ぐうの音も出ない話を略して寓話

メタボが戦車でやってきた! BMIが標準をコンマ2ほど上回り、前日9時から絶食していたのに中性脂肪は高く、LDLもあいかわらず異常下限(これはずっと)、そして今回はじめてHbA1cとγ-GTP、そしてまさかのALTがひっかかったのである。これは医者のコメントがついていなくてもわかる。酒だ! 私は酒によって体を壊しているのである! 念のため医者のコメントを読んだが(弱気)、同じことを書いていた。というか私も医者なのだ。よく考えれば。よく考えなくても。

おもいあたるふしがたくさんある。休肝日ゼロ。ビールの本数は350 mL缶で平均3.5本/日程度だが毎日というのがよくない。睡眠2時間前の飲食ほぼ毎日(というか食べて気絶して朝になる感じ)。そして、なにより、前回の検診から今回までの1年で、私はとても、ものすごく、仕事がたくさんできるようになった。成長した。なぜこんなにたくさん仕事ができるのだろうと内心不思議に思っていたのだがその答えが今日出たのである。答え:体を酷使していたから。大量の酒と乱れた生活によって仕事する時間を膨大に確保していたのだから仕事が進めば進むほど血管も肝臓も壊れるという寸法であった。まあそうだろうな。そうだったんだな。いちいち納得しかない。

受診勧奨されている。とうぜん、医者にかかるだろう。すると言われるのだ。あっ先生ですか。いやいやどーも。いつもお世話になっております。こないだの症例もありがとうございました。えーそれで……いやこれはもう先生にご説明するようなことじゃないですよね……おわかりですよね……じゃあそういうことで。なんか別にお薬いります? いらない? じゃ、おだいじにどーぞ。こうだ。間違いなくこう。かかった意味がない。自分で考えろということである。しょうがない。自分で考える。私は医師であり患者でもある。ならば、非医師が病院に行くよりもはるかに私にマッチしたベストな選択肢を考えて提案できるはずだろう。それはこうだ。


規則正しい生活、適度な運動、お酒は基本飲まない(たまにうっかり飲む程度にする)、睡眠2時間前にごはんを食べない。


このような極めて適切なアドバイスを生活の中で実践していくには、じつは医療従事者が言わない秘密の行動変化が必要である。私は医者であると同時に患者だからそこまでコメントができるのだ。すごいだろう。これらを達成するのにさらに必要な行動はなにかというと……。


仕事量を減らして日常の規則性を取り戻す。休日を確保して運動できる日を作る。精神の負荷を減らしてお酒に頼らなくても寝られるようにする。早く家に帰って早くごはんを食べることで睡眠前に胃を動かさないようにする。


こうだ。つまり、医のアドバイスの前段階で、生活、ライフを制御する必要があるのである。ッカァー俺すげぇー名医じゃーん。これを全部守るように。わかりましたか? はい、わかりました。そうして患者は二度と外来にはやってこなかった。次の検診も受けないことにした。Happy end...

やな夜話やわ~

学生の書いた診断だということは薄々わかっていた。ポリープなど4件をチェックした私はさほど手を入れることもなく、それらの診断を確定させて電子カルテに送信した。夢はそこからスタートした。現実とは異なる独特の時間経過を体感した直後に私はふたたびポリープの病理診断を再開する。屋久杉のようにそびえ立つポリープの茎にみずから取り付いて、切り立った裾野を歩いていくと、足元の下、氷に閉ざされた湖の深部に古代の町が沈んでいるように、浸潤する腺癌がうようよと忍び寄っているのが見える。私は青くなって走り出す。まちがえた。まちがえた。診断をまちがえた。良性病変ではない! 癌は無情にもあきらかな細胞異型をもってポリープを切り崩しにかかっていた。断端が気になる。チキンレースのように盲端に向かって駆け出した私ははたして、断端部にも癌が露出していることを眼前に猛烈な量の汗をかく。大変だ。良悪の診断だけでなく、断端まで判定ミスしているとは……。深達度だってもちろん間違えている。脈管因子だってもちろん間違えている。ぷはぁと顕微鏡から目を離すと、大学の若いスタッフたちが私を取り巻いて、「まさか、誤診ではないんですよね?」「先生が、そんな単純なミスをするとは思えません、やはり学生のせいでしょうか?」「誰かが、先生の書かれた診断を勝手に書き換えたのかもしれませんよ」と、こちらの目を見ずにフォローをしはじめる。私は観念したいのだが心が観念する方向に向かってくれない。内奥にある獰猛な鬼のような部分が「ここで過ちを認めればお前のこれまでの仕事も生き方もすべて腰から折れて倒れる」とささやいて私は自らの過ちを認めることができない。夢はこうして終わり私は体を起こさないままに今のことをあらためて振り返る。夢は急速に質量を失い形相がとびちるように具体性を失っていくがそれを根性で捕まえてなんとか記憶にとどめようとする。私は4例の診断すべてを間違っていたのだが今こうして覚えていられたのはそのうちの1例だけだ。そして、私はいつの時点で、自分の診断が間違っていると認識したのか、感触を思い出すとおそらく、「学生から診断を受け取った瞬間にもう自分はこれを誤診するのだろうとなかば確信していた」のだろうと結論する。私はいつも、心のどこかで、今日、明日、私が診断する病理プレパラートの、私が執筆する病理診断は、おそらく間違っているのだという断定にも似た恐怖を抱えているのかもしれなくて、それが夢として現れたのであろう。あるいは、逆かもしれない、このような夢を見ることで、私は自らに「診断とは怖いことなのだときちんと認識しなさい」と、クギをさすようなことを自らなしているのかもしれない。後者のほうがありうると思った。後者のほうがあさましい私の心根をより丁寧に言い表しているのかもしれないと思った。体を起こして口をゆすぎにいく。明かりを付けないキッチンで、イナズマイレブンのプラカップに、水を注いでうがいをする。冷蔵庫をあけてお茶を取り出す。なかった。野菜室に入れてあるトマトジュースを飲もうと腰をかがめる。引き出したトレイの上にポリープのようなブロッコリーがたったひとつ鎌首をもたげるようにこちらを見ていて私は腰を抜かしてしまった。

リアリズムとバカリズムのしずかな戦い

https://bb250215a.peatix.com/

このようなイベントがあり、リアルタイムでは残念ながら視聴できなかったのだがアーカイブをみた。とてもおもしろかった。会話が丁々発止じゃないのがいい。自分と違う理路をたどって違う地元で違うコミュニティを相手にペルソナを形成してきた大人ふたりが、そもそも、対談とか座談会とかトークライブとかいう座組を用意されたとしたら、本来、これくらい言い淀んだり、考えたり、探ったり、自分の中を掘ったりするのが誠実なのだ。しかるに近年そういった「本当に互いの言っていることを自分に取り込めるか、あるいは自分の中のなにかと違うなと感じるかを誠実に検証するじりじりとした時間」を、ウェブのイベントなどで見ることはなくなってしまっていて、このイベントを見て、「ああ、これが本来の人間の対話の速度なんだよな」ということを感じるなどした。


阿部大樹(あべだいじゅ)さんはいわゆるリエゾン精神科医(精神科の病院ではなく、ふつうに身体の病気やけがを扱う病院に勤務する精神科医)で、かつ、翻訳を多数手がけている。けっこうマイナーなほうの人間だなと思ったら案の定、星野概念さんと仲が良いとのことで(この人も図抜けておもしろい人である)、ああなるほどなと思ったし、編集犬とは10年来の付き合いでまだ彼が翻訳もしていなかったころから知り合っていたというし、SNSは5年前に一切足を洗ってもはや何もやっていないという「生粋」の方で、その語りはすごくおもしろく、犬が(付き合いが長いにもかかわらず)どうしても自分の前提と噛み合わない部分があることを隠そうともせずに七転八倒するという、過去見たウェブイベントの中でも一、二を争うほどおもしろい齟齬のエンターテインメントであった。


