ダラダラし隊

今年も夏休みをとらないまま秋を迎えたが正月は休もうと思う。テレビでも見てダラダラ過ごしたいけれど、ここんところテレビを見てダラダラし続けることがむずかしくなった。理由のひとつはテレビ番組のスタイルの変化だ。もっとダラダラ過ごせるようなテレビ番組があったらいいのだが、ネットサービスに客をとられるのが悔しいのだろうか、TikTokみたいにころころ展開が変わって落ち着かない番組が増えていて、たぶんそれでも視聴率的には苦戦しているのだろうと見えて、短いスパンでどんどん番組が終わっていくのでなかなかこれぞといった番組を安定的に見続けることができない。「居間」として長らく君臨してくれるようなタイプの番組があったらいいのだが。有吉とマツコがずっとぐだぐだしゃべってるあれを36時間くらい放送してくれていいんだけどな。水曜どうでしょうのアーカイブをぜんぶ見るくらいでいいのかもしれないな。とはいえダラダラ作った番組はそれはそれで微妙なんだよな。なぜかテレビの世界では50年くらい手を変え品を変え保持されているジャンルとして、「芸能人が自分の歌じゃない歌を歌う」という、カラオケボックスの大部屋を配信してるだけみたいな番組があるけれど、ああいうのは苦手でいつもチャンネルを変えてしまう。陽キャを避けて家にいるのになぜ家で陽キャのパーティを見させられなければならないのか。これ、昔は賛同をあまり得られなかったけれど、今ならかなりの人が「ヒッパレとか最悪だったよな」という私の意見にある程度同調してくれるのではないかと思う。まあ、でも、「えっあれ好きだったよ」という人を個別に殴ろうとまでは思わない。個人の嗜好性の話だ。

いっそのことスポーツずっと流してくれたらいいのに。高価な配信機材で映像と音声のクオリティを保ちながらリアルタイムで全国どこでも同じものを特に追加課金なしに楽しめるというのが現在テレビに残された最強のメリットであろう。たくさんのスポーツ、たくさんのリアルタイムコンテンツを正月には享受したいのだがさて今年はどうなることやら。野球やサッカーやラグビーや駅伝じゃなくてもいい、きちんと解説がついたスポーツならなんでもいい。百人一首だって解説さえあれば楽しめる。そういうのはケーブルテレビや有料Chで見ろという人がいるけれど、今こそ、「ライブ中継」こそ、民放の少なくとも1,2局がずっと流しているべきなのではないかとずっと思っている。なぜどこの局も横並びで「やすこの実況」ばかりするのか。やすこは好きなのでどこかのチャンネルに出演しているとつい見てしまうけれど、朝から晩まであらゆる局がやすこやすこっていうのも芸事をマネジメントできる人が激減したんだなってことを如実に感じさせて切ないものがある。

そしてテレビのハッシュタグ信仰っぷりがいやになる。番組をつくって配信する側が視聴者の「いまどうしてる?」をやけに気にするようになって、結構な量のエンタメが小粒になった気がする。そんなのはいいから「プロはたった今こうして戦っている」というのを一方通行で流してほしい。コンテンツ提供側がいちいち双方向コミュニケーションなんて気にしないでほしい。テレビはカニ鍋や宅配ピザやホールケーキと対等な立場であってほしい。プロの技術で今この瞬間に五感をびんびんに震わせてくれればそれでいい。そのとき受け取る側とやりとりなんかしなくていい、一方的に消費されてほしい、一方的に満足させてほしい、そして、最終的には受け取るこちら側が楽しくなりすぎてコンテンツほっぽらかしてこちら側同士でやりとりして楽しい時間を過ごして、そのとき鍋はつつかれなくなってほしいし余ったピザはしんなりと冷めてほしいしケーキを切り分けたあとのホールの台だけがむなしく残っていてほしいしテレビはいつの間にか次の番組に移っていてほしい。ただひたすら一方通行にソリッドでエンスージアスティックなコンテンツを「おっほえ」「おっほえ」と投げ込んでくる毒島大広(ストッパー毒島)みたいなディレクターはどこに行ってしまったのか。

YouTube? ファンとして楽しめるコンテンツは膨大にあるけど、「特定のなにかのファンではないけどこの番組は楽しい」というYouTube番組があるんですか? ないでしょう? 推しブームなのはいい。それはすばらしいことだ。しかし私は、正月くらいは、推し事からも自由になってダラダラしたいのだ。大好きなVtuberとか舞台芸術とかアーティストを片っ端から能動的に摂取しに行くのに毎日めちゃくちゃエネルギーを使っているから、正月くらい、だらけた消費をしたいのだ。そんなこともわからずにハートをつけろとかいいねを押せとかお前らほんと発信者としての覚悟と欲望と偏執と情熱と褶曲と泥濘と怨恨と韜晦が足りてねぇんだよ。

1か月くらい後にはじめます

新しくブログをはじめる。今度のは日記だ。それも仕事の内容を書く日記とする。ただちにインターネットの有識者たちが飛びかかってくる音が聞こえるだろう。フォンフォン。ヒュンヒュン。「医療者たるもの守秘義務がペチャクチャ!!」「医療者たるもの医療倫理がクチャクチャ!!」そういった部分を義務と倫理に照らし合わせて書いてもいいところをきちんと探って書こうと思っている。それでもフォンフォンヒュンヒュン飛んでくるだろう。撃ち落とそう。

自分が働いている間にだいたいどのようなことを思い浮かべているのかを記録してみたい。考えている内容、まで行くと、言葉のちからに引っ張られすぎ、わかりやすいストーリーにあてはめすぎてしまうような気がする。考えているとか思っているとか感じているとかから少し距離をとり、「浮かんだものごと」をそのつど写真に撮っていくような感じで書くとよいかと思う。写真で重要なのは幡野さんによれば「光」、そして「現像」だとのことだった。私が写真で切り取るような気持ちで日記を書いたとしても結局のところ文章に現像的加工を加えてしまうのだろう。そこが稚拙だと見ていられない日記になるかもしれない。加工の塩梅はよくよく考えておくべきだろう。

医療にかんする日記を書くうえで大切なのは「特定」を防ぐことだ。フォンフォン。ヒュンヒュン。「あっこれは私のことが書いてあるな」と患者に思わせてしまっては、それが仮にかんちがいだったとしてもよくないことが起こる。フォンフォン。ヒュンヒュン。日付はわからないようにしないといけないし、診断の行われた場所・地域、年齢・性別、疾患名や治療方針なども一切書かないほうがいい。それでなおプラクティカルな日記を書くにはどうしたらいいか。それはつまり「所見を書くが診断を書かない」ということになるのかもしれない。定義したり命名したりする過程でアイデンティファイされるものをマスクする。分類や区分け、落とし込みの前段階で専門家の目だけが収集できる「所見」であれば、記録してもあまり問題はないのではないかと思う……が、先日からこっそり書き溜めはじめているものを読み返すと、所見だけ書いてもわかるときはわかってしまう。

まあ、こうと決めずに柔軟にやっていくしかないだろう。ていうか患者のことを書かず自分のことだけを書くというのを徹底するしかないんだよな。実在する患者をモチーフにして事実を書けば、読む人が読めば特定は容易だろう。そうではなく、実在する患者や仕事を前にして具体的に動いた自分の話を、自分のことだけきちんと取り出して書く。「徹底する」ことが大事だろう。


そんなに気配りしてまで医療系日記なんか書くもんじゃないよ、とか、余計なことするとまたどこぞを刺激して怒る人が出てくるのでは、みたいなことも考えなくはなかった。でもまあ、書けるうちは書いておこう。読んでおもしろがるようなものではない。しかし日記を間に置いて語ることはできる。たとえば私は日記を過去の私との間に置くことで昔の私と会話することができる。それが大事なのだと思う。私はとにかく会話が足りない。

OGP画像をどうするか。やめる。カテゴリをどうするか。どうでもいい。ハッシュタグをどうするか。使わない。著者プロフィールは。いらない。コメント欄は。閉じる。それでどうやって会話しろってんだ。フォンフォンヒュンヒュン。ギャースカピーチク。うるせぇな叩き落とすぞケロがポチャ。

人だから変わる

私のデスクにはかつて出張先でぽつぽつ買ったご当地キティ、食玩、くら寿司のガチャでもらったマグネットなどとともにいくつかのお守りがぶらさがっていて、そういえばいつのまにかそこにあるのが当然になりすぎてぜんぜん顧みていなかったので、今ちょっと怯えながら手を延ばしてこれどこのお守りだろうと確認したらひとつが北海道神宮、もうひとつが近江神宮だった。北海道神宮のほうはいつどのように手に入れたかは全くおぼえていないがまあたぶん家族と行ったか観光客を連れていったかのときに手慰み的に買ったのだろう。近江神宮のほうはクラウドファンディングの返礼品だ。お守りなあ。お守りかあ。

変わんねぇなあ。

「お守り」という文化は流行るでもなくすたれるでもなくずっと一定だ。服飾とか音楽とか飲食とかはたかだか10年、20年くらいでもバカスカ変わっていくし、冠婚葬祭のありようなんかもじわじわと変わっていて昭和のそれと令和のそれではやはり比べ物にならないくらい違うと思う。ゲームなんてひどい変わり方だ。ファミコンやりてぇな。それにくらべると、「お守り」については、私が子どもだったときと今とで人間との距離感がそれほど変わっていない。「お守り」くらい不変で普遍なもの、ほかになにかあるだろうか。

テレビ、は変わった。マンガ、も変わったかもしれない。学校、だって変わっただろう。河川敷、とかどうかな。ロープウェイ、あたりもあんまり変わってないか。いや変わったよな。

「お守り」は変わんないなあ。立ち位置というか私との距離が。他人との距離も変わっていないように思う。

タバコ屋の看板を見なくなりチェーン以外の駄菓子屋を見なくなり、50円のクラフト飛行機を売っていた街角のおもちゃ屋も見なくなり、電線が減りブラウン管がなくなり車のサイドミラーが変わり高速道路の入口に人がいなくなり、喫煙シーンがなくなりトレンチコートが減り、ほどよく空いている居酒屋がなくなり年賀状が届かなくなった今、「お守り」だけが変わらずにいるなあ。




送られてきたWSI(whole slide image)が開けない。浜松ホトニクスのNDP view2 plusが要るという。Plusというのは有償版なのだがネットで気軽に購入できるものではなく営業と相談して部門に入れなければいけないお高いものだ。当然私の手元にはない。最新鋭の病理バーチャルプレパラート、1枚500 MBのファイルが20枚あるからこれだけで10 GB。狂ってる量。これを必死でダウンロードしたのに見られない。うんざり。デバイス。ソフトウェア。UI。ころころころころ変わっていく。前は見られたけれどすぐに見られなくなる。変わるな。バカじゃないのか。変わるな。何を勝手に進んでいるんだ。

昔、ベンタナという会社の免疫染色装置がうちのラボに入っていた。特に不満のない普通の装置だった。しかし、当時勤めていた職員が勝手に別会社の装置に切り替えた。そのほうがランニングコストがいいという。私はがっかりした。装置を変更したら免疫染色のキレ味は変わるんだぞ。プレパラートの見た目も変わるんだぞ。それに慣れるのにどれだけ時間が必要だと思ってるんだ。病理医が脳をフィックスさせるための手間と時間にコストがかからないとでもいうのか。なんでもかんでも経営経営。すぐに価格調査して乗り換え乗り換え。スマホの機種変みてぇに医療装置を入れ替えるなんて頭がおかしい。人と機械とが触れ合う「受付」の部分を変えたら仕事ってのはめちゃくちゃ変わってしまう。なんでそういうことをするんだ。しばらく不満を抑え込んで働いて10年以上が経過したころ、だいじな遺伝子検査の一部がベンタナの免疫染色装置以外では稼働しないということがわかり、当院の装置では施行できないので外注に頼らざるを得ず、結果としてそこそこの損失が生まれた。ほらみろ。言わんこっちゃない。あの遺伝子検査もあの遺伝子検査も、どれもベンタナで保険を通してるじゃないか。私がいうようにずっとベンタナにしておけばよかったのに――すかさずもうひとりの私が脳内でツッコミを入れる。「言わんこっちゃない、って言ったけど、昔のお前はべつに、将来こうして検査ができなくなるかもしれないから機械を変更しないでくれ、とは言わなかったぞ。後付で変更理由に文句付けたってだめだべや」。まあそうなんだけどな。

それにしてもだ。お守りをみろ! UIとしてこれだけ普遍なものがほかにあるか! お守りを見習え! 神様というソフトウェア(OS?)にアクセスできるようでじつはぜんぜんアクセスしてないけどなんかちょっとだけアクセスしている、アクセスしているようでアクセスしないちょっとだけアクセスするお守りの、爪の垢でも煎じて飲め! お守りくらい普遍であれ! 人間なんだからできるだろう! ころころころころ生成変化しやがって。

もう人間には戻れんまぁ

ジレンマという言葉はひとかたまりだと思っていたので、あるとき、トリレンマという単語を見かけて、あっそうなの? ジ・トリなの? じゃあモノレンマもあるの? モノレンマって悩みがない状態ってことでいいの? 話がずれすぎだ。モノレンマはどうでもいい。ジレンマ→ジ・レンマの驚きについての話だ。ジエチルエーテルがジエチル・エーテルではなくジ・エチルエーテルであると知ったときの震度に近い。軽く震える程度ということである。唐十郎が下の名前ではなくから・じゅうろうだと知ったときの震度に近い。それはほとんど震えていないということでもある。

歳を重ねるにつれて小さな震えは少しずつ減っていく。それは、私が世界を広く知ったからではなく、自分の知らない世界を取り入れようとする頻度が下がっているためだろう。最近ゴルフをはじめた。打ちっぱなしからはじめた。いつかコースに出ようと思っていた。でもやめてしまった。もういいや。新しい世界への扉が音を立てて閉まる。ちなみに皆さんの頭の中で今、「新しい世界への扉」はなにか、奥側に向かって両開きするドアのようなイメージで思い浮かべられたかもしれませんが、実際には新しい世界への扉は襖(ふすま)ですので、押しても引いても開きませんが軽く横にすべらせれば十分に開きます。音を立てて閉めてはいけません。自分の右側から顔の前までは引いて開け、顔の前から左側には押して開けましょう。開ける前に中に一言声をかけましょう。



