回答は別冊に掲載
令和を生き抜きそうにない憩い
脳だけが旅をする
息子が一人旅の報告をLINEに載せていた。私も旅がしたくなった。
旅は不安の中に身を浸す行為だ。不安が解消した後の安寧によるカタルシスを目的とするのではなく、「不安の中にたゆたうことで自分の体の輪郭がかえってはっきりしてくる現象」を直接求める行為だ。いつか安心するために一時的に不安になりたい」のではなく、不安そのものを求める。それが旅だ。
しかし、今の私が旅をして得られる不安は、かつての私や今の息子が得ている不安とは異なる。
かつての不安は未知がもたらすものであった。
それに対して今の私が得るであろう不安は既知の苦痛との遭遇を予期することによるものだ。
両者はオーバーラップする部分もある。でも、似て非なるものだ。
私もかつて、たいした量ではないがいくつかの小さな旅をした。それはいわゆる「旅行」と呼べるようなものではなくて、たんなる「剣道部の遠征」だったり、「大学院の出張」だったりして、決して「エンタメ」ではなかったし、「サプライズ」でもなかった。それでもやはり旅だった。
なぜならばそれらはすべて未知の不安をまとっていたからだ。
私も旅をした。
今の私にはそういう旅はもうできない。失ったともいえるし飲み込んだともいえる。
かつて十分に旅をし、それらを心にしまい込んだ今の私は、段取りや手続きが主たる目的となった旅程を、既知に囲まれてただ黙々と歩む。
何日どこにいけばだいたいどういう気分になるかがわかる。
困りごとがあってもどう動けばどう解決できるかがわかる。
不安は減り、たくさんの安心の手段を手に入れた。
人はそれを旅慣れたという。
バカじゃないのか。旅に慣れたら旅はできない。
「世界は広いよ、知らないことがたくさんある」と言って、にやつく大人を信用しない。
そういう人間の語る「旅」は、語彙がおよそ630語くらいの単語で形成されている。小学生がならう英単語の数くらいだ。
知らないことがたくさんあるというわりに、毎回使う単語がいっしょ。
国語力の問題をどうこう言いたいわけではない。私だって別にそんなに言葉を使いこなしているとは思わない。
でも、結局のところ、彼らは旅に未知を求めていないのだ。だから既成の言葉でみずからの経験を言い表すことに疑問も恥ずかしさも持たない。
そんな人間のいう、「旅に出て知らない人と合うことで自分が広がるんですよ」みたいな言葉の空洞に涙を吸われて私はカラカラに乾いた。
「旅好き」を名乗る大人のほとんどは、既知の順列を入れ替えて「新しい世界」と言ってみせるペテン師だ。
「知らないことがたくさんあってそれを知りに行くのが楽しい」とはつまりスタンプラリーである。景品がもらえたらいいですねえとすなおに願う。
それが楽しいと思う人はそれが楽しいと思う人どうしでにやにやしていれば別にかまわない。しかし、「あなたも旅に出たらいいですよ」とは本当にどの口が言っているのかと不思議に思う。
私の旅をあなたは定義できない。
私は旅がしたくなった。不安の中に身を置くことを純粋に目的とした旅。誰かの既知を自分の未知に押印するような「手続き」から自由になれる旅。私は息子にあこがれ、かつての自分にあこがれる。既知の隙間に未知を探しにいく。風景の中にも会話の中にも美食の中にも自分の不安は落ちていない。ないものねだり。旅はむずかしい。旅は困難だ。本当の旅を再びできる日がくるだろうか。それは私が解決しない困難と不安の中に自分を置き続けるだけの胆力をもう一度取り戻すことを意味する。息子にあこがれ、かつての自分にあこがれる。今の私は未知にみずからをさらすことを極端に恐れている。旅はこわい。旅はくらい。私は旅がしたくなった。安心を差し出す人々から解き放たれるような旅。風景の中にも会話の中にも美食の中にも自分は落ちていない。不安の中に自分がいる。脳だけが旅をする。
ブログやめない理由
