チャリンコにでも乗れたらそれでいいのだ

戸棚の中で未開封のまま、賞味期限が2024年11月、という生茶を寝る前に冷蔵庫で冷やして今朝になって飲んだのだが、これはまだ「生」茶であると言えるのだろうか。生というのが無加工というのを意味するのならば、期限をはるかに越えるほど自然に熟成されたお茶というのはある種の加工を経ているとみなして「生」ではないと考えたほうが妥当なのではないだろうか。そんなことを思い煩っていたのが、3日ほど前のことだ。結果的に腹はくださなかった。よかった。くだしていたらここには書かなかっただろう。大丈夫なもんだなー。このような、逆民間療法みたいなことをしていては、健康はおぼつかない。しかし、まあ、民間療法が効かないのとおなじように、逆民間療法もさほど体に悪影響はないことがほとんどだ。これで自らの心が癒やされたり救われたりちょっと余所見するのを手助けしてもらえたりするのならば、それでいい。


いややめといたほうがいいよ。期限は守ろう。言われるまでもないか。みんなバカでもないしこれ見よがし勢でもないから、言わなくてもわかる。インプレッションを稼げない場所でおかしななことを言う人は少なくなった。受け手もわかって騒いでいる。私達は、騒がしい場所に根を張って養分を得ようとするタイプの植物ではない。


人の注目を多く集めた人が小遣い程度の金を手にするというのは冷静に考えるとすばらしいシステムだ。ほんらいアンコントローラブルなはずの外部の複雑系の足並みを自らに向けて揃えることができるなんていうのは、社会的生命体のタスクとしては最上級に評価されてしかるべきだし、そこに瞬間的な快楽を発生させることに、十分に合理性が、ない。


SNSのない世の中もAIがない世の中も、サブスクがない世の中も転売がない世の中も、今後訪れることはない。規制もいたちごっこ。それらがなかったときに世に満ちていた不満の一部は確実に解消されており、新たな不満については人類が熟考して対処してきた道のりがまだ短いため未解決のままであるけれど、それらをいちいちやりだまにあげて、昔のほうがよかったとか言っていてもしょうがない。ただ、SNSやAIのせいで「かつてないほどに歪んでいる」部分があるのだとしたら、そこにはかつてとは違うやりかたでの逃げ道が必要なことはおそらく本当だ。それはたとえばラジオのような、「情報の入力にかかる時間を自分ではコントロールできず、発信者の裁量にまかせるしかないが、適宜やってくる情報を『ながら』で適当にやりすごせるタイプのコンテンツ」であるとか、あるいは書籍のような、「情報の入力にかかる時間を自分でいくらでもコントロールできるし、なんなら物語の時間経過すらも受信者が好きなようにコントロールできるタイプのコンテンツ」のように、SNSとは情報の伝達速度やそのコントロール性などが少しずつ異なるものによって担われればよいようにと思う。ただ、だからといって、SNS時代は本を読めとか言いたいわけではぜんぜんない。なんでもいいのだ。なにもなくてもいいとすら思う。SNS以外で世界に接することなく、SNSでもうすらぼんやりとしか世界に接していない人間の、肌や目がコンテンツとして完成されていない見えない必然の微弱な振動を受け止めたとして、それがたとえば私のような多動で依存先の多い人間が四方八方のコンテンツからのべつまくなし受信する振動とくらべて、おびえるほどに微弱であるなどということが、あるだろうか? ないに決まっている。刻一刻とうつりかわる西の空の夕焼けの色調変化からも人はなにかを得ようとする。それは隕石のきらめきによる深夜の一瞬の青空ほど映えはしない、でもそんなことは私達の心のざわめきに対して、なんの優劣も主張してはこないのである。

ヒャダルコでもいい

いただいたおみやげは大福のようだ。賞味期限は明日となっている。だったら明日の朝飯にしよう。札幌の夜はすっと冷えるようになってきて、これなら、テーブルの上に一晩置いてもそこまで悪くはなるまい。昼に家にためこまれた熱を、夜に窓を開けて少し逃がす、しかし壁や天井に溜まった熱はなかなか逃げていかないらしく、風が涼しいな、ちょっと寒いくらいだなと思って窓を閉めると壁から戻って来る熱でまた熱くなる。贅沢は言っていられない、本州なんて未だにめちゃくちゃ全然暑い、それに比べたら札幌は天国である、今年、ここまで、ずっと本州並みに暑かったけれど、ようやく北の地らしくなってきたかな。


明日の出張で乗る飛行機のダイヤが急にがくんと乱れた、とメールが来た。整備のため遅れます。なるほど。整備ならしょうがないね。でも前日の時点で、ここまでがっつり遅れるって決めちゃうんだね、や、うん、でも、教えてくれてありがとう、教えてくれるとまじで助かる。もっとも、医療だったら「夜通しかけてなんとかする」という手段を取りがちだけどね、でも、そういう圧のある働き方は、しないほうがいいよ、飛行機なんてそれこそ、安全第一だもんね、遅れな! 遅れな! そして明日の私の仕事はもちろんパニックになるのである。でも飛行機のせいだからしかたない。ほらーこれは私のせいではないですからね。こうして書いておけばあとでなにか、得できるかもしれない。得はしない。


脳梁のところが裂けたんじゃないかと思う。ちょっと思考がうまくまとまらない。疲労の影響だろう。ただ、右と左とが、うまく連携をとれないからこそかえってお互いを気にする、みたいなことにもなっている気がする。ハードルがあったほうが燃える恋のようなものか。芸術脳と理屈脳、みたいな話はまったく信用していない。脳のどの領域がなにを担当するみたいな話もマジであんまり気にしていない。そこを欠損させたら目が見えなくなるから視野に関係のある領域だとわかった、みたいな話はかなり解像度が低いと思っている。昔の科学ならいざしらず、これだけ積み上がってきた知見をあちこち丁寧にたどると、脳とはそもそもそういう、場所と機能とが一対一で対応するような臓器ではないのだ。それはたとえばサッカーで、メッシがイエローカード2枚で退場したらそのポジションがポンと空きますか、いや、周りがちゃんと動いて穴を埋めようとするだろ、みたいな話にも似ている。このたとえの素晴らしいところは、「とはいえキーパーがいなくなったらマジでやばいよね」みたいに、時と場合に応じてダメージの深刻さが変わることをちゃんとイメージできることだ。あらゆるたとえ話にいえることだが、いくつかの場合分けを包含した、重層的なシステムごと、まるっとたとえているケースは超・かっこいい。とはいえなんでもかんでも雑な構造主義みたいな話に持っていくのもいまいちなんだけど。


理論とはメタ実践である、みたいなことを書いてある本を読んで、まあ、そうなのかもね、でもそういうことを書く人って、結局理論を実践と照らし合わせる作業をそんなにいっぱいはやっていないよね、と思う。メタ、とか、俯瞰、みたいな言葉は、コスパ、タイパ、とかといっしょで、なにかの当事者に直接冠して使うというよりも、なにかを表現したり揶揄したりするのが大好きな周りの観察者によって、やけに乱発されてしまっていて、言葉が本来もっていた両義的な意味が摩耗してしまっているように思う。解像度、みたいな言葉にも言えることだ。便利だとそればっかり使って飽きちゃうんだよな。ドラクエでいうとベギラマみたいなもんだよ。たまにバギマとかに変えたくなってしまう。とはいえヒャダインは別の意味を持っちゃったからな。言葉というのは、ヘビのようにぬるぬるすり抜けて、ひとつのところにあまりとどまっていない、なんというか、多動な道具だな。私と気が合う。

画鋲の柄の暴力性について

新しいトランクを買ったのでむやみに出張に行きたくなっています。うそです。むやみに出張ばかりしているから新しいトランクが必要だったんだ。そういえばトランクって言うよりスーツケースって言ったほうが一般的なのかな? でも私は、なんとなくだけど、中年男性がスーツに身を固めて引きずって移動するのはトランクであってほしい。トランクという言葉の響きが好ましい。ジャケットは少し薄めの茶色がよくて、頭にはハットが乗っているとなおいい。このイメージは、なんなんだろうな。ドリトル先生でもないし。あしながおじさんでもないし、菊次郎の夏でもないし。なんとなく、そういう印象、私の中に居場所を占めるなんらかの情景、これは私の幼少期から夢や現実の妄想の中で、大根おろしをおろすように繰り返し、心の表面から内奥に向かって擦って擦って練り込まれたもの、刻印というには丸いし、彫琢というにもやわらかい、なんなんだろう、「青写真」という言葉がここでふっと浮かんでくる。それは小学生の頃、父親が買ってくれた『大図典 VIEW』の、五十音にのっとった項目の最初のほうにあったあのページ。今はもう青写真なんていう概念自体がよくわからないものになっていて、言葉としてもほぼ使われることもないのだけれど、たしか私の小学生のころには、子ども向け雑誌のふろくに「青写真セット」みたいなものがたしかにあって、シアノな色彩が脳裏にぼんやりと浮かんだままこちらを向いている。私の中の「トランク」という言葉は、わかりやすくセピアなイメージでもあるけれど、その心の中への投影のされ具合はどちらかというと、青写真のそれに近いのだなと思った。40年以上も前の、弱い日差しによって薄くもはっきりと感光された、私の中の、印象の話。こだわりとも違う、風習とも違う、好き嫌いとも違う、エネルギーがふんわりと、プラトーの中のカルデラにはまり込んで動かなくなっているような、そこは安住とまでは言わないのだけれど、腰掛けたまま、昼下がりの熱にうかされて立ち上がれなくなっているときの、現の縁辺で魂が散逸していく中でそれでも私が私として貼られているために必要な画鋲のようなものの。画鋲。気になるのは、針ではなく、柄。柄の、妙な尖り、押し込んだ親指を三日月の形に圧迫して痕を残す、壁からの圧のすべてを針が引き受けるのではなしに、私の親指にもある程度の責任と後悔をなすりつけてくる、画鋲の柄の矜持。工芸用鋸の刃の湾曲した返しの煌めき。担任の親指の爪を剥いだ断裁機のゆがんだストッパーの尖り。そこに、存在価値があるわけでもないのに、使用者の心になにかを勝手に残してゆくものたち、と、違って、私の買ったトランクには必要な機能しかついていない。それはとてもつまらないことだなと思って私はこれからトランクのフロントポッケに差し込むためのやや持ち手の尖った日傘を買いに行く。こうもり傘だとなお良いのだろう。でも私はそうなるべきではないのだ。私は常用の色彩の中で世界に埋もれるべきであって、あの青写真の中の中年男性のような、印象だけを残して去っていく空想の人間にいつまでもあこがれている場合ではない。