随筆というものの随意性みたいなものを語っているところもおもしろかったが、書くものにどれだけ「嘘」を入れるか、入れないか、そこの操作を自覚的にどうするかという話が抜群におもしろくて、阿部先生はたしかに犬いうところの外れ値ではあると思うのだけれども、嘘というもののフェイク性ではなくフィクション性、デコラティブな性質を書くものに対してまとわせるかまとわせないかに関する間合いの取り方が抜群にとがっていて、ただし、犬は嘘のファンクションを上手に用いた膨大な著作に愛着を感じるタイプでもあるために、どうしてそこまでして「嘘を排除する」本を書くのか、しかもその本が「自分の子どもを前向きコホート的に生まれてからずっと観察して、子どもが初めて嘘をついた日に原稿を終える」という体裁になっているという見事さに私はぼうぜんと喜んだのであった。


書店B&Bといえば浅生鴨さんが『僕らは嘘でつながっている』という本のイベントをやった場所でもある。私はそのイベントにそれこそ息子と参加して、息子は鴨さんのサインをもらったのであったが、B&Bに限らず書店とは「美しい嘘」を売る場所であり、その場所でイベントをする人間が「嘘に関する上手なことをやっている人々(その中には作家もだが品川庄司のようなお笑い芸人なども入るのがおもしろい)がすでにいるのに、さらに自分が同じことをやっても意味がないと思う」と言って嘘のない記録を書いて出しているということがしみじみと良かった。イベントチケットといっしょに本の注文をし、それがこれから届く予定である。楽しみだ。


『プロポ』(アラン)のことを思う。

橋本環奈の六徴なら後世に残せる

学生時代、病理学でかなり序盤に習う項目として、「炎症の四徴」というのがある。炎症とはなんぞや。

発赤、腫脹、疼痛、熱感。

赤くなって、腫れて、痛みが出て、そこんところが熱くなる。

蚊に刺されたところが腫れて熱を持つとか、豆腐の角に頭をぶつけてたんこぶができるといった、異物・外傷を思うとわかりやすい。ノドの風邪とかを思い出してもよいだろう。

で、この、発赤、腫脹、疼痛、発熱というのを、病理学の講師はやたらと強調するのだが、発赤、腫脹、疼痛、発熱といったって、別に語呂もよくないし、なんか、語呂合わせでも使って覚えるしかないのかなーとか、そういう気持ちで学生たちは特に興味も持たずにスルーしていく。

しかしこの炎症の四徴というのは古代ローマのなんちゃらが言い出したもので、もとはラテン語なのである。

Rubor, tumor, dolor, calor.

ルボール、ツモール、ドロール、カロール。

Rubor et tumor cum calor(e) et dolor. このライムが世の人々を「ひ、ひ、HIPHOP!」と感動させ、それで2000年経っても教科書に残っている、つまり、炎症の四徴というのは、「学術」+「ラッパー的技術」のたまものだと言える。

うまいこと言わないと学術は浸透しないんじゃないかと思う。



ちなみにこの古代ローマのケルススが提唱した四徴は、その後、ケルススよりはるかに知名度のあるガレノスによってツッコミを受けた。「赤くなって腫れて痛みが出て熱を持つだけなら勃起した陰茎も炎症ということになるではないか」みたいなことを言われたようである(一部創作)。炎症と言うからには、その変化によって「機能障害」が起こらなければいけない、とガレノスは指摘した。

発赤、腫脹、疼痛、熱感、機能障害。

Rubor, tumor, calor, dolor, functio laesa.

最後だけめちゃくちゃゴロが悪い。フリースタイルバトルならガレノスはdisられて終わりである。しかしこの、ガレノスの提唱した「炎症の五徴」もまた、後世にしっかりと語り継がれた。これが意味することはなにか。


「ラッパー的技術」<<「本人の知名度」


ということなのだと思う。ガレノスは医療分野において超有名人。つまり、何を言ったかよりも誰が言ったかのほうが重要、という法則が、古代ローマの頃からばきばきにまかり通っていたということになる。せつない話である。

跛行色の覇気

春を待つ。腰は痛む。原稿が進んだ。いろいろなものをやりすごしながら少しずつ違う自分になっていく。奇岩信仰の対象になる岩のようなものを思う。いちど信仰が入ったら、風雪によって削られようが、雷雨によって砕けようが、もう、そこには永遠があるのだろう。となれば私も、自分自身を信仰すべきだろうか。そうしないといつか、ここに何があったかを不安に感じながらも思い出せない、地方都市の雑居ビルのように朽ちて自己を忘れることになるだろうか。


***


病理診断とはふしぎなものだ。「誰かがすでに診断したプレパラート」からは覇気のようなものが失われる。理屈はわからない。感覚がそう言っている。若手に勉強させようと思い、症例リストをめくって探して、「過去にこんな珍しい症例があったんだよ」と、何年も前に自分が診断し終えているプレパラートをひょいと渡す。2時間後、その若手が、「へぇー! 珍しかったですね! 勉強になりました!」と言ったとしても、信用してはならない。実際はそんなに勉強になっていない。「活きのよさ」が失われたプレパラートから得られるものは、思いのほか少ない。その若手は、◯十万人に1人の珍しい病気の姿を見ることができて充実して喜んでいる。しかし、それは、教科書や論文でレアな病気を見ているのと、何も変わらない。そのような疾患が「まだ診断されていない状態で」、「まだ疑われていない状態で」、いちからプレパラートを見て、その病気であるという気付きにたどり着くまでの経験に付随して得られる稲妻のような衝撃と地すべりのような動揺は、すでに診断が終わっているプレパラートからは得られることがない。

ちなみに、たとえば、「これは昔のプレパラートなんだけど、診断や所見を見ないようにして、自分で診断してみなさい」と言ったとしても、だめである。若手にそうやって過去の症例を診断させて、「自信はないですが、いろいろ考えてみました。どうですか?」と返ってきた所見を読むと、あまり顕微鏡に集中できなかったのだろうなという雰囲気が伝わってくる。ここぞという検討ポイント、悩んでほしい部分、ひっかかってほしい凸凹の部分が華麗にスルーされている。結局、それは、「上司が選んで手渡したのだから、そこには何か勉強になるものがひそんでいるのだろう」という予感と共に観察されている時点で、ミステリアス、ミスセンス、ミスレイニアスなものを剥ぎ取られているのである。

世の誰もがまだ見ていない、検討をつけていないプレパラートほど、勉強になるものはない。

だから、それで、昨今の私は、自分で診断する件数を減らしている。仕上がってきたばかりのプレパラートを一瞬見て、緊急性がないこと、難易度が高すぎないことを確認したら、診断をしない状態で専攻医やバイトの若手にファーストタッチしてもらう。わからないと言ったら導く。わかりそうだと言ったらまかせる。そういうやりとりをすることは、自分で診断をするよりも何倍もめんどうで、たくさんの症例が、私のではない頭によってまずこねくりまわされ、私のではない語彙によって所見としてまとめられていくのを、私が診断しなかったばかりに患者に対して不利益が及んだということのないように、監視の目線で眺めながら、しかし、実際には、私が書くよりもなんだかうまいこと書けているのではないかと、若手から教わることも日々多く、結果として、手間も時間も余計にかかるがわりと診断自体はうまくいっている症例が増えていて、なんとも、私の存在意義というのはこれほども、自らの手に跳ね返ってくる感触がないものなのかと、じつと私以外の誰かが診断し終わったプレパラートを見る。そこに覇気がないことを悲しく思いながら、見る。

オジーオズボーンにも由来があるだろう

ドルリー・レーンという探偵がいたなと思い出す。語呂がおしゃれ。口の中がどろろんとなる。ちょっと妖怪の命名に近いものを感じる。誰の命名だっけと思って検索するとエラリー・クイーンなのでさすがだなと思う。Xの悲劇に出てくるのか。読んだことないな。しばらく検索結果を眺めていると、ドルリー・レーンという名前はロンドンにある通りの名前なのだと知ってびっくりする。発音がなんかかっこいいやつを適当に名付けたわけではなくて、引用元があったのか。なあんだ、とはいえ、実在の地名の中から口のなかで転がしやすい名称をあてたと考えてもいいのかもしれない。有栖川有栖だって京都の川の名前からとった名前だろう。ぱっと検索しておっとなる。有栖川有栖はエラリー・クイーンに影響を受けており、デビュー作のタイトルにもYの悲劇というフレーズが含まれているのだった。なんか、うん、たまたまというか、そんなものだとは思うけれど、うまく符号したものだなと感心する。