いよいよ次の本の原稿を書き始めた。ただ、「次に出る」本という意味ではない。私が「次にこれをやるぞ」と思っている本という意味である。たぶん原稿を書き終わるころには、別の本が2,3冊ほど出ているはずである。今のこれについてはゆっくり書く予定だ。どれくらいゆっくり書くかというと、1日に2000字くらいずつ、週に3~5日ほど書いて、月に20000字として、2ヶ月で3万字、半年で8万字、1年で15万字といったところだろう。私の平均的な仕事量で中央値をとってそれくらいの文字数で完成すると思う。計算が合わないのは書いている途中で前に戻って構成しなおしたりする展開を考慮している。
これまでは3週間で9万字書いて一冊の本にしてきた。今度のは、ペース配分も中に含まれる意図の量もかなり違う。すでに1年くらい、おおげさではなく本当に毎日次の本のことを考えて日々を暮らしてきた。正直に述べるとこのブログを書く際も必ず(100%)、次の本に書く可能性があるネタだろうかということを思い浮かべてから書いていた。だから今、瞬間的に、ブログをやめて本に集中するべきかと思った。しかし、ブログをやめて、かわりに毎日は本の原稿を書くというやり方がほんとうによいのか、それが私にとってよいことなのかが疑問である。これはこれ、あれはあれ、でよいのかもしれない。「あの話を書きたいけどブログに1800字くらい書いちゃったからもう書けないなあ」みたいなネタもあるからブログのせいでアイディアが枯渇していっているとは思う。しかし逆にいえば、手癖だけで1800字くらい書けてしまう内容を本にしてもしょうがない。そういう「小ネタ」や「大ネタだけどスピードでさっさとまとめてしまうネタ」はブログに放流していったほうがいい。
多くの人が指摘し続けていることだけれど、毎日何かを続けるというのは確かに力になる。惰性・慣性とは違う。世の道には摩擦があるので、等速で運動しようと思ったら加速度を加え続けなければいけない。力を込め続けなければ同じ速度で進み続けることはできない。黒板の中(理論的な環境)で等速直線運動といったらそれは静止していることと変わらないが、しかし、現実世界だと、等速直線運動をするためにはエネルギーを運動量に変え続ける必要がある。エンジンを常に回し続けるためには給油もしなければいけないしメンテもかけなければいけない。
ただ、じゃあ、毎日何かを続けていればそれが最高なのか、というところまで考えを進めたほうがいいだろう。毎日何かを続けていることが、端的に「甘え」になるという感覚がある。今、そういうことをちょっと考えている。
毎日何かを続けることは確かに大変だ。しかし「毎日何かを続けることに慣れた」時点でその運動はかつてほどエネルギーを使わなくてよくなってしまっている。たとえばこのブログだってそうだ。書くことに対する筋力がついたからたいした手間ではない。たいした手間ではないということはそこでさらなる筋力を付ける訓練にはなっていないということである。だったらブログを毎日2本ずつ書けばいいのか。そういうことでもないと思う。「こうやってこうすればこれくらいの時間でこうなる」というのがある程度読めた状態では、同じメソッドに沿ってプロダクトを2倍、3倍と作ったところで脳内におけるなにかの消費がそのまま2倍、3倍と増えていることにはならない。
そして私のような人間はすぐ、「俺も地味に10年これをやっているからさあ」とか、「この業界で20年暮らしているとわかるんだけど」みたいなしゃべりかたによっかかってしまう。ついさっきも、「すでに1年くらい、おおげさではなく本当に毎日次の本のことを考えて日々を暮らしてきた」みたいなことを平気で書いてしまっている。継続しておけば大丈夫なはずだという幻想にとらわれている。等速を維持するやり口がもたらす「漏出」があるのではないか。その漏れ出しは、毎日何かを続けることによる利得を相殺しているということはないか。
単純に続ければいいとは思わない。しかし、「もう十分筋力はついたから、この継続をやめにしてその分の労力をつぎ込もう」という発想もまたまずいのではないか。たとえば私は今、このブログを書き続けることにさほど労力をかけていないので、それをやめにしたところで大して「力が余る」わけではないので、ブログをやめても「継続がとだえた」というマイナスが引け目に転換するだけで、ほかにやりたいことに振り分けるパワーが特段増えるわけでもないだろう。すでに私の継続は、「続けていてよかった」の段階を超えて、「やめるにやめられないが続けていてもこれ以上うれしいことはない」というところにあるのかもしれないと思う。