いちいち感じるな

「それしかできないだけ」のことを、「私の強みです」と胸を張っていくことは、自己肯定感的にはよいのかもしれないが、良心がいたむ。なんの話かというと私が学会や研究会でしゃべりすぎだということだ。病理診断に関するコメントを求められるとブワッと言葉を詰め込んでしまう。そんなにいっぱいしゃべらなくてもいいのに、しゃべってしゃべってセッションの時間がおしてしまう。これはもうある種の病気みたいだ。適切な治療がなければ、勝手に治るようなものでもないし、放置しておくとだんだん体力を消耗し、身体の減価償却、摩耗、消尽。この病の治療法とは、自分を客観視して「ほどほどにする」、この一点しかない。そしてなかなかこれをやれない。困ったものだ。おまけに私は開き直る。私はときに、「時間ぎりぎりまで病理の話をしてしまってすみません、しかし、私はここに揃った医療人のみなみなさまに、無数に言葉を投げつけて、どれがどなたに刺さるかまではわかりませんが、おそらくどれかはどなたかには刺さるだろうという思いでおります。つまりこれは学問のひとつのかたち、『ものづくし』ならぬ『ことばづくし』によって疾病・病態をつまびらかにせんとする戦略なのでして、誠に申し訳ございませんがご列席のみなみなさまにおかれましては……」みたいなことを平気で言う。これがつまり、「それしかできないだけ」のことにすぎないのに、「私の強みです/方針です/計算の結果です」みたいな顔をしてシレッとしているということだ。始末に悪い。

私はいつも反省し諧謔している。そのくせぜんぜん改善まではたどり着かないのだから、口ばっかりと言われる。その口ばっかりすらも戦略なのだと公言している。どうしようもない人間だなと感じる。それが病理学ニッチにすっぽりフィットするものだという確信までしている。悪人だなとすら感じる。

自らの悪・性を評価して分類し、名前を付けて共有し、視線を誘導して、複数人の関わる場所で羅針盤となる。


またSNSで芸能人が炎上した。嘘をライフハックと呼ぶ人たち。推し活という名刺を乱発して恍惚とする商売人。SNSの功罪の、罪の部分をとうとうと語りながら、公認バッジから小遣いをせしめ続ける、まるで野生動物に餌付けする人間のような未必の故意。自らの良・性を評価しようと思っても私はそれが何によって定義されるのか見当がつかない。生理学よりも病理学のほうが簡単なのかなと思う。悪ければ目立ち、悪ければ思考のフックになり、悪ければ良いものが見えてくる。それを自分の「強み」だなどと言い切ることに、猛烈な羞恥心があり、しかし、それなのに、隠そうともしない、私は露出狂なのかなとも感じる。

他人が妖怪すべきことではない

声を上げてびっくりだッ、これまでこの免疫染色は、何回も何回も染めてきたけれど、こういうシチュエーションでは一度も陽性にならなかった、幾度もの「もしや!」が、「あやっぱり違うんだ……」、シオシオと消えていった、しかしだッ! ついに染まったぞ! わああ! び、び、びっくりだ! まあ染まると思って染めてるんだけど本当にぜんぜん染まらなかった、けれど今回とうとう、はじめて、染まったッ! わああああ!

ちなみに、免疫組織化学は正確には染色(色素を使って染めるもの)ではなく、抗原抗体反応を利用してから二次抗体を発色させているものなので、「染まったッ!」と書くたびにチクリと胸が痛むんだ。とはいえ「光ったッ!」というのも違う。「そこにあったッ!」もへんだし。「見出したッ!」「とらえたッ!」「よくわかんないけど、なんかわかったッ!」だめだ。ニュアンスが違う。困ったものだ。



朝から頭が重くてそのくせ仕事は何種類も同時にやってきていて、こうやって振り返っている間にも次から次へと新しいメール、診断のチェック、研究の相談、人事の調整、事務作業などがふりかかってくる。これらをマルチタスクとしてこなすのではなく、断片化させて組み替えた直線上の配列として、スイッチングが高速で発生するシングルタスクとして走らせる。これは例えるならばあれだ、天津飯が四妖拳を使ったときに悟空も「ならオラは8本だ!」ってやって、クリリンがびっくりして亀仙人が「ほっほっほ あれはそう見せておるだけじゃ」って言ったやつみたいなもんだ。例えと言いながらワンエピソードごっそり持ってくるのやめてください。例えるならせめてワンフレーズにしてください。

ともあれマルチに活躍するなんてことは本当は人間はむりなのだ。せいぜい、右手と左手でベースラインとメロディとを弾き分けるくらいまでで、それだって左右でぜんぜん違うリズムの曲を奏で続けていたら演奏者はともかく聴衆はぐったりしてしまうだろう。「あまくち」のエレクトーンだと足も使うよね。そういう話をしたいわけじゃない。たくさんの仕事を同時にこなしている人を身近に眺めていると、ひとつひとつの案件に対する集中力が異様に深くて、どす黒くまわりの色が落ち込んでいくような感じでぐんぐん案件にのめりこんでいくようで、深淵に取り込まれそうでハラハラしてしまう。かつ、その深い淵から一瞬でガッと浮上してきて、ぜんぜん違うところにある全く別の沼に次の瞬間には急速沈降しているのだ。それを何度も何度も繰り返すようすを、ぼうっと、なんとなく興味もない感じで薄めで見るといかにも「同時にいくつもの仕事をこなしているように見える」というだけなのである。私もできればそういうことをやりたいなと思ってやっていくのだけれど、高速でタスクを切り替えていくことはなかなか難しく、結果的には「さっとこなすはずだった一つ目の案件に妙なひっかかりを感じて、そのことを頭の片隅に浮かべながらほかの仕事に取り組み、二番目の仕事でも懸念事項をひっかけて、三番目の仕事でも違和感を覚えて……」というように、次々と新しい着物をひっかけた十二単の霧姫(影の伝説)みたいなことになっていく。


ブログを書きながらこのあとの移動のことを考えている。メールにさっと返事をしたけれどあとでこれはもう一度考えなければいけないんだよなと思ってスターを付ける。昨日買ったジャンプをまだ読んでいないので出張用カバンのPCのとなりにしのばせる。新しいトランクを買いたい、なにをたくさん背負っていても、頭の中がごちゃまぜになっていても、保安検査口で中のPCだけさっと取り出せるようなフロントポッケのついたやつがいい。昔は荷物というのは小さければ小さいほどよかったけれど、今は、出張先の空港でぱっと買ったおみやげをしのばせるスペースがない小さなカバンを少し憎むようにもなっている。ところで私のPCは、「四妖拳」を入力するために「妖怪」という言葉を出そうと思うと、

(一度目) ようかい → 容喙
(二度目) ようかい → 溶解
(三度目) ようかい → 妖怪

の順番で変換候補が出てくるのでちょっと変なやつだなと感じる。溶解が上なのはわかるが容喙が一番上なのはおかしいだろ。なに気取ってんだ。



  1. 《名・ス自》
    横から差し出ぐちをすること。
     「他人が―すべきことではない」

はるかなる有給休暇の過去にある私の残像がうすれて消えて、今の私は廉価版の機体に乗り換えたような気分でふわふわゴツゴツと革靴を鳴らしている。仕事用のiPhoneをひさびさに起動すると無限の着信履歴がアットランダムにポケットの中で震えた。日が変わってからずっとメールに返事している。長く不在にしたお詫びの文章、メール冒頭の定型文を、ひとりひとり違うものにするのは、ひそかなこだわりである。コピペしても先方にはばれない、しかし、これらのお詫びはいずれも私の物語の一行なのだから、できればそれぞれ新たに紡いでおきたい。昔の漫画家が演出上の理由でコマをコピーして貼ってを繰り返したあとに枠外で「編集長、このページの原稿料いらないです、ほんとに」みたいなことを言うありふれたネタを、私の精神を和綴じした本の中で再現する気はないのである。


魚釣りにも行けたらよかったのに、と突然思う。キャンプだってしてもよかった。温泉だってよかった。しかし、そのいずれもなさないまま私の休みは終わった。満足している。体力欄は黄色くなった。しかし魔力は全回復した。


息子はよく成長した。もう安心だなという気分が強い。人間というものは常に自分以外のさまざまなものに目配りをするのに忙しく、たとえ独身であろうと、天涯孤独であろうと、自分の都合だけで生きていくことは極めてむずかしいし、まして人の中で暮せば、人を相手に仕事をしたり人を相手に生活をしたりしているならば、私のためだけになにかをするなどということはありえないのだけれど、それを悲しいとかつらいとか、もったいないとか損だとか、思わずにここまで暮らしてこられたのは私の場合、ひとえに世界のどこかに息子がいたからである。その息子が「あとはお前の物語だからな」とばかりにうまいこと育ってくれた今、さあ、私はもうなににも言い訳できなくなって、自分のために時間を使うことができる、そのほうが大変だよなァという、微笑みのようなものに浸りながら私は私の時間に目を向ける。


書類を書く、書類を書く、手で書く、のを見ている。私の瞬間的な主治医が私の健康診断の結果を手で書いていくのを眺めている。肝機能がちょっと悪い。2月に異常を指摘されてから酒を控えてγ-GTPはぐっとよくなったのだが、ASTとALTが下げ止まらない。どこかで一度、しっかり内科にかかったほうがいいのかもしれない。しばらく付き合っていくものだろうなと思う。私の瞬間的な主治医は指定の様式のいちばん最後に、「軽度の異常値を認めるが、就労には問題がない。」と書いた。これを持って私は次の職場に向かう。ただしこれだけではない。ムンプスの抗体価が下がっていたのでワクチンの追加接種をする必要がある。麻疹の抗体価も中等度まで下がっていたからこちらも1回は追加で打っておいたほうがいいだろう。風疹、VZVの抗体価は大丈夫だった。HBs抗体もしっかり高値であった。さまざまな数のワクチンと、罹患済みのかつての感染症の名残によって、私の体の中にはたくさんの抗体ができており、それらはまた年月とともに少しずつ消尽していて、次の職場に勤める機会に私はこれらをちゃんと補充しておくように命ぜられる。書類を書く、書類を書く、ペンだこというのもまた抗体のようなものだ。擦れる場所にはそれだけの備えが生まれる。


休み明け、1日だけ勤務して、また明日から連続出張の日々。私の居場所はもうここにはない。しかし私の居場所は最初から人の間である。こんなにいらないキーホルダーばかりUFOキャッチャーで取ってなにが楽しいのか、レイトショーの翌日の寝ぼけたまなこをこすりながら交互に笑う。本当に必要なものなど何もないが、要らないものと要らないものの間に浮かび上がってくる場所の温度を心地いいと感じ、笑い、休み、働く。

そういう病理医になろう

新任地の上司から、自分の着任記念講演会を企画せよと言われた。笑う。こういうのって自分で差配するんだな。でもまあ、そうだ。私が就任するんだから私が各方面にお礼を言う内容を考えつつ、私が話を聞きたい相手を呼ぶべきなのだ。いろいろ考えて、これぞと思ったお方にメールを送ったところ、ご快諾をいただけて、無事お招きできることになった。残り時間がほとんどなかったので甚だ失礼なオファーではあったが、うれしいことだ。このような機会でもなければお招きできなかったであろうことを考えると、これは確かに、私の着任を祝う会なのであった。