思いついて、語って、黙るまで、412文字か。なんの無理も背伸びもせずに思ったままに書くとだいたいそれくらいでオチがつく。ひとつのブロックが完成してそれを私は少しあとずさって眺めて「まあこんなものかな」と小さく納得している。

短い。

長く書けない。書く体力がない。描写を細かくすることへの欲が薄い。それでいて物事の脊椎のところを掴みに行くでもなく、表面の産毛だけ触って撤退。それでよいとも悪いとも思わない、そういう性質になっているのだなと感じるばかりだ。



だいたいこのブログはいつも何文字くらい書いているのだろう。1500字くらいか? 直近のものを文字カウントすると1700字くらいのものが多い。やはりそういう手癖である。昨日今日そうなったわけでもない。かれこれ25年くらい前、超短編小説会というウェブサイトに私はちまちまと短い小説を投稿していた。そこの文字数上限がたしか3000字であった。自分の中にあるひっかかりや摩擦のようなものを、あまり丁寧に手の中で転がすことなく、すぐに放熱して冷ましてしまう癖は、そのころからあまり変わっていない。

長いものを書くためにずっと準備している。何か月も頭の中でこねくり回してきた印象をいざ! 文章にすると2000字くらいで息切れするというのをずっと繰り返している。私の抱えているイメージは文字に起こすとたったこの程度のものにしかならないのか、と思う。解像度を上げなさい。プロットをつくりなさい。Yahoo!知恵袋で検索だ。すごくいい回答が出てきた。


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1494331329

以下、上記より引用。


私は作文得意です。(だからなんだ。) 

小学生ですが回答してもいいでしょうか?

一つ一つ書く事に、自分の感情を入れて書きましょう。

『題名』 名前○○○

この場合、題名が夏休みの思い出だとします。

 第一に、「前置き」を書いておきます。

 これから何のことを書くのか詳しく。

 ・例私は、夏休み中、ルスツに行ってきました。

 ジェットコースターなどが楽しかったです。 

夜のイルミネーションもきれいでした。等々。

 第二に、中身です。

ここは、多少はあらすじになっても許されるかもしれません。

・例私は、○○に乗ることになりました。

この時、ドキドキが止まらず、どうしていいかわかりませんでした。

等々、出来事を中心的に書いていきましょう。

第三に、「まとめ」です。

・例そんなこともあり、楽しい旅行期間でした。

小学校最後の夏休み、最高の思い出です。等々。


なんか、偉そうに書いてしまってすみません^^;

私も今日、作文の宿題が出ました。お互い頑張りましょう。

(引用終わり)


なんかもう最高にスパイシーでほっこりしてしまった。おじさんがおじさんと遊んでいる場所ってなんでこんなに楽しいんだろう。おじさんパラダイス。おじさん桃源郷。私も昨年、作文の宿題が出ました。お互い頑張りましょう。どこかのおじさんありがとう。私は、元気が出ました。

点のすべて

1年くらい寝かせている原稿があって、そろそろ書き始めないとなと思っている。編集者が急いで書くなと言った。いつもの私ならさっさと3週間くらいで書き終わっていただろう題材だ。最初に勢いをつけてえいやっと進めればおそらく8万字くらいまでならすぐに書けた。しかし私は言いつけを守った。もう書けるなあと思っても書かず、あるいは、ちょっと書いてそれっきりほっぽらかしにした。そこから四六時中、これは比喩とか言い回しとかではなくて本当にいつも、頭の中でその生まれかけた原稿が、今後どういうふうに私の指から出力されていくのかをシミュレーションし続けてきた。その出力されたものを時間をおいて読み返したらどういう気分になるだろうというのもシミュレーションし続けてきた。

そして今回の、この原稿こそは、私のすべてになるのだろうという気がした。

瞬間的なすべてはこれまでも書いてきた。その時点、その点でのすべては、いつも書き表してきた。しかし今回に限っては、点ではなく線となった私のすべてを書くことになる。あるいは面かもしれない。立体かもしれない。点のすべてではないものだ。それはとても背筋が伸びることだった。


今日、出張続きで、メールが溜まっていた。いくつか圧の強いメールも届いていた。出張と出勤のすきまにぽかんと空いた半日に出勤。これらのメールに返事を書いた。そして、ああ、今、おそらく書けるなあと思った。私はついに、書きかけていた原稿のWordファイルを開いて続きに取り組み始めた。そして。

ああ、ぜんぜん書けない。こんなに考え続けてきたのに。

脳内でこねくりまわしていたものはいつしか文字や音ではなくなっていた。とろけてにじんで踏み越えて腰がくだけていた。茫漠としてふしぎにねじれてかさなりあう、残響、空気の波、そういったものが、脳の中で、固まる前のコンクリートのようにどろどろとうずまいて、それに私はこの1年まみれてきた。はたして今、ここにある書きかけの原稿が、その一部を捕まえているのかというと、私にはどうしてもそうは思えなかった。半年くらい前に書いてあった原稿を私は消した。いちから書き始めないとだめだ。しかし、すべてを更地にしても、新しく何かを書き始めようと思っても、今度は最初のひとことがどうしても決まらない。書けない。私は私のすべてを書けない。

すべてなどは書けない。

せいぜい、点のすべてしか書けない。

線のすべては書けない。

面のすべては書けない。

切り分けなければ書けない。

それは私が、この原稿でこれから、語ろうと思っていることそのものなのだ。つまり私は、原稿を書くために1年間ずっと考え続けてきたまさにその考えによって、自分の書き方を縛って、破壊してしまった。

そうやって断片化したおかげで、かえって、私は私を分析しやすくなるのかもしれないと思った。

圧力鍋でぜんぶなんとかする

野菜をどのタイミングでどれくらい食べるかということを、わりと毎日、気にしている。「野菜を気にしている自分」のことが好きなのだ。くだらない人間だ。できればくだらない人間であり続けたい。最近の興味はさらにもう一歩すすんで、「たいていは皮をむいて食すが、じつは皮をむかなくてもいいし、なんなら皮をむかないまま料理したほうが栄養が取れるみたいなムーブをかませる野菜」のことを気にしている。ほんとうにくだらない人間だ。ごぼうはいける。皮ごとでも意外といける。にんじんはなぜか、気分的に、皮をむいたほうがいいという先入観が強く、なるべく皮をむくようにしているけれど、じつはむかなくてもいいのではないか、ということを、近頃は3日にいっぺんくらい考えている。じつにくだらない人間だ。

毎晩冷凍うどんを食べていた30代前半のころ。タマゴは入れる。パックのおかかを入れるか、わけぎを入れるか、どちらもいれるかいれないか。横幅がほとんどない道をまっすぐ突っ切る飯の食い方。1年半くらい同じ晩飯を食っていたあのころよりも、今のほうが、肌はやつれ、髪は白くなり、体重は増え、視力は落ち、性格は悪くなった。健康というものは何をしたから達成できるというものではなく、なんか、時制と運とで決まるのだろう。以上はすべて、医師免許を持っている人間が世に残す文章ではない。知ったことではない。まじめな医療情報を求める人間はこんなところでブログなんか読まずにもうちょっと切れ味のあるVtuberをおいかけたりしている。気にしてもしょうがない。それにしても、なにが「健康というものは」だ。大上段に構えちゃってカッコ悪い。「〇〇というものは」ではじまる弁舌で私たちが唯一許せるのは歴史に関するこれだけだ。ほかは認められない。


歴史というものは、大変、素晴らしいもので、終わる歴史もあれば続いていく歴史がありますねえ。そういった札幌の、私の、影響を受けておるバンドの人たちは、ずーっと、こう、歴史が続いていっておるわけですねえ。その分、こう、重さを作品に表しておるわけですねえ。そういう表現、歴史から派生する表現をされている方々です。私もそういった、自分のその心の奥底から湧き出る、自分の歴史。自分の思想。色んなものを全部ひっくるめて、こういったロックンロールにあらわしたいと思って、そしてそういった先人たち、この札幌の素晴らしいバンドたちのようになれればよいなと思ってやってまいりました。まあ少なからず少しだけは、あの、近づけたのではないかと、私は誇りに思っております\よくやった!/