新陳代謝の過程でときおり新しいものを取り入れるというのは地味に危険なことである。いつも安心して食べているもの以外に手を出してそれが毒だったらそこで終わりだ。しかし、私たちはほどよく飽きっぽく作られていて、ときおり新しいものに手を出さないと気がすまない。これはなんかそういうふうに私たちができているからなのだろう。適者生存の過程で、「同じものばかり食ってて死んだ先輩たち」がたくさん脱落したから、今の私たちは「たまには違うものばかり食いたくなる」ようにできあがっているのだろう。ほどよく飽きるタイプの脳が、種族として長生きする秘訣だったのだろう。ただしその飽きの効力は、あるいは30歳くらいでいったん飽和するようにできているのかもしれない。少なくとも私は自分を振り返るとそのように感じる。もう前ほどには飽きないんじゃないかな。なんか別に新しくなくてもいいんじゃないかな。脳が切り替わってきている。ふしぎなものだ。そこまで含めて本能なのだろうか。

適者生存の原理は、生殖適合年齢の中央値もしくはそれより前に強くはたらくはずである。だんだん子孫を残さなくなる年齢の人間の本能がどうあろうと、種族の生き残りには関係ないはずだからだ。そいつが死んでも生きても種族が増えたり減ったりすることに関係はない。……と、ここまで書いて思ったが、たとえば40とか50とか60を越えて生きる「部族の長老」が突然凄惨な死を遂げたら、残された一族は恐怖におびえてメンタルステータスにダメージを負い、結果として生き残るための体力や知力が削がれて生存に不利になるかもしれない。うーん。私たちは孤独に生きるのではなく集団を作ってムラや社会で生きるように最適化されている。だから生殖適合年齢を越えて生きている人間も種族の一部分として取り込まれており、もう子どもをなさないからといって種族全体を長生きさせるためのファクターであることをやめてはいない。だったら、50に近くなってもまだまだ、私はいろいろなものに飽きてまた新しいことを試してもいいはずなのに、うーん、おかしい。適者生存の原理がはたらいていないのか。いや、もう、この年だと、飽きることをやめても種族のためになるということか。ああそうか。「同じものばかり食べている老害」というポジションがかえって種族の新陳代謝を正に賦活するということはあるのか。反面教師? 反抗期? そういうことなのかもなあ。

いや待て。あるいは私は、種族を永らえさせるつもりがないのかもしれない。本当は、人間のためには、人類のためには、私はときどき飽きるべきなのだけれど、飽きなくなってきている、同じ状態でよいと思ってきている、それはつまり、種族が選択圧に負けてもよいという心のなすわざ、すなわち人類滅べというメッセージなのかもしれない。思えば私はずっと、人間が気に食わないという気持ちを持ち続けてきた。我が種族の長久を祈っていないので、飽きるという力を捨てて鬱屈と停滞の中に滅びていこうと本能で考えているのか。そうだ。そうに違いない。そこにあるのは「人間が悪い」というモノレンマ。悩みねぇなー。

指先の傷

小さなリモコンの電池を交換しようと思った。説明書きを意訳込みで読むと、「躊躇しておずおず開けるとツメの部分が折れてしまうことがあるから、思い切って力を入れて一気に開けるのがコツ」みたいなことが書いてある。そんなことが物理的にあるのだろうかと思いつつも、まあ言われたとおりにしようと思って、推奨されている場所に左手の親指をかけてグッと力いっぱいひねったらちゃんとパカと開いてボタン電池が露呈した。そして左手の親指の先端からぷくりと血が出始めたのでびっくりしてしまった。

どうやら何らかのカドで指先を切った……というかえぐってしまったらしい。鉄製のつまようじで指先に穴を開けた、といった風合いの傷から血がふくらんでいる。右手はリモコンでふさがっており左手はじんわりじわじわ出血中。妻に頼んでティッシュを取ってもらい親指にかぶせてもらってから、右手のリモコンを置いて軽く圧迫するとすぐに血は止まった。古すぎて包装がぼろぼろになっている絆創膏を貼って終診とする。

今のはふしぎだったなと思う。「思いっきり開ける」という動作をするために、親指に多少の外力がかかることを私の脳が許容したのだろう。その結果、「まあこれくらいの圧迫による痛みは出るよね」と私が納得した状態でリモコンのフタがバキッと開き、その際に左手の親指の皮膚がちょろっとえぐれた痛みも走っていたはずなのだが「まあこれくらいの痛みは出るよね」と脳は安心したままだった。そして血を見てびっくりして脳の統制がぎゅんぎゅん乱れた。少しトリップした。

神経を通じて感じる痛みと、今そこで起こっている現象とが、普段どれだけ一致しているかということだ。そしてたまにこうして不一致になると、どれだけ私は動揺するのかということだ。はからずも人間の体というものがとてもよくできているのだなということを文字通り体で理解した。




「なんのために生きているのか」を自分に問い始めないように私は精神にストッパーをかけている。ずいぶん前に居酒屋で似たような話をしたとき(するな)、そこにいる人達はみな口々に、「どう答えてもめんどうな展開になる問いは立てないほうがいい」と述べた。私も同意見だった。答えがないから問うなと言っているわけではない。「答えるために必要な語彙や経験がない状態でもなんか世の中に落ちている適当な回答を拾って自分の言葉のようなふりをして提出すればそれで考えたことになってしまうような質問」にいちいち付き合っているとアホになるで、という意味だ。「なんのために生きているのか」→「それを探すために生きているんだよ」。カァーつまんねー意味ねぇー気持ちわりぃー。「なんのために生きているのか」→「なんのためよりも誰のためかを考えたほうがきっとわかりやすいよ」。カァー虫唾ダッシューボイルティーバイ臍ー。中学生の作文みたいな思考をしないためにはドヤ顔で設定された問いを見直す。「なんのために生きているのか」。二度と問わないことだ。

それにしても私は「なんのために」にしばられがちだ。「なんのために」は呪いである。私は中学校時代に5W1Hなどという状況の仕分け・言分けを上意下達で叩き込まれたばっかりに、「疑問形には答えなければいけない」という未必の故意に殴られ続けている。「そういうフレームで考えましょうね」と仕込まれた。「そうやって分割しましょうね」と整形された。「なにをして生きているのか」「どこで生きているのか」「いつ生きているのか」。命題としてはわりと中途半端だし浅いのに、5W1Hのおかげで疑問として成り立っているように錯覚をしてしまう。

ところで5W1Hって、Whichだけ仲間外れな気がする。それは別なのでは? とずっと思っている。なにがどう別なのかはわかんないけどそれはちょっと無理があるのでは? とずっと思っている。いや、英文的にも国語的にもおかしくないですよ、って諭してくる人間の目つきがおかしい。このことはずっと思っている。リプライで意見を述べてくる人間にも言えることだ。マシュマロで意見を述べてくる人間は豆腐の輸送トラックのカドに頭をぶつけて死ねばいいと思う。

枠組みにすっかりなじんでしまった人間なので、親指から血が出るとすぐに複数の疑問文を生成して海のようにくぼみを満たし、思考の違和感を溶かしてなかったことにしてしまう。よくない傾向だ。「いつのまに血が出たのか」「リモコンのどこで指を切ったのか」「なぜ血が出るまで力を入れてしまったのか」。こしゃくだなと思う。うるせぇなと思う。理由がわかれば次は対処ができるから人間はすぐ疑問形を活用しようとする、ハァ、だまってろと思う。このリモコンの電池変えるなんていうイベント、次は15年後だろう。疑問形になんかしなくていいのだ。「あーなんかいろいろあって血が出て止まったね」で十分だ。体が覚えていてくれるだろう。翌朝、目が覚めると、かさぶたがまわりの皮膚を押し付けるせいで、怪我したときよりもずっとジンジンと痛むようになっていた。人間の体というのは不自由だ。修復することでかえってバランスを崩したりしている。余計な使命感に駆られて状況を悪くしていく改革者のようだなと思う。

人類はまだ木星につかない

めまいがひどくて血圧をはかったら上が102しかない。しばらく様子をみてみたが毎日だいたいそんな感じだった。血圧の薬をやめようかと思うがこういうのは自己判断ではなく主治医と相談してからにするのが吉であるということを、他ならぬ医師である私はよく知っている。次の外来はいつかな。3週間後か。そこまで待っていられない。今日から血圧の薬を飲むのをやめた。掌返しというにはあまりにも華麗すぎる。マタドールのようだ。赤いマントをひるがえしてくるりと。


人間の足腰は、前に進むのに便利な機構というよりも、どちらかというと「小回り」が効くつくりである。なんのことだかわからない人は、ガンプラにバスケのディフェンスをさせることを考えてみるといい。シュートフェイント一発で華麗に抜き去られるRX-78が容易に想像できることだろう。前方180度以上をカヴァーする目線にあわせて私たちが小刻みに体軸の向きを調節できるのは、ひとえに、股関節や骨盤筋群がじつにフレキシブルにできているからであり、私たちがこうしてうろちょろできるのもひとえに股関節が自在に外旋・内旋できるからである。腹筋や背筋だけで体幹、ひいては思惟の方向にまでねじれを生じさせることができるというのはすごいことだ。

そして私たちの身体はその可動領域によって自然と私たちの思考のありようを有限化している。たとえば思考は股関節とおなじように外旋・内旋しながら踵を返したり右往左往したりする。思考や思索や心情といった無形のものが、なんとなく股関節とおなじように方向を持ち指向性を持つのだろうと、私たちが「心というものを身体になぞらえてとらえようとしている」ことはおもしろいし丁寧に考えてみる価値がある。今の書き方はもしかすると因果が逆で、股関節の自由度を知っているからこそ思考だってこれくらいねじったり振り返ったりできるんじゃないかと私たちがそもそも信じ切っているというのがすべてのはじまりなのかなと、思わなくもない。股関節がガンプラだったら私たちは思考や態度や生き様をここまで自由にぐねぐね動かそうと思わなかったのかもしれないということだ。

ここまでを一気に書き終えて読み直して気づいたことがある。

私はもしや、「マタドール」という言葉ひとつから、マタすなわち股関節と、ガンプラすなわちドールを同時に想起して論に組み込んだのだろうか? そんな無鉄砲な展開のしかたがあってたまるものか? 偶然だと信じたいが、偶然とはつまり物理法則の要であって、私たちは森羅万象なにごとも、偶然の結果ここにあるだけの存在である? 高度に演出された偶然は必然と区別がつかない? 闘牛士を訴えたらマタドールを相手取ーるになるなあ? 句点のかわりに疑問符を打つだけでこうも不穏になるものか?



マタドールの赤い色を思い浮かべているうちに話は少し変わる。人間の怒りを定期的に駆動することで支持を集め口に糊するというタイプの生き方がある。選挙戦が行われているからいつも以上にそういう風景を目にする。強い感情というのは熱量や運動量を持っているし、反対に、感情の起伏が凪いでいると鬱滞が生じて水が腐り感染症が蔓延する。動かないよりは動いたほうがいい。そして動かすには怒りを用いるのがじつは一番簡単なのだ。だからしょっちゅう目にするのだ。

かつての私は、稚拙な論で人々をアジテーションする政治家や運動家のたぐいは世の害悪であり一切の擁護の余地なしと思っていた。今もその考え方自体はあまり変わっていないのだが、同時に真逆の感想も抱くようになっていて、つまりそこは単純な善悪の二項対立では語れないのかもしれない。これはだいぶ慎重に書かないと単なる皮肉になってしまうので十分に注意して書くことにするが、そのような「他人の感情を負の方向にひっぱり下げることで世を動かす人たち」というのは、感情がとぼしくなり足の裏が自宅に癒着してしまった人々の人間性を賦活化して彩りをとりもどさせている働きを(本人たちがそうとは自覚しないままに)担っている可能性がある。つまり害虫・害獣・悪玉菌であると同時にある種の「福祉」を担当する益虫・益獣・善玉菌のような存在かもしれないと近頃などは思うのだ。

理路を伴わない暴力で他者に迷惑をかけ続ける人間のどこが福祉なんだとあきれる人もいるかもしれない。しかし、これに限らず福祉というのはたいていどこかにひずみを生むもので、そもそも、全員がニコニコできるような場所には福祉という概念自体が存在しないものだし、福祉が存在するということは必ずその割りを食っている人間がどこかにいる。福祉というのはじつはいいことばかりではない。そのことを一般的な公共福祉を担当する実働部隊はほぼ全員がそれこそ「体で」知っているが、福祉を推進する側は意外と知らない。福祉というのはつまるところ偽悪である。その罪を自覚していない人間が福祉精神を発揮してもろくなことはないと思う。そして私がこれまで偽悪どころか真悪と思っていたヤカラも知らないうちに多くの人の運動不足を解消したりコミュニケーションのきっかけとなったりしているはずなのだ。

私たちは自分が生きていくためにタンパク質を摂取しなければならず、タンパク質とは基本的に生命からしかもたらされないものである。すなわち私たちが自己を維持しようと思えば必ず他の生命を取り込む流れになっていて、それは肉食だとか菜食主義だといった細かい定義で回避できるものではなくてあらゆる生命がそうなっている。私たちはそのことを、おそらく長い時間をかけて嗅覚や味覚からじんわりと体感し続けており、それが宗教的にはいわゆる原罪のような「自分が自分でありつづける上での後ろめたさ」につながっているのかもしれないと感じる。ただ、私たちの脳がおもしろくかつ不思議なのは、そのような感情を無変換で再帰的にドライブしつづけるのではなしに、生きている間中ずっと、「変奏」し続けるというか、そうとはわからないように何度も何度も変換し続けるようなところがあることだ。私たちは多かれ少なかれ全員が「原罪に向き合う気まずさ」に心をぴりぴり刺激され続けることでかえって生命にパルスを与えてどくんどくんと活かし生かされ続けている。そしてその変奏のやりようは人によって違う。たとえば修験者やワーカホリックな病理医などは生活自体に自罰の構造を組み込んで、「なんでこんなにきつい目に合わないといけないんだ」と思いながらもなんかそれで悟れそうだなという逆転の欲望の虜となっているし、あるいは選挙運動家などは大きめの感情で人を傷つけ自分も常時傷つきながらもどこか癒やされているというやりかたを選ぶ。これらは様式の差こそあれ結局おなじことをやっているのかもなとマタドールがくるくる逃げ回るようにシナプスがくるくる発火している。


