意味当然かもしれない。

あと、海外の病理報告書、たとえば英語圏ならば、そもそも「だ・である調」と「ですます調」の区別はない。フォーマルな書き方に沿ったイディオムを選ぶ、みたいなことはあるがそのような微調整は日本語における語尾の調整とはちょっと異なるだろう。病理診断は基本的に英語ベースであり、日本語で書くにあたっても脳内プロセスが英語で進んでいることはあるので、そういう人のレポートが「だ・である調」になることに違和感はない。

したがって、東大病◯とか神戸大学◯院のような(ちゃんと伏せ字にして偉いと思う)、病理診断を「だ・である調」で書いている病院のことも理解はできる。最高学府の仕事には学術的な権威が必要だ。そういう大学病院出身の若い病理医が地方のバイトで「だ・である調」の病理診断報告書をばかすか出しているのを見ても、うん、大学時代の勉強成果をいかんなく発揮しているんだよね、と温かい目で眺めることは、理論上はできる。

できるが、自分の報告書が「だ・である」になることはない。これはもう一生揺るがないと思う。

私にとって報告書とは、もはや交流の場を通り越して生活の場だ。駅を歩いていて知らない人に声をかけられて道を尋ねられたら、(もしや今はやりの詐欺かなにかか?)といぶかしがっていても、必ず敬語で受け答えをする。どうしましたか? 道ですか? なるほどあちらに見える看板がわかりますか? そうやって相手と距離感をはかりながら、自分の渡せる知識を相手に吟味してもらう。袖振り合うも多生の縁だ。まして患者を間においてふれあう医師と私たちとの関係においてをや。



ところで今にして思うと私はこのブログを「だ・である調」で書いている。病理診断報告書はぜったいに「ですます調」なのに、ブログを「だ・である調」のままでよしと思っているのはなぜなのか? 仕事だとおもてなしの心を発揮するけれどブログの読者にはそんなものいらないだろうとたかをくくっているとでもいうのか? いや、そうではなくて、たとえば椎名誠とか浅生鴨とか柞刈湯葉とかが、「だ・である調」の随筆・随想を書いていたからといって、それを私は居丈高だともエラソーだとも思わないわけで、ブログならば「だ・である調」であっても親密さとか熱心さはかもしだせるのではないかと思っているわけだ。なぜ病理診断書だとそうはならないのか?

いや、まあ、診断書だからな。デフォルトがエラソーなんだよ。そこに「だ・である調」までのっけると、もう「えらそさ」が私の考える臨界点を超えてしまうように感じるんだよ。だんだん理屈が伴わなくなってきた。エラソーに書いたが要は好みの問題なのである。

思考の通り道

食って出しているうちに人生は終わる。「人間はうんこの通り道」と言ったのはマキタスポーツだ。神社の前に伸びる参道なんてのは両脇に店が栄えるものと決まっていて、そういう通り道になれるものなら、なってみたらよい。

大通駅で、駅にすべりこんできた地下鉄車両のドアが開くなり大量の人がメリメリと押し出されて一気に降りていくのを見て、私は一瞬、宿便が排出されたときのような共感的な知覚を得た。通り道にも快感はおとずれるのだ。

もっとも地下鉄の蠕動は短期的には一方通行だが少し引いて観察すれば往還である。夕方には逆にさきほど「肛門」だった部分から人が飲み込まれていくことになるわけで、このアナロジーはあまり適切ではないかもしれない。

とはいえ私はたとえ話をもちいて地下鉄から人が出てくるさまをおもしろおかしくブログに書きたかったわけではない。目的があってたとえを探したのではない。「排便時の快感を異所性に/不如意に得た」のである。意図ではあるが無意識であった。能動性はあったがアンコントローラブルであった。たとえたかったのではなく「たとえさせられてしまった」、「ふとたとえてしまっていた」、「いつの間にかたとえらさっていた(北海道弁)」。