じわりと忙しくなっている。マネジメント、ディベロップメント。偉くなったつもりで調整仕事ばかりしているとオペレーションがないがしろになる。医者でいうところの「臨床感覚」が薄れて、病理医でいうところの「顕微鏡センス」みたいなものが削がれる。今はとにかく毎日、勘をにぶらせないように、すでに他の病理医によって診断された標本を無駄に眺めてみたり、研究会の症例のバーチャルスライドを隅々まで見たり、普段あまり開くことのない組織病理アトラスを通読してみたりと、維持筋トレ的に病理診断との距離を保っている。しかし、やはり「臨床医から届けられたばかりの依頼書を読んで、まだ封入剤も乾いていないくらいのプレパラートをはじめて顕微鏡のステージに乗せる」ことほど勉強になることはないと感じる。初見のガラスと何度も見たデジタルスライド、どちらも情報量はさほど変わらないはずなのに、「未知」に切り込んでいくときの緊張感とともにもたらされる情報は、「既知」の再確認と比べて何倍も光り輝いて見える。ふしぎなものだ。バフがかかっているというか、そこだけほのかに灯りがついているというか。

本気でなければ何事も身につかない。かつ、本気であっても復習ばかりではだめだ。さらに言えば、受けたことのない模試を何回受けたところで、本試一度の強烈な体験には及ばない。そういう性質が、おそらくこの仕事にはある。この仕事に限らないかもしれないが私はほかに仕事を知らない。



猛烈な量の事務所類を揃えており面倒が過ぎる。居所の開示、共済のおゆるし、身分の証明、書類書類書類でたくさんものを書いているうちに私は少し字の汚さが緩和された。むかしはたくさん字を書いていたけれど最近はキータッチばかりだったから、ボールペンをがりがりすり減らしている今に、どことなく懐かしさが香る。コツコツと積み重ねていけば解決するタスクのありがたさ。答えのない仕事に暫定的な答えを提示して審判づらした主観的な感想を受け止め続ける仕事とくらべて、これらの事務作業の、いかに健全で、いかに見晴らしのよいことか。まあ、人間じゃなくてもできるけど、こんなものは。しかし、人間じゃないと、この味のある手書きフォントで見る人に圧を与える楽しみも生じない。先日、バナナマンのバナナムーンゴールドを聞いていて、設楽・日村両名はどちらもパソコンを持っていないという話に、私は運転席でのけぞった、たしかに、彼らはパソコンなんか使わなくても十分に洗練された回答を世に出し続けているわけで、それはまあ、いらないだろうな、AIなんてなお必要ないんだろうなと腑に落ちた。筆圧、声色、顔、そういったものから、私はなにかを拾い続ける生き物でありたい、細胞の顔つきを見るというのもつまりはそういうことで、ああそうか、今度は私は細胞の筆圧だとか細胞の声色までも見られるように努力しよう。

武者だったのか

予定が二転三転して落ち着かない日々が続いているが、「落ち着かない日々に暮らすことに安定している」という側面が私にはある。おそらく、仮にこの先、この落ち着かなさをもたらしている些末なイベントの数々が失われ、凪のような、新月の夜のような日々がやってきたら、そのとき私はこれまでで一番不安定になることだろう。剣山の上だからこそ花を立てていられるということはあり、川の中でだけじっとしていられる小魚というのもいる。マッサージャーを延々と使用したあとに電源を切ったら背中が妙に熱くなって不如意になって、思わず畳の床にごろんごろんと転がりたくなる、みたいなこともある。私は落ち着かない日々に好んで生息するタイプの動物だ。だったら今のこのありようを寿ぐ以外になにができようか。

仕事で使っている顕微鏡が壊れ、年代物だったので修理もままならず、代替え機をしばらく使っていたのだが、私の異動に伴いその代替え機を次の主任部長に使ってもらうこととなった。新任なのだから新品をご用意したいところだが病院にはもはや金がない。申し訳ないがしばらくはこれでがまんしてもらうしかない。私はノマドの民となり、定時の居場所をなくしてなんとなくふらふらしながらたまに出張医用のデスクに座って小さく診断をする。この、出張医用の顕微鏡が、妙にゆれる。びんぼうゆすりや手遊びでゆれるのとは違う。レンズを入れ替えるだけで細かくゆれる。視野を動かすだけで細かくゆれる。どうも不思議なことになっている。顕微鏡というのは、ミクロの世界を超拡大して観察するためのものであるから、プレパラートを乗せるステージは文字通り盤石でなければならず、どれだけ視野を動かそうとも振動とは無縁、微動だにしないというのが前提なのだが、この顕微鏡はゆれる。おかしくてちょっと笑ってしまう。しかし仕事にはしっかりと支障を来す。診断のスピードがワンアクションごとに1秒ずつ遅れていく。拡大、縮小の際に手動でレンズの刺さったレボルバーを回す、そのたびごとに、ステージが細かくふるふるとふるえておさまるのを待たなければならない。デジタルパソロジーよりも顕微鏡のほうが圧倒的に見やすいと長年思っていたけれど、それはあくまで、素敵なボスが私のために用意してくれた高級な顕微鏡があってのものであり、出張医にあてがうような廉価品の(ただしレンズだけはしっかり高いのだが……)顕微鏡だとデジタルとの差はだいぶ縮まるなあと思う。

おそらく似たようなことはAIにもあるんだろう。しっかりじっくり細やかに仕事をしている限りAIなんてものは脅威にはならないのだが、流れで、新陳代謝で、入れ替わった人間の仕事がすこうしずつ廉価版的になったタイミングで、なんだこの程度しか担保されないのならもうAIでいいじゃないか、となって、全体の仕事のクオリティがAIベースに落ち着くことになる。それはとてもつまらないことだ。かもしれませんね。


カレンダーを見て落ち着かず、顕微鏡を見て落ち着かず、座っていても尻やら耳やらなんだかかゆくて落ち着かず、歩いていても土踏まずや母趾球筋やらがかゆくて落ち着かず、いつもふりふりゆれている、それがデフォルトだとすれば私の脳内映像を構成する仮想の眼球にはなんらかの手ブレ補正機能がついていなければ困るわけだが、先日読んだマンガ『君にかわいいと叫びたい』の冒頭に、「手ブレ補正が武者震いに負ける!」とあって笑ってしまった。そうだよな、補正にも限度というものがある。考えようによっては私は八面六臂の大武者震いを標準装備して日々を暮らしているということで、そうか、つまり私は。

借り物の言葉

フルーツグラノーラの「グラノーラ」ってへんな語感だな、どういう意味なんだろうと思ってちょっと調べるとけっこう込み入った歴史があった。もともとグラニューラという、全粒粉の記事を焼いてくだいた健康食品があり、それをパクって製造して売り出したのがかの有名なケロッグで、ケロッグがあとから訴えられて名前を変えたのがグラノーラだとWikipediaに書いてあった。ふーん。

ところではじめのグラニューラのほうのスペルはgranulaである。あと一文字足してgranularとすると、「顆粒状」という意味の単語になり、これはしょっちゅう組織病理学的な説明で用いている。なるほど、しかし、食べるほうのグラノーラ/グラニューラは、プレパラートを見ているときの細胞質の顆粒のイメージよりもだいぶでかくてモサモサしていて、粒度が違う気がする。でもまてよ、私のイメージこそがずれているのだろう。となると、国際的な場で細胞の性状を説明するときにgranula(r)という言葉を用いてしまうと、私の思い描いていたイメージとは違うものを表現してしまうことになるのかもな。Fine granular patternとか便利に使ってきたけどな。フルグラの雰囲気じゃなくて精製糖みたいなイメージだったんだけどな。フルグラだったのか。借りてきた言葉というのは結局そういうところがあるよな。



優秀な病理医といっしょに顕微鏡をみていると所見のとり方が細かくておもしろい。「この病気は、やっぱり核が特徴的なんですよね」という。「この病気」は、細胞のおりなす構築によって定義されるが、今眼前にある細胞たちは、これまで言われてきた構築とは似ても似つかない……いや、むりに見ようと思えば一部に面影はあるが、こじつけのように感じる。「核? どういう感じですか?」とたずねると、「そうですね、まず、これだけの異型があるのに多型性が少ない」「不同性がない」「そうです。そしてこのような開き気味のクロマチン、核が完全な円形じゃなくて、楕円形だけどすごく細長くもない、扁平率がそこまで高くない」「なるほどそこまでつぶれていない」「はい。そして核にちょっとだけ切れ込みがあって、あと核小体がはっきり見えはするんだけどものすごくギラギラしているわけでもなくて……」「うーむ」。うーむとしか言いようがない。言葉はすべて理解できて、聞いた言葉を元に細胞を見るとたしかにこれまであまり見えていなかった特徴がつぎつぎと顕在化してくるが、そこをそう読み解くのか、という解釈の妙に舌を巻く。眼前に広がる組織病理の風景には、無限の「とっかかり」があって、どこをどのように言語化するかは人間に完全に任されているが、まあ、そんなにひねった読み方をする人が多いわけでもなくて、普通は色が青っぽいとか赤っぽいとか、核が大きいとか小さいとか、クロマチンが多いとか核分裂像が多いといった、誰でも気づいて評価できるような内容に論点を集中させるものなのだけれど、この病理医の「とっかかり方」はより細かく、丁寧で、かつ「言語にすることで確かにそこの差異が際立ってくるものをチョイスしている」ので感心する。

言葉をあてるのっておもしろいな。そして難しい。核小体が「ギラギラ」というのはいったいどういうテクスチャをまとめて表現したものなのだろう。たとえば私はクロマチンのざらつきを「水ようかんのようだな」とか「石の河原のようだな」などと感じることがあるのだがこれらは果たして私以外の人間の頭の中でも同じように再生できるものなのだろうか。クオリア? はっ、くっだらねー言葉、クオリアとか喜んで言ってる奴らは核膜のきれこみに頭をぶつけて死ねばいい。そんな借り物の言葉で、このもやもやの多くを解決したような気になっているなんて、脳がオープンクロマチンなことこの上ないではないか。

それもできればびんちょうがいい

また白目から出血しやがった! ここんところ頭周りもずっと重くて、これはなにか高血圧とか眼圧の上昇だとかそういうものがあるのではないかと気になっていろいろ検査したのだが、すべて異常なし、結論として、「単に疲れている」ということになった。。。。。。なら安心だ! ワァア! 単に疲れている! 「単に」! 因 果 が 単 一 で あ る ! ワァァアアッ! 会場のボルテージが沸騰。矢印が一本で説明できるカスケードがまだ証明されずに残っていたなんて科学史の奇跡であろう。原因が一箇所にあるならそれをつぶせばすべて解決。原因は……疲労! その理由は……様々! グアアッしまったァッ! 一本の矢印をたどってみたらその先にあるはずの源泉が複数あるのかッッ! ところでオッサンの「オ」と「サン」は敬称だから「ッ」だけ呼べばいい、みたいな構文が先日からThreadsではやっていて気持ち悪いなと思う。中年男性だけは差別していいみたいな感覚がある。まあ中年以外とか男性以外に差別が行くよりはマシってコト!? 差別自体がダメなんですケド!? ダメでも世の中にあり続けるものってあるよな。公助と福祉の精神がないまま大人になるとかな。福祉の精神とは! ゆりかごから若葉まで! おいそれ短くねぇか?