それにつけても、人に迷惑をかけないというルールを中心に社会をまわし始めた類人猿は偉かったな。先見の明だ。何十代前かわからないけれど、今より少しだけ毛深くだいぶ尊かった先祖の猿たちの「言語化以前の躊躇」に敬意を表する。

無数に手控えする秋だが少年の心によってぎりぎりひとつだけものが増えた

ぶどう、一粒どう? 以外のぶどうギャグって難しい。わりと武道に引っ張られてしまいがちだ。しかしぶどうを武道で叩き潰してもワインになるくらいで特におもしろいことはない。ところでぶどうって英語でなんていうんだっけ? マスカット? 違う、grapeだ。マスカットは品種だ。りんごって英語でなんて言うんだっけという質問にFujiって答えるようなことをしてしまった。王林も泣くだろう。

写真家の幡野さんが、お皿にのせたぶどうをiPhoneで撮影してお子さんに見せたら、「一粒一粒が宇宙みたい!!」というとてもよい感想を言ったのだということをポストしていた。ぶどうの表面は濃紺につやめいて、果粉がうっすらとふいており、水滴もついてきらきらとして、これはたしかに泡宇宙だなと思った。幡野さんのお子さんは、多元的宇宙の映像を図鑑かショート動画かなにかで見たことがあったのだろうか。そういったビジュアルアート的宇宙観に触れたことがあったから宇宙と言ったのだろうか。それとも、そういう小難しい言葉をすっとばしてテクスチャと直接触れ合ってとっさに宇宙と言ったのだろうか。前者であったとしても後者であったとしても、どちらにしろ、すごい、それはすばらしいことだ、かもしれませんね、と私は渋谷ロックトランスフォームド状態の向井秀徳になった。SAMURAI。




手帳、持っててちょ、以外の手帳ギャグもむずかしい。かれこれおそらく、おそらくかれこれ、うーんこの場合、「かれこれ」と「おそらく」の語順はどっちがいいんだろう? 英語の場合は語順にはそれなりのルールがあるというけど、日本語だとどうかな。日本語教師をやっている人だとそういうところまで詳しく教えるのかな。まあいい。おそらく、かれこれ、15年くらいほぼ日手帳を使っている。私はそれほどほぼ日手帳を使いこなしているとは思わない、1年経って手帳をしまいこむ(捨てはしない)ときにページを振り返ってもほとんど書き込んでいないページだらけだからだ。しかし、なんか、ほかの手帳を今さら使うのもな、という気持ちである。紙質は好きだし、私がもしこれから急に紙の日記を書きたいとなったらほぼ日手帳の余白の部分を使えばいいという準備万端安心感に満足しているから使い続けている(でも普通の日記を書く予定はない)。気づけばもう10月もなかばだ。そろそろ手帳を買おうと思ってストアをのぞきにいく。デフォルトのカヴァーは持っているから中身だけ買えばよい。しかしそこでふと、けっこうなお値段のカヴァーが別売りしているのが目に入り、思わず詳細を見に行く。ストアのUIにまんまと乗せられている。


ふだんは別に、特に、特に、別に、こういうものに興味しんしんというわけではないのだけれど、私はこの革カヴァーのデザインがちょっと気に入ってしまった。無地の革商品が山程ラインナップされているのは知っていたが、でもこれまでは特段欲しいとも思っていなかったのに、今回ばかりはなぜか、欲しくなった。

買った。

無駄遣いだ。買う前も思ったし今も思っている。同じ額でおいしいものを4回くらい食べたほうが満足度は高かっただろう。しかし、私はこのカヴァーを買ってしまった。革製だからというわけではない。お値段が立派だからでもない。紳士服チェーンで買ったつるしのスーツばかり来て、休みの日はユニクロ以外を着ることのなくなった私が、いまさらちょっと立派な服飾雑貨を買ったところでほかの製品と併せようもないのだが、「手帳ならいいだろう……」という低めの声が私の中に響いた。

私はあるいは、おそらく、おそらく、あるいは、私の中に長年ひそんだっきりめったに首をもたげることのなくなった「少年の部分」に声をかけたくなったのだ。声をかけて媚びを売りたくなった。「君はこういうの、しみじみ好きだったもんな」。

ちょっと恥ずかしい。

シリーズで一番好きなのが2だ。3も好きだが2が好きだ。そして私はあの自転車がとても好きなのだ。しょうがない。デザインのUIにまんまと乗せられている。




ツナ缶と電話がつなかんない、というギャグを考えたが、イラストにするのがめんどうでまだポストしていない。先日、ふるさと納税でツナ缶を申し込んだ。そこまでお得とは思わないがツナ缶がたっぷり家にあるというのは悪い気がしない。ちかごろ、料理番組をうっかり見ると、ツナ缶の汁ごと鍋に入れるといいんですよ、へぇー、みたいなリアクションをよく目にする。いや、へぇーって言うけど、よく見るよね、だいぶ人口に膾炙してきたよね。もう、いっそ、いっそ、もう、「なるほど」とか「おなじみですね」みたいな相槌でよくないか。目を細めて心の中でつっこむが、少し遅れて、「なんでも自分のリズムに合わせないと機嫌が悪くなるというのは典型的な老害ムーブだなあ」とも思えてきてちょっと肩を落とす。もっと、こう、こう、もっと、素直な子どもの心と落ち着いたおじさんの心とをうまいこと、ブレンドしてやっていけないものだろうか。ブレンダーの気持ちがぶれんだー。これもイラストにするのがめんどうでポストをあきらめる。

Highway XXX revisited

札幌丘珠空港は、新千歳空港に比べて駐車場料金が安く、駐車場が混雑することもほとんどない。滑走路が短めで、大きな機体は離着陸できないけれど、FDAが飛ばしているような中型の飛行機なら大丈夫なので、名古屋とか松本とか、意外なところへも行くことができる。ローカル空港と侮るなかれ、あってうれしい丘珠空港。

今回、秋田に出張するにあたって、丘珠空港と秋田空港の往復便をJALで予約した。丘珠の便は本数が少ないので、出張に使おうにも時間がうまく合わないことも多いが、今回の出張にかんしてはスケジュールがドンピシャでばっちり行って帰ってこられる。こりゃーべんりだ珍しい、ほくほく予約した。

ところが。

出張の二日前にJALのアプリがブンと鳴る。なんだろうと思ってポップアップを見ると、「秋田→丘珠便は欠航になりましたので、代替便をご用意します」などと書いてある。二日前に欠航? 天候的には問題ないはずだし、ああ、もしや、搭乗予定人数が少なすぎて運休になったのかしら。まあしょうがないかー、どれくらい時間がずれるかなあ……などと詳細を開いて、それはもう、圧倒的に、過去イチ驚いた。

 行き: 丘珠 → 秋田(変更なし)

 帰り: 秋田 → 新千歳(変更)

……帰りが丘珠じゃなくなってる! 新千歳だ! なんでやねん! 行きと帰りを違う空港にすんなよ!

※丘珠-新千歳は東京-横浜より遠いの図


これでは丘珠の便利さがほぼ消える。新千歳空港から丘珠まで、JR+地下鉄乗り継ぎ+徒歩で1時間以上かかってしまう。乗り継ぎのタイミングが悪ければ1時間半ではつかない。出張帰りのへとへとな体で、新千歳からえっちらおっちら移動して、丘珠に停めてある車に乗ってそっからまた帰らなければいけない。アホか。だったら新千歳の往復便(ANA)を最初から取っておけばよかったじゃないか。新千歳のほうが駐車場代は高いが、新千歳→丘珠の交通費を考えたらとんとんじゃないか。

なんでそういうことするんだJAL。読者であるあなたはもちろん冷静で、怒りに興奮する私を冷めた顔で見ているのかもしれないが、ちょっと想像をふくらませてほしい。羽田からの往復便をとったら旅行の二日前に帰りが成田行きになりましたって、そりゃちょっとイラッとするだろう。

こんなことははじめてだ。

これまで秋田に行くのにこんなトラブルになったことはない。

いや待てよ、と軽く思い出す。よく考えると、そもそも秋田に仕事で行ったことがない。私が最後に秋田を訪れたのは大学4年生(22歳)のときではないか。それ以前に訪れたことはなく(電車で通過したことはある)、それ以後にも訪れていない。たった一度の秋田旅行。あれっきりだ。

私は少しぼうぜんとなった。

秋田に行った理由は覚えている。

私は過去の自分の行動やらお付き合いしていた方々のお名前やらすべて忘れてしまうタイプの旧式のアンドロイドなので、記憶の残念さはご容赦いただきたいが(去年会った人もわりとマジでもう覚えていない)、それでも、秋田になぜ行ったかははっきりしている。

東医体だ。東日本医科学生体育大会。

私は剣道部にいて、4年生だった。

東医体は東日本の大会だから、開催地は東日本の医系大学がある場所すべてで持ち回りである。1年生のときは横浜、2年生のときは新木場ちかくの埋立地、3年生のときは……どこだったかな、忘れてしまった、4年のときが秋田。5年でまた埋立地、6年の夏は綾瀬にある東京武道館(日本武道館ではない)。毎年違うところに行く。学生は金がないから飛行機を使うのは首都圏のときだけ、東北へは基本的に夜行列車やフェリーを使った。先輩のお父さんが旭川かどこかのJR職員で、団体の割引の方法とかをよく教わって部員みんなの移動料金を計算して合算でチケットを買っていた。

東医体のほかにも北医体(北海道・東北医科学生体育大会)にも毎年出ていた。なので、札幌・旭川のほか、大学の間に青森、岩手、福島、山形、新潟で剣道の大会に出場している。なんだかんだで北海道・東北+(新潟)を学生時代に全制覇している。でもすべてをはっきり覚えているわけではない。ろくに観光などしていないし現地のうまいものだってそれほど食べなかった。学生なんてそんなものだ。

でも秋田のことだけはわりとよく覚えている。

あのころは剣道を、かなりしっかりがんばっていた。ニスの塗られすぎた遠征先の体育館の床に足がひっかかると勝敗に影響するので、大会の2日前に現地入りして、大会会場を事前に見学予約して床の具合を確かめ、かかとのサポーターを調整し、現地の暑さに馴化するために冷房の入っていない武道場で暑いなか稽古をするなど、大会のためにすごく念入りに調整をした。当時、すでに大学の剣道部は合理的なスポーツ医学を取り入れており、練習中に薄く調整したスポドリを面のすきまからストローで飲んだり、過剰すぎる筋トレで剣道の強さに関係のないボディメイクをしたがる若手をなだめて理論的なトレーニングを取り入れたりもしていたが、それはそれとして、37度・エアコンなしの環境でいかに剣道をきちんとやるかを考えて窓をしめきってサウナのような武道場で剣道をしたりしていた。うさぎ跳びは絶対に禁止だったが円陣(知らない人は知らないままで大丈夫です)は禁止しなかった。合理的な体育会系だった。

4年の夏、私たちはもちろんいつもに増しておおまじめだった。大会の前々日に秋田入りし、会場の下見に行く。すると御当地・秋田大学の学生たちが、体育館で開閉会式のリハーサルをやっていたところにたまたま出くわした。私たちが北海道から来たことを知った秋田大学のめんめんは、サービスとばかりに、閉会式リハで「東医体 団体 優勝は……北海道大学」とアナウンスしてくれた。私たちはにこにこ拍手をした。ただし私たちといっても今の私はそこに誰がいたのかあまり覚えていないのだけれど、そんな私たちはとにかくにこにこと拍手をして、ありがとうーと体育館に響く声で、放送室に向かってお礼を言った。

そして私たちは彼らのリハ通り秋田で団体優勝した。

ただ、それはうれしい思い出だけではない。

前日までレギュラー争いで揉めてメンバー決定戦までやっていたので、部活の全員が若干ぎすぎすした状態で試合を迎えた。しかしその結果、なんだか全員が絶好調になっていてめちゃくちゃ勝ち抜いて、優勝したので誰もが怒るに怒れないみたいなフクザツなテンションになっていた。

団体戦の後、我々は心身ともにへとへとになって宿(大部屋)に帰ってきた。全員が大の字。男子部屋だったがマネージャーや女子部員もメンタル的には大の字。みんなが余韻に浸って放心していた。まだ翌日は個人戦があるから気を抜き切ることはできない。打ち上げなんてとんでもない。興奮と疲労を抱えたまま、発散するべきか蓄積すべきかを悩むような夏の夕暮れだった。静かだったように思う。だから、誰かがテレビを付けた。ちょうど高校野球をやっていた。甲子園には、私の母校である札幌南高校が、あとにも先にもその1回こっきりという記念的な出場をしていた。私は驚いた。同じ高校を出た先輩たちも驚いた。私たちはよろよろと体を起こしてテレビの前に集ま……らずに大の字のままテレビを見た。札幌南はPL学園に7-0だか8-0だかでボロ負けした。当時いろんな意味で有名になった札幌南の名物監督はベンチで終始笑顔であった。私たちは、甲子園に出るだけで立派だよなと言ったり、札幌北はそもそも全道大会にすら行けねぇからと誰かがシニカルに混ぜっ返したり、かくいう俺らはなんか優勝しちゃったな、あはは、したね、あはは、昨日あんなにケンカしたのに、がはは、などと言って笑った。それはとても深い笑いだった。子どもの笑いではないなとあのころふと感じた。楽しいだけのエンターテインメントではない、アイロニカルな黄昏にぴったりのおだやかでくすぐったい笑いだった。

なにせそれは北海道大学医学部剣道部創業以来はじめての団体優勝であり、かつ、最後の優勝だった。私たちはとても大きなことをぎくしゃくとやりとげた。

次の日、個人戦が終わった夜だったと思うが、なんと、泊まっていた宿のすぐそばで、日本三大祭りのひとつ、竿燈まつりがはじまった。そうだった。思い出した。インバウンドも祭りブームも一切おとずれていない牧歌的な時代。祭りの真っ最中に部活の団体を受け入れる大部屋の宿が秋田市のわりと中心部にあったということになる。今なら考えられないだろう。