それでもなお、「継続は力だ」と言いたがる人がたくさんいるというのはよくわかっている。卑下するほど悪い行動ではないというのもよくわかる。しかし、たかが続けているだけだ、という気持ちを完全に失ってしまうのはもったいない。ブログはブログだ。たいした手間ではない。それはこれからも続けていけばよい。やめても得はないし続けても損はない、くらいの気分でよい。そしてこれとは別の部分で何かを成し遂げていかないといけない。「ブログやってるからなんとかなるだろ」ほどつまらない話もない。何かの役に立つために何かを続けているなんてどうしてもおもしろいと思えない。もういい歳なのだ。ブログくらい平気で続けてよいしそれを人に誇ることでもない。黙って書き続ければいいのだ。
ヤクルト1000のせいでミルミルは売れなくなってるんじゃないか
インターネットリ世代
「自分の思ったとおりに、随意に、しゃべりたい量だけ、しゃべることがあるかぎり、しゃべり通す」ということ。
近頃はほぼない。できない。
若い頃はやっていたかもしれない。そのときまわりにいた人たちは、きっとずいぶん我慢していただろう。というか我慢できなくて怒って私のもとから去っていった人もきっとたくさんいただろう。
学生から人気のない先生は、しばしば、学生のほうを見もせず、自分がしゃべると決めたことを、台本を読み切るかのように語る。
私も講義をするからわかる。これをやると、途中でついていけなくなった生徒から順番に睡眠に入る。着々と寝る。
そうやって学生が寝てもおかまいなしにしゃべるタイプの先生。私自身も習った経験がある。高校にもいたし大学にもいた。大学には特に多かった。
「ついてこられないやつが悪い。脱落組はほうっておいて、最後までついてこられるやつのためだけに私はこのまましゃべりきる!」
気持ちはわからなくはない。学生の甘えをいちいち許していられない、という事情もある。「そういうしゃべり方でも寝ない学生だけが、何かを学びとっていく」という成功体験もある。
しかしまあ上意下達を疑いもしない態度だなとも思う。
先生が一方的にしゃべることの賛否はいったん置く。朴訥に淡々と1時間半語り続ける日本史の先生のことだって、私は好きだった。
ただし「賛否」があるのはあくまで語り手が先生のときだけだ。
一般的な社会において、お互いが先生役でも生徒役でもないときに、あるいは、講談師役でも客役でもないときに、一方が延々と語り続けるというのは、それはもうなんか暴力と判断されるのではないかと思う。
相手の反応を見ながらしゃべる内容を変える。途中で切り上げる。ふと横道にそれる。それが社会の常識だ。一本道でアクセルベタ踏みみたいなトークはコミュニケーションにならないしシンプルに嫌われて避けられる。自分の脳内にあるものを全部出して相手がそれを全部受け取ればなにかの役に立つなんて意味のことを述べたら最後、必ず言われるだろう、「あまりに幼稚だ」と。
自分の言葉が相手に触れたところで起こる光電効果。言葉の接地面から飛び出してくるニュアンスの粒。私たちは無意識にそういうのをすくい取って解析している。「あっ、この話はいま響いてないな」と思ったらスッと打ち切るし、「いったんここでどう思ったか聞いてみようかな」と相手にバトンをわたしたりする。
こうして書くと難しいことのようだが私たちはみんな、多かれ少なかれ、やっている。
ちなみに、「しゃべりのうまい関西人」のテンプレとして、だらだらと一人語りを続ける人が息を継ぐタイミングで「オチは?」とツッコんだり、「ボケにボケを重ねない会話なんて二流」と言ったりするのも、コミュニケーションの現場でひとりで完結するような物言いをする人に圧をかける意味ではけっこう役に立つのかもしれない。
ところが社会の皮を被りながら社会じゃない場所というのもあるので困るのだ。
それはたとえば医療系の「学会」や「研究会」。