忘れないな。こういうの。



医療情報か。もう、なーんにもしてない。リポストすらしていない。一時期は医者のあつまり(学会)でも、SNSを用いた市民向け広報という話題がすごく盛り上がったけれど、あれは単なるはやりだった。すたった。「廃った」をひらがなに開くとなんかスタッと着地したみたいでかっこいいけど、実際にはぼろぼろに劣化して砂になるくらいの意味であり、表示と意味とにディスクレパンシーがある。ディスクレパンシーってカタカナで書くとすっごい変だな、なんか壁に絵とか書いてそうだな。ところで私はポケモンのサトシのモノマネをひとつだけやることができます。「ディアンシエアァーッ!!」(※ディアンシーを呼ぶときの声)すっごい似てるから当時の小学生にはめっちゃ受けて人気者になったよ。うそだけどね。


医療情報を世に広めていくことについて、現在、等身大の、野菜の摂取量を気にするくだらない私は、いくつかの学会の、ホームページの改修をやっている。どの学会でも、正式な委員会のメンバーにしてもらえるわけではなく、なんか、ワーキンググループとか、プロジェクトグループとか、つまりは、「名誉はやらんが仕事はしてほしい」という中二階みたいな宙吊りのポジションを与えられて働かされている。これをやったところで、将来にわたって、誰かの役に立てるかというと、まあ年に数人の役に立てるか立てないかといったところだろう。かつてのSNSのフォロワーの数と比べると雲泥の差だ。でも、それでいいのだと思う。野菜の皮をむかないで済む料理のことをずっと考えている私なんぞはそれくらいがちょうどいいのだ。

てで終わる文章はやめたほうがいいと思います

全国ツアー真っ最中である。全身がばきばきに痛い。お金をもらえる仕事よりもお金を失う仕事のほうが多い。移動時間が長くて腰痛と痔が過去最高に悪化している。しかし、まあ、じつをいうと、今がいちばん精神が健康なのだ。SNSもろくにやってないしな。これけっこうでかいかもしれないな。SNSってのはほんとうに、やっている間中ずっと、健康を消費して攻撃力を高める、FFでいうところのルーンブレイドみたいな武器だった。おかげで私は今、孤独さは増したが、すこやかさを取り戻したような気がする。ただしそれが体の健康にまでつながるわけではない。なかなかむずかしいところである。

老人は一日中体調不良の話ばかりするというが、今の私もそういう状態だ。自分に一番近いところにある肉体がままならなくなっていくというのは、確かに大きな話題になる。みずから体験してみて実感する。しかし「体験」とはなんともニクい漢字の組み合わせだな。身体は精神と密着していて心におおきな影響をもたらすものである。ところで今、何気なく書き飛ばした文章の中に、「自分に一番近いところにある肉体」というフレーズがあるのを見て、考え込んでしまう。私は体と精神はべつのものだと、心のどこかで了解しているのだなあと、自分の指からタカタカ出てきた文字を見て実感させられる。そうか。べつなのか。今の私にとっては別なのだ。だから体の不調について書くことを、どこか、いつも、恥ずかしいと思っている。精神の話でもないのにおおげさな、と、自分で自分にダメ出しをしている。そこまで厳しく分けなくてもいいのにな。分けてしまっていたのだな。

ISO15189の手続きで検査室はおおわらわだ。昨年認証を受けたのだが、今年はやくも2022年度版への更新をしなければいけないとされ、なんとも厳しいことに2年連続でISOがらみの業務を行い続けている。これによって検査室がキリッと引き締まるのでまあよいことではあるのだが、引き締まった検査室からぼろぼろになって抜け出てやめていった技師たちも複数いるわけで、まじめに厳密にものごとをカチッカチッとマニュアル化して、クオリティマネジメントシステムを運用していくという、社会人なら誰もがなんとなくやっている、他人が見ても恥ずかしくないように整えていくこのありよう、何も悪くない、ほんと、心からありがたいことだが、うんざりするほど疲れる。早く終わらないかな。ISOの仕事の大半は臨床検査技師たちがやってくださっており、検査部長である私は統括して責任を取るまではするけれど、実務担当する範囲なんてのは1%もないので、私が音を上げていてどうするという気はしないでもないのだが、それでも、私の今の眼球の痛みの0.01%くらいはこのISOのストレスによるものなのだった。しかしそういうことを人前でべらべらしゃべるわけにもいかないのでこうして人前以外の何者でもないのにどこかアングラな香りのただようブログにこっそりと書いている。

地方会、全4回の運営がようやく終わった。これから引き継ぎだ。査読、査読、毎日のように査読依頼が来て、さすがに全部は引き受けられなくなって最近はちょいちょい断っている。申し訳ない。他部門のスタッフが書く論文の指導。研修医たちが発表する学会プレゼンの指導。自分で発表するプレゼンの作成。ある専門学校から非常勤講師として来てほしいと言われたのだが時間が折り合わないのでどうしようかと頭を抱えている。診断。むずかしい診断。ようやく書き終えて他の病理医のチェックを受けてなんとか提出した診断を、数日後に見直してみたら、一箇所だけ、読点と句点が入れ替わっている場所があって。意味が通らないわけではなくて。ウェブのへたくそな対談まとめのようで。◯◯と思っていて。△△ということがあって。「て、なんだよ!」と突っ込みたくなるのは、私の精神が老いさらばえて弱っているからで。残りHP1でもメガザルは撃てて。

深淵もこちらには興味がないのだ

幹事会なんて黙って座ってメールの返事でもしていれば何事もなかったように終わっていくのだ。Zoomのカメラだってオフにしたままである。そうやって、いくつもの「研究会」や「学会」をやり過ごしてきた。私が、だ。私こそ、である。消化管、肝臓、胆膵、病理、病理、病理。みんな個別に分断された。集まるという行動がうすまった。いくつもの集まりが有名無実になっていった。私もまた。私が率先して。私はコミュニティ解体ど真ん中の責任世代である。そうやって失いつつあるものを、こうして、惜しむようなふりまでしているのだから、罪深いと思う。

だから私達はこれから少しずつ、努力して、むりをして、集まるようにしなければいけないのかもしれないと思う。ハラスメントの茨をかきわけるように。



ある研究会の最後に幹事会があった。取りまとめ役の医者だけがカメラをオンにしており、そこにいる16名のうち15名はカメラをオフにしている。マイクももちろんミュートだ。いたたまれなくなって私はカメラを付けた。プレゼンをシェアしているから、サブモニタを用意している人間以外にはどうせ私の顔なんぞ映らないのだけれど、それにしても、あまりにみんな、わかれていきすぎだと思った。一蘭だって会計のときには人に会うぞ。それよりはるかにひどいじゃないか。会議は淡々と進んで、ほか、誰か、何かありませんかという声が最後に聞こえた。そこで私はマイクのミュートを解除して発言した。

「年に1回やってる、遠方から講師を招いて特別講演をするというあれ、やめませんか。いまどき、猫も杓子も、講演会講演会、毎週どこかで誰かが全国講演してますから、もう、講演はおなかいっぱいだと思うんですよ」

みんな、私が何を言うんだろうかと、固唾をのんで見守っている……いてくれ……と思う。でも全員のカメラがオフだからリアクションはわからない。私はつづけた。

「だから、この会ではもう、講演なんてやめましょう。症例検討だけでいいと思います。そして、講演のためにかきあつめたお金を、みんながもう一度、集まって、ああでもないこうでもないというための、ちょっとした、お弁当代とかに回しませんか。そのほうがいいお金の使い方ができるんじゃないでしょうか」

返事はなかった。私はなんだか、自分が、それこそど真ん中の、老害であることにはっきりと気づいた。

そうか。私より上の人たちがかつて見ていた風景はこれなのか。オンラインでどうとか、コロナでどうとか、Zoomでどうとかじゃなくて、先輩たちはそもそも、これくらいの年齢のときに、こうやって、孤立していったのかもしれないと、私は思った。