東医体には勝ったし甲子園をやっていたし竿燈まつりもやっていた。渋滞だ。あの夏はすべてが凝縮していた。点に収束していた。

私たちは部員一同でまつりを見に行った。宿のすぐそばに目抜き通り。数十歩歩けば大名行列のような竿燈の群れが目の当たりになり私たちは声をあげておどろいた。

「秋田しんきん」のように出場団体のスポンサーの名前が書かれた提灯が、夜空に高々と胸を張る。「若」と書かれている提灯がふさふさと実った竿燈が、激しくしなる。倒れそうだ。なのに絶対に倒れない。今にもバタンと倒れて女子供中年何もかもを踏み潰しそうだが一切倒れない。

「若、すげーな!」

「若、すげーよ!」

私たちの声が喧騒の大通りにこだました。具体的に誰の声だったかはちっとも覚えていないが、最大公約数的な若者の声がいまも鮮明に脳内に響く。何も覚えていないのに残響だけはキンキンと金属的に鳴り響く。


あの夏はたくさんのことがあったはずだ。

優勝する前、私はレギュラーメンバー最後の一枠をひとつ下の後輩とふたつ下の後輩と争った。結果、私が勝ったが、1日ずれていたら私が補欠だったろうし、事実、1年前は私は補欠だった。それくらいの僅差だった。私たちは優勝し、私の先輩や同期たちはみな、優勝を期に部活をやめて学業に専念することになった。大会のあと、私だけがぽつんと部活に残ってキャプテンとなった。それは大会前日に争った後輩たちと一緒にそれからの部を組み立てていくということだった。うまく行かないかと思ったがむしろ私とそれらの後輩とはその後きちんと仲が良くなった。しかしこれがわからないもので、というか今となっては「わかる」という気持ちしかないのだけれど、私はその後、すばらしい後輩たちに助けられていたはずなのに、3か月でさらに下の世代の内紛にまきこまれてキャプテンを降ろされて部活をクビになる。小中高大と続けた剣道の最後は部活を追い出されて終わることになるのか、と愕然としたものだ。しかし話はなおも終わらない。さらに3か月後にくだんの後輩たちに頼まれてまた部活に戻るのである。青春というのはとにかく筋書きが雑だ。場当たりでしっちゃかめっちゃかだ。伏線はすべて溶けて流れ、プロットは粉微塵にくだけてトイレに流れて消えていく。

喧騒と混乱の記憶。具体的にはもうあまり思い出せない。でもあの夏の一点集中の焦燥感だけはなんだかまだぎりぎり覚えている。

そういえば。

秋田での大会が終わったら、オフになる。夏休みだ。私は後輩たちを引き連れて、部員のひとりの実家がある弘前まで、8名乗りのステップワゴンで移動した。私が運転手となり、6名の後輩たちが助手席や後部座席に乗り込んでわいわいと楽しそうにしゃべるがすぐ寝る。すぐ寝た。彼らは容赦なく高速で全員が寝た。私は誰とも運転を変わってもらえなかった。先輩なのに。新キャプテンなのにだ。もうろうとなりながら秋田から弘前までの道のりを走った。そのときのことも、こうして書いてはいるけれど、大脳の片隅に文字情報だけがぼんやりと明滅している程度で、具体的な情景はほとんどすべて忘れてしまった。ただ、ステップワゴンのアクセルがやたらと軽かったことだけはなぜか心に残っている。

ほかにもあった。あった。しかし忘れた。

24年前のこと。

私はもうかつての私とは同一ではないということをあらためて思う。あの頃の私のことを、まるで息子を見るような気持ちで思い出そうとするも、まあ、ほとんど何も出てこない。断片的に、なにか、とにかく、ぴったり噛み合って気持ちいい瞬間なんてものはめったになかったなという心象を、なんとか手繰り寄せる。手繰り寄せたそれは手の中で古い発泡スチロールのように粉々になって、でも、指の先から落ちていくでもなく、静電気で手にぺとぺとくっついて、なんだか気持ち悪い感じになる。それを見て苦笑する。




秋田は……あれ以来だ。帰りの飛行機のトラブル? 飛ぶだけいいだろう。予想できる範囲のごたごたではないか。私はなんだか気が楽になる。

あのころの私はもっと大変だった。



今は違う。あらゆるトラブルが想定内だ。私は本当に安定してしまった。当時の私よりもなんでもできる。ずっと深いことを考えられる。友人知人も多い。悩みだって小さい。

そのことをこうしてブログに書いている。ただひたすらに猛烈にさみしい気持ちに襲われてよくわからない情緒になって叫びだしそうになる。あのころなら叫んだだろうか。私はもうそんな恥ずかしいことはしない。

レンタカーでステップワゴンを借りてみちのおくまで走っていきたい気持ちがある。でも書くだけだ。きっとそんなことは、もう、しないのだ。だって私はもう大人になってしまったのだから。




越し方をおしはかり行く末を振り返る

その教授は何気なく、いつものメールの中にさほど重心もかけずにさらっと一行書いてよこしただけだった。でもそれきり私の頭の中に、教授の言葉がずうっと残っている。こんな言葉だ。

「教科書を読めば書いてあることは、講演で聞きたいとは思いません。」

そうか。そうか。そうだよな。うぐぅと一声、喉頭がないた。


放射線技師相手、臨床検査技師相手、看護師相手、医師相手。いくどとなくプレゼンをしてきた。病理学の講演だ。画像・病理対比に関するものが一番多い。

病理学の知識というのは、多くの医療者にとって「中高までは習っていた古文・漢文」くらいのものである。建前上、知らないとは言わないが、しかし日常診療でほとんど使っていないので、まるで覚えていないというくらいのもの。英語を習っても英会話を続けていなければとっさのときに口から英語は出てこない。病理だってそれと一緒だ。大学で習ったあと、国家試験を終えて臨床で働き始めて何年も修行して、その間いちどもプレパラートを見たことがなく病理医と会話をしたこともないならば、覚えていられるはずもなく。

したがって、私の講演はいつでも、「やりなおしの病理学」からスタートする。いちからしゃべる。教科書的なことからしゃべる。


日頃からプレパラートをご覧になっている方は多くないと思いますが、なあに問題ありません、ちょっと見かたを覚えれば、どなたでも十分見られます。それに、究極的なことをいうと、プレパラートなんて見られなくても大丈夫なんです、観念の部分だけわかっていればそれでなんとかなるものですよ―――

この青ッぽいところが核ですよ。こっちのピンクは壊死なわけです。ここには血管が通っています。線維化ってのは硬いんですよ。硬くて厚くてひきつれる。硬くて厚くてひきつれるからこそ、形態が変化して、触診でも触れられるようになるわけですよ―――

浸潤していれば癌です。圧排していれば良性です。Cyst in cystならcystadenoma。数珠つながりならIPMN。HCCは間質の線維が少なく、iCCAは逆に線維が多いんです―――

ばっさりばさばさ。わかりやすく、単純化して、シェーマでこれこのとおり、教科書レベル、誰でも今日からファンランナー。

本当は、ぜんぶ教科書に書いてある。

いちいち私のような講師に聞かなくても、読めばわかるのだ。

しかし、私はこうも言われてきた。

「いまどきの若い人って、本をぜんぜん読まないんで、基礎的なところから何度も説明してあげてください」

そうだそうだ。みんな本なんて読まないのだ。教科書にお金をかけないのだ。動画だって最初の20秒でつまらなそうなら消しちゃう。キャッチー! 映像的! 人の心を惹くことが第一! 厳密さは二の次!




「教科書を読めば書いてあることは、講演で聞きたいとは思いません。」





17年間かけてさまざまな講演プレゼンを作ってきた。でもこの1年くらい、少しずつ、いろいろなプレゼンを作り直している。過去のプレゼンはどれも私の全力だった。90分のプレゼンに450枚のスライド。パワポにマウスで描きまくった大量のシェーマ。1000例に及ぶ画像・病理対比。みんな私の宝物だ。しかし、最近、それらを大事にしまいこんで、同じテーマのプレゼンを、あらたにいちから作り直すことが増えた。

教科書を読めば書いてあることだけでプレゼンが終わっていないだろうかと気になった。

100人の聴衆のうちたった一人だけであっても「とことん難しい話を聞きたい」と思っているかもしれないと気になった。

結論が見えている話だけではなく、私自身がまだ悩んでいる最中の話にも、もしやニーズがあるのではないかと気になった。

教科書を読んで、これまでの私の話もさんざん聞いたことがあって、それでもなお、新たに私が作ったプレゼンを見たら前以上に圧倒された、みたいな体験を、私は生み出せているのだろうかということが気になった。



私が長年やっていることは、なんとなくだけれど、新作落語を作り続けている若い落語家のそれに似ている。新作落語は新しいからこそ価値がある。「十八番の新作落語」というのはちょっとだけテンションが下がる(うまい人はうまいが)。それと似たようなことをおそらく私はしている。

こんな私も、いつか、古典落語に挑む日がくるかもしれない。「教科書に書いてあることを書いてあるとおりにしゃべっているだけなのに、あの医師から聞くと、まるで違って聞こえるんだ!」なんて思わせられたら一番すごいと思う。

本当は、くだんの教授に、「今日の君の話はぜんぶ教科書に書いてあると思うけれど、しかし、君の口から聞くと圧倒的におもしろいねえ!」と言わせるくらいでないとだめだったのかもしれない。

でもまだ私はおそらく、そこまでの真打ではない。「過去最高の新作落語を今度おろします!」という感じで、じたばたやっていくしかない。「あのときサボって古典落語的講演をするようになったばっかりに、私はあれから、小さく小さくしぼんでいったな」と、未来の私が今の私をがっかりした目で見ている、その目線を受け止めている。冷たい目線が心に刺さる。

いちいちハラスメント

某講座(基礎系)の教授が「やっぱりある程度の蓄積は必要だと思うんですよね」と言って、肩を落とす。

ちかごろの医学生は、来たい時にラボにやってきて、できる範囲のことをして、けっこういいデータを出すという。学校の本来の勉強やバイトや部活以外に「アディショナルに」基礎研究をやる。学校から義務として課されているのではなく、自分の成長のために、基礎系講座に出入りして、医療だけではなく医学を学び、臨床だけでなく研究も行う。その意気やよし! たいしたものだ。医学生たちはあれもこれもと手を出して、どれもわりといい感じで結果を出す。充実している。スポーツで全国大会に出つつ趣味で弁論大会に出るかたわらバイトで荒稼ぎしながら旅行に行き美食を楽しみ学会発表をして論文を書き誕生日をパートナーと祝う。それはさぞかし楽しいだろう。華々しいことこの上ない。

昔の医学部生たちはそこまで多彩な生活を営んではいなかった気がする。授業と別に打ち込むものとしての部活 and/or バイト and/or 勉強会 and/or 基礎講座での研究、ここでいう「andの比率」は決して高くなくて、どれかに打ち込むためにどれかはあきらめる、「or」が優勢だったように思う。しかし今の医学生は違う。とにかくandでこなしていく。みんな頭が良く、コミュニケーション能力に長けていて、自分の意見をしっかり持っており、意欲も旺盛だ。ビュッフェなら全品制覇する勢い。デパ地下なら試食で3000 kcal摂取する勢い。

医学生という存在の進化の速さといったらどうだ。おどろくほどだ。

しかし、あれもこれも上手に乗り越えていく医学生たちは、けっきょくのところ、かつての医学生に比べて、研究に打ち込んだ時間自体はたいした量になっていない。若い人たちの脳が中高年のかつての脳よりも100倍優秀なのは事実だが、昔の医学生の1000分の1しか努力していなければ成果は10分の1ということになる。まあそんなに数字で切り分けられるものでもないけどな。

彼らにとって、学部時代に基礎講座に通うというのは、「研究というひとつのピースが青春という大きなジグソーパズルの一片になる」以上の意味はないように見える。寝食を忘れてどっぷりと打ち込む医学生というのに出会わなくなった。働き方改革だとかハラスメント防止策にまみれて消えた。ワークライフバランスのような解像度の低い言葉のせいではないかとも感じることはある。複雑系がバランスで成り立ってるの当たり前なのにそこであえてワークとライフだけ強調するのって性格が悪いよな。

きちんと積み上げた迫力を出す医学生に会うことはない。才能とキレ味ばかりだ。若さとはそういうことなのだから、べつに、悪いということにはならない。しかし、つまらないなと感じることは正直ある。

教授は嘆く。「なかなか育たない」と。なるほどそうなんだろうな。



しかし、学生や研修医をそうした原因は、かくいう私たちの世代にある。若い人をあまり引っ張り回したらだめだよ、時間外にいつまでも働かせたらだめだよと、管理職は絶対に下に無茶な働き方をさせてはならないという金科玉条を無条件に受け入れて、「ほらほら17時になったからもう帰ってくださいね」「今かかえている仕事は大丈夫ですか? やれる分だけでいいですからね」「無理はしないでください、人生は長いんだから」と、徹底して若い人を甘やかせて、残務とか事務とかをどんどん自分で引き受けてきた。人生は仕事だけじゃないんだからしっかり遊ばないとだめですよ、休まずに長く働くことは無理なんだから最初から休むことを織り込んではたらいたほうがいいですよ。そうやって若い人から次々と仕事を取り上げて自分でこなしてしまったのは私たちのほうだ。

ブルシット・ジョブという言葉がある。生産性がなく個人の向上にもつながらない雑務をそうやっていやがる本がポコポコ出て、若者も中年もかなり影響を受けた。個人的には、今の社会が「名前のついていない家事」に敬意を払うのはすばらしいことだが、返す刀で「名前のついていない業務」であったものをすべてブルシット・ジョブと呼んで忌避するというのはどうなのかと疑問に思う。しかしまあみんながブルのシットだと判断した仕事は、もはや、若者にやらせるわけにはいかないだろう。であればそういう仕事は主任部長とか教授のような一番上の人間が脳を一切使わずに秒速で片付けてしまえば八方丸くおさまる。これは私の考え方でしかなくて真実とか正義とかの話ではないのでご留意いただきたいが、私は実際に長年そのようにしてきた。私はとにかくブルシット的ジョブを自分で引き受けるタイプだ。私の下で働くひとたちはとにかく病理診断に没頭できる。平日の8時半から17時まで、お昼休憩をきっちり1時間取って体調を崩さない程度に働く「だけ」で、それなりの量の勉強ができるのは、ひとえに若者たちがブルシットな事務仕事を一切しなくていいからだと思っている。主任部長が電話を代わりに取り、迅速検体の処理をし、めんどうな問い合わせをぜんぶ引き受けている間に、ゆっくりと教科書を見ながら手元の標本に向かい合うことができる。それこそが理想の教育環境だ。そこにさらに重ねて、「17時以降までそんな真剣に勉強しなくていいよ、自分の生活も大事にしないとね。病理医なんて40年以上働くんだから今からそんなに没頭なんかしても疲れるだけだよ、精神も病むし」などといっている。