セッションの時間は決まっているのに、発表者は時間を守らず自分の台本に忠実にしゃべりたいことをしゃべり続け、座長は時計を見ながらやきもきし、フロアからベテランがだらだらと質問を繰り返す。
典型的なコミュニケーションエラーでフロアがパンパンにふくれている。大人がおおまじめに逸脱しているので参ってしまう。
「自分がしゃべりきること」しか考えていないヤカラに限って、しょっちゅうマイク前に立つので始末が悪い。ちなみに私もおそらくかつてそういうタイプだったので(今もか?)、これは自己嫌悪でもある。
学会や研究会に参加する大多数の人は、たったひとつのセッションのために魂を燃やしに来ているわけではなく、いくつものプログラムを見て回ることを楽しみにしている。勉強することはたくさんある。そんなとき、ひとつの会場の進行が遅くなってしまうと、議論を最後まで見ないで次のセッションに去っていかざるを得ない。
すなわち業界を閉塞させ新陳代謝を止める行為でもあるのだ。有害と言わざるを得ない。
「自分がこれからしゃべることを全て受け止めればお前たちの役に立つぞ」とばかりに、一方的に言葉を浴びせかけるタイプの学者は、学問を志す人々にとっては迷惑なのである。もう、ほんとに、自戒しつつ。
さあ、えーと、今日の結論だ。そういった、「しゃべり切ることしかできないタイプの迷惑な学者」だけを一同に集めて、「予定:1時間半、現実:16時間半」みたいな研究会をまたやりたい。
ここまで書いておいてまさか結論がこっちに触れるとは正直自分でも予想していなかった。
「また」というのは、昔はそういう会がけっこうあったということを意味する。
IBD、肝臓、胃腸、ひとつの会場に何百人も学問オタクを集めて、時間無制限でひとつの症例の議論をとことん深堀りしていくような会。あらゆる学者にとにかく「最後までしゃべらせる」のがルールだ。いい年をした大人が思いの丈を最後までしゃべり通すというレアな体験。社会では許されないが研究会なら許されるという時代が確かにあった。ディスコミュニケーションとハラスメントのるつぼである。当然、会場でそれを黙って聞いていたほかの学者たちも、「そんなわけないだろう、俺にも最初から最後までしゃべらせろ!」とばかりに次々と論戦を挑むから、タイムスケジュールはめちゃくちゃになる。あらゆる人が「最後までしゃべり切る」とどうなる? 結論なんて出ない。火だけが付くのだ。しかしその熱量が何年経っても次の学問の駆動エネルギーになっていたりもする。パシフィコ横浜の大ホールを夜通し貸し切った会では、飯屋がぜんぶ閉まるから各自おにぎりを持ち込んで、夜中に各自それを食べながら議論を行ったという(会場飲食禁止では……?)。
ひどい話だよね。もう絶対にやりたくないじゃん。
でも私たちは十分いま、社会人をやっていて、普段はきちんとわきまえているよ。
たまにコミュニケーションを度外視した、学問だけのための会で、「しゃべり切る」をやったって、バチは当たらないと思うんだよね。
だからやるんだ。でもネットには載せない。物見遊山のやからはいらないから。脳内に広がる学問的風景をカスになるまで絞りきって夜通しバトルできるタイプの人は、告知なんかしなくても、勝手に聞きつけて集まってくる。なにせ私たちはちゃんと社会的なコミュニケーションだってやっているんだから。こういうときのために、うわっつらのつながりじゃない、ねっとりしたつながりを相互に結んでいるのだから。これぞまさにインターネットリ(言わなくていいことまで言ってしまう)。
アップアップデート
マンガ『宙に参る』の中には判断摩擦限界という概念がある。作中に出てくる高性能なロボット「リンジン」は、記憶が増えるごとに判断の根拠も増え、人間とフレキシブルなコミュニケーションをとることができる。しかし時間とともに蓄積する情報が膨大になりすぎることで、いつしか応答速度が基準値を下回ってしまい、「判断摩擦限界」としていわゆる寿命を迎える。
これに類する言葉が、ほかのSFで語られたことがあるのかどうか、私は知らない。秀逸なアイディアだ。『宙に参る』4巻特装版に寄せた推薦文にも書いたが、私はこのマンガを支える論理の大黒柱が「判断摩擦限界」だと感じている。(あえてもうひとつ上げるとしたら「秘匿」だろう。)