ゴミのような報告書を渡された。ゴミ、残滓、さまざまに使われた後のもの、あらゆる報告書は本質的にどこかゴミに近い性質を抱えている。古びて、摩耗して、こすれて、やぶれて、テクスチャがビロードのようになっていて、手垢やほこりがついていて、経年の蓄積を抱えており、手遅れで、懐かしい。それが報告書というもので、やはりどことなくゴミと相似である。報告書を書くというのはゴミ処理だ。リデュース、リユース、リサイクル、リダンダント、リベレイション。大事なことである。報告書を読むというのはじっくり積分されたものを短期間に微分しなおすようなことである。ゴミはくずかごへ。


後任の主任部長が大変優秀で、今は建前上、引き継ぎ期間ということになっているのだけれど、実際には私が引き継がせてもらっているようなものだ。顕微鏡の見方、特殊染色のオーダーの仕方、遺伝子検索結果の読み込みの深度、解釈の広さ、論文化するにあたっての構成のうまさ、展望の明快さ、あらゆる面で、私よりもひとまわり以上優秀な病理医で、本当におどろく。新任地で私は、おそらくいちからやり直しになることだろう。そうしなければならないと思わされる毎日だ。私の脳の、シナプス間隙は塵芥にまみれ、跳躍伝導が足をすべらせる今、物事を学ぶ効率は劇的に低下している。しかし、効率が低下していても物量を叩き込めば最低限の入力量は確保できるだろう……という考え方自体、学ぶということに対する一面的な理解、たった一本の筋道でなにかを解釈しようとするナラティブ型の思考の弱さを露呈してしまっているのかもしれないが。そうも言っていられない。まだとうぶんの間、社会になにかを、誰かになにかを、私になにかをもたらす努力だけでもしておかないとつまらない。私は自らを報告している場合ではない。ゴミにもゴミの燃え方がある。できれば炭でありたいものだ。燃えたあとでもさらに火がついて、遠赤外線によって肉をおいしく焼く、炭のようになりたい。

知って届けて想い合う

役目を終えていくものというのはたしかにあって、それは冷蔵庫ができたときの氷屋であり、スマホが普及してからの町内無線であり、いや、こうやって書けば、読んだ眼球が乾く間もなくすぐに脳内外に反論が展開されていくだろう、まてまて、氷屋の氷でなければ成り立たない割烹やバーというのは今も都内をはじめあちこちに存在するぞ知らないのかとか、地方の漁村などではスマホだけでは連絡しきれない緊急放送を流すためのスピーカーは相変わらず必要だろうバカじゃねぇのとか、そういう、ピンポイントでここには残るよねという話は当然ある、しかしそういうことを言いたいわけではない。「あるかもしれんけどほとんどないだろ」。ある・なしではなく、十分にある・目立たない、のところで線を引く。現実。タモリ倶楽部が取り上げるようなサブカル的マニア垂涎希少残存物という文化の残り方は、美しいとは思うけれど、それはもはや「役目」として機能しているわけではなく、どちらかというと彩り、アクセント、スパイス的に、ピリリと残存しているわけで、それが悪いとは言わない、しかし、「役目」ではないよなと思う。総体としての、総数としての、コミュニケーションの曼荼羅の中で重量をささえ続ける交点としての、重要性というものがなにかのきっかけに急落して、ほとんどゼロに近いところまで落ちていった、かつては「役目」を果たしていたものたちがいくつもあるという話だ。

この流れの前置きの前フリの中で次にいったい何を語るかというと、「医師の個人的な情報発信」である。

「役目」を終えたと思っている。

YouTubeとかTikTokとかで稼ぎになるくらいの量と質の発信をしている医師は今もたくさんいて、そういう人たちはおそらく、「俺達は別にオワコンじゃない」と思っているだろう。しかしそれはその本人にとっての利得がきちんとあるという意味で、まあ、そうだ、うん、よかったねうまくやって稼いでくれとしか思わない。そうではなくて、医師個人が発信することで、世間の雰囲気がちょっと動いていく、みたいな公益に利するほどの「役目」を果たしているかというと、それはもう果たしてはいないと思う。

2020年ころ、ふりかえってみれば、ごく短期間ではあったが、ひとりの医師の誠意と努力が、人々の行動……の手前にあるムードにコミットする瞬間はけっこうあった。それはいい意味でも悪い意味でも、で、ひとりの悪目立ちする医師のせいで界隈の評判ががくんと下がり無駄な論議がばんばん巻き起こるということもあったし、本人のキャラクタは没個性的ではあったがやっていることは確実に社会の木鐸を鳴らしているなんていうケースもあった。でももう、今はない。どちらもない。いや、繰り返すが、個人が稼げるくらいの露出を試みて成功しているインスタグラマーなどはウゾウゾいるのだけれど、「役目」を果たしている人はいない。

個人の手から情報発信における「役目」が離れていった、ひとつの転換点は、尾身茂さんがテレビにもインスタにも同等に出演しはじめたことだったように思う。ちっぽけないち医師が発信するよりも、圧倒的な実績と知名度がある医師・尾身さんが、お金も知恵も十分に注ぎ込んで情報発信をしてくれたほうが何倍も効果的だよなという当たり前のことをまざまざと目の辺りにした。私達は自分でなにかを伝えるよりも尾身さんの発言を理解して拡散する、中継ハブとして動いたほうが圧倒的にいいという当然の理解をぐっと深めた。このころ、業界の裏を返すと、さまざまな学会で、U40(アンダー40:若者という意味)の企画として、情報発信・SNSに関連するシンポジウムが雨後の竹の子のようにぽこぽこ爆誕したが、はっきりいって私達はあのころ、発信の達人になる以前にまずは「受信の巧者」になるべきだと思っていたし今も思っている。「あの医師が言ってんだから信用しよう」の「あの医師」は、学術業績や社会的立場が上であればあるほど効果的(例:尾身さん)だ。泡沫の若手匿名医師アカウントごときが「患者さんに知っておいてもらいたいオトク情報!」なんてやっても意味がない。一方で、「あの医師があの医師のことをいいねと言ってんだから信用しよう」はその後も長いこと有効であった。バズの起点となるのは、発信者ではなくて伝達者であり、見巧者(みごうしゃ)である。それはきっと映画監督と映画評論家の関係のようなものであった。映画作り自体は名のしれた監督が有名なスタジオでやったほうがいいが、それが市民に広がっていく過程では、「お前だれだよ、でもまあこいつの声ってたしかにやけに耳に残るな」という映画評論家が力を発揮する。

あのころの私は拡散の手伝いをすることがおそらく「役目」だろうと感じていた。それはたとえば、公的な場所から発信された強い情報を、医師ならば自分の診察室で、病理医ならば自分に銃口を向けるフォロワー相手に、狭い範囲で、丁寧に受け渡していくこと、それはたぶん、「SNS医師の情報発信!」みたいなレイヤーとは微妙に違うのだけれど、立派に「役目」ではあったと思う。

その後、尾身さんのように公的な立場からきちんと発信をしてじっくりと社会に情報を浸透させようという取り組みは、各方面でさまざまに拡大していった。たとえば気象庁が地震とか台風などのたびに会見をするときのノウハウみたいなものも、べつに医療を参考にしたというわけではなくて同時期のインフラであるSNSなどとのバランスを見たら自然とそこに収斂進化していったということなのだろうが、医療情報の発信様式と同じように急速に整えられていった。また、各自治体が行うワクチン接種のお知らせや、地域検診、高齢者のフレイル・サルコペニア予防のための取り組みなど、「役場による医療活動」みたいなものも、2022年くらいからぐっと専門性が加わって、わかりやすく丁寧に、かつ親切になってきたように思う。こういうものは20代とか30代の人からすると全く目に入らなくて、いったいどこでそんなことやってんの、という感じかもしれないけれど、私くらいの世代だとか私より上の世代の人々は、思い返すとたしかに昔よりも医療系の情報が入ってきやすくなったかもな、という実感はある。まあ、周りに聞いた口コミ程度の話ではあるが、逆にいえばローカルな口コミでも「市が教えてくれたよ」みたいな話が出る程度には、医療情報の発信体制というのは少しずつ進歩している。

一方で、情報のオーダーメード制の向上、悪く言えば分断が進んでいることで、発信側のノウハウは進歩したのに成果は横ばい、ということもある。逆に言えば発信側が進化していなければ絶対に右肩下がりになっていたはずで、まあよく我慢していると言えるのだけれど、忸怩たるものもある。朝から晩まで少数のチャンネルだけで回しているテレビが全盛だったころとはあきらかに異なっている。人はそれぞれ自分で選んだと思わされているSNSのおすすめTLとサブスクという名の嗜好性増幅装置によって、急速に狭い世界で学習された快感ハックに身を浸しているので、全員に広く話を届けるということが極めて難しくなった。タテ割りの行政をバカにしていたころが懐かしい。今や各個の人びとのほうがよっぽどバキバキにタテ割りである。千変万化のコミュニティに属する人びとをいっぺんに相手しなければいけない行政が私達よりはるかに多くの人びととコミュニケーションしているのだから皮肉なものだ。

また、医療系学会の発信はいまだにお粗末である。循環器学会とか耳鼻咽喉科・頭頸部外科学会とか外科学会あたりは、早期からわりと真剣に社会向けの情報整備に取り組んで、見づらかったホームページの改修をしたり、発信のための予算を確保したりという取り組みを先進的に進めていったが、ほかの学会はなかなか追随できない。私は日本超音波医学会というマイナーな、二階建て専門医制度の二階にあるような学会で、広報の予算を獲得してそれを安定化させるのになんと二年かかった。まあけっこういい感じでホームページの改修は進んでいるし動画作成も継続できているので悪くはないけれど。このあたりをもっと包括的に高速化していければいいんだけども、ないものねだりか。

で、こういった状況の中で、じつは公的機関側の発信の一部に、「5年前に個人のSNSで活躍していた医師アカウント」が潜んでコミットしているということがわかってきた。あの有名医療系インフルエンサーもあの炎上スレスレアカウントも、今や「ボーカルを引退して音楽プロデューサー」みたいな感じで後方に回って、学会や市町村などの医療情報発信の手伝いをしていたりするのである。つい軽く皮肉を言ってしまうが業界や社会における「役目」という意味ではかなりいいことで、個人の承認欲求を満たしたり金銭を得たりする目的で内容が薄く映えばかり意識した発信を試みる中途半端な医師アカウントより何倍もマシであろう。