それで若者に「没頭する時間が足りない」なんてよく言えたものだよなと我ながら反省する。私だ。私が若者をだめにしたのだ。いやだめにはなってないか。だめではないです。


まあ何を言いたいかというとこんなぬるま湯でも育つ才能はあるがたぶん育たない才能もある。私たちはそれをちょっとだけさみしく感じつつ、でも絶対に元には戻したくないなとも思っている。

昔のモーレツなやりかたの弊害を知ってしまった今、若い人たちに「時間をかけて働かないと何も身につかない」というタイプの指導をすることはできない。二度とできない。AIをはじめとするたくさんのツールがあるから、人間はしなくていいことをせずに「人間にしかできないこと」を短時間で効率よく行えばいい、というのが社会の求める未来の姿だ。17時以降に勉強なんかしなくていい。ゆっくり育てばいい。20代で完成される必要なんてない。全部わかっている。全部わかったうえで、もう何も変えないけれど、ただ思う、「蓄積なしに何かを成し遂げようなんて甘いですよね」と。小声で思う。小さい文字で思う。私は某教授の話を聞きながらいっしょに肩を落とした。そりゃあそうだ、と。かくいう私も典型的な多動タイプでなにかに没頭してやってきたわけではなく、しょっちゅうあちこちに浮気ばかりして働いてきたので、その意味では今の医学生から見れば「自分たちと同じようにあれこれ目移りしたせいで結局なにごとも成し遂げてこなかった残念な先輩」ということになるだろう。反面教師になりうるか? ならないだろう。だって今の若者のほうが頭はいいからだ。

私には説得力もないし、指導力もない。ただ、「健康を害さないようにゆっくりのんびり働けばいいよ」と繰り返していれば、上にも下にも怒られずに指導者のふりをし続けられるという、その一点で本当に指導すべきことから逃げてきた。情けない。

夕方になってスタッフみんなが帰宅したあと、さあみんなは帰ったけど私はこれをやっておかないとな、と一人でPCに向き合って、さほど業績にもならないような小さい、しかし物語性にあふれた仕事のプレゼンを作る。ああ、私はこの先どうやって若い人に何かを伝えたらいいんだろう。呆然とした気分になるのである。努力しろなんて流行らない。背中を見ろってのも流行らない。教育ってのはたいへんだ。私はもう、自分の考える臨床しかできない中年であり、医学生たちにニコニコ寄ってこられても、いやあ、教えられることはひとつを除いてなにもないですね、そのひとつってのはなんですか、それはね、人生を傾けるほど自分が偏るとたまにいいことが起きるってことですよ、えっなんですかそれ、古いですね。すみません。ほんとすみません。

監修つきの長編

クソ長メールを書いて体重が50 gくらい減った。魂のMPを50消費して魔法を撃ったような気持ち。MP 50の魔法は燃費が悪いなあ。イオナズンでも8くらいなのに(※DQ3の場合)。

長いメールなど書いても無駄だ。だって誤読されるから。ダラダラ目で追っているうちにニュアンスがずれ、本当に大事なことを書いた一文が埋もれて忘れられたりもする。それよりも、なによりも、書いているうちに私の気分がだんだん変わってしまうというのが問題だ。書き始めのときにだいたいこういうことを伝えようと思っていたぼんやりした気持ちは、指先からキーボードを経て文字になって言葉になってフレーズになって文章になって、画面に焼きつけられて、その文字を目と心があらためて受信することで、思った以上に変化する。文章化した気持ちはもとの気持ちとはおそらく別物だ。宇多田ヒカルとミラクルひかるくらいには変わっている。長いものを書けば書くほどそうだ。宇多田ヒカルで書き始めた文章がミラクルひかるを介して浜崎あゆみの文章に変わっていたりする。それを誰かに読ませて誤読するなと言っても無理だ。だってまず私のもとの気持ちがどこにもなくなっているのだから。

「よろしくお願い申し上げます。市原拝」と記して、はあ、ためいきひとつ、5秒ほど目をつぶって、さあ! とメールを最初から読み返す。あれぇこんな風に書き出していたんだっけと20分前の自分の文章に驚かされたりする。まったくしょうがない。長いメールを書き終えた今のわたしがメールをいちから添削する。この表現は要らない。この表現は重複している。この表現はわかりづらい。ここには改行があったほうがいい。

ここは「カギカッコ」が多すぎる。

ここは句読点が足りない。ここは説明の順番が逆のほうがいい。ここもまた重複だ。これは最初に書こうと思っていたことだから最初にまとめよう。まてよ、書いているうちに、こんなこと相手に言わなくてもいいんじゃないかという気がしてきたな。もっとシンプルに相談だけ別に書いて送ったほうがいいんじゃないかな。そもそも何を言いたかったんだっけ。本当は何を考えていたんだっけ。

長いメールを受け取った人の気持ちもおもんぱかるべきだろう。短くまとめられないような込み入った内容をメールですんのかよ、と思っているだろう申し訳ない。短くまとめられる程度の内容ならメールなんかしないで私が解決してしまうのだからそこはしょうがない。長くしか伝えようがないからメールしているのだそこは因果が逆なのだ。ごくたまに、長いメールを受け取ることがうれしいタイプの人もいるから許してほしい。もっとも、私は人から長いメールを受け取ると100%うんざりする。自分がうんざりするようなことを他人にするのですか。まあ、「いったんうんざりしてもらうこと」も一つの目的になっているかもしれないからな。いや、そんな性格の悪いふるまいをしたらだめだろ、人として。そうかな。人ではなくメールだから。人格とメール格とは違うんだからさ。いやだめだろメールとして。そうか。





少し前から、『フラジャイル』の監修をしている。細かい現場のニュアンスを伝えるために、ここに具体的な専門用語を加えてくれませんか、というオファーがあって、フキダシのサイズにあわせて入るようなセリフを考えたりする。私が提案するセリフはいつも長くて、改行してもフキダシにおさまらない。単行本を読み直すと、あれだけ豊かな情報量を有するマンガなのに、セリフひとつひとつが俳句よりも短いことに驚愕する。そのような短いセリフを絵と組み合わせていつまでも味わえるような多層化した物語に仕立て上げる神の技術に畏怖を覚える。

私はとにかく話が長く、文章が長い。家族や友人にも長年指摘されてきた。最近はあまりしゃべらないようにしている。あいづちだけでもコミュニケーションになるのだなというのは中年の気付きだ。長く語ればそれだけ伝わるというのはとんでもない間違いである。そのことを毎日実感している。ただし、勘違いしてほしくないのだが、だから書かないということはない。私が語ったり書いたりしているのは家族や友人を含めた誰かのためとは限らないからだ。口先から出てくる声や指先から出てくる文字を私自身が第一受信者として受け止めて、ちょっと前までの自分の気持ちが少しずつ変わっていくことを第一の目的として語ったり書いたりしているかもしれないからだ。私は自分を精読し続けており、それはたいてい誤読である。そして私は生まれてこの方誤読している自らを「なんだ、そんなことも書いてあったのか」と、その都度修正しながら読み続けていくために、長く書くし、いつまでも書く。

呼びかけるよ私にホイ

子どものころ、ゲームやアニメに疲れて目がしょぼしょぼしたと母親に言うと、「遠くの山を見なさい」という言葉が返ってきたものだった。だだっ広い札幌市の西南側には札幌岳、盤渓山、こぶりなところでは藻岩山などがあり、窓際に駆け寄っていってそっちのほうを見やると新緑の季節にはロープウェイがかたつむりの歩速でじわじわと斜面を上っていく。それをのんびり目で追っているうちにいつしかフリーズしたピントが元に戻っていた。

今は仕事場の窓から外を見ても山は見えない。窓の向いている北や東に山がないのでしょうがない。私はつかれた目を癒す方角を与えられずに17年このデスクで働いた。最近どうにも目がしょぼつくのは長いこと山を見ていないからだろう。

あれが山だ。小さい頃に実家の窓や、家の前の小道から仰ぎ見たあれが山である。あれ以外の多くは山ではなく、「他人が山と言っていたもの」。出所の問題。「誰かが山と呼んだのをあとから聞いたもの」と、「私が山といって思い浮かべるもの」は似ているが同じではない。




さほど山登りの経験がない私にとって、これまで見てきた山の多くが車窓の風景だ。空港から、東北や中部や九州の高速に乗って仕事先に向かったことが何度かあり、運転手とひととおりの時候の挨拶が済んで黙ったあとに後部座席や助手席の窓から眺める広葉樹林の風景が、私にとっての山である。それらは幼少期に実家から見た山の延長にあり、そのバリエーションだと思って見ている。そこにロープウェイがなくても電線にニンジャを走らせるように山際にデイダラボッチを歩かせる。仕事前の移動の折に眺める「私にとっての山」は、まだつかれていない私の目をずいぶんと癒したものだった。藻岩山の針葉樹とは違う色味に私は異国を感じつつも、これもまた山だという確信に近い思いがあった。山は遠くから眺めるもの。自らが踏みしめてどうこうするものという感覚は私の中にはない。拡大をせず俯瞰で眺めるもの。アーキテクチャを不問としテクスチャを感じるもの。

海は違う。海は眺めるものではなく入るものだ。泳ぐものではなくすねまで浸らせながら歩くものだ。母の暮らした田舎の海、潮見の浜は岩場だらけで砂のない海で、子どもの頃、夏、私と弟は坂をゆっくり降りた先にある岩の入り江でヤドカリを追いかけたり、漁師の息子たちが食べ捨てたウニの殻を拾って遠くに投げたり、図鑑で読んだアメフラシがここにはいないと言って探したり、絵本で読んだシオマネキもここにはいないといって小さなカニを追いかけたりした。浮き輪はあったが海は冷たく、私たちはたいてい岩の上で軽く震えながら入り江の静かすぎる波しぶきに髪の毛をキシキシさせていた。互いに紫になった唇を見て笑ったあとに坂を登って母の実家に帰るとそこには祖父母を含めた親族一同が揃っていて、子ども心にさほどうまいとは思えなかったイカやツブなどが座卓に所狭しと並んでいるのであった。



登山家やトレイルランナーたちが写った山の写真を見て美しいなと思うが山だとは思わない。
夕日の沈む海の光景を写した写真を見てきれいだなと思うが海だとは思わない。
私にとっての山はいつまでも遠くにあるもの、私にとっての海はいつまでも足をひたすもの。それ以上の感覚や情緒はあとから、他人の感動と共に私の頭に流れ込んできたもの。もちろんそれらによって私は体験を拡張して人生を芳醇にしていることはまちがいない。しかし私にとっての山や海が入れ替わることはこれまでにはなく、であればおそらく、今後もないだろう。人間はみずからが直接知覚できないものを共有体験できるだけの言葉とツールと脳を持っている。そんなことは百も承知であえて言うが、他者の経験はみずからの体験とは収まる脳の引き出しが違うようにも思う。

私にとっての喜びとか安らぎとかいったものも、人生のごく初期にみずから体験した距離感とか肌感覚によってかなり規定されているのではないかと思う。

ただ、それは「子どもの頃にいい体験をしたかどうか」みたいに語るべき話ではない。小さい頃にお金がたくさんある家に育てば毎年ディズニーランドに行けたね、みたいな話をしたいわけではないのだ。そもそも金を積んで得られる体験というのは多かれ少なかれ他者の認めた価値が付随しているだろう(だから値段が付けられるのだ)。それは他者の体験とみずからの体験とのハイブリッドみたいなものになっているだろう。私はそういったものが自分との距離感や肌感覚を「うまいこといじってくる」ことには敬意を評しているが、こと、自分をふりかえってみたときに、幼いころの山や海のような、誰も価値を付けないようなものであるはずなのに私にだけは確実になにごとかを刻印しているものとはやはり別なように思う。

本を読み、映画を見て、人と話をし、想像をふくらませ、インターネットを手に入れ、SNSで無数の人からもらった他人の体験によって、私は私の輪郭を大きく広げ体積を増し、それを手でこねて器のようなものを作って、世のたくさんのものを掬っているつもりになっている。しかし、誰からも提示されず誰にも提起することなしに、肌で受け止めて心に飲み込んだプリミティブな幼少期の体験の数々が、私の脳の中ではかなり大きな梁として屹立しており、これはそう簡単には消えてなくならないだろうなと感じるし、あとから拡張した私の輪郭など結局は年単位でほほをふくらませたり縮ませたりしている丘に上がったフグのようなものであって、骨の部分は今後もそう変わらないのだろうなという、あきらめに似た楽しい苦笑のような気分を今は感じている。

ぞうさんぞうさん無償の愛なのね

「治療法はもう確定したのでこれ以上診断を深める必要はないけどでもいちおう深めてもらえます?」みたいな依頼がくることがあり、そうだよね、わかるよ、とつぶやきながら教科書を片っ端からぺろぺろめくっている。そういうことはままある。

・胃の良性腫瘍。とってしまえばもう大丈夫。でもどういう種類の腫瘍かわかったら教えてください、興味があるので。

・B細胞性の悪性リンパ腫、悪性度はあまり高くない。それで治療方針は確定しました。でもより詳しくわかるなら調べてください。

・皮疹、superficially perivascular dermatitis。あとやることはいっしょです。ステロイド塗って様子見る。でも結局なんなのか、わかるものならぜひ教えてください。