「判断摩擦限界」のすごいところは、「確かにそういうことはあるだろうな」と私たちが容易に想像できるところだ。SFにもいくつかの種類があり、何度世界が回ってもこの状態にはたどり着かないだろうという完全な別時空の話をしているものもあるが、『宙に参る』の場合、「あるいは我々がこの先発展を続けていくと低確率でこうなるのではないか」という達成可能性を感じる部分がたしかにある。あそこはここと地続きだなと感じさせる。「判断摩擦限界」というのは、私たちの今生きる世界とマンガをつなぐ、頑健な架け橋だ。だって、すでに私たちのまわりにも判断摩擦限界と呼ぶべき現象は頻発している。それによって私も、おそらくみなさんも、これまで付き合ってきた多くのスマホやPCを廃棄してきた。
企業の論理:ユーザーにひとつの家電製品をいつまでも大事に使われていては新品が売れないので儲からない。かつて「ソニータイマー」という下品な言葉もあった。しかしべつにソニーだけではなくマイクロソフトもアップルも、製品を数年くらい使っているとだんだんと機能が劣化していって、最後には我々の我慢の閾値を超える。原因の多くは「アップデート」で、自動でプログラムが追加・修正されていくことで発売時のPCスペックでは演算がうまく回らなくなる。これなんてまさに「判断摩擦限界」そのものであろう。
かつて私が病理AIの開発をしていたとき、「機械学習を商品リリース時点で終了させるのではなく、日常の診断の中でも継続的に学習を続けさせたら、どんどん強いAIになるのではないか」と思っていた。しかし実際に開発してみるとその誤りに気付いた。参照する情報が増えすぎるとAIは間違いなく使いづらくなる。どこかで「今のままのお前で十分役に立つからもう新しいことは学ばなくていいよ」とやらないと、利便性がかえって落ちてしまう。道具はアップデートをしすぎないほうがいいのだ。
そして私は最近しみじみ思う。やはり人間の脳にも判断摩擦限界と似た現象は起こっている。
私の場合、何かを見て瞬間的に反応できたのは大学生ころがピークで、年を経るごとに、外界から入ってきた情報を処理する際に「あのこともこのことも思い出すなあ」と懐古モードに突入してしまい、その場で判断を返すのが遅れている。
私たちの脳には、参照する情報を増やしすぎないために忘却というシステムがある。しかしそれほど系統だった仕組みではなく、覚えていたくないことばかり覚えているし大事なことに限ってどんどん忘れてしまう。おまけに、「忘れかけていること」を参照するために記憶のリロードに時間をかけてしまったりもする。正直、ぜんぜん役に立っていない。
ラジオ「東京ポッド許可局」で、おじさんたちは仕事から帰ってきたあとに家にすぐに入らずに車の中で充電をしていることがある、というたぐいの話(おじさん生体報告)が語られるコーナーがある。ここでは、おじさんやおじいさんたちはたまに「何をするでもなく」居間から台所の窓の奥をずっと眺めている、と言及される。私もご多分にもれず、「とくになにもせずぼうっと、何処か一点に視線をあわせたままフリーズ」するタイプの人間になっている。これはやっぱり判断における摩擦そのものであると思う。記憶の海の中でゆらゆらとおぼれる私はこの先何を秘匿したまま限界を迎えることになるのだろう。
けっこう強い我欲のこと
考えすぎだよと言われているうちが花かもしれないよ
「このような症例は大学でも見ることがないんですよ」と専攻医が言った。それはむしろ「大学だからこそ見ない」のだろうと思ったが、まあ、特に指摘はしないでおいた。
私たちはいつも不完全であり、伝達・コミュニケーションの手段である言葉になにかをすべて含ませることはできないし、意図なんてものは張り巡らされるにしても穴だらけ・隙だらけであって、不如意と無意識が真実を映し出すなんてこともないし、要は、あまり深く勘ぐってもてんで的外れ、なんてこともいっぱいあるのである。全部に意味なんてないのだ。