役目を終えてまた次の役目、といえば、なんか個人の道のりとしては失敗がないかんじでキラキラしていて肯定的で、角も立たない、ただちょっとだけ寂寥感もある。あんなにがんばっていたのにな。や、努力を評価してもしょうがない、結果を評価しないとな。




みずからの遍歴をふりかえってみるとどうもあらゆることに対して半端なかかわりしかしていなくて、SNS医療のカタチについても途中から合流してなんとなく途中で離れてしまって、そこにはストーカーのせいでイベントに出られなくなるみたいな事情もあったとはいえ、なんか、もっと、まじめに一気通貫に人びとのほうを向いて、「診察室の延長」のような発信を続けてきた山本とか大塚とか堀向みたいな、すばらしい人間の手伝いをもっともっと、もっとしっかりやっておくべきだったんだけどな、という後悔はある。そして彼らは彼らであの時期の役目を終え、また次の役目に向けて飛翔していく、そのようすを見ながら私もいつまでもワクチンを2倍にして喜んでいる場合ではないのだと決意を新たにする。

よく調べたらこの日は山形で検査系の地方会があるらしい

土曜日の日帰り出張の予定がなくなりそうだ。出張先に台風が直撃するという予報が出ており、水曜日の夜の段階で航空会社から「今なら航空券キャンセルしてもキャンセル料取らんどいたるわ」という通知が出た。飛ばないだろう、降りないだろう、降りたとしても帰りが飛ばないだろう。なによりも、出張先で会う相手に、台風のさなかに職場まで出てきてもらうことがしのびない。リスケジュールが無難だろう。まだなくなってはいないけれどたぶんなくなる。なくなったほうがいい。

先方の代理人に連絡をとってもらって、PCを閉じ、職場の灯りを消して、車に向かっている最中に、しっかり形のある虚無に飲み込まれた。

そうだ、土曜日、やることがない。

最初に思い出したのは、先日私をゴルフに誘ってきた友人の顔だ。次の私の休みは2か月後に半日、と答えて断ったのだが、こうなってくると話が変わる。なにせ、1日、やることがないのだ。今からでも声をかければおそらく私は今週末、生まれてはじめてゴルフのコースに出ることになる。そして私はもちろんそんなことはしないのである。だってゴルフに行きたいなんて思っていないからだ。世間にとって私はいつも働いているということにしておいたほうがいいと思う。お互いにいいと思う。そのことが私を落ち込ませる。私は土曜日に仕事がなくなるとがっくりとして、かわりに遊びの予定を入れるなんてまっぴらごめんだとまっすぐ考える、そのことが私を落ち込ませる。

であれば土曜日は原稿を進めるべきではないか。あるいは喫緊の病理講演や病理解説のプレゼンを作成すればよいだろう。ただ、それもじつはままならない。「人と話す仕事の日」と心に決めてバイオリズムを調整してきていたのに、急にデスクワーク用の自分にフィックスし直すのはそれなりにブレーキディスクに摩擦がかかるしハンドルもガタピシと音を立てる。原稿にしても、プレゼン作成にしても、たとえばある日の午前中にそれをやるとしたら、3日くらい前からその午前中のメンタルステータスを調整するために脳内でシミュレーションをするのが常で、そういう万全の状態でさあはじめるぞの瞬間からロケットスタートのように働かないと私の仕事はうまくいかない。今から急に「土曜日は原稿を書こうか」と思っても体の各所のパーツの足並みが揃わない。「土曜日はプレゼンを作ろうか」と思っても指からクリエイティブの汁が出てこない。まあ、つまり、私は器用ではない。私は適応力が高くない。私はAI的ではない。飛行機の中で論文を書くような医者を見ると感心してしまう。よくそんな脳の切り替えができるなあと感心してしまう。私は孤独のグルメ好きのうるさい中年のようだ。環境が整っていないと味わえない。静かで豊かでないと食が進まない。進化が足りない。成長が足りない。

現時点で最もいいアイディアは、金曜日、仕事が終わってもそのまま仕事を続けるということだ。金曜日の朝から夕方まで普通に働いている状態を「さらに激しく働くための暖機運転」ととらえれば、そのままの勢いで夜から朝にかけて猛烈に働くことはさほど難しくはない。そうして土曜日の朝に帰宅して丸一日寝てしまえば、日曜日の研究会までには回復できる。なんとなくだが、これが一番私らしい「急な休みの過ごし方」であろう。

国宝なんか見たくないのだ。スーパーマンなんか見たくないのだ。鬼滅なんて見たくないのだ。それは1か月くらい前から休みであると確定している休みの日に、ほかの選択肢と慎重に戦わせたうえで、「よし、この日は映画に行こう!」と完全なお膳立てがある状態で取るべき選択肢だ。

旅なんかしたくないのだ。足の向くまま気の向くまま、事前に何も決めない状態でふらりと遠くに出かけたくないのだ。事前に検索もしないで降り立った見知らぬ駅の近くの商店街のアーケードの端っこあたりにぽつんと佇んでいる、ドアがうすく空いて中に数人の先客が見える居酒屋にふらりと入りたくなんかないのだ。それが人間の深み、人生のおもしろさだと信じて疑わない人たちのインスタの構図の一律さに飽きた。

日帰り温泉など行きたくないのだ。ビアガーデンなど行きたくないのだ。海釣りなど行きたくないのだ。サイクリングなど行きたくないのだ。ああ、子どもの部活の応援が、あったころはとにかくいそがしかったけれど、今となっては懐かしく思い出す、ごん、お前だったのか、私をいっぱしの社会人の暮らしにしてくれていたのは。ごんはぐったりとうなだれながらあっちへいけと手をひらひらさせました。台風の接近していない、どこか遠くの場所、直行便で行けて台風の進路とずれている場所に、急な出張を入れられないだろうかと考えてホームページの検索をはじめる。東北、北陸、関西、九州、地方会、8月2日(土)、検索。どうやら、日本脳神経血管内治療学会九州支部会というのが、福岡国際会議場で開催されるらしい。まるで自分の領域と関係ねぇ~~~~しそもそも興味ねぇ~~~~し根本的に病理関係ねぇ~~~~けどまあ俺の仕事なんで全部そうか。これでも行くかなあ。少しはまともな休日になるかなあ。

地方出張の朝

倶知安厚生病院への出張もこれで最後。今後、おそらく仕事のご縁をいただいたとしても、CPCのたぐいならばオンラインが中心となるだろう。あるいは……何年かに一度、講演等で現地に呼ばれることもあるかもしれない。しかし次の職場でもこれだけの移動の手間をかけられるかどうかは正直わからない。これまでが十分におおらかであり、たまたま許されていただけだ。次は無理ではないかと思う。これまでいい体験をさせてもらったし、これまで誰かにいい体験を与えることができていればよいが、と思い、願う。

倶知安に来るたびに紹介されるホテル第一会館は絶妙におんぼろだ。狭い客室の天井には爆音を発するエアコンが、送風口を思い切り壁に向けたかたちで据え付けられており、なんらかの経年劣化に伴うと思われる振動によってかえって部屋の温度を高めているのではないかと懸念される。しかしそれでも室内はかろうじて涼しくなっていた。床はふるびたカーペットで業務用の掃除機でむりやりきれいにしている。冷蔵庫はもちろんHaierだがそこまで古くはなくてむしろがんばっている。給湯器の金具もきれいできちんと取り替えてはいるのだろう。ウォシュレットだってついているのだから日本とはすごい国だなと思う。つまりいやがるような部屋ではないのだ。そのニュアンスを込めての絶妙なおんぼろ加減、愛すべき古宿である。

倶知安市内にはほかに、山に近いところにいくつものリゾートホテルが建っている。スキーシーズンである12月から3月は一泊10万超えは当たり前。下手すると一泊20万。しかもそのいくつかは5連泊以上でないとそもそも受け付けてくれないという。価格的にも使用目的からも日本人には手が届かない。ただし、東京や京都の高級宿と違うのは、夏は良心的な価格、1~2万円程度までがっつりディスカウントするということだ。スキーがないと魅力もないと言わんばかりである。そういった宿に、夏のうちに泊まっておくというのもひとつの手ですよ、いい宿ですよ、と事務方には提案された。しかし、私はなんだかんだで最後の倶知安出張を第一会館で済ませてしまった、その理由はよくわからないが、反骨精神というよりも郷愁に近いものだったのかなと思う。

出張でくるたびに羊蹄山が見えるか見えないかで小さな占いの気分となる。今回はあまり見えなかった。


ここ何年も、出張先で泊まった宿は公開しないようにしていた。理由は単純でストーカーがやってくるからで、「聖地巡礼」とか言いながら私の泊まった宿の入口の写真を撮って病院に送りつけてこられて以来、宿を学会や研究会の会場からなるべく離し、かつ同じ宿には二度泊まらない、学会の会期中も移動ルートを毎日変えるなどの工夫を余儀なくされた。しかし私はおそらくもう第一会館に泊まることはないので今回は公開してよいだろう。世話になった。とりわけ思い入れがあるというわけでもないのだが、なんというか、この宿のことは長く覚えていそうだなと思う。

朝飯会場に行くと、すでにテーブルには宿泊客の数だけの御膳がオープンな状態で配置してあって、「ご飯の置いてある場所ならどこでも座っていいです」という今となっては斬新なスタイルだ。白米と味噌汁はセルフサービスになっていて、自分でよそってテーブルに運ぶ、そこにはすでに配置済みの、3×2の松花堂弁当風のおかずがあって、脂のよく乗った鮭の切り身と明太子といんげん、ところてん、おくらの入ったあえもの、卵どうふ、ひじきの入ったあえものなどがちょんちょんと入っており私くらいの年齢にはじつにちょうどいい量である。白米のそばには納豆や海苔もあったので足りない人はそうやって腹を満たせばよい。コーヒーやお茶のたぐいが見当たらなかったがおそらくどこかにはあったのだろう。私は窓際の座席で7時に朝食とする。すでに幾人かの人々が泊まっていた、おそらく全員が日本人で、その半分くらいは近くで土木・建設に従事しているであろうがたいのいい男たちであったが、女性客、老人なども宿泊しており、火曜日にしてはけっこう使われているのだなと感心をする。誰かのLINEが小さく鳴る。私と同じ着信音なのでつい自分のスマホも確認してしまう。まだ10分も経っていない。朝食を取り終えたら自分の車で札幌に向かう。今日はこのまま出勤する。倶知安厚生病院への出張はこれで最後。おそらく最後だがなんとかまた理由をつけてここに来ることがあるだろうかと思いつつ、ラジコでバナナマンのバナナムーンゴールドを流しながら私は札幌へ向かった。