そういう声に答える仕事をしている。


いや、なんかこれはもう仕事ではない気もする。

病理医の中でもおそらく判断がわかれるだろう。

「そこまで付き合ってらんないよ、あとは研究の世界なんだから研究でやってくれ」という態度をとる病理医が、全体の50%くらいじゃないだろうか。

無理もない。現場をみればわかる。私たちは臨床医とくらべると本当に患者のごく一部しか見ていないから、一例一例の「重み」というか「負担」はたいしたことがないのだが、そのぶん、臨床医の10倍くらいの患者をみている。臨床医は一日に外来70人だって! 大変だ! でもぼく一日に700人くらいの病理組織標本について考えることはままあるよ。うっそだあ、だってそんなに検査の依頼こないじゃん。いや、それがね、研究目的で今そこにいない患者のプレパラートたくさん見るってことが、病理医にはあるわけよ。えっそれもう仕事じゃないじゃん。そうだね。診療報酬が発生してないじゃん。そうだね。給料に反映されてないじゃん。そうだね。

仕事の定義は人それぞれで、私にも私の定義がありそれは他人からどうこう言われる筋合いのものではない。生きる以上の金を稼ごうとする人間と私とは話が合わない。あの作家もあの建築家もあの研究者もあの芸術家も、今はもう、私と話すこともない。合わないのだから話さない。どちらがいい悪いではなく合わないから話さない。言語体系が違うからAIサポートなしに話すことはむずかしい。




台湾の映画「本日公休」を見た。古い日本の映画のようだった。主人公は長年理髪店をいとなむ、おばさんとおばあさんのハイブリッドみたいな女性だ。キーマンとして、その主人公の娘の元・夫(つまりは元・義理の息子)というのが出てくる。これがまた見事に、しなくてもいいことをするし、お人好しで、お金や仕事について自分が得をするように考えられないタイプで、車の整備をしているのだが友人やお得意さんはみんな代金をツケにしてしまうのだがそれをずっとよしとしている。そんな人を描く創作物というのは日本では「男はつらいよ」以降はほぼ絶滅してしまったのではないかと思うが、台湾では描かれていた。この映画は、特にイベントらしいイベントは起こらないし盛り上がる場所も特にないのだけれど、古くて新しい映画といった佇まいで、私は満足した。

元・義理の息子を見ていると、ああ、ものごとの優先順位を考えず、目先の人情で動いてしまう人間というのは、決して朴訥な善人という一側面だけでとらえるべきものではなく、良かれと思って社会のバランスを崩し、良かれと思って他者を傷つけ、良かれと思って物事を悪化させるような側面を確実に持っているなとあらためて思った。しかしそういう人間が一念発起して、他の忠告を聞き入れて、世の大半の人々がするように利己的な行動に移れば、そのときはそれまでの「無償の善」でなんとなく救われていた人たちが割りを食うことになる。問題はそこで「なんだあいつ、そこまでボランティア精神出すなら最後まできちんとやり通せや」といって周りがブチ切れるかどうかというところで、今の私の見聞きする範囲での社会は「途中まで無償の善をほどこしたタイプの人間」がいなくなると残った人たちはたいていブチ切れるのだけれど、少なくとも「本日公休」に描かれていたあの社会では、善者が前に進んで誰かを置き去りにしてもそこにはおそらくほのかな救いがある、といった希望のような夢のようなきれいごとのような現実の愛のようなものを私は見た。いい映画だったけどたぶんこのブログ記事が公開されるころにはもう上映している映画館はないだろう。あれこそは知識人どもがもてはやす「互酬性のない贈与」だと思うのだがそういうのはきっと時代の選択圧には耐えきれないのだ。

二倍やったらすすぶりぶり

もう少しやることはあるのだがちょっと疲れてしまった。仕事をいったん置いて本を読む。読み途中だった『病理と臨床』の最新号。細胞診のピットフォール特集だ。

肺、子宮、甲状腺、膵臓……。脳腫瘍以外はどれも経験する可能性がある。

図版と解説文を見比べながら、何度もいったりきたりして、ひとつひとつ読んでいく。そこそこ時間がかかる。

ほんとうは仕事をしたほうがいい。でもまあ時間外だ。たまにはサボらせてほしい。サボって勉強をする。


「こういう細胞が出ると間違いやすいから気をつけろ」

このようなタイトルやキャッチがついた細胞を眺める。眺めて頭に叩き込む。病理診断にはそういうタイプの勉強法がある。

ただまあ、へんな話ではある。

「間違えやすい、難しいやつが今から出てくるんだな」と予測した上で細胞を眺めるというのは、言っちゃなんだけど「ずいぶん甘やかされている」。「難しい」ことがわかっていれば、こっちだって心の準備を整えて、細胞の写真をいつも以上に丁寧に見るからだ。そこまで心の準備ができていれば、あまり難しくはない。

しかし、日常診療で、目の前の細胞にあらかじめ「これは難しいやつですよ」と書いているわけではない。

落とし穴というのは隠されているものである。目の前にあきらかに穴があるとわかってそこに落ちていく人はいない。日常のピットフォール、誤診というのは、見えない。気付けない。忘れたことにやってくる。「これがじつは難しい症例だ」ということに気づけないときに間違う。

「難しい診断特集」なんてのは、言ってみれば「落とし穴がはっきり見える状態」で落とし穴に落ちないように気をつけようという特集である。落とし穴がぱっくりと口を開いていて、そのへりを歩いて、ほら落ちたら痛そうででしょ、怖いよね、気をつけてね、うんわかったよ、うん、甘やかされている。


厳しいことをいうようだが、誤診に注意、みたいな特集号をいくら読んだところで、誤診は減らない。


それでも読む。


読んでも読まなくても誤診するなら読まなくていいや、とはならない。それでも読む。1%でも、0.1%でも、誤診しづらくなるなら、そのほうがいい。0.1%の改善努力を1000行えば100%改善する……というわけでもないけれど、とにかくちょっとでもよくなる可能性があるなら、そこに労力を注ぎ込んでいく。



誤診にまつわる本を、普通に読んでもだめで、努力が必要だ。

ご丁寧に落とし穴を開示してくれている本の前で、私は、「これが隠された落とし穴だったら」というシミュレーションをくりかえす。

誤診の瞬間に思いを馳せる。

誤診という穴に落ちる数秒前、数分前、数時間前、数日前の状況、心のながれ、そういったものをいろいろと夢想する。

どこかの段階で落とし穴がありそうだと「察する」ためにはどうしたらよいだろうかということをたくさん考える。

本当にたくさん考える。

毎日考える。

朝、出勤して、顕微鏡の電源を付けるときに、「誤診しやすい病気」を一通り思い浮かべてからスイッチを入れる。

そういうたぐいの「考える」を、いろいろな場所に、習慣として設定する。

主治医から電話が来たら「そういえば最近カルテ確認してなくないか?」を考える。

免疫組織化学をオーダーするときには「何を頼み忘れると診断が1日遅れるんだっけ?」を考える。

依頼書を読むときには「書いてあったのに読めてなかったパターン」を考える。

所見を書き、取扱規約を参照し、診断文を書くときに、それぞれ考える。

診断の仮登録を押すとき。

本登録を押すとき。

節目節目で考える。節目以外で考えないことでミスをしては困るので、たまには、特にきりのいいタイミングじゃないときにも「ふと」考える。

そして「誤診にかんする本」を読むときもやっぱり考える。

本を読んだとき特有の思考をきちんと発揮させる。

シミュレーションする。妄想する。

金曜日の夕方18時40分くらい、そろそろ一週間の疲れが出てきて、最後あと数件の細胞を見て帰ろうかなと思っているタイミングで、こういう細胞を見て、かんたんかんたん、これはA病だろうとパッパと入力している最中に、今日読んだこの本に書かれているB病に関する記述をちらりとでも思い出すには、どうすればいいだろうかと考える。今はまだ水曜日なんだけど金曜日にそれを思い出すためにどうしたらいいかと考える。しかもそれは今週の金曜日とは限らない。


格闘技の訓練に近い。

「脳の腰」や「脳の脚」や「脳の腕」、すなわち「脳の体」に動きを染み込ませる。

反射で動くように。

理屈ではない部分で。

きれいな形で。

無理なく。

無駄なく。

診断は知的作業でありさまざまな理論に裏打ちされていて、そういう理論は日々の勉強によってどんどん膨らませていくことができるから、誰もが、診断を学ぶにあたって、理論的な・知識的な部分を勉強する。

でもそれだけだと足りない。同時に、別に、「なんかちょっとざわっとする」的な、言語化できない勘とか気のようなものを鍛えておく。それは理論とはちょっと別のものなのだ。そういうのは知識や知恵とは別の色味で本のページのすきまに挟まっている。本と私の脳のすきまに挟まっている。

不慮の事態が生じても、いや、不慮の事態が生じる少し前に、危機を予測して回避できるように、「脳の体」を鍛える。

剣道でいえば素振り。

正面素振り、早素振り、切り返し、こういった基本動作は、じつは試合の最中には使わないのだけれど、あっ! びくっ! いざっ! ぐっ! となったときにギャッと動いてしまう手首や足先のピクリのモーションは、何年も何年も繰り返した素振りによって鍛えた筋肉や神経によって運用されている。素振りが不十分だと、自分の想定を越えたタイミングや角度で相手の竹刀が飛んできたときに、反応が一瞬遅れたり無駄な動きがノイズとして入ったりして負ける。

思考の素振り。病理学的な知識を入れるためだけに本を読むのではない。そこに提示されている細胞像が目の前に来たと仮定して、しかも、このページに書かれているタイトルや解説文を読まずにこの細胞だけを、ある日あるときの私が見たのだということをきちんと思い浮かべて、そこで自分の脳がどの順番でシナプスを発火させるだろうかということを「未然に再現」して、「振る」。その形をみる。ゆがんでいないか。いびつではないか。もっときれいにならないか。もっと早くならないか。

誤診しやすい症例を見ながら自分が誤診するところを思い浮かべる。おちいりそうな私に私から言葉をかける。落とし穴に落ちる直前に自分で自分に声をかける。そこを想像する。必ずしも専門的知識が必要なわけではない。いや、専門的知識はそれはそれとして学ぶのだけれど、「私に声をかける私」というものを、きちんと作り上げておく。素振りをしておく。



サボり疲れた。仕事のほうが楽だ。また仕事に戻る。しかし仕事に戻って最初に見る細胞が「難しい症例」である可能性はある。可能性はある、と、さっそく自分に声をかける。はたして……特に難しくない症例を……見ながら……「からの、超難解症例」である可能性はないのかというのを、虚数時間にいる私がそっと耳打ちする。

松の廊下を駆け抜けて

30代の私はよくイヤホンと共に働いていた。Number Girlの珍・NG rare tracksというアルバムの中に入っている「モータウン」という曲が特にお気に入りであった。ZAZEN BOYS、LOSTAGE、bloodthirsty butchers、agraph、HiGE(髭)、Z、miscorner/c+llooqtortion、SuiseiNoboAz、VELTPUNCH、かくら美慧、ペトロールズ、宇宙コンビニ。「大御所」でいえばthe Pillows、くるり、サカナクション。これらを延々と流しながら顕微鏡を見たり組織標本写真を撮ったりパワポを作ったりしていた。何度か無線イヤホンを用いたが、12時間くらい経つと充電がなくなって不便なので、結局有線のイヤホンに戻した。

あの頃の私は耳から音楽が入ってきても仕事ができた。

顔の見えない遠くの他者のつくった音楽を借りて、顔の見える近隣の他者を拒絶して働いていた。

非・人間とのコミュニケーションによってデフォルトモードに通奏的な刺激を与えて人間とのコミュニケーションの価値を相対的に下げていた。

地表にたったひとつの穴しか開けずとも地中でうろうろじたばた暮らせる蟻の巣穴を思い描いた。

自分の持ち物によって自分を活性化する疑似オートクラインのような個細胞的挙動に身を任せた。

目は基底細胞分化をずんずん探り、耳はエレキベースをずんずん探っていた。

八方美人な五感が手分けして私を維持していた。


かつてWindows PCの中にはドキュメントやピクチャと共にミュージックというフォルダがあった、気がする。しかし今そのようなフォルダを探しても見つけることができない。いつのまにかなくなっていたようだ。PCを買い替えるたびにデータを移し替えてきたバックアップのHDDの中に、自作のmusicフォルダがあるが、たぶん今のPCになってから私はこのフォルダを使ったことがない。iTunesは使い勝手がどんどん悪くなって、昔買ったデータの一部がうまく再生できない。SpotifyやYouTubeで聞きたい音楽にそこそこたどり着けるし、関連再生があたりまえになってジャンルの内外を少しずつ漂流するような視聴が習慣化して、固定したフォルダの音楽を何度も何度もこするように聞くことはない。

それと関係あるのかないのかはむずかしいところだが、今、私は音楽を聞きながら働くことができなくなった。


仕事はあっという間に終わる。診断も写真撮影もパワポづくりもだ。そしてすぐに次の仕事が入る。版画を掘るように働いていたのがいつのまにか書道のような働き方に変わった。合間、合間に電話が鳴り、同僚が話しかけてくる。私はそれらに耳を開放している必要があり、イヤホンは置きっぱなしになってゴムが黄ばんだ。始終頭の中で異なる数名がしゃべっていて、それらにうんうん相槌を打ちながら現実の病理標本にもウェブの検索論文にもAIの出力結果にもうんうん唸る。会話の背景に響くベース音はいつしかエレキベースから打ち込みに、MIDI音源やFM音源に変わった。短い展開を何度も何度もループしても飽きが来ないように設計されている音楽、すなわちゲームミュージックがずっと鳴っている。イヤホンをつなぐ必要もない。真のオートクラインで鳴っている。シムシティ、FF、ゴエモン、ゼルダあたりがよく鳴る。

しかしこれらのゲームミュージックを実際にYouTubeあたりで流しながら仕事をしようとするとぱたりと手が止まる。これはもう何度か試したけれどそうなる。働いている間、ずっと、脳内で流れているのに、それらを実際に流すと、働けなくなる。どうなっているのだろうと不思議に思う。