相手がそれほど日本語の細かいニュアンスに気を配らずに発言している瞬間に、敏感であったほうがいい。
単なる唇の閉じ開きのクセ。舌のまわり方のクセ。
私たちはそこまで言葉を大事にして暮らしているわけではないということ。
「そこまで深い意味はない」という、かなりありふれた展開に、慣れておいたほうがいいということ。
先日、ポッドキャスト「感情言語化研究所」において、作詞家・シンガーソングライターの畑亜貴さんが、リスナーからの投稿の「言葉は常にずれ、コミュニケーションはいつも失敗すると思ったほうがよいだろうか」というお悩み(?)に対して、
「そこで音楽ですよ」
と発言したのでぶっとんでしまった。
なるほど。
エクリチュールとパロールみたいな方向のことばかり考えていたけれど、言葉がすれ違うところで何かを伝えたり含んだりできるのは音楽なのか。これはちょっと殴られたというか私にその発想はなかった。しかし納得してしまう。
「そこで芸術ですよ」とまで換言できるか? とちょっと考えたけれど、芸術と音楽とは必ずしもベン図ががっちり重なるものではない気もする。絶対音感やピアノ演奏術などがなくても、あらゆる人に「楽しむ程度であれば」手の届く距離にあるのが音楽だ。解釈する知識がなくてもなにか情景だけが伝わってくるということがありうるのが音楽だ。
音楽を用いて言葉を超えるほどの何かを伝えるというのは、私にはとうていできそうにないのだけれど、しかし、音楽的なものごとを介してなぜか伝わってしまう経験はこれまでにも確かに何度かあった。
あるいは駅舎のにおいを嗅いだときに四十年前の母の故郷の風景を思い出すときのことなどを断絶した連想の先に思う。
言葉は後景にさがり、しかし何かが伝わってくるときの感覚。言葉尻にあれこれ目くじらを立てるようなことをせずとも、五感がどこかからか引き出してくる印象に向き合っていればそれで人間なんてのは十分やりとりができるのではなかろうかと、ちょっと希望的すぎる観測をしてみたりする。「私たちの思考は言葉によってなされている」といくら理論的に話されたところで、「は? 私の国語力はこんなに複雑な思考ができるほど鋭くないのだが笑」とニヒルに謙遜してみたくなることもあったりする。
没頭bot
星四点台のよくつぶれるお店
人に吹き流されやすいタイプなんで
5月も終わろうという候だがしのつく雨が肌に冷たくまだまだ夏の気配が遠い。職場に隣接する線路の脇には新幹線延線に伴う施設建設のため工事現場ができていて、組まれた足場の上に緑と白で塗り分けられた吹き流しがはためいていた。
あの吹き流しひとつで助かった命がかつてあったということなのだろうか。風にひらひらする布なんてのは置き方を間違えるとかえって作業のジャマになるはずなのに、誰もが目につく場所で風向と風力を伝えている。突風が手元までやってくる直前に吹き流しがふっと持ち上がるのを見て足腰に力を入れた作業員がいたのかもしれない。吹き流しは風そのものでもないしアラームでもないが、吹き流しの動きを見ることで環境から自分に必要な情報を抽出することができる。
そういう吹き流しみたいな所見を、細胞をみるときにも延々と探している。
たとえば核塵(かくじん)というのは、人体における吹き流しみたいな意味を持つように思う。この場合、風にあたるのは「好中球性の急性炎症」だ。ここからはいかにもめんどうくさい話だと思われるだろうが、想像通りめんどうくさい話をちょっと読んでほしい。
血管の中などを流れている白血球は人体の警備員だ。この白血球の中にとりわけ喧嘩っ早い好中球という細胞集団がいる。好中球は、人体の中になにか一大事が起こったとき、たとえばバイキンが入ってきたとか細胞が予想外に死んだとかいうとき、ワッと集まってきて急性炎症の担い手となる。
この好中球はかわいそうなことに、現場に出動するとなんと2日で死んでしまう。事件が起こって3日目には好中球の出撃はよくわからなくなるのだ。
この性質を診断に利用することができる。
私たち病理医が顕微鏡を見て、血管の外に好中球が見られるとき、2つの可能性がある。ひとつはその変化が起こってまだ2日以内だということ。もうひとつは「毎日のように新たな敵がやってきており、その都度あたらしく好中球が出撃している」ということになるだろう。