もう手遅れかもしれないけれど、また、たまにでもいいから、まれにでもいいから、集まれたらいいんじゃないかなと、私は誰にも届かないことを言った。暗転。

TATTOOあり

学会の委員会に出席するために訪れた遠方の温泉地で、私はうっかり二泊した。当地には一泊だけして、委員会が終わったらさっさと羽田あたりに帰ってきてそこで一泊すれば、合計して二泊になるのはやむをえないにしても、少なくとも三日目の朝のうちに札幌に帰ってはこられた。しかし私は、なんというか、いい加減うんざりしていた。なぜこれほど激烈な日程を選び取って必死で帰ってきて、へとへとになって出勤し、おみやげをスタッフに配りながら「不在にしてすみませんでした」と謝罪などしつつ、込み入った仕事に戻らなければいけないのか、がんばり鍋の〆がごめんラーメンといういつもの展開、はっきり言って食傷であった。だから、私はとうとう、「もうちょっと早く帰れたけれど少しのんびりする」という選択肢を選んだ。

明けて医師22年目。私はついに、仕事以外の予定で出張を半日伸ばした。

仕事を終えて、夕方。

日はまだ沈んでいない。

私は分岐した。私は鏡の向こうとこちらに分かれた。私はパラレルワールドの住人であった。トート型のかばんにワイシャツ2枚を突っ込んだ私のゴーストは、空港行きのリムジンバスに向かって猛烈な早足で歩いていった。それを見送る私はホテルについた小さな温泉に向かうのだ。胸が苦しいくらいの喜びに満たされた。狭心痛ではないのかと心配になった。

夕方。日はまだ沈んでいなかった。

脱衣所にはスリッパがひとつしかなかった。最高のタイミングだ。

小ぶりだが露天までそなえた温泉が私の眼前に広がった。先客はただ一人。

居酒屋の入口にかざってある恵比寿様のような立派な腹をたたえた、背中の丸い、60前後の男性。髪の毛はそんなに多くはないが禿げ上がってもいなかった。

目は合わなかった。湯船のへりに立っていた。窓のほうを向いていた。

その背中に、立派なタトゥーがあった。

久々に見た。

「入墨禁止」としっかり書かれた風呂場。山奥の渓流の中にある混浴の自然温泉などではない、ホテル付属の大浴場。

場違いにも思えるタトゥー。

いやだ、とか、こわい、より先に、「へえ……」と思った。

私が洗い場に行って頭を洗っているうちに、彼は手ぬぐいで体を拭いて脱衣所のほうに去っていった。

私を気にしたのだろうか。それとも単に、もう十分に満喫したから出ていったのだろうか。

少し悪いことをしたかな、と思いつつ、私は湯船に浸かった。

入口のサッシの向こうに、脱衣所がわずかに見える。タトゥーの男は髪を乾かしているのか、体を冷ましているのか、のんびりと歩き回っているようで、ガラスのへりのあたりに、彼の肩のあたりがときどき見えた。

脱衣所のロッカーのカギを壊されて、部屋のカードとスマホを持っていかれたらどうしよう、と思った。

でも、あれくらい「枯れた」タトゥーの男が、そんなことをするだろうか、とも思った。

ここで脱衣所から目を離していいものか、少し躊躇したが、結局、私は露天風呂に出た。とても狭い露天風呂であった。大人ふたりが入るともう狭い。かたちばかり、といった風情だ。

もし私が、もう少し早く風呂に来ていたら、屋内の風呂もそこそこに露天に出て、そこでさっきのタトゥーの男と鉢合わせたのだな、ということを、妙に解像度の高い想像と共に私は考えた。

日はすでに落ちつつあった。強い風がついていた。目隠しのすだれが飛んでいきそうであった。

露天の入口のドアを締められたらどうしよう、などと、そんなことをして誰がなんの得をするのかわからないことをいくつか考えた。

あまり落ち着いて入っていられなかった。露天を出て屋内に戻る。内湯にもう一度入ろうと思った。誘惑にかられて脱衣所のほうに目をやる。

男はもういなかった。

内湯に入り直した。しかし、落ち着かずに数分で出て、かけ湯で体を軽く流し、体を拭いて脱衣所に出た。気持ち、いそぎめに、バスタオルで体を拭き、浴衣を着て、髪も乾かさずに風呂場を出る。エレベーターが自分の泊まっている階とは違う階で止まっていることを確認してからボタンを押す。部屋に帰り、ベッドに座って買っておいたビールを開ける。一口飲むところでふと気づく。猛烈な勢いの汗が吹き出ている。ビール一本を飲み終えたところで、部屋付きのシャワーをもう一度浴びることにした。温泉の効能が排水溝に流れていった。

ドントシンク

私が抱えるあれこれのうち、どこを削ると楽になるかなーと考えるとやはり服飾だろう。服の世界は幅広い。お金をかければいいというものではないというのはご存知の通りだ。しかし安い古着で揃えておしゃれなカッコウをしている人間のほとんどは、古着をたくさん買うためにあちこちに遠征していたり古着をかっこよく着こなすための雑誌を買い込んだり古着の似合う役者を見るために映画やNetflixを丁寧に見たり古着の達人どうしで飲み食いをしたりしているので、結局のところ、服の「布」そのものには使っていないにしてもおしゃれ全体で見ればかなりの投資をしていることに代わりはない。そしてこれはなにもお金だけの話ではない。「服に興味を持ち続ける」ということに精神の何割かを融通し、服飾専用エンジンを常にアイドリングさせておいていつでもロケットスタートできるようにする、そういった、「服のために知性を割き続ける」ということが大きなコストである。したがって、現在、どうやったら脳がリラックスできるか、どのようにしたら少しでも脳の負担を減らせるかと考えたら、まず削るべきは、おしゃれの部分だと、私は、考える。

次に削るとしたらこれはしょうがない、飲食を削る。飲食の世界は個人的には服飾よりもすこし単純に見える。お金をかけなくてもおいしいものは生み出せるが、お金をかければかけるほど基本的に人からチヤホヤされ、お金と味とのバランスというかなりわかりやすい平面プロットでなんとかなる。服ほど複雑じゃない。だから服より先に切る部分ではないと感じる。要は、味というものは、距離と希少性と話題性くらいでだいたい決まっていて、パラメータが対して多くないというか、複雑系というほど難解な評価軸が必要ないので、基本的には万人が(お金さえあれば)楽しめるコンテンツであり、だからこそインターネットでもマスメディアでもどちらにおいても飲食のほうがはるかに人を集めるのである。ちなみに金なんかなくてもうまいものは食えるといっている人間の大半は都会から遠いところに住んでいて、同じだけのものを東京の人間が食べようと思ったら交通費と宿泊費で結局都内で食べるのとそんなに変わらないというのは有名な話だ。「私たちは情報を食っている」というがそれはつまり何を言っているかというと「飲食を楽しめる私は情報をたくさん収集することができる」ということで、これはものすごく単純化すると「私は頭がいい」と言っていることと一緒だ。つまりは飲食もまた脳のリソースを消費することではじめて楽しめるものであり、だから、現在、どうやったら脳がリラックスできるか、どのようにしたら少しでも脳の負担を減らせるかと考えたら、次に削るべきは、飲み食いの部分だと、私は、考える。

このようにしていろいろ削っていく。考えなければ楽しめない部分をひたすら削っていく。このとき注意しなければいけないのは、あまりにいろいろ削りすぎて自分が不健康になってしまうことで、「健康な状態を取り戻すために」脳を使わなければいけなくなってしまいがちだという私たちの習性だ。服飾、飲食と削っていく過程でちょっとでも維持管理を失敗すると浮いた脳のリソースを健康とか医療に割かなければいけなくなって本末が七転八倒するのである。すなわち、現在、どうやったら脳がリラックスできるか、どのようにしたら少しでも脳の負担を減らせるかと考えたら、絶対に削るべきは、健康でいたいという欲望の部分だと、私は、考える。

服に気を配らず飲食にも頓着せず、かつ、規則正しくバランスの取れた生活をすることで健康に気を配るということもしてはならない。これらはすべて、限られた脳の余力を消費する行為だからだ。このようなことを何年も何年も考えた結果、つまり、脳をリラックスさせ、脳の負担を理論値の下限にまでとことん下げるための究極の方法とは、「仕事しかしない」ことだと私は考えずに感じている(考えると脳を使うので考えてはいけない)。