脳内に広がる情景は、外界を仮想的に再現し、時間軸バーを左右にぎゅんぎゅん動かしてさまざまな状況をスローもしくは倍速もしくはリピートで何度も再生することで、私が実際にそれらに遭遇した時の対処をすばやく的確に整えてくれており、シミュレーションも振り返りも自由自在なのだ。脳は便利だ。しかし、脳内で流れている音楽は、外界から飛び込んでくる音楽よりもヒヨワでやせほそっている。空気を伝わる音圧はシナプス間で組み上がった音階を吹き飛ばす……というか……思考は常に外界の情報をその都度刈り込み取捨選択する五感とその先によってかき乱される……というか……外部刺激を受け取る肌のふるえによってかき乱されるものこそが思考というものの本質のように感じる。



https://www.youtube.com/watch?v=nPSNdEAY3-Y

まとまるために嫌う

講演料はおろかセッションの概要すら提示することなしに来年の予定をたずねてくるメッセンジャーのフランクな語りかけにがっくりとする。自分はこの程度の扱いに甘んじなければいけない程度の人間だからな、と感じて自己否定感を高めていく。自分という曖昧な領域のキワと世界とがせめぎ合うところで損傷が起こり、肉芽が形成され、線維化が起こって、被膜のように私の境界線が確定する。世界からの入力に反応して私の膨張に否定的な圧がかかることでかえって私という領域ははっきり視認しやすくなっていく。もし、私が自分を肯定ばかりしていると、外界とのコンフリクトが起こりづらくなって境界線が定まらずに周囲に対して浸潤をはじめる。それはよくない。浸潤を来してサイズが増大すると、周囲からの血流が中心に届きづらくなるため中央部は次第に虚血に陥り、融解壊死して自壊する。一方、辺縁部では周囲からの盗血によって細胞増殖が持続するので、結果的に私という病変は二次元でみればドーナツ状、三次元でみればマジシャンが種だけ抜いたアボカドの実の部分のような形状で生き残って増殖を継続することになる。好意的にとらえられる増殖ではなく異常増殖だからいずれは周囲にも損害を与えることになる。私は回りを飲み込むように肥大を続けるアボカドではありたくない。だから、自己否定感のほうが自己肯定感よりも大切である。


とはいえ自己のありとあらゆる部分を否定してもよいことはあまりない。自分の中で自分を保つために張り巡らされたネットワーク、それはアイデンティティにかかわるものであったり、自分を維持するために必要な栄養を行き渡らせるためのものであったりするが、これらを自己炎症的に攻撃してしまうと、自己の維持が立ち行かなくなる。内部に炎症を抱えたままでは境界を定めるどころかかえって浮腫をきたしたり痩せをきたしたりして自己の形状や物性が不安定になる。線維化を起こして硬くいびつに引き攣れることもあるだろう。自己を否定するにあたっては、どこでもいいから否定するのではなく、自他の境界部に狙いをさだめ、異常増殖が起こりそうなところに絶妙の精度とタイミングでプログラム壊死を誘発して新陳代謝の回転を安定させることこそが肝要になってくる。内部に同時多発的に攻撃を加えてしまったら、節々が傷むし熱も出るし食が細る。そうなるともう自分の力だけではもとのバランスに戻すことは難しくなってくる。


自己否定は自己肯定と同じくらい難しい。否定しすぎても肯定しすぎても自己は保てない。周囲からの圧が強くて押しつぶされそうなときには自分を肯定することは役に立つが、世界と押し合いへし合いして疲弊してしまってもよろしくない。一方で自己の増殖圧が高すぎて抑制が効かない状況では周囲は迷惑するし戦線を延ばしすぎたモンゴル帝国のように内部崩壊に陥っていくだろう。ちょうどいいバランスというのは難しく、それはたとえば決め事のようにしてしまってはだめで、刻々と移り変わる情勢にあわせて逐次調整をかけていくような姿勢が必要なのだと思う。「自己肯定感を高めましょう」みたいなブログに私がもっぱら嫌悪感を示すのも「それは腫瘍化するだろう」という懸念をふりはらうことができないからだ。


書いているうちにそこそこ書けてしまう今日の記事に不満がある。精神や人間にまつわる現象を人体や疾病に例えるというのは一種の甘えだしタブーでもある。この程度の深度で言い表せてしまう以上はおそらくいろいろとりこぼしているのだろうというあきらめのような気持ちもある。書いているうちにたとえに引っ張られて言う必要もないことを書いてしまっているのではないかという懸念もある。ぶくぶくと増殖する自分を抑え込んで局所局所で適切に分化誘導をかける。化生しそうになる。過誤腫的にもなる。

46歳なう

トレンドに『からくりサーカス』が乗った日、自分でもからくりサーカスは名作だとポストしたところ、おすすめタイムラインがからくりサーカスをほめたたえる投稿であふれてなかなか気持ちがよかった。アルゴリズムのせいで受動的には使いづらくなったSNSが一時的に能動的に微調整できて思った通りの挙動を示してくれることがあり、「DV彼氏がときどきやさしい」みたいなシステムにまきこまれてころっとだまされてしまう。共依存の一蓮托生。私は今もこうしてXによって生かされている。

からくりサーカスはよい。練りに練ったプロット、有形無形のインプットの末にまろび出たであろう美しい構図、筆圧が伝わるような作画、研ぎ澄まされたセリフ。彫刻でクレイアニメを作ったような作品だ。パンチが遅くてかえってよけられなくて頬骨にめりこんでいく、みたいな強い作品だ。体調を整えて身を清めて正座してどっぷり浸からないと跳ね返される。でも、ポテチ片手にソファに足を投げ出しながら読み始めても頭に入ってくる。不思議だ。

一方の私。瞬時に反射でニヒルに避けているうちになんとなく日々が前に進んでいく。グラディウスIIIの高速スクロールステージのような暮らし。ウェブマンガ、縦スクロールマンガ、手軽にPVを稼いで金を右から左にぎゅんぎゅん回していくベルトコンベアの中央車線に私はあぐらをかいている。アルゴリズムとフュージョンしたオートマータであるところの私は、ぶつくさぶつくさインターネットに文句を言いながら、その実、感覚器官のかなりの部分をスマホの画面にくっつけたままにしていて、仕事の合間も移動中もSNSトレンドを中心としたピボットターン以上のところに手を伸ばせなくなっている。ブログを書き始めるきっかけも高確率でXのクソリプだ。

そんな私を、いまどき珍しくなってしまった真に生身の人間が精魂込めてくみあげた「からくり人形」が殴る。時は美しく止まり渦を巻いて逆流をはじめる。


賛否両論あるだろうからあくまで個人の意見として冷静に読んでほしいが、アニメ『からくりサーカス』は作画はよかったし商業アニメとしては及第点なのだろうがマンガを読んだ私たちにはもの足りないところが目についた。ストーリーを省略しなければならない都合の部分とかは百歩譲ってそこはどうでもいいのだ。そういうことではないのだ。なるべく声を小さくしていうのだが、アニメーターや声優などの獅子奮迅の努力には敬意を表するけれども、おそらく、アニメ制作首脳陣がこの物語を真剣に考え抜いた時間が単純に足りないのではないかと思った。藤田和日郎はそんなに短い時間で決断をしていないはずなのだ。藤田和日郎はそんなにすばやくコンテンツを仕上げていないはずなのだ。そこが足りなかったのだと思う。そこが「軽かった」のだと思う。


老害の典型的な行動のひとつに、若者に対してすぐ「考えた時間が足りない」と言う、というのがある。長く生きているほうが若いほうを殴るのにこれほど便利な言葉はないのでよく使われる。からくりサーカスの話をするとき私はすぐ老害ムーブをかましてしまう。しかし、ここでふと思ったのだが、からくりサーカスを執筆したときの藤田和日郎先生の年齢はおいくつだったのだろうか。藤田和日郎先生は今……60歳。からくりサーカスの連載は1997年から2006年。つまり……。33歳から42歳のときだ。なんだ。今の私よりぜんぜん若いじゃないか。ははは。いいか私たち。考えた時間が足りないぞ。からくりサーカスを見ろ。あの前で「私はずっと考えました」なんて言えるか?

月島で歯の治療したら歯科医もんじゃだよね

歯茎は健康のバロメーターだなあ。猛烈に忙しくてストレスがかかると歯茎が腫れてくる。みたいな文章を考えていたところでバロメーターのバロってなんなのかが気になった。工藤新一だろうか。ググるとすぐ答えがでてくる。気圧の単位がヘクトパスカルになる前、「ミリバール」という言葉があったがあの「バール」から転じたものが「baro」なのだそうだ。バロメーターってのはつまり気圧計のことなのだ。「ヒザが痛むと雨がくるんだよ」みたいなことを楽しそうに言う中年がたまにいるので、今度そういう人に会ったら、「ヒザは気圧のバロメーターってことですね」っていうボケをぶつけて、「馬から落馬したみたいなこというやん」ってつっこまれなかったらぼくの勝ちゲームをやってみよう。たぶん勝てるだろう。

最近の我々はインターネットという外付けのハードディスクを使って脳の機能を拡張するのがあたりまえになった。さらに、急速にAIが身近になったことでいわば外付けのCPUも使えるようになった。型落ちのスマホ程度のスペックしか持たない脳であってもWi-Fiさえつながればなんとかなる。iPhone 5sでずっとがんばっている酔狂みたいな生き方。少し前までは、本体のメモリがしょぼいといくら外付けで機能強化しても使いこなせなかったのだが、どうもここんところのIoTの整いっぷりはメモリもグラボも何もかも外挿できてしまう印象で、本体のスペックなんてどんどんどうでもよくなっていく。

私の脳がアイデンティファイされる要件がよくわからない。誰もが疑問をググって解決し、コミュニケーションをAIにまかせるようになり、お互いが個である意味が消えて大きなひとつの物語になる。それは、環太平洋に点在する国々を調べてみるとだいたいどこの地域にも似たようなモチーフの神がいて供物があって互酬があって近親相姦への暗い反発があるという話、登場する生き物や造形が少しずつ変形し続けているけれどじつはひとつの大きな神話体系を見出すことができるみたいな話に、似ているように思う。

時の摩耗によって収斂するように私たちは互いに似通っていく。それはおそらく、私たちが時とともに拡散して離れ離れになることに対する根源的な恐怖があるからで、孤高よりも衆愚を愛する本能があるからではないか。私たちは知らずしらずのうちに、私が私である意味よりも、私たちが私たちである意味のほうに少しだけ多めの愛着を注ぐタイプの人類になっていて、それは哲学や人類学の歴史をかえりみるとおもいのほか新しい現象なのではないかという気もしないでもない。私たちは今、自分自身がたったひとりでどう生きて死ぬべきかを考えられるほど自前の独立した脳に依拠していない。私たちは知らないうちに「みんなで神話になる方向」に向かっていて、それはおそらく私たち世代がもはや苦笑とともに語らざるを得ない人類補完計画と大差ないものである。いいか、そうやってすぐググるのをやめろ。ゼーレのシナリオどおりになるぞ。

芥見先生おつかれさまでした

読み続けた呪術が終わってこのダメージなら、20年以上読んでるワンピが終わったらどういう気持ちになるのか今から心配である。たくさんの読み巧者たちによって、自分ひとりでは気付けなかったであろう作品の深い「張り巡らしっぷり」が、完結から数日もしないうちに大量に流れ込んできて、それはとてもありがたいことなのだが、逆にここまでわからせられてしまうと後日読み返して「なるほどそういうことだったのか」と再読のひらめきを味わう楽しみは少し減ってしまうかもしれないなと、そんなことばかり気にしている。

マンガの根っこにあるのは「領域展開、ってかっこいいよな」みたいに魂に直接ひびくイマジネーションの部分である。Twitterが存在しない世界線であったなら私はドラゴンボールのように呪術を読んだだろう。しかしよく考えるとTwitterがなかったころにも我々はゆで理論や車田ワールドに対してなんらかのネットワークを用いてツッコミを入れ続けていたわけで、媒体があろうがなかろうがやることは変わらなかったのかもしれない。

一度二度読んだだけではストーリーも設定も理解しきれないくらい複雑で輻輳したマンガであった呪術廻戦を、それでも黒閃とか虚式「茈」とかのかっこよさに引っ張られて楽しく読み切ることができた私は、わくわくとした勢いで何度も物語を追っていくうちに四方八方からじわじわと世界を吸収して、「なんかわかるようになってきてしまった」。そういうマンガがあったというのは私にとってすばらしい時間だったと思う。デリダの生きていたころにMANGAがあったら彼はテキスト読解を途中で放りだして呪術の読解をやっていたかもしれない。ディファランスがどうとかいわずに宿儺戦の勝ち筋の考察をしていたに違いないのだ。



昼間からゆらゆらめまいがしてどうにも疲れが取れず、もしやこれは発熱やせきこそないけれどコロナなのではないか、病的倦怠感なのではないかと気になった。頭のなかにはもやもやとノイズがうごめいておりこれもいわゆるブレインフォグなのかもしれなかった。イッテQが終わるか終わらないかのタイミングでいよいよ覚醒を保てなくなり21時には寝てしまった。4時半にかけた目覚ましをとめ、5時半にセーフティガードとしてかけた目覚ましもとめ、6時になってようやく目が覚めた。9時間寝たことになる。鏡を見てびっくりした。20年くらいとれなかった目の下のクマが小さくなっている。そうだったのか。私はつまりこの目の下のクマはそういう意匠(?)だと思っていたのだけれど、単純に慢性的に寝不足だったのか。昨日の倦怠感はほぼなくなり、頭の中もそれなりにクリアになって、デフォルトの暮らし方が消耗戦だったということが明らかになった。となるとこれまでの仕事のパフォーマンスも8割くらいでやりくりしてきたということになるだろうか? 残念ながら話はそう単純ではない。脳というのは筋力と違って、コンディションが抜群のときに100%の出力をできるとは限らず、疲労や諦念によってネットワークの刈り込みを行った結果むしろ平時より骨太のアウトプットができることもある。疲れていればいい仕事ができないというのは必ずしも正しくない。だから今日のコンディションがこれだけよいからといって今日の仕事が全部過去最高のクオリティになるかというとそんなことはないのだ。しかし、ひとつだけいいことがあった。私は今日、呪術廻戦の最終回の最後のコマを見たとき、なんか、よく見えるなあ、と思った。私は世界を摂取する五感が一番クリアな日に呪術の最終回を読むことができた。アウトプットは疲労の度合いと必ずしも相関しないが、インプットは純粋に体力と気力に影響を受ける。私は今日、最もパフォーマンスの高い状態で呪術を読み終えることができ、その分もうれつにさみしくなってしまったのだ。