世界を認識するための意図。意図なのだから自分の思い通りにできるだろうと思いがちだがどうやらそうではない。意図とは、私という有機体と環境とが接合した部分から半ば自動的に生じる。そうやって生じたものを遅らせたり先延ばしにしたり抱え込んだり編集したりできるのが人間の脳の使い勝手の良さで、知性が単なる反射とは一線を画すポイントであるが、環境によって「知覚させられている」という側面は忘れてはならない。



アフォーダンス理論の本を再読。人間の知覚は、感覚器をもちいて環境からなんらかの「刺激」をうけとり、それを脳内でうまいこと編集することで得られる……という私たちにとっていかにも自明とも言える話を、生態心理学はゆさぶる。知覚というのはもっと全体的なもので、一般的に言われているような「視覚や聴覚や触覚が、光や音や固さを別々に収集し、それを脳が統合する」のではないという。要素を細切れにして部品ごとに分析した結果を持ち寄る還元主義的なやりかたでは「環境をまるっと知覚する」ということがとらえられないと警句を発する。

環境は無数の情報をもっている。我々はその環境にむけて「意図」をぶつけて探索して、環境を五感で分節せずにまるごと知覚しにいく有機体である。アフォーダンス理論はこのように、「全体は要素の単なる集合体ではない」という、要素還元主義への呪詛のような感情をちらちらとこちらに提示する。20世紀に哲学の人びとがあまりに科学に殴られすぎたから、その反動で還元主義全体がだいきらいになってなんとか反論してやろうとひねり出した論、と皮肉で斬ることもできなくはない。


『形態学の復権』を書いた吉村不二夫は、還元主義と全体主義との融合に関してこのように述べた。

”素粒子という建築ブロックを基本要素として宇宙が建築されるとする物理化学的世界観は、断片化の極限とみなしてよいであろう。しかし、Bohmの示すところによれば、最近の(※市原註:1987年の本である)高次の量子論的物理学では、全体の中で原子を「流れ運動」として捉え、最終的には消えてゆくものとする。原子がいかに形成され、維持されるかということは、全体の中での原子の位置、構造と機能との反映なのである。それゆえ、現代物理学がもたらした自然に関する洞察は、実は形相因と目的因とを強調しているアリストテレスの自然観と本質的には同じ立場、すなわち断片化と全体化を止揚した立場である。”

ああ、また出てきたアリストテレス。

情報システム論やらオミックス解析やらの話をすると、最後にはたいていアリストテレスまでたどりつくし、近頃はそういう網羅的検討の話から遠いところにあるはずの本を呼んでもなぜか文中にアリストテレスが出てくる。世界という図書館が私にアリストテレスの「意図」をアフォードしている。

解剖学、組織学、分子生物学、素粒子学、科学がどんどん拡大倍率を上げるにつれて、忘却の彼方に取り残された「肉眼で分類することが可能な範囲での巨大な自然科学」は、私の日常にからみつく形態学 morphologyのただれた魅力とアナロガス、というかほぼホモロガスなのだろう。だからアリストテレスがぴょこぴょこ顔を出す。そこから目を背ける気にはならない。しかし没入したいかというとそれも微妙だ。まだちょっと懐疑的なのである。ほんとうにアリストテレスなのだろうか、と。

私はアフォーダンス理論はけっこうおもしろいと思う。ただ、たとえば「紙に書かれている文字」を人間がどのように知覚しているかについて、アフォーダンス理論からはあまりおもしろい見解が引き出せないのではないかという不満も持っている。ならばデリダに聞けばいいのかもしれないがそういうことではないのだ。

私たちが細胞を薄切りにして、恣意的に色を付けてそれを顕微鏡で見る過程で、プレパラート上の細胞配列は私に何をアフォードする? 切り出しや標本作成、特殊染色や免疫組織化学を使うことは「意図」に含まれるのか? これらについてもう少し掘り下げた考察をしてみたい。しかし、私という有機体の全体が、形態学という巨大な環境を手探りできるほどうまく成熟できていないのではないかという恐怖。私は今わりと正直に述べると立ちすくんでいる状態である。私たちは細胞の意味を引き出すものなのか、それとも私たちは細胞から意図を引き出されるものなのか。