ブログ屋の末路

私は上り詰めることのなかったひとりの弱小ブロガーだ。したがって同好の士のことはいつも気にしているし、頂点でしのぎを削る者たちのこともいまだに追いかけている。しかし「書籍化決定」がもはや古語になってしまった昨今、ブログは、誰かの目に止まって一発当てるという山師の手慰みではなくなり、周到な計算と張り巡らされた術数によって小銭をかき集めるための相場師のルーティンに変わってしまった。結果、正直、申し訳ないが、つまらなくなったものが多いな……と、自らを省みることなく臆面もなく恥も外聞もなく言い放つ。一流ブロガーたちの文体は、かつてないほどに研ぎ澄まされ、冒頭の一文を読むだけで隠しきれないアイデンティティが読むものの白目にハンドルネームを焼印する。サインに毎回日付と場所と宛書と雑なイラストをつけるのは転売対策なんですよ。それはアイデンティティ以外のものが一切記帳されないちょっと長い名刺だ。自己紹介が終わらない。だ・れ・か。自ッ己紹介 止・め・て。自ッ己紹介 むーねが むーねが く~るしくなる(記~事のネタになる)。

私たちは他人の名刺を読むのに月数百円ずつ課金している。サブスクリプションだからお得! 実際には期間内に決まった数の投稿しかされないから普通に記事の単価が計算できるのだが公然の秘密というやつだ。かつてあるブロガーはTwitterで偶然バズって名が売れた。これを追いかけていればいつもおもしろいものが読めるはずだ! と誰もが価値を感じた。会員! サロン! 囲い込み! メールマガジンでファンクラブ(事務局)から定期的な課金のお誘い! アプリでログインしないと読めない限定記事は、かつてバズった記事が一番おもしろく、ほかは基本的に余力、余談、付録、おまけ、電子版限定巻末4コマ、ローンで延々と利息の部分を支払っているような気にさせられる、すなわち実体はサブスクではなく満足感のリボ払い。

私は何も得られなかったひとりの泡沫ブロガーだ。先日、肝血流動態・機能イメージ研究会というマニアックな会で発表をした。会の重鎮が質問に立ってくれた。「先生の今お話しになった内容は、私たちがかつてCT/MRIで研究してきた内容から導かれる現在の結論の一部とは矛盾するようにも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか」。私はまったくごもっともだなと思いながらこのように述べた。「複雑系の込み入った因果のなかからどれを選んでひとつの筋の通ったストーリーにするか、という話かと思います。先達の作り上げられた理論には私は妥当性があると感じていますが、異なるエージェント、異なる解析手法、異なる物理法則を用いて別の角度から物性を検討するとき、一見して以前のエビデンスと矛盾しているように見えたとして、それはどちらかが間違っているというのではなく、複雑系の解析というのが本来そういうものであると理解したほうがいいのではないかと思います」。ほぼこのとおりの回答をしながらその瞬間私は「こういう煙に巻くタイプの言説は私の場合、まちがいなくあのブログの日々によって鍛えられている」と察して瞬間的に落ち込んだ。CTの造影剤と超音波の造影剤では粒子のサイズも粘性も異なる上に、間質との関係も異なるし、流体としての力学も違うので、同じ現象に対して同じ結果が出るわけはないし、これらの一見相異なるデータはAIの到来によってようやく人智を超えたところで統合解析できるようになるはずなのだ。すなわち私の言っていることは間違ってはいない。しかし、だったら最初からきちんとデータとプラクティスで話せばいい。ものを見せればいい。その場の質疑応答なのだから完璧に答えることはできないにせよ、データ・ドリブンの姿勢を崩さず、そこで言えることだけを誠実に返事すれば、ほんとうはそれで十分なはずなのに、つい、会場のみんながいいねを押してくれるかどうかという判断基準に流されて、「やりとりに対して一番おさまりがいいセリフ」を選び取って、学術的にはふんわりとした回答を返してしまう。ブロガーとはかくも罪深い生き物だ。私はブロガーである自分に侵略されている。

これは副作用だ。Adverce effectである。私はブログを書き続けていることで、このように、実害をこうむっているにもかかわらず、それでも書くのだから中毒性もある。ブログとはリボ払いであり違法薬物なのだ。子どもに絶対に近づいてはいけないよと教える3つの悪行のうち、2つがブログには備えられているということになる。もうひとつは何かって? そりゃあ、闇バイトですよ。闇バイトブログというのもあるんだろうな。

決して叩かれないための技術を詰め込んだ会見

白目のところに出血した。視界が欠けるわけでもないし、かゆかったり痛みがあったりするわけでもない。そもそも帰宅して洗面所ではじめて気づいたこれが、いつからのものなのか判断もつかない。日中どこかの時点で目をこすったときに出血したのだろうか。車のドアをしめてまぶたをぐっと抑えたときにはもう出血していたのだろうか。顔を傾けても血が流れていかない。涙を流しても血が流れていかない。結膜という半透明の、でも水晶体ほど透明ではない構造物の、一枚下に血が出ている。すなわち結膜下出血というやつである。近頃はググってもAIがうそをつくばかりであまりいいことはないが、いろいろ探すとこのタイプの出血は2週間くらいで吸収されるし人畜無害と書いてあって、そりゃあ畜産には害は及ばないだろうと思いつつ、松手逆煮勇子2週間くらいは右目の外側の白いところにこの邪悪な地図模様がずっと入れ墨のように映ったままだということだ。肩を落とす。


(※わからない人はいないと思いますが、松手逆煮勇子(まつてぎゃくに ゆうこ)はラジオドラマ「あ、安部礼司」に登場する人物で、「待って、逆に言うと……」が口癖です。


目に血溜まりが出た、首を傾けると手がしびれる、最近下痢がとまらない、こういう、絶妙に気になるんだけどたぶんほっといても大丈夫だけどでも素人判断は危険、みたいな体調不良。めんどくさい。特に、自分がこうなったという話を、医療従事者に軽く話すのが最近ほんとにめんどうで、なるべくやらないようにしている。自分でひっそりと抱え込む。とかく、やつらはみんな同じことを言う。一度眼科に行きなさい、一度脳神経内科に相談しなさい、一度消化器内科にかかりなさい。ただしい導きなのはわかっている。私だってその結論くらいとっくに思いついている。その前になぜ一言、「うわあ大変だね」「えっそれしんどくないの」「ありゃあいやだねえ」が言えないのか。ぽっとシェアした不安に対してなまじ専門的な知識があるやつらは気持ちを受け止めることをせずに一直線に「エビデンスでみちびかれる最高のアドバイス」を試みる。なにもわかっていない。「まずは騙されたと思って一度病院へ」。うっせえバアアーーーーーーーーカウンター(コンプライアンスぎりぎりセーフにする技術)!



私たちが全員で共有している最も強固なエビデンス: 人間の生命というものは紆余曲折あってもせいぜい誤差100年の間のどこかで必ず死に着地するということ。これだけはぜったいに動かしようがない。対処不可能。克服あきらめよう。何をやっても治癒のありえない「いつか必ず死ぬという病」に全員がかかっている。だからこそ、そこはもう見ないようにしている。医療というのはすなわち「どうやっても治せない一番くやしい部分」をとっくのとうにあきらめて、「もしかしたら治るかもしれない部分」、「ほうっておくと思ったより早く死ぬ部分」という、2番目に気にしておきたいところ、3番目に気にしておくべきところに逃げ込む仕事と言って差し支えない。いちばんほしいものを提供できないで、次にこれがおすすめですよとごまかしている悪徳業者のハシリ。だったらせめて、ホスピタリティのいろはのイとして、いつか死ぬまでの気休め、たかぶったりふるえたりしている気持ちをおだやかにやすらいだ状態にしてもらいたいという、ケア、伴走、「あらまあ大変だね」の一言が先行すべきだということに、なぜ医療従事者はまっさきに気付かないのか。