ヴァレリー鼻から牛乳

うなぎのタレがたらーっとたれたらうなだれる! うなだれる! と言いながら私はがっくりとうなだれた。学会の準備が終わらない。自分の発表ではなく主催のほうだ。病理学会の北海道支部は年に4回の定例集会(通称:交見会)を開催しており、年度ごとに主催施設が変わって、たいていはお城みたいな建物を持っている大学あたりが当番/会場になるのだが、10年に1回未満の頻度で当院も当番にあたる。今年度がその出番だ。めんどくさい! 事務仕事、会場整備、参加票の印刷、演題募集アナウンス、応募演題のプレパラートをバーチャルスライドにしてウェブに載っけてもらう手続き、プログラム作成、特別講演の準備、総会との連携、おかし・ドリンクの買い物、Zoomライブ配信の設定などをやる必要がある。今年度はそういうのを私が主に担当している。うなだれる。臨床検査技師さんとか研修医とかスタッフもときどき手伝ってくれるが、なんかまあ、私がやってできないことではないのでなんとなく自分でやってしまう。管理職としてあるまじき態度なのだが自分でやってしまう。

何度かここでも書いたことがあるけれど仕事をまわりとシェアできないという私の性格的かつ構造的な大弱点の話である。人間だれしも欠点がありそこを愛でてなんぼだと思う(ひらきなおり)。下にやらせないと育たないよという意見はわかるがこの世界上がポンコツでもがんがん育つからどうでもいいじゃないかと思っている。ただ「日記」だけは書いている。いずれこの仕事を自分でやらなければいけない人が出たときに私の日記を読んでてきとうにがんばるだろう。さすがにそういう遠回しな受け渡しだけはやるようにしている。

北海道に病理専門医は100名ちょっといて、その多くは札幌、旭川、帯広、函館あたりに暮らしている。ただ地方の中規模病院でひとりで働く病理医というのもそれなりにいて、そういう人たちが、年に4回えっちらおっちら学会場までやってくる。あるいはコロナ禍を経て遠方からわざわざ札幌まで出てこなくてもZoomがあるよね? Zoom当然だよね? と熱意はないが欲望がある目でこちらをちらちら見てくる人にそなえて私はZoom配信の準備をする。業者を入れると金がかかる。病理学会の北海道地方会ごときにそんな金はないのだ。したがって工夫と知恵で自前でなんとかする。会場PCを有線でオンラインにつないでZoomにアクセスすれば少なくとも演者のプレゼンは会員限定でオンライン中継できる。問題は会場とのやりとりだ。会場では普通にマイクを使うのでアンプからPCに音を拾えればそれに越したことはないのだが、そんな機材はないので、集音性がそれなりにある会議室用のマイクを会場のスピーカーのすぐ横に置くといういかにも手弁当の荒業でのりきる。第1回はこれでうまくいった。アンケートには「ときどき音声が聞きづらかった」という感想があったが、はっきりいうけど現地にいてもしゃべり手の滑舌のせいでときどき聞きづらいときはあるんだからそこは別にいいんじゃないかという拡大解釈で不満を見なかったことにする。運営。運営の本質。考えればすべての悩みは解決する。よく考えて、ここぞというところで考えないようにする。

萩野先生が「考えるということはどういうことなのか」みたいなことをさらっと書かれていてうなだれた。そうだなあ。考える考えるというけれどこれはいったいなんなのかなあ。「よく考えろ」という命じ方も意味がわからない。「考えれば考えるほどわからない」なんていう決まり文句もある。地方会の準備においてはとにかく余計なことを考えずに裁断機で参加票をA4からA5サイズに切ったりプログラムにホチキスを打ったりしている時間が長い。医局秘書がさげすむような目で私を見て「当院の図書室のコピー機はホチキスを自動で打ってくれるんですよ」と言って言葉のヒールで私の心の腹部を踏みつけた。よく考えるとこれ気持ちいいなと思いながら建前上は屈辱に堪えているような悔し顔をする。

そろそろ旅行に行こう、昨晩、家人とそのように話したあと、どちらともなく、「そんなひまはないが」と言い合ってそうだそうだとなった。臨床・研究・教育、私たちはとかく働きすぎるし考えすぎる。へたな考え休むに似たり? 似たり、似なかったり? どっちなんだい? 考えるということは確かになんのことなのかよくわからない。働くというのも不思議な概念だ。「死ぬまで生きる」みたいな詩人くずれしか喜ばない中身のスカスカな言葉というのも我々は繰り出すことができ、「働いたり休んだりする」とか「考えなかったり考えなかったりする」というのも自由自在だ。私はときどき考える。ゆえに私はときどき存在する。

ブラックヒストリア

野菜とお肉をことこと煮込んだあと、最後にカレールーを入れるときに、「おっくれってルー」と鍋を煽る。最近の流行りだという。TikTokでバズるという。

このような二行を書き残し、たいせつにウェブに放流し、十年後に読み返すことで、十年先の私の土踏まずはもやもやとし、側頭動脈は痙攣し、S状結腸は過剰に蠕動するだろう。「な、な、当時の俺はこんなものを、すかした顔で書いていたのか……がくっ……」このがくっのくだりで昭和を感じてさらに悶絶することだろう。

黒歴史の刻印は時間のかかる鍼治療みたいなものだ。

私は未来の私をより健康でいさせるために、ポケットサイズの痛い言動をあちこちに散りばめて、すっかり忘れたころに私の脳のツボを痛痒いくらいの強さでチクッと突こうとしている。未来の私への手紙は径0.1 mm程度の鍼のかたちをしている。

まあ十年後には自分にまつわるあらゆることに興味を失っている可能性もなくはない。でも、私は、偉人や仙人と違って生きるごとに人間力が研ぎ澄まされていくタイプではないので、きっと十年後は十年後なりになにか痛いことをしているだろうし自分に対してもまだ興味を抱えているだろう。なにがTwitterだよとか言いつつも未来のSNSにいつものアイコンをはめこんで同じようなことを違うやりかたでやっているだろう。

あ、抄録の締切が明日だ。ちょっと書いてくる。




1000字の抄録をふたつ書いた。たった2000字だ。しかしこれらを書くのにそれぞれ10万字くらいの思考をやりとりしたのでどっと疲れた。ブログを書き始めたのは早朝だったのだがもうお昼を過ぎている。この間べつの仕事をしながらずっと抄録のことを考えていた。研修医に消化器腫瘍における血流の変化を説明しているときも、電話の問い合わせにこたえて過去の病理診断を引っ張り出してきて注釈を加えていたときも、骨髄生検の結果を書くにあたり骨髄塗抹標本の所見をたずねに臨床検査技師に聞きに行ったときも、いつも頭の中では抄録を書いては消し書いては消しとやっていて、10万字×2の心がうごめいて、ウゴウゴルーガであった。逆から読んだらゴーゴーガールなんだなということを番組終了直前に教えられたことを今でも思い出す。

抄録はいずれも一般的な学会のそれの作法をあまり守っていないものになった。背景、目的と方法、結果、考察の順番になっていない。こういうのはほめられたものではないのだが、そもそも私はおそらく飛び道具的に指名されているので、ここはやはり飛び道具的な抄録を書いたほうがいいだろうと思った。しっかりと寄り道を押し広げて七枝刀のような構造の抄録を




ここまで書いてから何時間も経ちすっかり日も暮れた。抄録を書いていたころが懐かしい。診断も書き、大学の勉強会用のプレゼンを作り、ウェブレクチャーをメモし、研修医の学会発表スライドをチェックし、明日の研究会と明後日の地方会の準備などもして、スタッフの病理診断のチェックをしているうちに、朝から書いていたこのブログは私にとってすっかり過去になってしまった。読み返すとけっこう痛々しい。土踏まずがむずむずする。こめかみが律動している。すごい空気圧の屁が出そうになる。

自分が他人になる理由

大容量ファイルのセンダーがブラウザの裏でがんばって1.5 GB程度のデータを私のPCに送り込み続けている。NanoZoomerで取り込まれたファイルはプレパラート1枚につき180 MB~400 MBくらいの容量があり、まあこれでも内視鏡切除検体だから手術検体に比べれば組織面積は少ないのだが、研究会用にホイホイPCに取り込み続けているとあっというまに容量がいっぱいになってしまう。したがってTBレベルの外付けSSDを用意してそちらにデータを入れていくのだけれど、いつも思うことなのだが、今日たまたま私の職場にゾウがやってきて、試薬棚やパラフィンブロックをなぎ倒しながら私のデスクに向かってのしのし練り歩き、鼻先で技師を横殴りにし、牙で同僚病理医を天井に串刺しにして、前足で私を踏み潰すまさにその瞬間に私はこのSSDをとっさにはずして金庫かなにかの中にしまえるだろうか。それはやはり無理だろうと思う。となれば人様からおあずかりした大事な組織標本データを私は破損する可能性があるということである。もちろん、ゾウが来る確率は低いだろう。しかし隕石が落ちるという低い確率とも足し合わせる必要があるし、ソーラ・レイが降り注ぐ低い確率や、札幌市中央区北3条東8丁目を中心とした新規の火山ができる低い確率や、トンネル効果によりブラックホールが生成する低い確率など、無限に存在する低い不幸を足し合わせることでその確率は限りなく1に近づいていくのであり、私はこのSSDをいつか必ず破損することになる。そう考えると涙が止まらない。医学的知識として眼球には常に涙が流れていて潤滑を行っているので私達は誰もが四六時中涙が止まらない。


形あるものはいつか壊れる一方、形なきデータはいつまでも壊れないかというとそんなことはなくて、秩序ある清潔はいつか汚れるというエントロピーの話が適用される。クラウドに保存されたデータであっても無限に安定しているわけではなく、ひょんなことから汚染を受け、あるいはUIが変化することで突然使用できなくなることもあるし、あるいはデータ自体は無事であってもストレージ内部に他の似たようなデータがあふれることで検索が難しくなって結果的に利用困難になったりもする。たまたま共時であるところの関係者たちとごく限局的に頑強なデータをやりとりしてもそれはすべて嘘・偽り・幻・気の所為であり、「いつでもここに戻ってこられるように大事に保存しておこう」と宣言したものを私はこれまでいくつもなくしてきた。今となってはだいぶ恥ずかしい思い出だがかつて私はニフティのサーバにホームページを開設しており、毎日のように今のブログのようなノリで何事かをずっと書き綴っていた。その後、家のネット回線をJcomにしたのをきっかけにサーバもJcomに移動させてしばらくやっていたのだが、あるとき、引っ越しでサーバを乗り換えるときにホームページの移行作業を忘れていてすべてのデータが消えた。正確には過去に使っていたPCのどれかにホームページのデータは保存されているはずなのだが、もはやそのPCがどこにあるのか、そもそもちゃんと起動するのかなど一切確認しておらず、なんとなくする気もないので、あのデータはもう夢のあとだ。Webarchiveでも拾えない。Twitterのアカウントを移り変わるうちにツイートのログをまとめていたブログなどもすべて消してしまったから、あの頃の私の書いたものはもうどこにも存在しない。


ただ仮に、なんらかのかたちで物持ちよく当時の文章たちが手に入ったとしても、読むほうの私がこれだけ変貌してしまっていれば、もうあの頃と同じような気持ちでその文章が私の中に入ってくることはない。あの頃書いたものは同時にあの頃の私が読むものであり、書き手であると同時に読み手の私が強く願ってあるべきところにある形で収まっていることでトータルとしての「文体」が成立していた。それはつまり、紙でもなくウェブでもない未来の最高の保存媒体が存在したとしても、「かつて書いたもの」だけは決して十全に保存できることはないということを意味する。データが完璧に残っても私が変わってしまえば結局その文章は別物に成り果てるのだ。


国立がんセンター中央病院にいたとき、私は、後進のレジデントたちが勉強になるようにと、「がんセンター病理研修の手引」のようなものを作って残した。



論文のまとめ、勉強会のメモ、領域ごとの病理組織の写真と「指導者が書いた病理診断報告書の特に美しい文面を手打ちでコピーしたもの」などがいくつものパワーポイントファイルとして保存されている。さっきあらためて見てみたが、データに破損はなく、書いてあることもわりとしっかりしていて、ちょっと青臭くて恥ずかしいところはあるにせよ、立派にある種の教材として成り立とうとしている。「成り立とうとしている」。しかしそれを読む私の側が、今はもう、それを成り立たせない。私はもうこれらのファイルのいいユーザーではない。懐かしく思い出してファイルを開いて微笑んでまた閉じる。読み通すことはない。

当時の私に今の私が強く感情移入できるかというとそれも難しい。17年の隔たりの向こうにいる若く目つきの悪い私を今の私は少しおびえて眺めている。あそこからつながって今の私がいることは間違いないが、過去から今がひとつながりであるということは、過去の私と今の私が同一であることを意味しない。蝶や蝉はみずからの脱ぎ捨てたサナギの殻になんの興味も持たない。それと似ている。今の私があの頃の私を慮ることはできない。おそらく当時の私が今の私を見ても遠巻きにするだろう。


ただ、ふしぎなことだが、かつて私に言葉をかけた人々のことは、ずたずたに壊れつつある記憶の中でもわりとしっかり残っている。それは親であり教師であり指導医であり、学校帰りにたまたま同じ方向に歩いていた名前も思い出せない同級生であったりする。あのころの自分自身はもはやエントロピーの疾風怒濤の中で切り刻まれて何もわからなくなっているのに、あの頃の私が全身に浴びていた入力刺激の向こうに立っていた人々のことはいくつも改変されながらもその印象をずっと今に残している。ふしぎなものだ。

かたつむり以外のほとんどの生き物はみずからの眼球でみずからを見ることができない。それはおそらく理由あってそうなっているのである。私たちは自分をあんまり見ないように作られている。私たちの記憶がどこで頑強になるように作られているかというと、それはおそらく「非自己」を認識する上で最もリジッドになるようにできていて、限りある脳のリソースの大部分を他者の顔への認識に当てられるようになっていて、自分のことはだんだんわからなくなるように構造されているのではないかと思う。

あるいは私は、かつての自分を覚えているために、かつての自分のことをあたかも「他人」のように感じているのかもしれない。他人のことならばぎりぎり覚えていられるからだ。それがどれだけ改変を繰り返されたとしても覚えていないよりは覚えているほうがマシだと本能のどこかが叫んでいるから、私はかつての私を他人事のようにおびえて遠巻きにしか見ていられないのだろう。それは私が私であるということを支持する唯一のエビデンスのように思えた。