病理医ヤンデルの病理トレイル

自分がブログに書いているものの文体が、近頃、少し変わってきたように思う。もともと私の文章は、わりと長時間煮込んだスープみたいなものが多くて、具材がくたくたに溶けて、歯ごたえはなくどろどろで、水が飛んだ分塩分濃度が高く、一部のビタミンは破壊されている。それがコンソメのようにきちんと味の調整をされたものであればいいけれど、実際には闇鍋のブイヨンみたいになっていたりする。味見してなにかを思ってもいまさらどうにもならないから完成とせざるを得ない。がっかりシチュー。ちなみに元来の自分の好みとしては、コトコトじっくりデミグラス文章よりも、ポトフとかスープカレーのように具材の触感が残っている文章のほうが好きである。だからだろうか、脳から出てきた文章が、指先から形になっていく過程で、さらに具材を足しにかかってしまう。それはつまり3日煮込んだビーフシチューの中に揚げ焼きのズッキーニやじゃがいもをゴロンゴロンぶち込んでいくようなことで、あとから入れたエリンギはがんがん水分をはじいてそこだけ合成画像みたいにテクスチャが変わる。つまりそれが私の文体であった。さすがにそれだと人は読みづらい。だからかつては、いちど入れた具材をふたたび取り出すという、残念なだしパックみたいな書き方をしていた。結果的に味のコントロールが難しくなってかえってぼやけて、あるいは皮だけ残ってびっくり、ということにもしばしばなっていた。しかし近頃は、その残念具なしシチューの様相がまたちょっと変わった。まあ自分で自分の書いたものを自分の見たいように見ているだけのことなのだけれど、今はどうかと言うと、追加具材を取り出さなくなった。がっかりシチュー具マシマシ。さらには盛り付けにも興味をなくした。底の深い鍋から皿に適量を移すことなくそのまま食卓にあげている。料理好きだが料理上手ではない、ああ、これはジャイアンシチューだ。ジャム、たくあん、セミの抜け殻。


完璧な裏ごしをしたポタージュなど出そうと思っても出せないし、いっそ、裏ごしをしたあとの布を公開したい。だめな欲望のクリエイティブだけが高まっていく。


売れている文章を読むと気分がよくなる。見事なもんだと思う。そしてさほど売れていなくても素朴な文章を読むと心地がよくなる。滋味深さに頭が下がる。そのどちらかを狙って書いて練習していたら、私も今頃、そういう文章を書けるようになっていたかというと、ムリだったと思う、文章というのは誰にでも書けるもので、裾野が広く、しかしだからこそ頂きは高く、努力でぐんぐん上がっていけるものだとは全く思わない。そんなに甘くない。しかし、だからと言って、私はもう少し、ちゃんと登山の経験をしておいたほうがよかったかなとも思う。山頂までは行かずとも、7合目の山小屋でカップラーメンを必要以上においしく食べることもできたろう。それをせずに私は、どうやら山の「うなじ」の部分を撫で回すようなルートを選んで山脈から山脈をびゅんびゅん通り過ぎるようなトレイルランニングをしてきた。はあはあ息を切らして走っているからあまり風景なども見ておらず、過度な運動でむしろ心臓や骨盤や膝の靱帯に劣化を招いており、ソルボセインのソールを通して伝わってくる土の感触を「これよ、こうじゃなけりゃよ」なんて、水タバコにおぼれる外国の田舎のガサガサすぎる肌の老人の声で過剰に評価して悦に入っている。


いまさらトレッキングにもガチ登山にも行けるものではない。しかしワンダーフォーゲル部の打ち上げの飲み会を横で見ていたいくらいの昏い欲望はいまだにくすぶっている。


文章は自分の鏡ではなく煮こごりである。先日、YouTubeでサンキュータツオさんが職人にインタビューをする風景の一部を流していて、そこでは「魔境」を作る日本最後の職人が、毎日こつこつと鏡を磨き込んでいて、ああ、このような一念の使い方、盛り込んだり煮詰めたり古ぼけさせたりするのではなく、唯一、研磨するという様式で、私も自分の文章を磨き研ぎ澄ませていれば、今頃、ふだんは飾り鏡のように振る舞いながらも適切な確度から適切な光量の太陽光をあびせると反射光にマリアが浮かぶ、そんな文章を書けていたのかもしれないと思ったが、まあ、研磨っつったってな、自分で自分の文章を削り込んだところで削りカスを吸い込んで自家中毒になるのがオチかもしれないな。しかしいくらなんでももうちょっと、研いだほうがいいのかもしれないけど、残念ながら肘にヤを受けてしまってな。

MABOROSHI IN MY BLOOD

ビアガーデンに行きたいのだが今年は絶妙に私と妻の予定が合わず、もしかすると久々にビアガーデンなしの年となるかもしれない。まあ、別に、ビールなんて家で飲めばいいのだけれど、ビアガーデンのビールは味とか値段とかとはちょっと違ううれしさがある。ちなみにそれは必ずしも大通公園である必要も夏である必要すらもなくて、たとえばオータムフェストの屋外飲みでも飲んでしまえば同じビールだ、でも、なんだか今年もビアガーデンに来たねえと言ったほうが、言えたほうが、いろいろちょっとだけ豊かなんじゃないなかと思えてならない。クリスマスだとかバレンタインデーだとか、正月だとかお彼岸だとか、月見だとか花見だとか、そういったものに古来ひとびとが絡め取られてきたことを、是ととるか非ととるか、私は今のこの年齢においては是ととっている。おそらく非とすることでSNSでなにがしかのいいねを集めて金にかえたがる人も一定数いるだろう。あるいは単純に人のさだめた定例のなにかにかかずらうこと自体にストレスを覚えるタイプの人もそれなりにいると思うしかつて20代のころの私はたしかにそうだった。嗅神経の感覚が麻痺してきたのかな、と思う。人のにおいというものに鈍感になってきた、あの、かつて感じていた、くさい、くさい、人とはくさいものだ、という強迫観念のような呪いのようななにかは、影を潜めた。それは私にとってはおそらく救いであり赦しであった。歳を取るというのはけっこういいものだ。


とはいえ悲しいのはステーキに対する愛情を忘れてしまったことだ。若い頃は「そうまでして高い肉を食わなくてもいくらでもほかに腹が膨れる方法はある」ということでさほど食ってこなかったステーキ。今は胃のほうで受け付けないので、結局私はこのまま、ステーキのよさを満喫しないままに人生を通り過ぎていく。私という筒にステーキを通さなかったことを、私はいつかいなくなるときに後悔するだろうか、しないだろう。別にどうでもいいもんな、即答できる、けれど、若いころの自分はおそらく、「いつかステーキも気軽に食えたらいいな」くらいのことを、トータルで10日くらいは考えていたはずである。それが叶わなかったことについて、正直に言うと、悔みとか悲しみではなく申し訳無さを感じる。「いつかきっと」を叶えてやれなかったことに。ほか、満漢全席とかニューヨークのミュージカルとかモルディブの高級ヴィラ宿泊など。それぞれ、「食いきれない」「おしっこが我慢できない」「日焼けしてまで海に長いこといたくない」という理由で、今の私には魅力の矢が貫通しない。失敗したなと思う。若いころの自分に送金したい。それがいかに無駄に使われようと、キャリア形成や資産の蓄積になんの役にも立たなかろうと、体験として自分の礎となることなくうっすらぼんやりとした喜びだけでさっさと忘却の波に飲まれてしまおうと、「若い頃に背伸びしてとんでもないことをやった」という記憶に具体的な記述が一切加わらなかったとしても、それはおそらく、私の中の大事なコアをやさしく愛撫してくれたはずである。失敗したなと思う。いや、今は別にもうそれらに魅力は感じていないのだ。そういうことではないのだ。今の私がそれらをやったからといって、ほんとうに、ああ金を使えたなあよかったなあという満足感と、実際に口座の金がギュンと減る辛さと、つまりはそういうアンビバレントの峰のエッジに立つ倒錯的なよろこびこそが大人の嗜みだ、とかいうマジで陳腐な話になってしまうのであって、そんなの激辛タンメンを食べれば98%相同くらいの愉悦を得られてしまう、プラクティカルな喜び、マゾヒスティックな喜び、ブレンド悦楽、「その程度」のものでしかないだろう。でもだ。それでもだ。当時の私にとっては、それらはきっと、単なる形骸的なあこがれなどではなくて、体感するやいなや、as soon as 体感、頭蓋骨がウニの形状にスパークして世のさまざまな情念の放電の避雷針となって、私は長らくエネルのように帯電した。電撃的でありながら持続的なしびれあがり。それを当時の私はあるいはなんらかの手段で獲得できたかもしれなかった、しかしもちろん、しなかった。そのことに対して、わりとまあ、ごめんねという気持ちがある。自分で。自分に。いやあ、やれなかったろうけれど。やらなかったろうけれど。それでもだ。


さあ、私は当時の自分の、理想的ではなく代替的であったろう体験の数々を、すっかり忘れてしまった。剣道は……していたはずだ。旅行は……さほどしなかった。酒は……似たような場所でよく飲んでいた。人の顔が思い出せない。ゲームとか、よくやっていた。なにをやっていたころだろう。ドラクエか? いや、違うようにも思う。具体的になにをやっていただろうか? 私は20代に、いったいなにをしていたのか? いよいよ何も思い出せない。仮に、思い出したとして、それは今の私からすると、満漢全席と同じくらい胃に負担がかかり、ミュージカルと同じくらい前提情報と雰囲気の外圧が厳しく、モルディブのヴィラと同じくらい他人の言葉と他人の資本による体感の押し付けであったろう。つまり、今から見ると当時やっていたこともじつは全部いっしょなのだ、満漢全席とミュージカルとヴィラといっしょなのだ、何もかもが矮小で、腹部膨満感を誘い、自己完結的で、それでいて他者の評価に相乗りするかたちでしか達成度を得られない、愚かな相対化を用いれば対して差のない、乱暴にいえばそれはすべて等価な、私にとっての確かな現実、エビデンスに放屁するエクスペリエンス、理路があちこちつながっていないのにスーパーマリオのように一直線にBダッシュして、「あれでよかった」という一元的なポールに向かってジャンプして旗を降ろして城に入って残り時間をスコアに変えていこう。ああ、そうだ、ライジングサン・ロックフェスティバル、ZAZEN BOYS第一ライブ、笑っちゃうくらいに毎日同じ。あのころの私のどうしようもない繰り返しの、インスタのない時代のインスタ映えしない風景の、SIGEKIがほしくてたまらなかった、何もかもアンコントローラブルな、定型的な、お仕着せの、埋没するような毎日を、それでも愛そう(白ひげ)。やっぱりビアガーデンになんとかして行けないもんかなあ。

