聞こえる人はカレー聞こえない人はハヤシと書き込んでください

AIの発達によって仕事が楽になっている人たちをタイムラインで見る。そこまで頻度高く目にするわけではないのだけれど、たまに、ものすごく大喜びしている人もいてそれはよかったねと思う。「自分の仕事の中のこのような部分を一気に時短できて、そのぶん、よりクリエイティブな仕事のほうに労力を全振りできる! 最高!」みたいな感じ。やることはもう決まっているけれど、手間と時間だけが容赦なくかかるタイプの、事務仕事、単純作業、そういったものをAIに任せられる。基本的に働き始めて3年とか5年くらいの人がAIのおいしさを体験しているケースはほとんどなく、どちらかというとベテラン・エース格の人が特に喜んでいる印象である。「かれこれ20年、いやだなー面倒だな―と思っていた仕事がAIに任せられるようになった。ラッキー! やりたいことに時間を割ける!」みたいな。

いいことである。

一方、長年面倒でつらいと考えていた仕事が、じつはある種の筋トレとかジョギングのような効果を本人にもたらしていて、その仕事から解放されることによってかえって基礎体力が落ちる、みたいなことも本当はあるんじゃないか。

たとえばそれは「触診」みたいなものではないかと思う。かつての医者は、患者の身体をあちこち触って臓器がどうなっているかを指先や手の腹から感じ取ることに長けていた。肝臓が肋骨のふちよりどれくらいはみ出ているか、とか、脾臓が腫れているか、とか、甲状腺の硬さ・大きさを細かく感じ取る能力とかいうのは、昔の医者のほうが圧倒的に上手かった。今はなんでもCTだとか超音波だとかで「透視」ですませてしまうため、近頃の40代以下の医者はあまり触診自体を用いない。新型コロナによって患者をおいそれと触れなくなった、みたいな話もある。ともあれ、医者が患者を触らなくなったことは、「触るよりも楽に患者の中身を知る技術が進んだから」だけれど、それによって、医者は患者の肌触りとか肌のもちもち感とか肌の水気だとか皮膚のテンションだとかを感じ取る脳力を失い、肌への全般的な興味をなくし、ちょっとした皮疹とかを担当できなくなり、筋骨格・整形内科的な部分への手ほどきについてもちょっとだけ下手になりつつある。

CTや超音波がない時代に戻るべきだとは全くおもわないし、そこを時短できるようになったことで薬剤の副作用について勉強する時間がとれたり、各種のmimickerに気を配る余裕がうまれたりもする。時代に逆行してもよいことはないのだけれど、「触診というデイリープラクティスを省略する」ことによって医者のインナーマッスルの一部は確実に退化しただろう。

プレゼンの資料作成や、論文の要約を10秒で終わらせ、そのぶん、自分は「AIにはできない、人にしかできないような仕事」をする、というのはよいのだけれど、人にしかできない仕事をするにも鍛錬がいる。人にしかできない仕事というものは決してクリエイティビティ100%で行われるものではなく、そこにはたとえば「たくさんの文章を読んだ目の記憶」とか、「たくさんの調整を施した指先の記憶」とか、「たくさん図書館に通った脚の記憶」とか、そういったものが、鍋に投入される具材のようにごろごろとたくさん含まれていて、それらをクリエイティブに対するセンスというカレールーで溶いてくたくたに煮込んで、人間関係というライスの上に流し込んだ総体としての「カレーライス」みたいなもので、その具材の部分をAIにまかせてしまうというのはつまり、ルーだけ入った高級なレトルトを持ってきて「今、自分が提供できる最高のカレーはこれ」みたいなことを言うようなものではないか?