ほんっとうに気づかないんだ、やつらは。とくに相手が私だった場合にはもう、めっぽう。

こういうことを書くと必ず「どこどこ病院のなんとかという伝説的なナースはそのあたりがとてもよくわかっていて」みたいなことを言うヤカラが出てきたものだった(もうSNSに触れていないので感想も飛び込んでこない(というか読んでいない)ので今は快適)。それにしても私は伝説とまでは言わずとも、少なくともその仕事っぷりを信頼している人にしか自分の体調不良のことを告げないし、最前線で働く普通に一流の医療人、おそらく仕事で患者に接するときにはそのへんの「まずは不安をいっしょに持ちますよという姿勢」という基本のキの部分を絶対におろそかにしていない、そういう医療従事者にだけ狙って話しかけている。それなのに。ああそれなのに。問うた相手が私だとわかった瞬間に「病院行ってくださーいw」と単芝で2秒で返されるのだ、たまったものではない。一族郎党は音に聞け。医療従事者になんてなるものじゃない。自分がこっそり不安なとき、世の中で一番頼れるはずの同業者たちが、ぐんと冷たくなるんだぞ。まったくとんだデメリットだ。こういうことを書くと次に学会場で出会ったときに、こっちがまだ何も言っていないうちから「それはwwおつらかったwwwwですねwwwwwww」とか複数芝で煽ってくるのだからなおさらやってられないのだ。バーーーーーーカード、マイナン(倒置法)!

fusianasan

先日講演をした際、朝きちんと合っていることを確認した腕時計がなぜか自分の出番の前に8分遅れていて、それに気づかずに講演をスタートし、途中、座長の先生に「あと◯分ですね?」と確認した際に、なんか微妙に話が噛み合わないなーと思いつつも、まあ、無事時間内にしゃべりおわったーよかったーと思って、拍手をあびながら演台から降りて、会場に戻ってふとスマホを見たら思ってた時間じゃなくて、あっあれっ? なんで? なんで? と思ってあわてて腕時計を見るとがっつり遅れていることにそこではじめて気づいて、「うわあ何が起こったんだァ!」→(英語にすると)→「what's happened!!?!!?」→(つまり)→「8分だけにね」ってオチまで付けた自分がもうほんとにだめだなと思った。

ともあれ講演はまあ好評。しかし、人々の評判を聞いているうちに、ああ、また、なんかちょっとやらかしたな、と、反省で心が足からじんわりと冷えていった。

どうも私は、人前でしゃべっているときに、学術ではなく自分をプレゼンしてしまっている気がする。若い頃ならいざ知らず、今もずっと。

「先生の話は講談師みたいですね」「ラジオDJみたいでめちゃくちゃ上手だなと思いました」。終わった直後はこっちも相手も興奮しているからいい。正直うれしい。しかし、数日後に同じ方に講演の話題を振ると、もう雰囲気しか覚えていなかったりする。「なんかすごい講演でしたよね。肝臓……超音波……でしたよね」。がっかりである。詰め込みすぎだからか? テイクホームメッセージを絞れば覚えていてくれるだろうか? いろいろ試行錯誤はした。じわじわと良くなってはいると信じたい。しかし、所詮はマイナーチェンジレベルでしか改善できていない。根本的にバージョンアップできた気がしない。

要は、「話をする自分」をプレゼンしてしまっているのだ。「話の内容」を伝える技術はこれだけ実践してもまだまだ二流・三流。「私」を知ってもらうのがまったく無意味とは思わない、そうやって出番をいただいているのだから「私」自身にとってはありがたいことだ、しかし、最終的に「病理学」が伝わらなければ意味がないし、甲斐がない。ひとたび私がしゃべったならば、その病理の話は聴衆の誰もが二度と忘れないくらいの深い印象を残せるようになりたい。しかし道は遥か長く険しい。



おいしいものが好きなのではなく、おいしいものが好きと言う自分が好きな人。

旅行が好きなのではなく、旅行を好きと言う自分が好きな人。

服が好きなのではなく、服が好きという自分が好きな人。

こんな人ばかり見るようになった。コンテンツが好きなのではなくて、コンテンツを好きって言っている自分が好きな人。いいね産業のデフォルトモードは推し活という皮を被った自分推し活。そんな時代の趨勢に、かくいう私もしっかり乗ってしまっている。「画像・病理対比が好き」なのではなく、「画像・病理対比の話をこんなにすらすら言える自分が好き」なのだ。講演が終わってからひとりうつむくことが増えた。「うつむく自分が好き」だからこうしてブログにまで書いてしまっている。重症である。


こういうときに無性にやりたくなることがある。聞くのだ。人の話を。自分を差し置いてコンテンツを純粋に伝えようとする先人たちの話を。「守破離」でいうならば、今の私はまだ守るところにすら達していない。見(けん)が足りない。門前を掃き清める回数が足りない。聞くべきだ。むさぼるべきだ。それはまちがいなくその人固有の体験であるにもかかわらず、コンテンツへの強すぎる愛ゆえにその人の存在自体が緻密な計算によって消しゴムマジックされているような、一流の推し活を。自己肯定感とは無縁の渾身を。いいね産業カスケードをブロックしてまるで異なるニッチでサバイブする孤高のオタク。講演が終わったときに、誰も私についての感想を一言も述べず、ただ、私が提示した学術のことで延々と盛り上がるような風景が、ゴールであり、そこからがスタートだ。そのとき私はようやく「上手な講演ができたなあ」という気持ちで満たされ、聴衆は誰もが私の顔を忘れる。Sageの手さばき、匿名の極意、たどりつきてぇ、ブログなんかうっちゃらかしてさ。

魑魅魍魎騏驥驊驑

なぜかはわからないが近頃、ブログのタイトルにカタカナを用いる機会がじんわりと増えている。自分の心を掘る。「カタカナ タイトル なぜ」。あまり意識していなかったのだけれど、たぶんこうだ。

ここ1年ほど、ブログに書く文章にあまり改行を用いていない。意図的に改行するときは大さじ一杯くらいの揶揄や皮肉をこめていたりする。「ほら最近のウェブ記事はこれくらい改行したほうが見やすくていいんだろ?」。そうやって書いた記事を最後に見直して、「なんか画面黒いなあ」と思って、タイトルくらいはヌケ感出しとくか、スカスカにしとくか、スタイリッシュにしとくか、本文が脂ギッシュだからな、ガハハ、みたいな感じでいやらしくカタカナのタイトルを選ぶ。

たぶんこうだ。言語化しながらうんざりした。


2年くらい前はまずタイトルを書いてそれからよしなしごと的に書き進めていくスタイルだった。当時、そこまでカタカナタイトルが多かったわけではない。だからやっぱり、本文とのバランスを考えてカタカナになっているんだと思う。


「諸般の事情によりこちら側につく」みたいな行動を取りがち。やりすぎると「あえて悪役を演じる」みたいな演劇臭が出てしまうし、逆張り野郎という二つ名をほしいままにするリスクもある。ところで「ほしいまま」を「恣」一文字に圧縮できるのすごいな、漢字ってもはや次元圧縮の世界だな。蔘(ちょうせんにんじん)。さておき。テレビのクイズで芸能人たちがマルかバツかを選ばされ、スタジオの中を右と左に移動させられる、みたいなシーン、もうあまり見る機会もないけれど、10人くらいの参加者がいるときに途中、7-1くらいに偏りが出ると、最後のふたりのうち少なくとも片方は「じゃ、こっちにしようかな」と1の側に寄っていく。あれはいったいどういう社会的感情によってそうなっているのか。ディレクションを手伝っているのか。そこまで考えずに「少ないほうがかわいそう」みたいな理由で選んでいるのか。テレビの場合、「少しでも長く画面に映るために少ないほうの選択肢をとる」という戦略はありそうだ。その意図がない場面を別に考えないと今回の私の行動の解析にはあまり役立たない気もする。役に立たないことをするからいいんですよ。衳(ものしたのたふさぎ)。えっこれ本当に一文字で表すべきなの? ごめん、ふつうはもっと漢字を使います。だよねー。実用的じゃないもんね。で、ほんとはどうやって書くの? は、はい、こうです。裳下犢鼻褌。ええー「した」以外まったく読めないんだが? うさぎどこだよ? うさぎではなく「たふさぎ(とうさぎ)」です。鼻はどうしたんだよ? てか最後ふんどしじゃねぇかよ。はい、じつはものしたのたふさぎというのは女性用の下着というか下ばきのことでしてある意味ふんどしでもあります。うわぁ賢くなった。なってないが。