シンプルな理屈だが、病気がいつから悪さをしているかを見るのには便利なのである。そして、このような診断過程で、好中球「それ自体」を見るだけではなく、吹き流し的に、好中球がそこを通り過ぎた証拠的なものを見る方法がある。それが核塵(かくじん)なのだ。
出撃した好中球が2日で死ぬとき、核が断片化して崩壊して、しばらくその場に残骸として残るのである。警備員が殉職したあと現場に警棒と警備会社の帽子が残されている、みたいな悲しい末路だ。しかしこれは、「細胞をとった瞬間の情報しか見られない病理医」にとっては、貴重な時間情報を得るための重要なヒントになりうる。
たとえばその場に現役の好中球と核塵が同時に存在したら? この2日間であいかわらず新規の好中球の出動を要請するような事件が起こっており、かつ、それよりも前から好中球が何度も出撃してこの現場で討ち果たされたということを意味する。となれば、この炎症は2日やそこらではなく、もう少し長いスパンでボンボン燃えているのだな、ということが一目瞭然だろう。
患者は具合が悪くなって病院に来るまでに数日過ごしていることが多いが、ときには急に具合が悪くなって急に受診することもある。この、患者の症状が出るタイミングと、実際に体の中でいつ病気が悪さをしはじめたタイミング、両者のあいだにはズレがある場合がある。昨日具合悪くなったんですと患者が言ったとして、細胞を見たら「じつは2週間くらいこの病気はくすぶっていました」というのを見極めることができれば、なるほど「2週間はくすぶるタイプの病気」なのだなということがわかり、犯人探しがはかどる。
このような、細胞そのものをズバリ見る以外の、吹き流しをチェックするような気分で確認する所見には、核塵のほかに、浮腫、フィブリンの析出、血管内皮の腫大、上皮のつくる構築の幼若化、上皮のつくる構築の過形成、構造の密度の粗密さなどが含まれる。下手人ではなく岡っ引きでもなく雪駄の痕を探すような、フォワードでもなくキーパーでもなく揺れるゴールネットを見るような、風そのものではなく吹き流しを見るような気持ちで細胞をみるというのは、病理医の1年目に教わる内容でありながら検査人生の生涯にわたって利用価値の高い大事なメソッドなのである。
寝違えたりするともう大変なわけよ
肩が痛んだ次の日には反対側の腰が痛む。きっとかばったからだろう。神経が上顎と下顎にセットで分布するから、右上の歯のまわりで知覚過敏を起こすと下の歯までしみるように感じる。こうして、ありとあらゆる体調不良にこうして理屈を与えて、「ほら、科学的にこうだから、痛いのは当たり前なんだよ」と、自分の神経を諭す。「だからもう別にアラーム鳴らさなくていいよ」と噛んで含めるように伝える。そうやっていると神経がしぶしぶ「じゃあもう痛みで危険を教えないよ、でも、それでいざというとき大丈夫?」みたいに確認をするので、「大丈夫大丈夫! もしこれで何かあったら俺の責任だから、そっちはもう鳴らさなくて大丈夫!」とへそをまげない程度に強い口調で言いくるめる。これを何度か繰り返しているうち、ある日、肩も腰も、歯の痛みまでもすっとおさまっている。こうして私はまた平穏な日常を取り戻す。
「気の所為」という言葉が軽く扱われすぎなのだと思う。驚いたときにドキドキする(心拍数が上がる)くらいなのだから、気持ちによって体のあちこちがさまざまに反応するのは当然のことで、だからこそ「気の持ちよう」はとても大事だ。気持ち・メンタルにも、肩の痛みから腰痛を発症するようなところがあって、あそこをかばうために変な考え方をしてかえって別の部分で痛みを感じるみたいなことが起こり得る。調子がいいときはどこにも何も感じないが、ひとつ懸念点があるとそこに意識が集中して、別の場所がおろそかになってそっちに負荷がかかってしまう。人体を安全に保つための痛みアラームシステムと、メンタルという複雑系のありようはどこか相似だ。もちろんほかの複雑系にもざっくりとあてはめることができる話だ。