ネタバーレー

次から次へとCPCである。退職する前に今年度ぶんのCPCをやりきっておけば後任の主任部長が多少は楽になる。そんなことは大きなお世話、という気もする。局所の熱にかまけてちまちま狭い範囲で首を丸めて手を加えているような。大草原の真ん中でバーベキューの炭のひとつをしっかりと熱くすべく必死でうちわを仰いでいるが、背中をおおらかな風がいつも吹き抜けていて私の汗を冷ましていくような。私の腕の筋肉は、おそらくこうして屋外でうちわをばたばた振動させるために存在し、やりきったという感覚を抱えていずれ忘れていくだけの、エントロピーが一瞬スンとなるための踊り場のようなものである。そういうものにやりがいとか生きがいといったものを感じるように脳が調整されている。

まあよい。それはわりとうれしくて長続きする心地よい夢だ。





伊藤園の「むぎ茶」のパッケージに、「ギネス世界記録 麦茶飲料販売実績 日本、世界、No.1」と書いてある。日本でナンバーワンなら世界でもそれはナンバーワンだろう。だって麦茶だぞ。いかにも日本人しか飲まなそうではないか……とここまで考えたところで、そもそも、麦茶って大麦の茶だ、だったらなぜ日本でばかり飲まれているのかと不思議に思った。大麦はメソポタミアでも中国でも作られていたというし、かつては米の代わりに食べられていたほど一般的な穀物だったから、かえって茶にするという文化がなかったということか。調べてみると、イタリアやスペインでカッフェ・ドルゾやアグア・デ・セバダと呼ばれている飲み物が大麦を用いていて、カッフェ・ドルゾのほうはどちらかというとコーヒーの見た目なのだがアグア・デ・セバダはわりと麦茶に近い。まあそれはいいのだ。あるにはあるということだ。しかし、問題は、くりかえすが、なぜ日本の麦茶ばかりが夏の定番の飲み物として抜群の知名度と売上を誇るのか。ひとつひとつの文化をいくつか深堀りしてみたがなかなかよくわからない。「なぜ麦茶に限っては、日本でナンバーワンだと世界でもナンバーワンだろうなあと、私が納得してしまう程度には日本の夏の代名詞となり得ているのか」。このなぜを気持ちよく解き明かすことはなかなかできなさそうである。

比較というのはむずかしい。対比となるとさらにむずかしい。麦茶のなりたち、文化の歴史、メーカーの思い、錯綜する背景情報などをいくら調べても、「だから、その麦茶がなぜ、ほかの国ではなく日本でこんなに地位を確立し、ほかの国では同じような飲料にたどり着かなかった、もしくはここまで流行らなかったのか」という話にはなかなかたどりつかない。AIにちょっとたずねれば仮説はいくらでも出てくるが、それらは「そうでなければなかった理由」を決して内包しない。偶然そうなったとしかいいようのない歴史のあやみたいなものがじわりと感じられる。結局人間のたどり着ける理屈ではなくて神様がすべて決めているんだといいたい人々に、自信と安心を与える結果となる。麦茶の日本における優位性を調べているうちに、神を信じる人々が世界にこれほど多い理由がなんとなく読めてくる。

そして私は麦茶のことを延々と調べながらいつしかバーベキューの火起こしをしているような気持ちになった。地平線が見えるほど広い草原にはテントが散在していて、バーベキューコンロもいくつも見えていて、キャンプファイヤーだとかピザ窯のようなものも遠目にわかる。火はいつもどこかにあって、常に誰かが何かを焼いて憩っている。そんな中、私は、自分で起こした火を使って自分で持ってきた肉を焼かないといけないという使命感に駆られて、気持ちいい風がずっと吹き抜ける中で汗だくになりながら炭にうちわで風を送っている。この火がつけば私は周りと同じことができるのだ。そこに新規性はないし独創性もない。でも自分の手元にある火は自分になにがしかの効力をもたらし、それは同時に世界に対するある種の抗力にもなっていて、どうせあと数時間もすれば私はこの炭を砂にうずめて就寝することになるのだけれど、それでも今、起きている間だけでも火をきちんと起こして何かを焼いてビールでも飲みたいなと、ああ、そうだ、ビールは大麦で作るんだったな。

おかね2000円しか払ってない気がするけど大丈夫だったのか

懇親会の3次会がひたすら寒かった。気分が、ではなく室温が。クーラーが効きすぎていたという話ではない。機能として寒さが必要な場所がまずあって、縁あってそこでたまたまお酒を飲ませていただいている、というシチュエーションである。クーラーの設定は絶妙なのである、ただ、その気温が決して人間向きではないというだけで。すなわち我々が訪れたのはワイン屋だ。左右にうず高く木箱が積み上がっていて、中はワインセラーの温度に調整されていて、本来であれば業者の人間が短時間入ってワインを出荷してまた扉を閉めればいいものを、なぜか、積み上がったワインとワインの間の、隘路とでもいうべきスペースに簡易なテーブルが1つあって、8人くらいなら座れる、みたいなことになっていて、そこにもの好きが座ってワインを飲んでしまうという話なのである。懇親会を企画した大会長はうれしそうに、「寒かったらそこの上着を着たらいいよ」などと言う。果たしてそっちを見てみると、ワインの箱と箱の間に、雪かきするときに着るような大柄のベンチコート的な上着があるので笑ってしまった。今日、昼、気温は35度。しかし今、私、寒い。10度くらいではないかと思う。そのギャップにまた笑ってしまう。笑っているとすこしだけ体温が高くなってちょっとだけ耐えられる。始終笑っていられるようにおもしろい話をする。人間、そう簡単におもしろい話は出てこないが、今の我々は人間ではなくワインなので、おもしろいネタが次々とプルミエしてクリュのだ。ていうかこの店、冬にくれば自分の上着で十分楽しめますけど、夏に来ると地獄ですね。それがいいんじゃないか。なるほど。あっはっは。どれがだ。

同席した病理の教授のひとりはしきりに、「今地震が来たらこの箱が倒れてきて私達は死ぬけどそれも本望だねえ」と言う。本望ではないのでかんべんしてほしいですねといいつつ、私もなんだかちょっと乗せられて、木箱のラベルを気にしてみるけれど、書いてある銘柄はひとつも知らなくて、知らないワインに押しつぶされて死ぬのはいやだなあとひとりごちる。ちなみに私は20代の頃には何度かワインを試してみたけれど、結局いくつになってもビール党なので、こんないい店に来て味わっても本来のワインの底力を感じられるだけの教養がない。ただ仮に、今日の私がワインの達人だったとしても、もう3次会で十分にアルコールは回っているので、どっちにしても味はわからない。めずらしいな、日が変わるまで飲むなんて。今年の3月、大塚製薬の作ったアプリ「減酒にっき」をつけはじめて、平日はお酒をやめてみたらそこからの4か月で体重が5キロ落ちたので、なるほど私はビールで太る体質だったのだなと納得し、ていうか酒ってべつに飲まなくても人生楽しもうと思えばなんとかなるなということもはっきりとわかったが、とはいえたまにこうして出張先で飲んでみるとそれはそれでおもしろくて、人間、からっと悟ったりシャキンと上がったりはできないものだなと思う。しかし出張先で飲むこと自体がよく考えると久しぶりだな。ちかごろは日帰りのほうが多かったもんな。東京ならまだしも、乗り継ぎで訪れた場所から日帰りするのはなかなかしんどいものがある。あと2か月くらいはこのペースで出張を繰り返す。

人生の中で一回くらい、どんなちっちゃなものでもいいからパラダイムをシフトしてみたいよねえ、みたいなことを言う人の横で酒を飲んでいる。分類、定義、手さばき、学問、自然科学と哲学の腐れ縁みたいなことを語れる人の前で飲んでいる。ワインの味はわからないし達人の話もわからない、しかし、強いて言えばどちらかは味わうくらいはできるのではないかと考える、今の私は、達人の話が多少はわかるようになってきた。それはおそらく、ワインはもちろんのこと、ウイスキーよりも、ビールよりも、毎日こつこつと仕事を飲んで来たからで、さすがにこれだけ飲みまくってくれば話のひとつもわかろうというものだし、仕事が大と積まれた倉庫の中にいるときに地震が来て仕事の入った木箱につぶされて死んだらそれはたぶんワインにつぶされて死ぬよりも圧倒的に本望だろうな、みたいなことを一瞬考えたけれど心の中のサンボマスターが、悲しみで花が咲くものかと叫ぶんですよね。

アリーナのうちわに手を振る講演者

今週末のふたつの講演、ひとつは現地オンリーの学会、ひとつはハイブリッド形式(現地+収録して後日オンデマンドで視聴可能)だった。聴講者の立場からしてみると、所属している学会全部にえっちらおっちら通っていたら、へそくりまですっからかんになってしまうわけで、基本的にはオンライン開催のほうがありがたい。しかし、学会運営の側に回って考えると、なかなかそうもいかない。ハイブリッド形式の運営にはけっこうな金と手間がかかる。先立つもの。夏は金。手間のころはさらなり。闇もなほ。

金集め。金集め。学会の年会費と参加費によってまかなえるほど甘くはない。たいていの学会の大会長や実行委員長は、開催の一年くらい前から、学術的なセッションの構成を考えるのもそっちのけで金集めに必死だ。というか、大会長が学術のことだけ考えているパターンだと本当に金集めが間に合わないので実行委員長の体重が目に見えて減っていくのでよくわかる。士族の商法という言葉が脳裏を反復横とびする。カギとなるのは企業協賛だ。しかし、今の時代、医療従事者に企業がポンポコ打ち出の小槌みたいに金をふりまくわけもなく、彼我の論理がきっちり噛み合わない部屋、何も起きるはずもなく……。

製薬会社や機器メーカーが、湯水のように医師に顎足枕の投資をすっぽんすっぽん大盤振る舞いする下品な時代は終わった。終わってよかった。学会の交流会場に仏閣みたいなドデカブースを建立して参拝客にCOIと印字してあるUSBフラッシュメモリを配って中を見るとグラビアアイドルが薬の宣伝をした動画ファイルがいくつか入っていたなんてこともあったという(『医療の下半身』民明書房刊)。バブル経済のムードといえばそれまでなのかもしれないが、迂闊で粗忽なネットリ寝技の「さじ加減」が診療にも研究にも有効であった側面がかつての医療にはあって、それで回っていた手練手管の半分くらいが現在エビデンスによって殴られ無効化しているのは当たり前体操夏休みスペシャルロングバージョンである。ちなみに、アメリカではいまだに学会のたびに巨額が動いており、学会会場は宣伝合戦、招聘講演の講演料は万ドルのレベルもざらではなく、特に、セッションのどこかにおざなりにIoTとかAIという言葉をかませる(例:AI時代の病理診断(藁)(爆藁)(爆藁ってそれ野焼きに失敗してんじゃん)と、途端に股間に角を生やしたユニコーンがパカラパカラ集まってきて猛烈な勢いでドブを清流に変える角を光らせてバスタブに金を満たして下膨れの男性とグラビアモデル(3名)を放り込んでコロンビアのポーズをさせてポスター貼り逃げで観光に行こうと思っていたアジアの観光医師たちを虜にしてしまう。金がある人が金がある人に治療を施す医療ビジネスのすべてを否定したいとは思わないし、人類のニーズがそこにあるならやればいい、山があるなら登ればいいと思うけれど、それにしても、極端がすぎる。自己肯定感高め医師が「アメリカの学会のありようが理想、学術の発展のためにたくさん集金できないと日本の学会は終わる」みたいなことを平気でSNSに書いているとさすがにすり足で後退りする。塩分とか糖分とか控えすぎて味わいを失ったサラダチキン的人生を金メッキするためにフーターズ化医療を推進するのもほどほどにしてもらいたいものだ。