イ デ ア




バランスとってちょっと白くした。「イデア」という単語にはなんだか黄色のイメージがある。アメリカ人にとって太陽は黄色なんだって。だから「レッドサン」って書くと「斜陽」のイメージ、プラス日本人のイメージ(国旗)になるらしいよ。それ米粒写経の映画談話室で聞いた話のパクリだろ。すみません。中身スッカスカなんでタイトルでバランスとっておきますね。

ギルガメッシュな夜

小林銅蟲先生の画風が少し変わっていた。さいしょ別人なのか? と思った。セリフまわしだって偽装しようと思えばできるだろう。しかしなんというか、ネームの骨格というか、配置や展開はたしかに小林先生そのもので、なにより、作品と読者の間にきちんと数枚の薄皮が設定されているあの感じは真似しようと思っても真似できるものではない。やはり間違いなく小林先生なのだ。「めしにしましょう」の続編、うれしいことである。

先日、明石家さんまとマツコ・デラックスと安住紳一郎がいっしょに出てくる番組というのを見た。それぞれの過去の映像、かれこれもう20年以上前の、画面比率4:3アナログテレビ時代のノイズだらけの映像が次々出てきて、たとえば明石家さんまにしても安住紳一郎にしても当時着ているスーツの肩がやけにしっかりしていて、ヘアスタイルはいまよりも前方にボリューミーで、全員肌がしっかり持ち上がっている。つまり「ガワ」の部分は今とはだいぶ違う。しかし驚いたのは3人とも声質がぜんぜん変わっていないということだ。インターネットで過去を見ると我々はすぐ変わった、なくなった、失われた、ロストエイジ、みたいなことを言うのだが、見るから悪いのだ、聞けば変わっていない、ということに今更ながら少しおどろいたし、なぜかはわからないがちょっと気持ちいいなと思った。

ドリフのバカ兄弟コントの「やっぱりあんちゃんだ」みたいな顔をしたくなることが一年のうちに何度かある。それは言葉とか絵とか音とかが思っていたものとビタッと合っているレベルの快感よりも一段高い、もしくは深い、髄鞘のない神経を刺激が跳躍せずに伝わっていくときのじんわりとしたカタルシスに近い、「感性がマージしたきもちよさ」である。



バラララリララララリラリリララロロロラロロロ
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
ツツテーレ!!ツツテーレ!!ツツテーレ!!
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
バラララリララララリラリリララロロロラロロロ(ズンズカズンズカズンズカズカズカ)
ツツテーレ!!ツツテーレ!!ツツテーレ!!ツツテーレ-
デレッテテレッテテロレリタラランレンレンデレッテテレレ!!(ツーツカツーツカツーツカツーツカ)

ていうのを見て、

◯◯◯◯◯◯◯の◯◯だなと気づいた深夜、すぅっと心の中に涼風が通り過ぎたような経験が、みんなとは言わないが、誰かには起こったことがあるだろう。ん? なんだなんだ? 文字で言われてもわからんよ。言語が変わったらわからんよ。ガワが変わったらわからんよ。ぶつぶつ文句を言いながら脳のふだん使っていないところを総動員して「翻訳」を試みるのだが、AをBに単純に変換するというAIでもできそうな作業だけだとどうもうまくいかない。これはどういうことなんだろう、これはなにを表しているのだろう、ここにはどれだけ「当事者」の魂がにじみ出ているのだろうと、いろいろ試行錯誤をしているうちに、あるとき突然、「あっ!」となにかがピタッとはまって、対応関係というか、もっというと「感じ」のようなものが見つかってこれは確かにこうであるということがわかる瞬間がくる。

その気持ちよさは、食欲とも性欲とも睡眠欲ともあまり関係がなさそうだ。「ぴったりハマる」ときの快感というのはなぜ脳に設えられているのだろう? いくつかの仮説はあるのだけれど私はここで、「親や子の見た目が変わっても、やっぱりそれがまちがいなく家族なんだと納得できる瞬間を、『気持ちいい』と感じる脳のほうが、生き延びやすかった」という説を押しておきたい。

ヤンデル先生へ

ACジャパンがあるならBDジャパンもある! とつぶやこうとしてふと立ち止まる。それを言うならA.D.とB.C.ではないか。ぼくたち/私たち//入れ替わってる~!!?!?? 思い出したが今、入れ替わりが熱いのは、『みちかとまり』だ。完結したら大騒ぎするからこのマンガのことを一切知らない人はそのままで、知らないままでいいのでしばらくみかんでも食べて過ごしてほしい。つい先程「つぶやこうとしてふと立ち止まる」と書いた私ではあったが、いまやつぶやくところなどないのでこれはテレビ用に盛った発言であった。クロちゃんを笑えない。

Xにはブログの更新、尊敬する他人のリポスト、他人の記事を読んだ報告のポスト以外を投稿していない。Threadsでは萩野先生を見に行った帰りにブログの告知をするだけ。Blueskyはいまだによくわかっておらずブログの更新告知だけ。Facebookにはいつのまにか水着の女性しか出てこないが医者の飲み会の写真しか出てこないよりもよっぽど健全ではある。mixi2はダジャレ。すなわち私が「いまどうしてる?」をつぶやく場所はもうない。いまをつぶやいたらストーカーが追いかけてくる。「いまなにを考えてる?」をシェアする年齢でもない。

私はこうして「つぶやかない」人間になった。「つぶやかなくてもいい」人間になった。


ノーチラス号が! 脳散らすGO! 仮に、たいして文学少年なわけでもなかった幼少のみぎりに、あらゆる事象がダジャレとひもづけられる中年の高度な知性を手にしていたら、数少ない読書の時間にも気が散ってしょうがなかっただろうから、よかった。ダジャレに絡め取られるのが40を過ぎてからで、よかった。30代前半から40代の中盤までの、いちばん自分が好きでしょうがない時期、いちばん自分が成長しているように感じられる時期、いちばん自分が中心で世界が回っていると思いたくなる時期に、Twitterという「半年ROMってもfusianasanに引っかかるツール」とごく近い距離で過ごしていたことは、私のとがりやギトつきの部分を研磨することにずいぶん役立った。外界からの微弱な刺激に対する応答のすべてをSNSに放流していたあのころ、私はたしかに増長し、鼻っ柱を折られ、承認欲求を満たしつつ、絶望をレンジであっためてホットマスクにしたものを目の上に乗せて疲れを癒やした。これを言ったら怒られる。これを言ったら嫌われる。これを言ったら嫌いな人に好かれる。これを言ったらSNSでの評判が上がり現実でほしいものから遠ざかる。これを言ったら、私は、私以外にフォーカスが合わない目を持つことになる。これを言ったら、私は、自分ではないなにかのためにあつらえる言葉を手放すことになる。私はたくさん学んだ。いろんなものを失い、同時に、人の間にいるための「姿勢」を身につけた。背筋ののばしかた。頸の角度。目線のくばりかた。舌のしまいかた。本来、10代から20代にかけて、対人・対書物とのやりとりで涵養するべき、「社会という曼荼羅の交点におさまるのにふさわしい立ち居振る舞い」を、SNSを介してむりやり矯正した。社会人養成ギブス。

ACジャパンがあるならDCジャパンもある! いや、社会は交流の場であって直流の場ではないほうがよいのでDCジャパンはないほうがいいだろう。思ってもつぶやく場所はもうない。私はもう病理医ヤンデルではない。ブログを書いて投稿しようと思ったそのときにメールが届く。先日の研究会で病理に関する質問を投げたところ、がん研有明病院の病理医から丁重な返答が届いたのである。ありがたいなと思って読む。「ご指摘ありがとうございます。先生のおっしゃるとおり云々……」。ありがたいなと思う。ミクロ画像が1枚添付されている。添付ファイルのタイトルに「ヤンデル先生へ」と書かれている。ああ、そうか、この先生もご覧になっていたのか。私は今も病理医ヤンデルだ。この名のおかげで私は人と人の間で暮らすことができるようになり、今はなんかちょっとうっとうしいなと思っていて、親が面倒に感じる思春期かよと自分で自分につっこむがそのことをつぶやく場所はもうない。