今この記事を書いているのはある平日の朝。あと何分かしたら私はパソコンを閉じて駅に向かって歩き、そこから出張に出る。別にそこまでして書くべき文章ではない。しかし、この数分で私はブログを書く。こういう数分で私はいつもブログを書く。これはもう、毎日書くことで自分が成長できるとかいうレベルの話ではなくて、「ブログを書くのをさぼった」ということを気にするあまり別の部位へのケアがおろそかになってそのうち痛みだすという現象を、私がこれまでに経験したことがあるからこそあらかじめ予防的に行う「ストレッチ」みたいなものだ。ブログを書かないでいる痛みを抱えたままだと私の体幹が歪み、腰である病理診断の部分が歪んでへんな音を立てる。これはうそみたいな、とってつけたような話だが本当のことなのである。
お風呂に浮いていたひよこさんが消えたんですね~
カツオへの伝言
カツオが外で何やら読んでいる。となりに気難しそうな初老の男性が立っている。カツオは「ハハハ この小咄おもしろいや」と楽しそうに話す。
男「アタシ最近 膝が痛いんですがね」
医者「それは年のせいでぇ」
男「そいつはおかしいや 左の膝も同い年なのに」
カツオ「だってさハハハ」
初老の男性「よく考えたらもっともな話だ。どこがおかしいんだ?」
カツオ「だってェ……」
初老の男性「(カツオの答えを黙って待っている)」
カツオ「弱るなァ……」
手元に該当する4コマがないのでうろ覚えを書き起こしただけだが、だいたいこんな感じのマンガであった。40年くらい前に読んだのに今も覚えているというあたり、さすが長谷川町子というべきだろう。
「よく考えたらもっともな話」というのをよく考えてはいけない。なあなあにすべきなのである。それが教訓だ。うそだけど。
さて最近左の肩が痛い。肩というか首の付け根から腕までずっとだ。五十肩かもしれないと思ったが、四十肩を一度やっていて、あのときと痛みが違うので今回のは別物ではないかと思っている。頸椎症が悪化したのかとも疑ったが、たしかに姿勢・首の角度によって痛みの強さが変わるのだけれど、しびれはたいしたことなくてもっぱら痛いのだ。やはり筋膜とか腱の痛みだろうと思う。
そこで思い出したのがくだんの4コマだった。「そいつはおかしいや 右の肩だって同い年なのに」と、カツオが小咄を音読する声が耳に響く。しかしカツオよ、そういうものでもないのだ、なぜならな、人間というのは、わりと傾いて日々働いているからなのだ。
私のデスクには二台のパソコンと一台の顕微鏡があるのだが、このうち、私物のノートPCには外付けのモニタをつないで画面を拡張している。ノート本体のキーボードを使わず、外付けのワイヤレスキーボードを使ってキータッチをしているので、ノート本体とも液晶モニタとも少し離れて座って両方のモニタを交互に見ながら仕事をするのである。つい先日まで、私の右側にある大きい液晶のほうにテキストファイルとPDFを表示させ、正面のノート液晶に図表のパワポを表示させて、ちょっとだけ体を右にねじりながら論文を書く作業が続いた。本当は画面にきちんと正対してキータッチすべきだったのだろうが、幾度となく右・左・右・左と目線を移す間になんとなく「右ねじり」で働く時間が増えていた。
そして痛みはまるっきり、私が右をくいと向いたときに増強するのだからこれはもういいわけができないのである。ちゃんとした姿勢で働いていなかったから痛みに左右差が出る。
くりかえすがカツオよ、同い年であっても、それまでに何をやってきたかによって受けた傷の数は違うのだ。他人と自分の話をしているんじゃない。左右の膝やら左右の肩やらが同期入社だと過程しても、46年も経てば地位も過程も趣味嗜好も変わろうというものだ。いいか、初老の男性、こんなこと、どこの大人だって多かれ少なかれわかってることなのに、小咄の男はそこをカラッとおかしそうにしゃべる、それが楽しいんだぞ。内容がもっともだから笑えない、なんて了見が狭いことを言うんじゃないよ。
肩が痛いだけのことからどうでもいいブログを1本書いてしまった。こうしてキータッチしている間も左腕全体がびんびんに痛い。アホかと思う。安静にしろ。