と、私を含めたたいていの人が思っているせいで、日本の学会の多くは、当然のように素寒貧である。中庸とかないのか。レシピの「適量」にキレるタイプか。今はやりの「選挙前だけ偉そうなことを言っていざ国会に入って政策を提案しようと思うと勉強会で無知をただされて結局減税も増税も簡単にはできないことに気づいてしまう40代若手政治家」とおなじことだ。金満学会を外から否定するのは簡単だ、しかし、実際に学会を運営しようと思うと「じゃあ、どうやって、インがめっちゃバウンドしたこの時代に超高額会場レンタル費を支払うんですか」という根本的な部分で沈黙せざるを得ない。エバー、内蔵電源に切り替わりましたが昨日充電しないで寝ちゃったので活動限界まであと300ミリ秒です。

で、そんなこと、学会運営側はとっくにわかっているのでがんばって金集めをするのだが、これがまあ、なかなかうまくいかない。特に、「ハイブリッド」とか「オンライン重視」の学会は、やばい。どこの企業も協賛することにあまり魅力を感じない。

企業にとって、「現地会場にやってきた医療人に、なんらかの体感を与え、会話をし、薄くても浅くてもいいのでとにかく関係を築く」ことができないなら、それは協賛する意味がないのだ。オンライン中心の学会では、配信の合間にCMを流してもどうせ誰も見ない。協賛金だけ吸われてまったく営業効果がない。どういうことか。話はそれるが哲学者とか批評家はめちゃくちゃ「どういうことか」を使うけれどあれダサいからやめたほうがいいと思いますよ。話を戻すが、どういうことかというと、学会を現地会場オンリーで運営するよりも、ハイブリッドで/オンライン重視で運営したほうが、聴講者は喜ぶがめっちゃ金はかかって、しかも企業は、オンラインの会には金を出したくなくて現地オンリーのほうがまだ協賛しがいがあると考えている。需要と需要がごっつんこ、おでこから血がじゅよぅっとにじみ出る。

まあそんなわけで、金満学術集会なんぞやりたくないのだが、費用の調達を怠る学会はそもそも先行きが厳しいし、現地でやって金をあつめてその分オンラインでがんばるみたいなことはマニフェストとして語るのは簡単だし票も集まるが実現性はないので八方ふさがり、何も起こるはずもなく……。

という、今の時期を象徴するようなふたつの形式、現地オンリーの学会とハイブリッドの学会をはしごして、片方は膵臓の細胞診の話、もう片方は肝臓の画像と病理の対比の話について講演をしてきた。4階席に向かってファンサをしたり会場のウェーブにあわせて私も揺れたりと忙しく、どちらの講演も、きっかり3分ずつ時間オーバーして、私は本当に、いつまで経っても講演がうまくならないなあと思った。

クマに注意してください

三角山でクマが出たと聞いて仰天する。すすきのから歩いていける範囲だぞ。びっくりだなあ。しかし、待てよ、そういえば。

Googleマップ。




すすきの交差点をスタート地点として、三角山まで歩くと1時間49分と出る。歩いていけるというのは若干大げさだった。

そして思い出す。「三角山はすすきのから歩いていける場所」とインプットされるきっかけとなったできごとがあるのだ。

25歳の誕生日だった。私はそのころよく通っていたバーで、バーテンダーにのせられて、25歳だから記念に25年物のウイスキーを飲むぞとか言いながら、度数の強い酒を何杯か飲んだ。カルヴァドス(りんごのブランデー)など飲んだのはあの日だけだ。終電がなくなり、歩いて自宅まで帰ろうと(それもどうかという距離だ)、すすきのからまずは西のほうに歩いた。そして気づいたら知らない住宅街の、少し坂になった道の、ガードレールの上に腰掛けて寝ていた。

夜が明けかけて、空気はひんやりとした。現在地がわからず、まあ、坂なのだからひとまず降りようと思って、ふらふら歩き始めたのだがなかなか平地にたどり着かない。かなり歩いたらいわゆる碁盤の目っぽい町並みが出てきて、信号に表示されていた住所を見て、振り返るとそこはつまり三角山なのであった。

上で示したマップのルートのように、私は、すすきのからまずは西に歩いて、ドコソコ通りで曲がるつもりで、「曲がって」のところで曲がらずにずんずん歩きながら寝落ちして、寝ながら歩いて山登りに突入していたということである。

今、こうして思い出して書いているとなんとも情けない。もし仮に、自分の息子がこんな生活をしていると聞いたらがっくりと肩を落とすし、育て方を間違えたかと自分を問い詰める。しかしあの頃は、これをそこまで問題にも思わなかったし、なんなら武勇伝だとも思わなくて、ちょっと奇妙で間の抜けた「落語の失敗談」くらいにしかとらえていなかった。

視野が狭いとか思考が浅いといった「足りなさ」で当時の自分を語ってもよい。でも、なんとなく、あのころというのは、世界がどんなふうにできていて、どれくらいのことをすると殴り返され、どれくらいだと生暖かい目で見守ってくれるのか、その加減を探っていた時期だったのかなと思わなくもない。

学生街の雑居ビルで朝までだらだら酒を飲みながらサザンばかり流れている店内で店主にたしなめられていた頃の私。おそらくたくさんの人に迷惑をかけたし失礼なことも言ったし意味のない駆け引きをしたりいらない物を買って捨てたり脈絡のない思い出を作ってすぐに忘れたりした。それが役に立ったかどうかという話ではない。ただ、なんか、そういう、波が寄せては返すような感じの出し入れのころ、私はたしかに幼くて、でもその行動は今の価値観で測ってもどこかずれてしまうような気がする。

あらゆる行動の原理とか理由が、勝手に周りによって開示される社会性に暮らしている今、過去の自分のふるまいを「こうだったからだろう」と解釈しようと思えばできてしまうし、ネットに書こうものなら運が悪いと本当に、よってたかって解釈されて採点されてしまうだろう。でも、なんか、そういうものでもなかったのだろうなと、まだぎりぎり覚えている質感の記憶みたいなものが、蓋を開いて名前をつけようとしている自分を押し留める。




とはいえ今、もし息子が同じことをやろうとしたら止めるし、やったら怒るだろう。なぜならクマはあぶないからだ。

研究をしよう

朝起きた瞬間に鳴っている音楽というのはどうにもアンコントローラブルで、サカナクションだとか米津玄師のようないかにも「頭にこびりつきそうな曲」ならばわかりやすいし、BABYMETALだったりJUDY AND MARYだったりするとおっどうした何の夢を見たんだと懐古主義的大脳旧皮質になんらかの気配を感じ取ったりもするのだけれども、ダンバインのOPテーマだったりがんばれゴエモン2奇天烈将軍マッギネスの城の音楽だったりするともはや困惑する。睡眠中の脳の活動の途中から、覚醒に伴い急速に因果の世界の辻褄合わせがはじまって、トンと着地する場所がオーラバトラー、それってどういうこと、AIにたずねてみればそれはそれでわかりやすいひとつのストーリーを捏造してくれるのだろうけれど、実際にはセル・シグナリングのパスウェイを図示するくらいの雑な近似にすぎなくて、私達はみな、遠因はわかるけれど原因はわからない世界にこびりついた油汚れのようなものなのだ。

とはいえ何もかもを複雑系のわからなさに持っていくのもほんとうは違っていて、たとえば音楽理論のようなものをしっかりやると、私が朝目覚めたときに脳内でリピりやすいタイプのリズムとか構成といったものにある程度の共通点があって、それはBPMとか調といった人間が測定のために設けた基準では到底語りきれないものなのだが、聴く人が聴いてセンモンテキによく考えれば、「なるほど、あなたの脳はこのタイプの共振を求めて朝方に自動的にこの音楽を鳴らすタイプなのですね」と納得してもらえる、そういう可能性もけっこうあるんじゃないかなとわりと真剣に考えている。

およそありとあらゆる研究というのはそういうものだ。「複雑すぎるから考えても無駄」と、世の大多数の人間が納得できてしまう程度には込み入ったものを、長い年月と深い執着によって見て、見すぎた、白目をバキバキに血走らせた好事家たちが、言語よりももうすこしコミュニケーションに向いていなくて、言語よりももうすこし解析に長けているなんらかの別の持続的インスピレーションをふりかざし、古い腕時計の機構を、伸ばしたクリップの先だけでほじくりかえして清掃してしまうように、「えっそこにストーリー浮かび上がらせられるんだ、ん、全部ではないんだ、なるほど、でもそれ使いやすいんだ、そして再現性もあるんだ、へぇすごいね」というかんじで進めていくものだ。

思えば誰がしゃべるどのような言葉にも表層的で通俗的な字義というのがあって、それはつまり、ある言葉に対する親密度が高い人にも低い人にも共通して納得できるだけのゲシュタルトを、有限の組み合わせの出力項にすぎない文字の羅列がまとっているということであって、それは本当に見事なものだと思う。でも、もっといえば、どのような言葉にも、私達が共通して納得している部分以外に、おそらく私達が自覚できない固有の雰囲気とかオーラとかスピリチュアルコーナーみたいなものが、あらゆる言葉の、内部、字と字の間、文字の見た目と音声の聞こえ心地のバランス、言葉の歴史や使われている状況の蓄積、誰がしゃべったか・どこで聴いたかといったメタ情報なんぞに細かく散りまぶされていて、そこはもちろんきちんと複雑系になっていて、「人の脳ではわからん、読み解けん」というレベルの複雑性を持っているのだけれど、でも、理屈はわからないが雰囲気でなんとなく組み合わせてこっちのほうがおさまりがいい、耳あたりがいい、みたいなことを、ちょっと自己満足的に、ちょっと幽玄な感じでやってきたのが詩歌だったりエッセイだったりするわけで、そうやって、理屈も構造もわからないがプロダクトのよさそのものはなんとなく人が触れたり感じたりできるというのが、おもしろいところだと思う。

つまりこの世の全部は、全部はわからない。

しかしだからといって、わからないから私の知るところではないとばかりに背を向けてしまっては、まだ聴いたことのない音楽に心を震わせる体験すべてを門前払いするような、もったいないことになるのではないかと思う。だから、とはいえ、しかし、それでも、私たちはおそらく、因果の読み解きなんてできないとわかっていても、因果の一端に指をすべらせるように研究をするべきなのだと思う。